第78話 戦司vs風司

 その頃、河南軍は、その数を大きく減らしながらも、燎宛宮の城門を突破し、宮城の一番外側にある、黄王こうおうの宮へ到達していた。


 ここは皇帝が、様々な儀式を行う宮である。皇帝の権威を示す為に、ここでは見せる為の儀式、即ち、贅を尽くした、絢爛にして華麗な儀式が取り行われる。燎宛宮にいた時には、当たり前の様に見ていた豪華な装飾を施した宮の様子を、鎧に身を固めた李炎は、冷めた目で見渡した。そこに権威を伴わない権力の空々しさを感じた。最早、この場所は、権威の残滓ざんしでしかない。

「李炎様、我らはこれより星見の宮へ赴きます」

 巫族の匠師を従えた周翼が、そう言った。


 この燎宛宮に張られている結界を解かなければ、八卦師の力は使えない。逆に、結界が解かれれば、匠師は大きな戦力となる。そう聞かされていた李炎は、頷いて周翼たちを送り出した。

 一番抵抗の大きかった皇宮警備の兵は、大方退けた。初めこそ、思いがけない勢いに圧倒されたが、周翼がその指揮を取っていた天海を倒してしまうと、その防衛線はあっけなく崩れた。後は、宮内に残る近衛を退ければ、こちらの勝ちは見えてくる。

「……ここを越えれば」

 そう呟いた李炎の耳に、後方で湧き起こった兵たちの悲鳴の様な声が聞こえた。思わず振り返った李炎の目に、兵たちが次々に薙ぎ倒されていく様が映る。

「まさか、新手か?一体、どこから?」

 潮が引く様に、兵が割れた。そこに一人の武将が立っていた。それは、皇騎兵軍元帥、劉飛であった。


「もう、皇騎が戻って来たというのか」

 皇騎兵軍は、岐山付近にまで進軍していると聞いた。それがこんなに早く戻ることはありえない。周翼の見立てでは、戻るのは早くても、夜が明けてからという話だったはずだ。それまでに、我々は燎宛宮の制圧を終わっている。そういう手筈であったのだ。

 予期せぬ出来事に、李炎はただ驚くばかりである。だがすぐに、周翼の予想が外れた訳ではないのだと気づいた。劉飛の背後には、一兵の皇騎の兵もいなかったのだ。

「よもや、たった一人で、ここまで……」

 彼の後方に連なる、自分の配下の兵の屍を見て、李炎は戦慄し、命令を出す。

「敵は一人だ、退けよ!」

 その声に、兵達が劉飛を取り囲んで、間合いを詰める。しかし、劉飛のその威圧感に、兵達は手が出せずに、遠巻きにすることしか出来ずにいる。


 劉飛がこちらを見た。その怒りに満ちた瞳に捕らえられ、李炎はそこに運命の采配を感じた。

「ここで、雌雄しゆうを決しろと、そういう事か」

 不敵な笑みを浮かべ、李炎が剣を抜く。その剣の煌きに引き寄せられる様に、瞬間、二つの剣が火花を散らして交わった。


 わずか数合の交わりで、李炎は劉飛の剣の重みに、剣を握る手が痺れ始めているのを感じる。剣の腕云々という以前に、どこか神がかった劉飛の勢いに圧倒される。


……これが、橙星王の力……戦司の力なのか。ならば……

 李炎は意識を剣先に集中する。

……我に、力を与えよ、風司の紫星王……


 体に力がみなぎってくる。間違いなくそこに、星王の力を感じた。交わした剣が離れ、また交わる。だが、その劉飛の動きが、遅くなった様な気がした。


……気のせいか。……いや……

 更に、数合。

 李炎には、その剣の軌跡がはっきりと見える。劉飛が次にどこに剣を振り下ろすのか。それがはっきりと分かった。

……そうか。これが、風司の先読みの力……


 さっきまでとは明かに違う李炎の動きに、劉飛が不可解だという顔をする。繰り出す剣が、ことごとく弾かれる。

 そこに生じた僅かな動揺に、劉飛の動きが一瞬止まる。それを李炎の剣が捉えた。すんでのところで、それをかわした劉飛であるが、その剣は劉飛の肩口をえぐり、頬を掠めて、血を飛び散らせた。劉飛は後方に飛びのき、呼吸を整える様に、肩で一度大きく息をした。だがすぐに、劉飛は剣を握り直し、再び李炎に斬りかかる。その剣を李炎はかわし、容易に劉飛の背を取った。


……この勝負、私の勝ちだ……


 李炎の剣が風を孕み、うなりを上げて、劉飛に襲い掛かる。完全にその体を捉えた。と、そう思った。だが、李炎の剣は空を切った。

「馬鹿な……」

 瞬間、劉飛の姿を見失った。動揺した所に、横から殺気を感じて、反射的に剣を突き出す。そこでまた剣が交わった音を聞いた。一旦、体を離し、間合いを取った。


……右に来る……

 その剣の動きが見えた気がした。李炎は剣を右に振る。ところが、次の瞬間に、左の脇に激痛を感じた。だが、その理由を確かめる余裕もないまま、李炎の意識は劉飛の剣を追う。先刻は読めると思ったその動きも、今はどういう訳か、その残像を後から追いかけることしか出来ない。


……何故……

 李炎の心に、焦りが生じる。人の意思を、動きを先読み出来るのが、風司の力ではないのか。

「何故だ……」

 思わず呟いた李炎は、次々に剣を繰り出してくる劉飛の表情に目を止めて、ようやくその訳を悟った。


……こいつ、何も……


 劉飛は何も考えていない。無心なのだ。ただ、本能のままに目の前の獲物を追っている。考えるよりも先に、体が動いているのだ。長年の経験がそうさせている。

 そこに意思がなければ、それを先読みすることも出来ない。


……これが、戦司の力か……


 もはやなす術もなく、その剣を受け続けていた李炎は、ついに斬撃を受けてその場に崩れ落ちた。

 それを見て、その場にいた兵に動揺が走る。

「投降せよ。さすれば、命までは取らぬ」

 劉飛がそう叫ぶと、戦意を失った兵達は、次々に武器を投げ出した。そこへ後方から、皇騎の兵がやって来るのが見えた。

 それは、副官である姫英きえいの命で、足の速い精鋭だけを掻き集めて先行し、劉飛を追ってきた崔涼さいりょうであった。それを一瞥すると、劉飛はそこから更に先へ、皇帝の間へと走った。



 程なく、黄王の宮へ、崔涼の指揮する皇騎の第一陣が到達した。

 崔涼は、総指揮官の劉飛がすでにそこから立ち去っている事を知ると、呆れながらも、兵を半分に分け、無駄だとは思いながらも、伝令を付けて、更にその後を追わせた。

「確かに、面白いけどね。この勢いの良さは」

 走り去る兵を見送りながら、崔涼は苦笑混じりに呟く。親友の姫英が、かのお人について語った、ひととなりについての言を思い起こす。


……あれは、やんちゃな弟みたいで、とんと見飽きないぞ。間違いなく、おまえの退屈の虫を退治してくれる逸材だ……


「……確かに、退屈はしないが……これの後始末は、結構、骨だぞ。遊ぶ暇どころか、息つく暇さえなかりけりだ」

 崔涼は、投降した兵の拘束を命じ、部下に倒れている李炎を連れてくる様に命じた。小走りに李炎の方へ向かう部下の姿を、何となく追っていた崔涼は、意識を失っている李炎の傍らに、剣を手にした男が近づくのに気づいた。何をしているのかと、問う暇もない程、微塵の躊躇いもなく、その男は、李炎の胸に剣を付き立てた。瞬間、そこに紫色の光を見た気がした。


「何だと……その者を捕らえよっ」

 崔涼の怒号が飛んだ。周囲にいた兵が、一斉にその男に踊りかかる。だが、その混乱の中で、男の姿は煙の様に忽然と消え失せていた。

「……よもや八卦師か……李炎は?息はあるのか?」

 その安否を問うた声に、一命は取り止めているという返答があった。

「一体、何者が……」

 だが、その問いに答えられる者は、そこにはいなかった。




 星見の宮の制圧に、手間は掛からなかった。警護の兵の姿はそこにはなく、周翼たちが宮に踏みこむと、そこにいた八卦師たちは、相手の力の程を悟り、抵抗もなくすぐに投降した。結界が解かれ、八卦が使える様になると、周翼はそこに占術盤を導き、赤星王の所在を探した。


「この方位は……蒼東そうとうの宮か……」

 その場所で、天闇星が燦然さんぜんと輝いている。予定より早く、子供はすでに生まれてしまったのだと知り、周翼は唇を噛む。

「周翼様……」

 隣にいた覡紹げきしょうが、何かを知らせる様に窓の外を示す。まさにその蒼東の宮から、禍々しい黒煙が吹き上げているのが見えた。蒼東の宮が燃えている。この星見の宮に兵が残っていなかった理由は、このせいだったのだ。恐らく、その火消しに駆り出されたのだろう。


……火の司の仕業か……


 そう思う周翼の目の前で、占術盤の上に、不意に紫色の光が現れ、一瞬強く輝いて消えた。と同時に、紫星王の気配が消えた。それは、どういう事なのか。

「何が起こっている」

 自分の予想を超える何かが、事態を予期しない方へと押し流していく。そう感じて周翼の心に焦りが生じる。

「覡紹、李炎様の御身が心配だ。黄王の宮へ戻り、李炎様をお助けせよ。覡唯げきゆうは、ここで待機。状況によっては、八卦を用いてここから離脱せよ」

「周翼様は」

「私にはまだ、やらなければならない事が残っている」

 そう言い残すと、周翼は飛空術を用いて、蒼東の宮へ飛んだ。




 一面、炎の海だった。

 その中から、赤子の泣き声が聞こえて来る。その気配を辿り、再び飛ぶ。そこに、赤子がいた。そこからは、間違いなく赤星王の気配を感じる。周翼はその赤子を見据え、腰の剣を抜いた。剣を翻し、その刃を突き立てようとする。だが、その刃は見えない力に弾き返された。周翼は口を僅かに歪めて、皮肉のこもった笑みを浮かべる。


……こんな小さく、無力な身でありながら……


 もう何者にも侵すことの出来ない、強い力を使う。周翼は剣を収めると、赤子を抱き上げた。

「大丈夫だ、殺しはしない。私の力では、お前を殺せはしないのだからな……」

 人の手に抱かれて安心したのか、周翼の言葉を理解したのか、赤子は泣きやみ、その腕の中で安心した様に眠りに付く。

「……お前を封じるには、やはり蒼星王を開封するしかないという事か」

 周翼は、運命に抗い切れなかった自分の無力さにため息を漏らした。


……それが、おそらく白星王の意図だったのだろう……そうして、お前を華梨の元に導く事が……


 藍星王の声がした。


……華梨の元に?……


……それが、華梨の願いだったのだろう。華梨はずっと、お前に会いたいと願っていた。それで、白星王が一計を案じた。という所か……


 そう言われて、周翼の中に、やるせない思いが広がる。


 断ち切ったと思っていた。

 その思いを。


 こちらが断ち切ってしまえば、華梨の思いもいずれ消えていくのだろうと、自分勝手にそう思っていた。その思い込みが、ここまで事態を追い込んでしまったのか。自分が華梨の思いと向かい合わずに、逃げてしまったせいで……華梨を追い詰めたのだ。そしてそこに生じた隙に付け込まれた。


……そう気に病む事はない。お前が読み切れなかった切り札は、冥府の王の札だ。人の身で、それを相手にするなど、考えるべきもない事だ。あの山師には、この私とて手を焼く……


「冥府の王が、なぜこの様な干渉を……」


……分からぬ。だが、智司の矜持きょうじにかけて、決してこのままでは、済まさぬ……


 藍星王の決意にも似た強い思いが、周翼の中に流れ込んでくる。そう、まだ、終わりではない。今は……運命の手によって導かれる道へ進むしかない。そして今度こそ、華梨の思いと向き合わなければならない。炎の中で、周翼はそう心を決めた。


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