第74話 凶星の輝く下で

 岐山で車騎兵軍と合流すべく、劉飛達は街道を南下していた。

 河南軍は、天河を渡った先の、風渡りの原と呼ばれる平原に陣を張っているという知らせを受けていた。その数が予想より少ない様にも思われたが、李炎が河南の実権を握ってから、僅か二年足らずという事を考えれば、かつての大公軍とは比べる程ではないのだろう。今の河南軍は、河南領官という地方官が指揮する、一地方軍に過ぎないという事なのだろう。それ程の兵力で、河南はどう動くのか。しばらくは、様子見という事になりそうである。


……しかし、藍星王が、紫星王と手を組んだ。周翼は何か仕掛けてくるはず。油断は出来ない……


 それに、「都に戦風が吹く」という翠狐の予言も気がかりだった。

 そんな事を考えながら、馬上の華梨は、夕暮れの茜色に染まった空を仰いた。そして、そこに思いがけない星を見て、その表情が固まった。


「離の天闇星……まさか、赤星王の封印が解かれるというの……こんな時に……」

 火司かしの赤星王……橙星王をして、乱暴者と言わしめた天界の問題児、それが赤星王である。麗妃の子供がその星を宿す者であると、白星王はそう言っていた。その星の扱いは、難しいとも……藍星王に対する、牽制の為の切り札としてそれを手に入れる。手には入れるが、その封印を解く訳ではないと。そういう話だったはずだ。


……白星王様、これは一体……赤星王の封印は……


 問うた華梨に、しかしその返事はすぐには返って来なかった。

 辛抱強く、何度も問いかけてようやく、重い口を開く様にして、白星王の声が言った。


……その宿主の身に危険が迫った時、星王はその身を守るために、一時的に封印を解くことができる。それは星王たちが私に封印される時に、唯一付けた条件だった。恐らく、冥王は、それを利用したのだろう。赤星王の宿主である、劉飛と麗妃の子を危険に晒す状況を作り出す事で、その封印を解こうとしている……


「……では、都に戦風というのは……」

 よもや、河南の軍が、燎宛宮にまで迫るという事なのか。



 すぐ後方にいた華梨の馬が、いつの間にか速度を緩め、その主は天空を見据えている。その事に気づいて、劉飛も手綱を引いて、驪驥の速度を落とし、華梨の隣に並んだ。

「どうした?華梨殿。星見か?」

「……天闇星」

 華梨が呟くように言うのを聞き止めて、劉飛も天を仰いだ。

 そこには赤い禍々しい星が、燦然と輝いている。


「あれは凶星です。劉飛様、この河南進軍、やはりお考え直しいただけないでしょうか」

「……といってもな。俺達だけ、戻るという訳にもいかないだろう。他の二軍も、もう進軍を始めてしまっているのだし」

「あれは、帝王滅亡星とも呼ばれる、忌わしき星。陛下の御身が心配です」

「帝王滅亡星……」

 華梨の言葉に、劉飛が息を飲み、馬を止めた。


「全軍停止!伝令、後方の姫英きえい中将を呼んでくれ」

 劉飛がそう命じた時、その姫英が馬を飛ばして後方から走ってくるのが見えた。

「姫英!」

「劉飛様、ただ今、燎宛宮より早馬が到着いたしました」

「何事か?」

「はっ。宰相閣下よりの伝令にございます。河南軍が華煌京の南大路門を突破。現在、城下で、皇宮守備隊と戦闘状態にあり、皇騎兵軍は、急ぎ華煌京に戻る様にと」

「何だと……何故、華煌京に河南軍が……周翼の奇策か。兵を華煌京に戻すぞ。岐山の璋翔様に伝令を送れ。それと、姫英、私の代わりに指揮を取れ」

「劉飛様は……」

「私は、一足先に燎宛宮へ行く。着いて来られる者だけ、私に着いて来い!」

 劉飛は馬首を返すと、燎宛宮目指して走り出した。走りながら、背後に、馬の蹄の音が聞こえるのを確認して、そのまま振り向かず、一心に驪驥を走らせた。



 暫く走った頃、突然、驪驥が鋭いいななきを発して止まった。

「どうした、驪驥?」

 驪驥は何かに怯えるように、首を振って動こうとしない。

「劉飛様っ」

 すぐ後ろで、華梨の声がした。他の者の姿はなかった、やはり驪驥の速さには着いて来れず、劉飛だけが先行してしまった様である。華梨は、八卦の術を使い、劉飛を追い掛けてきた様だった。

「お下がり、下さいっ」

 華梨が劉飛の前方に、光の陣を描く。

 その刹那、そこに雷撃が来た。


 前方の暗闇がゆらりと揺れた様な感じがして、そこに見覚えのある八卦師の姿が現われた。

「お前は……緋燕か」

 その名を呼びながら、その男の発する、ただならぬ殺気に気付いて、劉飛は眉を潜める。

「この様な所で、何をしている?」

「……これは、仲良く二人お揃いで……星王様方」

「星王?何の話だ?」

「未だ封印されているなら、こちらには好都合」

 言って、緋燕がゆっくりと剣を抜き放つ。

「貴様、何のつもりだ」

 劉飛の問いに、緋燕は答えない。緋燕の手にしている剣を見て、華梨は顔を強ばらせた。

 あれには何か、特別な力がある。

 前に、力を奪われ掛けた時の感覚が蘇り、華梨の背筋を冷たいものが走る。


「劉飛様、ここは私が。劉飛様は一刻も早く都へ」

 華梨がそう言って剣を抜いた。

「しかし、華梨殿」

「この者は、八卦師です。大丈夫。私なら、この者の術を封じることが出来ます。さあ、お早く!」

 緋燕と対峙しながら、華梨が叫んだ。劉飛は頷いて鐙を蹴った。それに反応して、驪驥が矢のように走り出す。その姿を見届けて、華梨の体が白い輝きを纏う。そこに星王の気配を感じて、緋燕が不敵な笑みを浮かべた。

「来たか、白星王」

「……そなたが天界の異変を引き起こした張本人だというのか。よもやそなた、四天皇帝様の御身に関わる様な大事を……」

 白星王の言葉を緋燕は一笑に付す。

「私にそれを言われるのは、筋違いというものだな、星見の君」

「……ならば、その腰の九星動王剣の説明はどうする。それは、四天皇帝様の御物ぎょぶつであろう……」

「その辺の事情については、この剣の今の持ち主である御方に直接お聞きするがいいさ。あちらも、お前らに会いたいと仰せだ」

「今の持ち主だと?」

「冥王様さ」

 その名に、華梨は白星王の心に動揺が走ったのを感じた。


……白星王様……?……


 白星王の気配が瞬間、途切れた。その機を捉えて、緋燕の剣がすざまじい勢いで華梨に襲い掛かった。華梨は、咄嗟に防御の陣を引き、後方に飛んで危ういところでそれを避けた。

「……天空の天明星、地上に降りて我に力を与えよ。我は星司の白星王の守護を受けし者なり!」

 華梨の声と共に、白色の光の渦が天空から振り注ぎ、華梨を包みこんだ。

 白星王の体が、華梨の中から現れ出でた。


「無駄なことを……この九星王剣の前では、星王の力など役に立たぬというのに……」

 そう言って、緋燕の九星王剣が、白星王に襲い掛かる。今度は、それを剣を構えた白星王が止めた。

「冥王は一体、何を企んでいる」

「さあなっ!」

 激しい斬りあいが続く。だが、白星王は剣を交える度に、その力が吸い取られていくのに気付いた。

「ばかな……」

 更に数合の後、ついに白星王が、体勢を崩して片膝をついた。肩で息をしている白星王に、勝ち誇ったように緋燕が言う。

「……どうやら、この剣の本来の力については知らぬ様だな」

「剣の……力?」

「そうだ、九星王剣とは、本来、四天皇帝と冥王が他の七人の星王の力を、その意思の元に置くべく創られたもの。強大な力を持つ星王達を、二人の王の意思に従わせるべくな……」

「何だと……」

「大人しく、この中で眠りにつくがいいわ。あの時同様にな……」

「まさか、あの時の……天界の異変は……」

 緋燕はもうそれ以上答えなかった。

 代わりに白星王は空気が鳴ったのを聞いた。



 白星王の気配が途切れたと思った瞬間に、華梨は体に衝撃を受けた。華梨の体を覆っていた白い光が、彼女の体から抜け出していった。そして、緋燕が彼女の胸に刺さった剣を勢いよく抜き去った。

 華梨の体から抜け出た光は、白い光の球となり、彼女の血に染まった九星静王剣に吸い込まれていく。そして、そこに描かれた、北天七曜星の天明星の位置に納まった。

「あと、四人だ。それで、羅綺は我が手に……」

 緋燕は肩で息をする。


 星の配置を読み、今一番力が弱まっている白星王を最初の標的に選んだ。それでも、これ程の抵抗を受けた。あと四人もの星王を狩る。自分の力で、果たしてそれを成し遂げる事が出来るのか……無理難題を押し付けて、その手の上で弄ばれている。そう思わないでもない。それでも、ここで止める訳には行かなかった。冥王の意思に逆らっては、羅綺を取り戻す事はできない。それだけは確かな事だから。

「……待っていろ、羅綺……」

 緋燕は、剣を引きずるようにしてそこに方位陣を描く。

「次は、燎宛宮だ……」

 そう呟くと、緋燕の姿は闇の中に消えていった。



 胸に焼けるような痛みを覚えて、華梨は意識を取り戻した。


――一体自分は、生きているのか死んでいるのか。


 そんな事を考えながら、華梨は再び目を閉じた。只、胸に感じる痛みだけが、生きている証だろうと思う。だが、もう動く事はできない。息をする代わりに、血の塊を吐き出した。多分、もうすぐ、死ぬのだろう――そう思った。


 だから、胸の痛みが次第に消えていくように感じるのは、そのせいだ。彼女はそう思っていた。その意識は、果てのない闇の中に沈んでいく。

 しかし不意に、明るい蒼色の光が見えた。そして、その声を聞いた。


『しっかりしてください……目を開けて。まだ死んじゃいけない』


 懇願するように耳元でささやいたその声は、どこかで聞いたことがある。そう思って、華梨はゆっくりと目を開けた。目の前に若者の顔があった。彼女を抱き抱えて、心配そうに様子を見ていた。

「……だ……れ……?」

『気がつかれましたか。よかった……』

「……あなた……は……」

『あまりしゃべらない方がいいです。星抜きの傷は、塞ぎましたから、もう大丈夫です。少し、眠って下さい』

「……」

 蒼色の光が彼女を守るようにその体を押し包み、華梨はそのまま眠りに落ちた。その寝顔を見ながら、若者は静かに呟いた。

『……いずれ又……お会いしましょう。母上……』




 単身、驪驥を駆り、夜通し、街道を北へ向かって走り続けていた劉飛は、丘陵地帯を越えたところで、東の空が朝焼けのように赤く染まっているのに気が付いた。一瞬、夜明けかと思うほど、その空は明るい。だが、振り返って、背後の空にまだ星の輝いているのを見て取って、劉飛は夜明けにはまだ時間があることを知った。

「まさか、華煌京が燃えているのか……」

 劉飛の心に言い様のない不安が満ちてくる。


……麗妃……無事でいてくれ……


 不吉な予感を振り払う様に、劉飛は再び走り出した。

 長い長い夜が、始まろうとしていた。

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