第72話 黒き王の筋書き

 政庁へ向かう回廊を歩いていた華梨は、途中で不機嫌そうな顔をして歩いている天祥に行きあった。

「ご機嫌斜めね、何かあったの?」

「いえ、別に……」

 先刻、宰相の執務室の前で、天祥は、劉飛と宰相の話が終わるのを待っていたから、その後で、宰相と何らかの話をしたのだろう。不機嫌の理由は、恐らくその話の内容にあるのだろうと思われた。多分……


「近衛の副隊長さんの配置は、どこに決まりました?」

 華梨が問うと、天祥が、実に複雑な顔をした。

「……蒼東の宮に」

 ということは、天祥は陛下の警護から外されたという事だ。それが、その不機嫌の理由なのだろう。天海は他との兼ね合いを考えて、この様な配置をしたのだろうと思われる。

「それも、大切な任務でしょう」

「分かっています。分かっていますけど……俺が守りたいのは、他の誰でもなく、優慶様、ただお一人なのに……」

「天祥殿が、麗妃様のお側に付いていてくれるのだと知れば、きっと、劉飛様も安心だと思いますよ。天祥殿、これは、とても重要な任務なのですよ」

「はい……宰相閣下にも、同じように言われました」

「仕様がないわね。ため息の一つぐらいは、見逃してあげるわ。だから、早く気持ちを切り替えなさい。ところで、棋鶯子殿を探しているのだけれど、見掛けなかったかしら?」

「棋鶯子様なら、恐らく、星見の宮ですよ。戦勝祈願の祈祷を行うとかで、その采配をなさっておいででしたから……」

 星見の宮と聞いて、華梨は何か引っ掛かるものを感じた。天祥に礼を言って、華梨はそのまま星見の宮へ向かった。



 華梨が星見の宮へ着くと、ちょうど中から出てくる棋鶯子を見つけた。その背後の宮からは、強力な結界の存在を感じる。

「……宮を、封鎖なさったのですか?」

 眉をひそめてそう問うた華梨に、棋鶯子が不敵な笑みを浮かべる。

「河南は巫族と通じている。この華煌京に、その手の者に入り込まれては厄介ですからね。この都全体を覆うほどの大きな結界を作れば、術者の動きは封じられる」

「その為に、宮の八卦師を総動員して、宮に引き篭もらせ、結界の術を行わせているのですか……戦勝祈願という名目で」

「先の予測の付く戦など、面白くないですしね」

 棋鶯子の言葉に、華梨は不快な顔をする。

「戦は、子供の遊びではないのですよ。宮を封じてしまっては、こちらも、河南の動きを読めなくなってしまうのではないのですか?」

「今回、作戦参謀を任されているのは、この私です。全ての星の動きは、この私だけが知っていればいい事……いかに星見姫といえど、口出しは無用です」


「……お前は……」

 これは、棋鶯子ではない。華梨はそう悟った。

「……何を企んでいる」

 華梨の体を白い光が覆い、白星王の気配が現れる。


「何も……地上の戦の行く末など、我らには、どうでも良い事だろう。赤星王を天界に送る。その目的の為に、我らは動いているのではないのか」

「……お前が、この国を滅ぼすというのか」

「私がではないよ。赤星王が滅ぼすんだ。私は、そのお膳立てをしてやっているだけの事」

 その言い様を聞いて、白星王が怒りを露にする。

「冥府の王である貴様が、人の命をその様に軽んじるとは、何事か……」

 言いかけた白星王は、不意に体の自由が奪われた事に気づいた。何か大きな力に、体ごと鷲掴みにされ、抗う間もなく、華梨の中に押し込められた。



 不意に意識が戻った華梨は、両手をねじ上げられ、体を壁に押し付けられて身動きの出来ない自分に気付いた。目の前で、自分を押さえつけている者には、見覚えがあった。かつて父の元にいた八卦師だ。

「……緋燕。何故あなたがここに」


……逃げろ……


 頭の中で、白星王の声が聞こえた。

 そこから何の感情も読み取れない様な、緋燕の瞳に、華梨は恐怖を覚える。白星王の力が封じられている今、この緋燕からは逃れられない。緋燕が、手にしていた剣の柄に嵌め込まれている、透明な水晶を華梨の額に押し当てた。と、そこから力が抜き取られていく感覚に襲われる。

「……や……めて」

 華梨が喘ぐ様に言った刹那、強力な水の波動がそこに介入した。華梨は成す術も無く、そのまま水に飲まれて、息を詰まらせる。そして、一瞬、意識が飛んだ。


……赤星王の開封をしてくれた見返りに、娘の命は取らないでおこうと思ったが……そういう事なら、仕方あるまいな……それが抗いようのない運命というものだ……

 黒星王の声を聞いた気がした。




 気がつくと、男の腕に抱かれていた。

「……大丈夫ですか?あそこで力の加減をする余裕がなくて、済みません」

 男が華梨の体を気遣う様に言った。

「私は、翠狐すいこと申します」

「……翠狐」

 その名を復唱しながら、華梨は男が何者であるかを思い出す。

「……ああ、太后様のところの八卦師だったかしら……」

「はい。……そして、私は、羅刹王羅綺らき様にお仕えする者でもあります」

「羅刹王……羅綺……というと、冥府から追放されたという…?」

「はい。私は、その行方をお捜ししているのです……あの八卦師が……」

「……棋鶯子?」

「ええ。長い時を掛けて、私は、あれが、その行方を知る者だという手掛かりを見つけたのです。しかし、あの者は今、冥王にその身を奪われている。その意識を取り戻さなければ、羅綺様の行方を問う事は出来ません」

「そうですか……棋鶯子が……冥王に……」


 取り込まれている。

 その身はもう、完全に傀儡として操られているのか。

 ならば、この戦の筋書きを書いているのは、冥王だという事なのか。


「……あなたという人は、冥王と取引きをなさるなど、正気ですか」

 翠狐にいきなり詰問口調で言われて、華梨の意識は急にはっきりとした。

「私……?」

 慌てて起き上がった華梨が、心底驚いた顔をしたのを見て、翠狐は肩を落とし、首を振った。

「……いえ……あなたではありませんが……」

「白星王が冥王と取引をしたと……」

「そうです」

「どうして……」

「理由など、知りませんよ。ただ、そのせいで、この地上では、また多くの者の命が奪われる……あの男は、目的のためには、手段など選ばない。風向きが変われば、味方とて切り捨てる。非情な男です。それは、あなたがたった今、身をもって感じたのではないですか?このまま、地上をあの男の好きにさせてよいのですか?白星王様……」


 翠狐の真剣な瞳が、華梨を見据えている。だが、華梨の中にいるはずの白星王からは、何の反応も無く、華梨は戸惑った風に、翠狐から視線を外らすしかなかった。

 そんな華梨の様子に、失望した様に、翠狐はため息を付いた。そして、懇願する様に言った。


「……軍を南へ動かしてはなりません。この都に、戦風が吹き荒れるという暗示が出ております。この場所の守備を固めなければ、今度こそ、帝国は滅んでしまうでしょう」

「……出来る限りの事はやってみましょう。ですが……一度置かれた星の配置を覆す事は、多分……」

 それが、神の紡ぐ運命というものなら、人はその流れに流されていく事しか出来ない。

 果たして、華梨の進言は、動き始めた事態の前に、聞き入れられる事は適わず、劉飛の皇騎兵軍は、予定通り、その翌日に華煌京を出立した。


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