第57話 白と黒とそれぞれの思惑

 煌く星々が漂う盤上に、薄く、黒い影の様なものが見えた気がした。その影の正体を見極めようとして、華梨が意識を集中した時、不意に白い光が華梨を守る様にその体を包み込んだ。


「白星王様……?」

 問うた声に返答はなく、代わりに華梨は、自分の意識が遠のいて行くのを感じた。その体を白星王の意識が支配して行くのを感じて、華梨は自ら意識を手放し、白星王に体を預けた。


 白星王が右手を振ると、盤上の星が一瞬に消え失せ、そこに白く明るい星だけが残った。鋭い目でその星を見据えている白星王の目の前で、その白き星――華梨の星が黒く禍々しい刻印で穢されて行く。それを見て、白星王の顔は怒気に包まれていく。

「……ふざけおって。この私に喧嘩を売るか、黒星王。いい度胸だ」

 呟いて不敵な笑みを浮かべると、白星王は、盤を消し、両手をかざして、そこに今度は光の方位陣を描き出した。


「星の司の名において命じる、水の司、天暮てんぼの方に座する者、冥府を支配する王の名を持つ者、我が召喚に応じ、ここへ参れ!」

 怒号にも近い白星王の声が、部屋に響き渡った。その音の余韻がまだ残っているという、刹那の間。方位陣の北の方に黒い霞が湧き起こり、そこに黒星王の姿が現れた。

「いやあ、さすが瞬速ですね。返しが早い。しかし、これでは恋文の返事を待つ、じれったくも甘酸っぱい感覚を味わう暇もないのが、残念といえば残念……」

 面白そうな顔をしてそう言った黒星王に、白星王は怒気を露にする。

「ふざけるな、これは何の真似じゃ」

 白星王が差し出した右手には、黒い刻印を刻まれた華梨の星があった。

「定められた天命を操作するなど、貴様、そんなふざけた事が許されると思っているのか。華梨の天命が、あと一年とは、どういうことじゃ。人の天命を管理する冥府の王である貴様が、この様な逸脱を行うとは……」

 取り乱しているとも見える白星王の有様を、薄笑いを浮かべながら黒星王は冷めた目で見ている。


……案の定、白星王の弱点は、この華梨とかいう娘だったという訳か。全く、判りやすくていい……


「地の底に住む私が、天上の星姫であるあなたにお会いするのに、他に方法を思いつかなかったのです。非礼はお詫びしますよ」

 黒星王の言い分に、白星王は眉根を寄せた。


 冥府の王となった者は、その職域、即ち冥府の外に出てはならない。この世の理として、そう決められている。冥府の王に許されているのは、せいぜい、依代を得て、地上の様子を覗き見ることぐらいだ。天上の様子に至っては、風聞で伺い知るのが関の山である。

 星王を召喚する能力を持つのは、天上の動向を監視する任を与えられている、星の司だけであるから、もしも、星の司に会いたいと思えば、向こうから召喚される様に仕向ける他はない――という理屈は通る。だが……


「そのような理屈で、この星司が納得すると思うてか。そなた、天命操作を行ったのは初めてではあるまい。藍星王らんせいおうを謀った様には行かぬぞ……」

 白星王の鋭い視線を受けて、黒星王は肩をすくめた。



 かつて、黒星王は、藍星王が覇王候補にと目星を付けた少年――周翼を、天命操作によって、冥府へ召喚した。本来、天命ではなかった周翼が命を落としたのは、そのせいである。


 天才的な八卦の才を持っていた周翼と、智司ちしの組み合わせが、恐らく、あの時点で星王の天上帰還への最短距離だった。その理由は定かではないが、結果として黒星王は、藍星王が天上へ上るのを邪魔した事になる。

 ただ、黒星王にとって計算違いだったのは、これまで一度としてことわりから外れた事の無い、堅物の藍星王が、周翼の存在をそこで諦めずに、理を曲げてまで、彼を冥府へ連れ戻しにやって来た事だった。そしてまた、黒星王の所業を知り、それを快く思わなかった羅刹王らせつおう羅綺らきが、藍星王に力を貸した事も、想定外の出来事だった。

 その真実を隠蔽する為に、黒星王は、羅綺を地上へ追放しなければならなかった。そのとばっちりを受けて、一族郎党罪人扱いされた羅刹族にとっては、実に理不尽な話と言える。


 一方、冥府から周翼を連れ帰った藍星王だが、元々が、理を重視する真面目な性格であるから、禁を犯したという負い目を抱えてなお、周翼を覇王候補にすることは出来なかった。そして自身は表舞台には立たず、他の星王が推す候補に助力する道を選んだ。藍星王の天上界帰還を阻むという黒星王の目論見は、そうして果たされたのだ。


「……それで、そなたは何がしたいのだ。よもや、この事態をかき回して、楽しんでいる訳ではあるまいな」

「自分が、清廉潔白な身で無いことは、認めますよ」

 黒星王が笑った。

「それでも、この地上の混乱を、収束に導きたいという思いは、あなた方と同じです」

「同じか……」

 妙に真面目くさった顔でそう言う黒星王を、白星王は胡散臭そうに見る。

「刻印の事はお詫びしますよ。しかし、私が刻印を押した所で、大いなる力に守られているこの娘が、命を落とす事はないのでしょう。違いますか?」

「人の娘を傷物にしておいて、その言い草か……貴様はっ……」

 白星王の手が勢い良く翻り、黒星王の影が大きく揺れて歪んだ。黒星王は白星王の感情の波など気にしない風に、表情一つ変えずに淡々と続ける。

「刻印は消して差し上げますよ。ただ、それには一つ条件があります」


 確かに黒星王のいう通り、自分が華梨を守護している限り、刻印を残したままでも、華梨が命を失う事は無い。だが、華梨が刻印をつけたままでは、白星王の願いを叶えることは出来ない……

 白星王は、怒りを押し込めて、心を落ち着ける。白星王としては、この取引に応じない訳にはいかなかった。


――しかし、応じたら、どうなる?


 黒星王は、ここまでの策を弄して、自分に会いに来た。その裏に何もないという事はないだろう。混乱の収束など、当然、建前に過ぎない。


……こいつは、何を考えている……


 しばらく白星王の返答を待っていた黒星王は、しかし白星王が、思考を巡らせる様に押し黙ってしまったのを見て取ると、その返事を待たず、再び口を開いた。

「私は、次の覇王の守護者は、火の司であるべき、と。そう考えています」

 そう告げられて、白星王は顔を上げた。

「火の司……赤星王せきせいおうか……」


 藍星王の封印から解放された白星王には、徐々に星司の力が戻りつつある。星司の力、それは未来を見通す力である。それによれば、そう遠くない内に、赤星王が現れるという兆しは、確かに出ている。ここまで複雑に絡みあってしまった華煌かこうの混乱を収めるには、確かに強い力が必要だ。紫星王しせいおうの推す覇王候補では、正直、心もとない気はしていた。しかし、赤星王……よりによって破壊神だ。


「奴は、諸刃もろはぞ」

「華煌の現状は、もはや、理屈を積み上げて行って、どうにかなるという状況ではないでしょう。李炎りえんという少年は、華煌の十一代皇帝にはなれても、新たな国の創建者という器ではあるまい。覇王と呼ぶべきは、新たな国をおこす程に勢いのある者でなくてはな」

「一つ問う。冥府の王であるそなたが、この地上に干渉するのは、何ゆえじゃ。覇王選定に意を述べる権限のないそなたが、何ゆえ口を挟む」

「そなたらが不甲斐ないが故だろう。そなたらがちんたらやっているのを待っていては、冥府が死人で溢れかえってしまうではないか。これ以上、仕事を増やされてはかなわん」


 黒星王が冗談めかして言った。だが、それが本心ではないことぐらい分かる。その言い分が本当なら、そもそも事の初めに藍星王を退けた事が、理屈に合わない。あの時、黒星王が手を出さずに、周翼が覇王に選ばれていれば、この混乱は、当に片が付いていただろうと思う。だが、黒星王をこれ以上問い詰めても、本心を白状するとも思えなかった。


……よもや、天界の異変に関わる事を、何か知っているのか……

 ふと、そんな疑念が心に浮かぶ。


「そなた、四天皇帝してんこうてい様のご様子について、何か噂を耳にしてはいないか?」

「天界の風聞が、地の底にまで下りてくるのは、稀な事ですからね。今や天界の門は固く閉ざされて、何人も出入りすることは出来ない……という事ぐらいにしか」

「そう、か……」

 尚も迷うように思案する白星王に、業を煮やした様に、黒星王が口を開いた。

「あなたの可愛い娘の願いを叶えてやる為には、赤星王の封印を解くのが、一番の早道ではないのですか?そもそもあなたは、誰が覇王になろうと、さほど興味はないのでしょう?あの娘の願いを叶え、そして自分の願いを叶える事さえ出来れば、それでいい。そうではないのですか?」

「……これは、足元を見られたものだな」

 本心を見透かされて、白星王は顔をしかめた。

「私にも、ささやかな願いがあります。それを叶える為には、赤星王に天界へ行ってもらわなくてはならない。そういう理由で、納得して頂けませんか」

 白星王は、微笑を浮かべてそう言った黒星王の表情を伺った。


……嘘はない、か……


 正直な所、こ奴の手の上で踊らされるのは癪だが、白星王とて、このごたごたにはうんざりしていた。それと縁が切れるというなら、多少の不本意に目をつぶる事には、やぶさかではない……


「よかろう。赤星王の封印を解く方策を講じよう」

 白星王がそう言うと、黒星王は満足げに頷いた。

「それでは、なるべく早く都にお戻り下さい。下地は整えて置きますゆえ」

「おいおい、冥王は地上に不干渉が原則ではないのか?」

「無論、私が直に手を出す訳ではありません」

「そなたの、傀儡くぐつがであろう。詭弁きべんを申すな、同じ事じゃ」

「藍星王を出し抜こうというのですから、多少の裏技は黙認して頂かないと」

「多少か?そなたも食えぬな。その狸っぷりは、藍星王にも負けておらぬぞ」

「では、いずれ燎宛宮で……」

 黒星王が頭を垂れた。白星王が、右手を払う様にして、その影を払うと、その姿は黒い霞となって四散した。



 静かな寝息を立てている華梨の艶やかな黒髪を、白星王は愛しげに撫でる。

「そなたの願いは、この私が必ず叶えてやる……だから、そなたも私の願いを叶えておくれ……それが、我らが盟約じゃ」

 呟く白星王の脳裏に、あどけない子供の声が蘇る。


……周翼に会いたいの。もう一度会って、ちゃんと好きだって言いたいの。そうすればもう、離れ離れにならなくて済むでしょう?……


 実を言えば、あの時、藍星王をそそのかしたのは、自分だ。藍星王の探していた周翼の行方を、星見によって探し出し、すでに冥府に召喚されている事を教えてやった。そしてまた、それを聞いて二の足を踏んでいた藍星王に、さっさと迎えに行けとその尻をはたいたのは、誰あろう白星王だった。

 それは、藍星王の計画にも、黒星王の目論見にも関係の無い次元の話だ。他でも無い華梨の為に、あそこで周翼を失う訳にはいかなかったからだ。


 華梨の願いが叶わなければ、自分の願いも叶わない。

 ただ、それだけの理由だった。


「……そなたの為なら、私はなんでもしてやるから……だから……きっと幸せにおなり……」

 華梨は夢うつつの中で、その言葉を聞いていた。


 遠い昔に、同じように、こうして優しい手が自分の髪を撫でながら、同じ言葉を言ったのを覚えている。その人の声は、やはりこんな声だっただろうか……

 そんな事を考えながら、華梨はそのまま深い眠りに落ちていった。

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