第42話 財宝を探す男
周翼は八卦師である。
とはいうものの、八卦を
始皇帝の時代、軍師として名高かった
八卦師とは、要するに占い師のようなものである。ただ、占い師と八卦師が、決定的に違うのは、前者が、未来を予知するだけなのに対して、後者は、予知した未来を変える事が出来る、という点であろう。勿論、この最高の奥義といわれる八番目の奥義、操星術という、人の天命を翻弄する秘術を使えるものは、そうそういる訳ではない。
つまるところ、神の力にも等しいその力を、人間が持つことを神は喜ばなかったという事であろうか。八卦の始祖と言われる鴉紗の他に、この奥義を用いた者がいたという記録は残っていない。八卦が鴉紗の手でまとめられてから、二百年を超える時を経た今となっては、八番目の奥義は、言わば伝説の奥義である。
八つの奥義とは、
今では、このうち五奥義までを会得した者が、八卦師の最高位の
そして周翼は、わずか八歳で、その匠師の称号を得た八卦師であった。
河南領官の主席補佐官。それが、周翼の現在の肩書である。彼は弱冠十七才で、すでに河南領官李炎の参謀役であり、河南で一番の力を持つ人物である、と目されている若者である。
先頃、河南の行政長官である領官の任を受けたばかりの李炎が、わずか十五才であることと、周翼のこの年齢を考えれば、宮廷で、『河南のままごと遊び』という陰口が聞かれるのも、仕方のないことである。
三大公の乱の首謀者だった河南公の、その支配下にあった河南では、殊に、内乱後の混乱が大きかった。
河南公に代わって、この地の行政官となった李炎は、皇帝暗殺未遂事件の首謀者として、一度は謀反人として追われる立場の人間だった。それがどういう訳か、今では河南領官に納まっているのは、周翼の、影の力の賜物である。皇帝の出生の秘密を盾にした、太后との裏取り引きの結果、李炎は謀反人の肩書を捨てて、河南領官の肩書を手に入れることに成功したのであった。
だがその事と引き換えに、周翼は太后に小賢しい若者として、名前を覚えられる羽目になったのであった。
琳鈴はまだ子どもながら、その頭の中には、すでに屋敷の女主人という意識が芽生えている。両親は、数年前にすでになく、二十過ぎの兄が、彼女の唯一の身内であるが、その兄がまだ独り身で、家の事は彼女に任せっきりなのだから、無理もないのかもしれない。
「ほら、戻ってらした」
琳鈴が灯を掲げて、湖上を差し示した。
薄い白い布を広げた様な霧の向こうで、ぼんやりとした灯が揺れている。船の舳先に下げられた灯なのだろう。灯は水面近くで、ゆらゆらと揺れながら近付いてくる。程なく、船影が霧に浮かび、彼らの待っていた人物が、船の上から、手を振る姿が見えた。
琳鈴の兄、稜鳳は父親の死後、その跡を継いで、岐水の領官を務めている。かつては都の上級書記官で、先の宰相の事務官を務めたこともあるという。十代で上級書記官であるから、そのまま宮廷に留まっていれば、相当な出世をしたのではないかと思われる。だが、その出世街道を外れて、彼は岐水という片田舎の領官に納まってしまった。何時だったか、何かの話の折に、周翼はその訳を尋ねたことがあった。
「稜家の当主の宿命とでもいおうか、探さずにはいられないのだ」
「探すって、一体、何を……?」
「財宝だよ。秋白湖の中の、
「水皇の遺産とは、何なのです?」
「さあな。分からないから、探す」
「何だか分からないものを探すなんて……」
「代々の当主も、皆、そうだった。私の父もな。それが何なのか分からないが、探すようにと、代々、言い伝えられているのだから、仕方あるまい」
「それにしたって……」
「稜家の者は、皆、そうなのだ。好奇心旺盛なのか、ただのうつけなのか……私も、例にもれず、という訳だ」
笑いながら稜鳳がそう説明したときは、周翼は、彼の言を、半ば冗談だと思っていた。だが、実際に稜鳳は公務そっちのけで、毎日、湖に船を出しているのである。勿論、彼の言葉通り、宝さがしの為に。
「何か、進展はございまして?お兄様」
琳鈴の問い掛けに、稜鳳は笑ってかぶりを振ってみせた。
「西側の浮島の、水鳥の巣が、昨日の雨で浸水してしまっていたよ。巣は引き揚げたが、卵のほうは、駄目かもしれないな。明日、もう一度、様子を見に行くが」
「村の長が、春先の漁のことで、御相談があるそうよ。夕げの後で、いらっしゃるって」
「おや、もうそんな時期かね?」
稜鳳が、惚けた口調で尋ねる。
「もう、
琳鈴は、呆れるでもなく、淡々とした事務的な口調で切り返す。稜鳳は、妹に相手にしてもらえないのを見て取ると、今度は、周翼に会話を振った。
「明日は、昼前から晴れそうですよ。周翼殿も、湖に出てみませんか?」
「水鳥の巣を見に、ですか?」
「まあ、そんなとこです」
稜鳳はそう答えながら、思わせぶりに笑った。
夕闇が辺りを覆ってしまうと、岐水の村は、早々に眠りに着く。村人のほとんどが漁師であるから、村は、夜明け前にはもう、目を覚ますのである。だから、岐水の夜は早い。
周翼は窓辺に座ったまま、ただ波の音を聞いていた。静寂の中で唯一、湖岸に寄せる波の規則正しい音だけが、時間が止まってしまったような、この村の摩訶不思議な感覚を消し去ってくれる。この地では、夜といえば、大抵は闇夜である。厚く空を覆う雲のために、月や星の光さえも地上には届かない事が多かった。
「本当に、ここでは星見もままならない……」
八卦師として先読みの力を持ち、星見を習慣としていた周翼である。ここに来た当初は、星が見えない事に落ち着かない気持ちになったものだが、こう毎日、当たり前のように曇り空であると、いつしか、星を見ない生活が当たり前になり始めていた。そして、星を見て、明日の事を考えずに済むというその状況を、自分の気持ちが楽に感じている事に気付いた。つまり、何も知らなければ、あれやこれやと、これから起こる事に気を揉むこともない、という事である。
毎日、朝が来て、様々に予期しない事が起こり、初めの内こそ戸惑いはしたが、慣れてしまえば、知らずに遭遇する出来事に、妙に高揚感を感じている自分がいる――そんな生活が、ただ心地よかった。このままではいけないと思いながらも、この地を立ち去る気持ちになれなかったのは、傷ついた体以上に、心が休息を必要としていたからなのかも知れない。
「水鳥の巣を見るのは、初めてかもしれないな……」
そう呟いて、周翼は浮かれた気分でいる自分に気付く。何だ、自分はそんな事が嬉しいのか……と、思いながら、心の中にある高揚感の理由を突き詰めようと思考を巡らせる。
……何か別の……もっと大きなもの……
そんなものに出会うのではないか、という予感のようなものの存在に気付く。それは、八卦師特有の、勘のようなものかもしれない。
……この休息も、そろそろ終わるのかも知れない……
波の音を聞きながら、取りとめもなく、そんな事を思った。
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