第八話 パティの事情(7/24~25)
1.甘くてしょっぱい
るかはにまにましながら居間のソファに寝っ転がっていた。腕の端末で読んでいるのはファッション誌だ。
明日から理仁の家に行くのにどんな服装をしようか、なんて考えながら読んでたら自然に顔が緩んで仕方がない。
「あら、珍しいわね。こんな時間まで下にいるなんて。どういう風の吹き回し?」
居間に入ってきたのは母だった。見上げると寝間着姿になっていて、ボディソープのいい匂いがする。お風呂上がりだ。
「それにずいぶん機嫌が良さそう。いいことあったのね?」
るかは画面を手を振って閉じると起き上がった。
「うん、ちょっとね。あ、お母さん。明日から兄貴と一緒に理仁の家に行くから、お昼いらない」
「え? あなたまで行くの? ご迷惑にならない?」
「大丈夫。麻紀さんから頼まれたの。兄貴と理仁の監視役って」
「監視って……なんだか物騒ね」
「うん、麻紀さんが長期出張なんだって。理仁が遊び呆けないように監視しててって」
一応、パティのことは家族にも内緒に、と麻紀には言われている。
その割にはモールには堂々と行ったよね? とか思う。
もし理仁の家に彼女がいることが知れるとまずいんなら、耳としっぽは隠したほうがよかったんじゃないかなあ。
モールでも思い切り注目浴びてたし。ネットに写真とか流れてるかもしれないよね。
「ふぅん。ま、いいわ。あなたもせっかくだから、お昼ごはんぐらい作れるように修行してきなさい」
「ええ〜」
母の言葉にるかは唇を尖らせた。
「だって、理仁のほうが料理うまいんだよ?」
「だからよ。そうね、理仁くんにお願いしとこうかしら。お昼ごはん、るかに作らせてくれって」
「ちょっとっ、お母さんやめてよっ、あの二人のほうが料理うまいのに……」
「るか、あなたねえ……女として恥ずかしいと思いなさいよ? 何なら家で修行してってくれてもいいけど」
「だって……」
「そんなことじゃ理仁くんに愛想つかされるわよ?」
「理仁はそんなんじゃないわよっ」
そう言いながら顔が赤くなるのが分かる。母はニッコリ微笑むと斜向かいに座った。
「ねえ、るか。あなたはまだ子どもだし、そういうのは考えられないと思うけど、料理も家事も一切出来ない女の子よりは、できる女の子のほうがいいに決まってるもんなのよ。せっかくの夏休みなんだから、普段出来ないことをやってごらんなさい。別に女だから家に入らなきゃだめとかって時代じゃないけど、できるようになっておいて損なことではないし、あなただってこの先この家を出て一人暮らしするようになるかもしれないでしょう?」
「そりゃそうだけど……」
「それに、好きな子に美味しいものを作って食べさせてあげたいとか思わない? 喜んでくれる顔、見たくない?」
るかはうつむきながら、小さくうなずいた。
「でしょう? じゃあ、頑張らなきゃ。でも、包丁握ったらいきなり怪我しそうだわねえ。それはそれで理仁くんにご迷惑だろうし……そうだ、お昼はともかく、おやつを作ってみたら?」
「おやつ?」
「そう。ホットケーキとかプリンとか。調理実習でやらなかった?」
そういえばいろいろ習ったっけ。マドレーヌとかスイートポテトとかケーキとかクッキーとか。
甘いものはるかもめぐも好きだし、理仁も喜んでくれるだろう。
「じゃあ……やってみる」
「うん、がんばってみなさい。そうそう、アイスクリームとかも手作りできるのよ?」
「えっ、アイスも作れるの?」
「わたしも作ったことあるけど、すっごい美味しかったわよ。夏だから喜ばれるかもね」
手作りアイスクリーム。それはとても素敵な響きに思えた。
「それって何か特別なものがいるの?」
「さあ、どうだったかしら。それを調べるのも楽しいわよ。理仁くんの家に製菓用の道具なんてないだろうし、家にあるものなら持っていって構わないわよ。食材もお母さんがお金出してあげるから、ちゃんと買って揃えて行きなさいね。理仁くんの家の材料使ってしまったら困るでしょうし。そうそう、絶対汚れるからエプロンは持って行きなさいね。新しいの出しとくから」
「はーい」
母が席を立つのに合わせてるかも腰を上げた。
お菓子のレシピはそれこそネットで探せばいくらでも出てくる。
まずは何を作るか、どんな道具が必要か調べておこう。
作るもの決めたら材料と道具を確認して、途中で買って行こう。兄貴と一緒にタクシーで行くんなら、荷物が増えても大丈夫だし。
足取りも軽く二階に上がると、早速机の前に座って端末を立ち上げ、調べ始めた。
『じゃあ、明日はプリンを作るのね?』
モニター越しにめぐが声を弾ませる。るかも嬉しそうにうなずいた。
あれからあちこち探して、比較的簡単なレシピを見つけた。使う道具も家にあるもので足りそうだ。ただ、八人分となるとプリン用のカップが足りない。
「そのつもり。めぐの家にプリン用のカップってある? 持ってきてもらえる?」
『たぶんあると思う。えっと、明日も遊真くんたち来るのかな』
「あの口調だと来ると思うよ。まったく、ちゃんと宿題してんのかしらね」
『どうかなぁ。理仁くんところで宿題できればいいんだけどね』
「そうだよねえ」
昔は夏休みの宿題といえばプリントやドリルなどが配られてたらしい。
おばあちゃんのところに行く時でも持っていって向こうで親戚のお兄ちゃんとかから教えてもらったりしたんだそうだ。
今は家にある据置型の端末でないと宿題が出来ない。
もしおばあちゃんのところでも宿題をしたければ、予め申請しとかなきゃいけないんだって。だから、おばあちゃんのところに行ってる間は宿題はなし。その分、毎日の課題を前倒しでやっておくか、あとで頑張ることになるんだけど。
そういう意味合いでは不便だなぁ、と思う。
できれば据置型の端末じゃなくて、昔みたいにタブレットにしてくれたらいいのに。それなら、どこかに集まってみんなで宿題するのとかってできるじゃない?
まあ、今は集まらなくてもオンラインで顔合わせておしゃべりしながらできるけど、やっぱりそれとは別格だと思う。
でなきゃ、理仁の家にみんなで集合して遊ぶとかしないよね。
そういえば、お泊りがどうのって言ってたっけ。何するんだろ。
『材料とかは?』
「途中で買っていこうかなって思ってる。兄貴のお昼をいつも理仁が作ってくれてるの知ってるから、材料費はお母さんが出してくれるって」
これは少し嘘。
兄貴が九月まで通うことになったから、その間の食費は渡しているんだそうだ。
るかが向こうに通うようになるのは予定外だったから、お菓子の材料費はその分の埋め合わせのつもりなんだって。
『へえ。そうなんだ』
「めぐも手伝ってくれる?」
『うん、そのつもり。せっかくだから美味しいの作ろうね』
「もちろんよ。理仁をびっくりさせてやるんだから」
るかの意気込みにめぐは画面の向こうから拍手を送ってくれた。めぐが時々手作りのお菓子を差し入れてくれたりするから、めぐが手伝ってくれるならきっと美味くできるに違いない。
『それにしても今日のモール、大っきかったね』
「そうだね。でもあの人混みはないわ。もう少し落ち着いてからゆっくり回りたいな」
『うん、わたしも。それでね、帰ってから調べたら、あそこって製菓専門店があるんだよ』
「え、そうなの?」
『そうなの。紹介動画見たらいろいろ欲しくなっちゃった。お菓子作りするんなら、夏休みの間にもう一度行ってみない?』
るかは唸った。
たぶんお盆の時期なら人は減っているかもしれない。この辺りは曲がりなりにも都会のうちに入るので、帰省時期には人が減る。
だが、その時期にはるかも帰省しているだろう。今年の予定はまだ聞かされていないけれど、例年ならおばあちゃんの家に行くはずだ。
「ちょっと考えとく。行きたいのはやまやまだけど」
『うん、考えておいてね』
それからしばらく喋って通話を切ると、入れ違いに着信があった。めぐが言い忘れたことでもあったのかな、と思ってろくに相手を見ずにコールに出る。
「なぁに? 忘れ物?」
『夜中にごめん』
「り、理仁? ど、どうしたのこんな時間に」
画面に映る理仁の顔に、るかはあわてて居住まいを正した。時計はもう二十二時を指している。
理仁からかけてくること自体、滅多にないのに。
『うん、麻紀姉がいろいろいらんこと頼んだみたいで、ごめん』
「え? いや、べつに構わないわよ。明日から兄貴と一緒にそっちに行くつもり」
『あの……無理しなくていいからね? るかも勉強の時間とか要るだろうし』
「それは大丈夫。いつも朝一番に済ませてるし、兄貴と出かける時間までには済ませられるから。……もしかして、あたしが行くの迷惑?」
『い、いやそういう訳じゃないけど……ほら、麻紀姉って、時々無理やりねじ込むだろ? るかの迷惑だったんじゃないかなあって思って』
「そんなわけないじゃない!」
思わず声が大きくなって、あわてて口を抑えた。大声出したりしたら母が聞きつけて上がってきちゃう。
「とにかく、あたしは迷惑じゃないから」
『それならいいけど……明日は遊真は来れないけど真壁は来るって』
「げ、エロキング来るの?」
『……それ、やめろよな。真壁は気にしてないみたいだけど、傍で聞いててあんまり気持ちよくない』
理仁の言葉にるかは心臓が刺されたみたいに痛くなった。眉根を寄せて、ぎゅっと胸の前で拳を握る。モニターの向こうの理仁は視線をそらして怒ったような顔をしていた。
「……馬鹿理仁」
『え?』
「なんでもない。用はそれだけ?」
『あ、それと、れお兄から、今日はこっちに泊まるからって伝言頼まれたんだ』
「ええっ! そうなの?」
『うん、もうこんな時間だし、帰るのもしんどいからって。昼間モールに行ったの、結構堪えてたみたい』
「そう……」
どうしよう。明日もタクシーだから、荷物持っていくのは問題ないと思ってたのに。フライボードで行くしかないけど……。
『るか? 聞いてる?』
「え? ごめん、何?」
『だから、無理して来なくていいよって』
「……あたしがそっちに行くの、そんなにいやなわけ?」
『へ? そんなこと言ってないじゃん』
「さっきから来るなばっかりじゃない」
『それは、だって……』
視線を外して言いよどむ理仁が癇に障った。
「……そんなにパティと二人きりでいたいんならそうしたら?」
うつむいて、それだけ絞り出すのが精一杯だった。
画面の理仁がどんな顔をしていたかなんて見もせずに、コールを終わらせる。
暗転したモニタにどんよりした自分の顔が映っていた。
深々とため息をつく。
ああ、またやっちゃった。
なんでこう、つっかかっちゃうんだろう。
いろいろ何もかも嫌になる。
せっかく明日はめぐとプリン作る約束したのに。
理仁が喜ぶかな、びっくりするかなって思ってたのに。
……パティのことになると、どうしてこんなにみっともないマネばっかりしちゃうんだろう。
着信を告げる音が何度もする。あんまりにうるさいから音もミュートする。
腕の端末の方にも何度かコールがあったけど。全部無視した。
こんな……ぼろぼろ泣いてる顔、見せられないもの。
のろのろ手を動かして、短文のメッセージだけ送っておく。昨日みたいに心配させっぱなしはいやだもの。
すぐに返信が何通もあって、読んだるかは泣き笑いの顔になった。
画面には、『いろいろごめん。でも本当にそういう意味じゃないから! れお兄みたいにつらいなら無理しないでいいよって意味だから! るかはいつもみたいに笑ってて欲しい』と表示されていた。
「理仁のくせに……生意気」
そう言いながら、るかは目尻の涙を拭うと微笑みを浮かべた。
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