2.プリンはうまくいきました
結局、道具を抱えてフライボードに乗るのを見かねた母がタクシーを呼んでくれて、途中で食材も買い揃えて理仁の家に到着したのはいつもより一時間遅い十一時だった。
ベルを鳴らして出てきたのはめぐで、抱えていた荷物を引き取ってくれた。
「遅いから心配しちゃったよ。理仁くんも心配してた」
「そう……理仁は?」
「いるよ。リビングの方。真壁くんとパティさんでおしゃべりしてる」
「れお兄と麻紀さんは?」
「えっと、麻紀さんはもう仕事に行ったらしいよ。れおさんはそういえば見てないけど、一緒じゃなかったんだ?」
めぐはそう言うと首を傾げた。
「うん、昨夜遅くなったらしくて、こっちに泊まったんだって」
「へぇ、そうなんだ」
「前にもよくそんなことがあってさ、どこで寝てるのって聞いたら、研究室に寝袋持ち込んでるって」
「そうなの? 研究室って客室だったんじゃなくて?」
「うん、そのはずなんだけど、絶対入れてくれないから、中がどんなになってるのか知らないのよね」
「ふぅん。じゃあ、れおさん、まだ上で寝てるのかも」
「たぶん」
キッチンに移動すると、気がついたみたいで理仁が飛んできた。
「よかった、来てくれたんだ」
「……来ないほうがよかった?」
あーだめだ。皮肉回路のスイッチが入っちゃってる。理仁が眉根を寄せてハの字眉になってる。
「ええ? 何? また喧嘩したの? お前らほんとに仲がええなあ」
後ろからやってきた影がからかうように言う。るかはじろっと睨みつけると荷物をテーブルに置いた。
卵と牛乳、それから生クリームと砂糖。ボウルに撹拌機、あと電動ミキサー。プリン用のカップと、大さじ小さじにキッチンスケール。
朝起きたらこれだけのものがすでに準備されていた。
もちろん母の仕業だ。
満面の笑みでエプロンを渡されて、引くわけにいかないじゃない?
「え……何これ」
「見てわかんない? プリン作るのよ」
「プリン……」
真壁の後ろから赤茶の耳が覗いている。
もしかして猫星にはないんだろうか。それとも名前が違うのかもしれない。
「理仁、お鍋借りるわよ」
「え、そりゃ構わないけど、いきなりどうしたの?」
熱でもある? と額に当てられた手をぺしりと叩くと、るかは唇を尖らせた。
「あたしの課題だから」
「……へ?」
「課題? 自由研究のレポートのこと、じゃないわよね?」
ああそういえば、そういうものもあった。
日々の課題以外にも、自分でテーマを決めてレポートを書かないといけない。
「そういうのじゃないけど……えっと、場所代みたいなもんよ」
「場所代って……るかがこっちにいるから?」
「……なんだっていいでしょ。もう、作業の邪魔だからあっち行ってて」
理仁と真壁を背中を押して向こうに追いやると、二人はおとなしくソファの方に歩いていった。
残ったパティは食材に興味があるのか、テーブルから動こうとしない。
「パティさん、もしかして興味あります?」
「うん。子どもの頃にお母さんの手伝いしたことあるから。……わたしも見てていい?」
「……見てるだけならね」
ぶっきらぼうにそれだけ返すと、るかはキッチンの中を一通り確認し始めた。
案の定、製菓に使うような品はひとつもない。
ただ、ふきんは綺麗に漂白して片付けてあったから、これは使わせてもらおう。
紅茶の葉なんてみあたらないのに茶こしも何故かあった。
小鍋とバットを引っ張り出し、冷蔵庫のスペースを確保する。
ちょっと意外なことに蒸し器もあった。長いこと放置されてたっぽいから、きっと理仁のお母さんがいた時に使っていたものなのだろう。
「ところでるか、プリン作ったことは?」
「ない」
「パティさんは?」
「ありません」
ぷるぷると首を横に振ると耳がへにょっと倒れた。
「じゃあ、二人でやってみる?」
「へ?」
「えっ」
異口同音に反応した二人だが、るかの声は間が抜けていて、パティの声は嬉しそうだ。
「いいの?」
「ええ、わたしはいつも作ってるから、サポートに徹します」
「ちょ、ちょっと、めぐ。手伝ってくれるって……」
「だから、サポートはしますよ?」
にっこりと微笑む黒髪の少女の正体はやっぱり鬼に違いない、とるかは思った。
◇◇◇◇
できあがったプリンは実にいい匂いがした。
味見用の小さいカップ三個を残して、残りはバットに並べて冷却中だ。
「るか、あなたは卵割るところから特訓ね」
「……はい」
「パティさん、蒸し器は水入れずに火にかけちゃだめなの」
「……はい」
めぐから二人揃ってダメ出しを食らった。
是非もない。
るかは自分の担当の卵五個全部殻ごとボウルにぶちまけたし、パティはもうすこしで蒸し器をまる焦げにするところだったのだ。
カラメルも二度焦がしたし。
めぐがいなければどうなっていたことか。……正直想像したくもない。
結局めぐがなんとか体裁を整え、失敗をリカバリーしたりやり直したりしてくれたおかげで、目の前のプリンがある。
そして、お小言タイム。
味見用のプリンを前に、お預けを食らっている。
「二人とも、家で料理の手伝いとか、したことないでしょう」
「……はい」
「女の子なんだから、少しは考えないと。理仁くんのほうがよっぽど手際がいいわよ」
うん、それはよく知っている。
今日の昼ごはんも結局五人分(れおはまだ寝ているとのことだったので)を作ったのは理仁だったし、短時間で全ての作業を一人で行ったのだ。配膳はめぐも手伝っていたけれど、調理は一人でこなしていた。
卵焼きも完璧、味噌汁も母のものよりも美味しかった。
女として顔向け出来ないレベルの自分と比べると涙も出ない。
「るか、わたしも時間があるときにはここに来るから、料理の特訓しましょ? パティさんもよければ」
「……はい」
正直言って、めぐがいない状態でお菓子を作るのはやめたほうがいいような気がする。
パティがもし手伝うとしても、二人とも初心者でリカバーできるベテランがいない状態では、食材を炭にするだけのような気がして仕方がない。
これは、あとでめぐとちゃんと話しておかないと。惨状が予想できてしまっておもわずるかは目を伏せた。
「じゃあ、明日からね。さあ冷めないうちに召し上がれ。プリンは冷やしても美味しいけど、出来立てのあったかいのと食べ比べてみるといいわよ」
めぐから「食べてよし」の指示が出たけど、いろいろぐるぐる頭の中を回ってて、プリンに手が出ない。
それはパティも同じだったようで、プリンを目の前にがっくりとうなだれている。
「食べないの? こんなに美味しいのに。要らないなら理仁くんたちに」
「食べる、食べます!」
自分たちが(一応)手伝った初めてのプリンだ。感慨もひとしお……のはずだったのだけれど、結局大して手伝えていないと考えると、やっぱりぐるぐる考えてしまう。
手に持ったプリンはまだぬくぬくで、匙を入れるとやわらかかった。
「あー、三人だけで美味しいことしてる。俺らのはないのかよ」
真壁が匂いに気がついたのかキッチンに入ってきた。思わず体全体でプリンを隠すようにする。
「あなた達のは冷蔵庫で冷やし中よ。これは初めて作った二人へのご褒美だもの。あげないわよ」
「ちぇ、ケチ」
真壁はしばらくウロウロしたり冷蔵庫を覗いたりしていたが、諦めたのかソファに戻っていった。ほっと方の力を抜いて、あらためてプリンを一口口にした。
「……美味しい」
「ほんと、美味しい……あったかくって」
「その味を覚えておいて、あとで冷やしたのを食べた時に比べてみて。あ、そうだ。生クリーム、結局余っちゃったから、ホイップしてプリンの上に載せる?」
「うん、やりたい!」
「じゃあ、泡立てるのはるかがやってみる?」
「え……泡立てるの?」
ホイップといえばスプレータイプが主流だけど、生クリームの状態から作れるの?
「……百聞は一見に敷かずっていうしね。やってみよう!」
「げっ」
どこの教育番組のお姉さんですか、というノリのめぐに、おもわずるかは口元を歪めた。
「それに、これからもいろいろお菓子作りたいんでしょ? 泡立てるのは基本中の基本だから、覚えておいて損はないよ?」
めぐはやっぱり鬼に違いない、とボウルと電動ミキサーを手に迫ってくるめぐを見て、るかは確信した。
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