3.みそっかす
「ごめんね、やっぱり初心者のるかには難易度高すぎたね」
「……めぐってばほんと鬼よね」
「ええー、そうかなぁ。これくらい、そんなに難しくないんだよ? 本当は」
「そりゃめぐにはそうでしょうけどさ」
ざばっとお湯をかぶる。
頭についたクリームはおちたみたい。でも甘ったるい匂いはなかなか抜けない。
麻紀のものらしいシャンプーも使ってみたけど、こっちは無香料で匂いがしない。
なんで無香料のシャンプーなんて使ってるんだろう。
「わたしも、あんなのは初めてです……」
湯船の中でしょんぼり尻尾をくねらせているのはパティだ。
耳の先にまだぺったりクリームが付いているのに気がついてないみたい。仕方なくるかは指でクリームの箇所を指差した。
「クリーム、残ってる」
「あっ、ほんとだ。ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げて、パティは立ち上がった。
たゆんたゆんの胸がお湯の中から顔を出す。
ほんと、すごい質量だ。どうやったらこんなにおっきくなるんだろう。
るかは自分のつつましやかな膨らみに目を落としてため息をつく。
めぐでさえもうすこしあるのに。
パティは腰掛けに座ると頭を洗い直し始めた。
なぜこういうことになったかといえば……お察しいただきたい。
生クリームを電動ミキサーで泡立ててる時にいろいろあって……。
キッチンの片付けをめぐに怒られながらやって、服を洗濯している間にお風呂に入っているところだ。
隣に腰を下ろしたパティの頭をちらりと見る。
この至近距離でじっくり見るのは初めてだったから、つい観察してしまう。
顔の横には自分たちと同じように耳がある。
最初、頭の上の耳は飾り物か何かだと思ったのだけれど、そうではないようだ。
耳がぴくぴくすると髪の毛も連動して動く。
尻尾は、とちらりと後ろを見る。
おしりを覗き込むのは恥ずかしいからくねる尻尾を見るだけだけど、こちらもくねくねと動いているのは機械的には見えない。
頭を洗ってはいるけれど、耳の先までは手が動いていない。
「クリーム落ちてない」
「えっ、場所違う?」
「そっちじゃない。こっち」
パティの頭の上の耳の後ろを触った途端、「ひゃあっ」っと物凄い勢いで引かれた。もしかして、耳とか尻尾とかって勝手に触ったらだめだった?
猫星人とは文化が違うこと、忘れてた。
「あ、ご、ごめん。いきなり触って」
「あ、すみません、びっくりしちゃって。大丈夫です。ありがとうございます。あの、ここらへんですか?」
パティは頬を赤らめながら、指でクリームの場所を探っている。
るかは仕方なくパティのてをひっぱるとクリームの場所に誘導した。
「ここ。耳の後ろだから鏡にも映りにくいね」
「あ、分かった。ありがとうございます」
ニッコリ笑うパティにるかは顔を赤くした。
邪気のない笑みに心がつきりと痛む。
頭を洗い直しているパティを残して、るかも湯船につかった。
それにしても、理仁の家の風呂場は妙に広い。
洗い場にはマットみたいなのもあるし、シャワーは二つ、体を洗うところも二つある。
ここ、普通の家のはずなんだけど。
そういえば部屋の数が妙に多い。二階も一階も六室ずつって、考えてみたら異常だよね?
もしかして以前は下宿とか営んでいたんだろうか。だからこんなにお風呂が広いのかもしれない。
湯船は三人同時に入っても余りある。
「それにしてもすごいですね、このお風呂」
「そ、そうね」
丁度思っていたことをそのまま言われてびっくりしながら答える。
「昔から知ってるけど、やっぱり広いよね。家のユニットバスとは大違い」
「うちもそう。こんな広いのは他では見たことないよ」
「わたしのところは兄弟が多いからそれなりに広いけど、ここまでじゃないわ」
「パティさん、兄弟いるんだ?」
パティの言葉にめぐがすかさず聞いた。
「え? ええ。兄と姉、妹と弟が」
「うわぁ、いいなあ。五人兄弟だなんて。わたし一人っ子だから、うらやましいです。ね? るか、弟欲しがってたもんね」
「う、うん」
「でも、わたしみそっかすで」
「ええ? そんな風には見えないけど」
「料理も出来ないし、運動も得意じゃないし、頭も良くないし……器量もよくないし、歌って踊れるわけでもないし……」
パティはそう言ってコックをひねって湯を止めた。耳がこころなしか倒れて尻尾もうなだれている。
るかから見たパティは美人だし胸も大きいし、背も高くてきりっとして見える。
なんだか贅沢な悩みに聞こえるのだけれど。
「うちの家……ヘーヴェン家って優秀な人材を多く排出してきた家なんだそうなんです。パパもそうだしおじさんたちやいとこたちも、みんな何かに秀でて、名を上げてるの。でも、あたしは成人を迎えても何一つ満足にできなくて……」
「で、でもそれはまだこれから伸びしろがあるってことじゃないの?」
しかし、パティは首を横に振った。
「弟も妹も優秀なの。弟は飛び級で大学に研究室を与えられてるし、妹は――わたしには隠してるけど、歌も踊りも飛び抜けて上手くて、スカウトがきてるらしいの。中等教育に上がったらオーディション受けるって」
「うわぁ……」
思わず声が出てるかはあわてて口を抑えた。
「兄も姉も優秀で、兄は政治家の秘書、姉は大企業の社長秘書。……わたしだけ何にもないの」
「でも、まだこれからでしょう? 猫星の教育制度はよく知らないけど……」
しかしパティは悲しそうにゆっくりやっぱり首を横に振った。
「わたしたちの星ってね、学校の成績が全てなの。就職も将来もそれで決まるの」
「ええっ? そうなの? それって辛くない?」
めぐの声にるかも素直に同意する。
そりゃ勉強していい学校に入って、いい会社に入るっていうのは理解してる。
でも、学校の成績だけで何が分かるんだろう。
学校では評価されない能力がその人にあったとしても、社会に出るときには評価されないなんて、間違ってる気がする。
「昔は日本もそういう風潮あったよね。教育ママとか言って、とにかく幼い頃から塾や習い事に行かせて、有名大学に入らせて、一流企業に就職させるのって。でも、その弊害が社会問題になって、今はずいぶん緩和されたって」
そういえばそんなことを社会科の先生が言ってたのを思い出した。
その昔は小学校低学年の頃から深夜まで習い事や塾に通わせるのが当たり前だったそうだ。
そんな生活を大学入学まで続けたら、大学に入った途端に遊び惚けるのも分からなくはない。
結果、学校も行かず就職もしないニートが量産された時期があったらしい。社会問題になったっていうのはそのことだったかな、とめぐの話をるかは頷きながら聞く。
「猫星の人間は才能の開花が早いんだそうです。……だから、弟が生まれて妹が生まれて、わたしの居場所、なくなっちゃいました」
てへ、と笑うパティの耳はぺったり伏せられている。その姿にるかは奥歯を噛み締めた。
「そんなことないですよ、きっと。パティさんのご家族は心配してると思います。あの、定期連絡はしたんですか?」
「ええ、一応。でも誰もいなかったみたいで、伝言だけ残しておいたんです。いつもわたしがいなくても気がつかないみたいだし、そんなに気にしてないんじゃないですか?」
「パティさん、なんでそんなに他人事みたいに言うんですか?」
「だって、本当だし。ひどいんですよぉ。うちって家族の誕生日は全員揃って誕生祝いをするんです。祝いの歌を歌って、ろうそくを消して。でも、わたしの誕生日、だれも覚えてなかった。……成人する日だっていうのに」
「うわ、ひっど」
思わず声が漏れた。兄貴に比べたら出来が悪いけれど、だからといって親から蔑ろにされたことはない。
パティはそんな仕打ちをされたのに、健気に笑うのだ。
「父も母も、兄も姉も忙しいのはわかってるから、仕方ないなって思ってた。でも、下の二人の誕生日は何が何でも帰ってくるんですよ? ああ、わたし、生まれる家を間違えちゃったなあって。だから、この星に来たんです。ちゃんと成人の儀式をして、大人になったと認めてもらえたら、家を出て独り立ちしようって」
そういって顔を上げたパティの目は決意に満ちていた。
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