第七話 夏休み(7/24)
1.涙と怒り
麻紀とれおがリビングに戻ると、理仁がソファから弾かれたように立ち上がってやってきた。
「遅いよ、れお兄、麻紀姉。なにしてたの?」
「いや、久しぶりに会ったから挨拶をね。今日は麻紀、こっちに泊まるって」
「あ、そうなの? じゃあ久しぶりに晩ごはんはあれにするね」
れおの言葉に理仁は嬉しそうに微笑んだ。
「あれって、チキンライス?」
「うん、オムライスのほうがいい?」
「そうね、じゃあオムライスでお願い」
「了解。れお兄もそれでいいよね?」
「もちろん」
「ちょっと、こっちほっといて晩ごはん談義? 話があるんじゃなかったの? 理仁」
るかがたまりかねて声を荒げると、理仁は首をすくめてソファに戻った
「ごめん、つい」
「つい、じゃないわよ」
「でも、れお兄にも聞いて欲しいんだ。それに、ちょうど麻紀姉も帰ってきたし」
るかはキッチンの方を向いた。れおはエプロンをつけて調理を始めたところで、麻紀はキッチンテーブルに座っている。背筋をピンと伸ばした麻紀は、多少よれよれとはいえやはり凛としてかっこいい。
「理仁、あの人は理仁のご兄弟ですか?」
パティは身を乗り出して聞いた。尻尾がふるふると振れている。
「え? いや。れお兄はるかの兄貴。麻紀姉はおば……えっと、僕の母さんの妹」
「そうなんですか?」
パティの丸い目がるかに向けられる。
「うん、そうだけど」
「わたしにも年の離れた兄がいます。六歳年上で、黒毛でかっこよくて……」
急に何を言い出すのだろう。きょとんとしてパティを見ていると、パティははっと思い出したように姿勢を正してるかに向き直った。
「ごめんなさい、わたし、ちゃんとご挨拶してませんでしたね。パトリシア・ヘーヴェンと言います。よろしくお願いします」
そう言って微笑むパティに、るかは目を見開いた。
「あの、よかったら名前、教えてもらえますか。昨日も来てましたよね。でも、ご挨拶する前に帰られたので……」
「……るか。早瀬るか。兄貴は早瀬れお」
「るかさん。よろしくお願いします」
にこっと笑って差し出した手に、るかはじろりと冷たい視線を返した。
「……認めないから」
「え?」
「理仁の
「るか」
理仁の声にるかは我に返った。そうだ、理仁もこの場所にいるのに、何を口走っているのだろう。これでは昨日と同じだ。
「ごめん。頭冷やしてくる」
ぷいと席を立ったるかの腕を掴む手があった。振り向くまでもない、理仁の手だ。
「離して」
「だめ。まだ何も話してない」
「話は兄貴にすればいいじゃない。あたしはただのおまけなんだか」
「そんなことない。るかにも聞いてほしいから、二人で来てって言ったんだよ?」
そんな期待させるようなことを期待してしまうような声で言わないでよ。
「……手、離して。もう逃げないから」
理仁の手が離れると、るかはソファの裏に回って隅の方にぺたりと座り込んだ。涙腺がゆるんできて涙が鼻を伝う。
前かがみになって膝を抱え込むと、顔を埋めた。昨日散々泣いて、吹っ切れたと思ったのに。完全復活って言ったのに。ぜんぜん復活できてないじゃん。
理仁はまるでるかが逃げられないように、通せんぼするように立っている。
視界からいなくなってくれればいいのに。――あたしなんか見ないでよ。
「何やってんの、二人とも」
呆れたような声が上から降ってきて、るかは顔を上げた。濡れた頬を手で拭って見上げると、兄が理仁の隣で困った顔をして立っている。
「理仁、るかを泣かせたら殴るって言ったよね」
「……オテヤワラカニオネガイシマス」
こわばった顔で棒読みになっている理仁にれおの表情が歪んだ。
「麻紀のいる前で殴るわけないだろーが。……次はないからな。るか、立って。ソファに戻りなさい」
「……やだ」
理仁に脅しをかけてる兄を目を丸くしてみていたるかは、兄の言葉に唇を尖らせた。
「るか。……真面目に話を聞く気がないなら帰れ。話す者に失礼だ」
その声は久しぶりに聞く、兄が本気で怒った時の声音だ。恐る恐る顔を上げると、やはりれおは怒っていた。逆ハの字の眉、つり上がった目尻。いつもなら優しく微笑んでくれる兄の顔ではない。
しぶしぶながらるかは腰を上げ、席に戻った。ソファにはすでに麻紀も座っている。
「じゃあ、最初から聞かせてもらおうか。理仁、パティ」
「うん、わかった」
「はい」
二人は頷いた。
「それから、自己紹介していなかったかな。僕は早瀬れお。大学生だ。猫星の民俗研究をやっててね。こっちにいるのは島田麻紀。理仁の叔母……理仁の母の妹にあたる」
「よろしくお願いします」
パティは二人に対して会釈した。麻紀は自己紹介を取られて唇を尖らせている。
「じゃあ、頼むよ」
れおは理仁を見て言う。理仁は小さく頷くと、話し始めた。
「きっかけは、夏休み二日目の、七月二十一日のことなんだ……」
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