3.総次郎

 今日何度目かのため息をつく。

 目の前に広げたモニターは刻一刻と状況の変化を伝えて来ているが、総次郎の目には全く映っていなかった。

 今日で何日目だろう。スターチスの花束を手に、櫻子のいる館を訪ねたのは。

 早朝でしかも仕事ではないからと運転手をつけず、自分で車を運転して行った。

 花は早朝からやっている花屋を見つけて頼んだ。

 今日も美しい花束を作ってくれていた。

 あの花屋は、総次郎の話を聞いた上でどんな花がいいか、選んでくれた。

 思いが届きますように、と毎日祈って総次郎を送り出してくれている。

 だが、花屋の祈りはまだ届いていないようだ。

 執事の安岡には、彼女には受取拒否されていることを聞いている。

 それでも、届けずにはいられない。

 家の決めた許嫁。

 そう思った時期もたしかにあった。

 だが、妹の――楠葉の友達として側にいた時間は、他の女に比べると遥かに長い。

 社長の座を継いでから、周りにはいろいろな女が寄ってくる。

 色仕掛けで落とそうとする女、仕事にかこつけてやってくる女、あからさまに社長夫人の席を欲しがる女。

 欲にまみれた女の顔は見飽きるほど見た。

 それに引き換え櫻子は、清純そのものだ。

 清らかで、頑なで、美しい。

 一日でも早く、櫻子を側に置く許可を貰うために、がむしゃらに働き、販路を広げ、必要なら企業の買収も積極的に行った。もちろん、非人道的な買収はしない。働く者全てが幸せになれる企業を目指す――それが父のポリシーでもあったから。

 今回の成人の儀式も、その一環に過ぎなかった。

 一般的に、猫星の成人の儀式がどう認識されているのか、総次郎は知っていた。

 だからこそあの日、櫻子の家へ行き、一から説明するつもりだったのに。

 なぜ、話が漏れたのだろう。

 あの日に戻れるならば……。

 総次郎はため息をつき、頭を振った。


「いつまでうじうじしてるんですか。鬱陶しい」


 空気を読まずに一刀両断したのは、若き執事である久遠寺伊織だ。

 なでつけた髪もお仕着せの執事服も実によく似合っている。最近取材もされたらしく、とある雑誌ではすっかり有名人となった美青年執事である。

 だが、他の者がいない場所での伊織は辛辣で毒舌家だ。それは総次郎が一番よく知っている。


「……放っとけ」

「放っとけるか、この馬鹿。仕事が滞ってんだろうが。とっとと仕事に戻りやがれ」

「お前、本当に猫かぶるのがうまいよな」

「当たり前だ。親父と祖父じじいの仕込みがいいからな。主の前では完璧に猫をかぶれってな」

「かぶってねえじゃねえか」


 特に俺の前には、と言うと、くくっと伊織は笑った。


「鼻垂れ小僧の頃から知ってんだ、いまさら取り繕っても仕方ねえだろ」

「それはそうだが、仕事の時はわきまえろよ」

「お前が仕事してんならな。さっきから見てりゃため息ばっかりついて、仕事なんかしてねぇだろ」


 図星を突かれて総次郎は悔しそうに伊織を睨みつけた。


「何しに来たんだよ」

「もちろん、先ほど届いた報告をしに」


 伊織は居住まいを正すと総次郎の前に背筋を伸ばして立った。執事としての仕事ということだ。

 総次郎も仕事の顔になって顔を上げた。


「聞こう」

「交通手段を重点的にチェックしていたところ、見つけました」


 伊織は総次郎のデスクの上に画像を広げて見せた。

 マーカーの位置を示す黄色い✕を中心にした地図で、あちこちに赤い印がつけられている。


「これは?」

「オートタクシーの履歴です。地球にいる猫星人はそれほど多くありません。日本国内にいる猫星人はせいぜい千人規模です。最後にマーカーの信号を受信した位置を中心として同心円状にオートタクシーの利用履歴を追跡しました」

「ざっと五十といったところか」

「はい。その中から、一ヶ月以上前から滞在している猫星人の利用を除去したのがこちらです」


 手を振ると、地図の上の赤い印がほとんど消えた。


「残りは五つか」

「このうち、素性が把握されている猫星人の利用を省くと……」


 もう一度伊織が手を振ると、赤い印は一つだけとなった。


「F市か。お手柄だ。伊織」

「ありがとうございます。利用経路は把握済みです」

「で、目的地はどこだった?」

「それがですね……」


 伊織は眉根を寄せた。


「いい。話せ」

「宇宙考古学の権威、藤原早紀教授の家です」

「何か問題があるか?」

「藤原教授夫妻は、八年前からフィールドワークに出ており、以来一度も戻っていないそうです」

「ならば、そこには誰が住んでいる?」

「藤原教授のご子息と、妹君です」


 総次郎は眉根を寄せて口元を歪めた。


「伊織、はっきり話せ。何が言いたい」

「藤原教授の妹というのは島田麻紀、警察機構のトップエリートです」


 伊織の言葉に総次郎は目を瞬かせた。


「それが一体何の問題が……」


 そう言いかけて、総次郎は目を見開いた。


「もしかして、すでに警察機構が保護しているということか?」

「……かもしれません」

「ならばなぜ我々の方に連絡が入らない。猫星協会からの要請も出ているはずなんだぞ?」

「事情はわかりません。ですが、猫星人を保護したという連絡すら入って来ないのは、おかしいと思います」

「まさか、横取りするつもりで……?」


 総次郎の言葉に伊織は首を横に振った。


「……伊織、車を用意しろ。それから腕の立つ護衛を」

「どうなさるおつもりですか?」

「そちらがそういうつもりなら、腕ずくで奪還するまでだ」

「まさか、ご自身で行くおつもりで?」


 総次郎は頷き、立ち上がった。


「スケジュールの調整を。俺は猫星協会に行ってくる」

「……承知しました」


 スーツの上着を取り上げた総次郎の表情は、苦り切っていた。

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