第五話 猫星の人々(7/22~23)

1.ヘーヴェン家の事情

 キャスターの一地方官僚であるユージーン・ヘーヴェンはいつものように仕事を終わらせると家路に急いでいた。

 今日は娘の誕生日だ。まだ空の明るい時間に帰れるなどめったにないのだが、今日に限っては手早く仕事を終わらせ、明日でよいものは明日に回して帰ってきた。

 鞄の中には娘の欲しがっていた、なんとかというテレビで紹介されていたキャラものの携帯端末デバイスが入っている。今年で初等教育は終わり、中等教育にあがる。その時には大人用と同じ携帯端末デバイスをもたせるのが普通だと言われて買ってきたものだ。

 駅から三分の高層マンションは当時としてはかなり奮発して買ったものだが、安全面でも利便性でも満足している。二フロアぶち抜きのテラスハウス風なのも気に入っている。

 改札を出て、家までを早足で歩くと、中階行きエレベーターに乗って十二階で降りる。夏場とは言え夕刻になるとだいぶ過ごしやすくなる。

 玄関の扉を開けると、いい匂いがしてきた。末娘の好きなスパイスの匂いだ。


「おかえりなさい」

「ただいま」


 妻のクラウディアがエプロンで手を拭きながら迎えに出てきた。当代随一の美女と歌われた妻は、いくつになっても愛らしい。

 白い毛並みを撫でながらただいまのキスをすると、クラウディアは嬉しそうにキスを返してくれる。


「皆もう揃ってるのか?」

「あとはキアラだけね。帰りにケーキ受け取ってくるって」

「そうか」


 自室に戻って上着とネクタイだけ外すと、鞄の中の紙袋を手にリビングダイニングに入る。

 テレビの前のソファには眼鏡をかけた黒髪の長男が座っている。手元にはいくつも画面を開いていて、まだ仕事中だと知れる。


「持ち帰りで仕事か? ネレイス」


 長男に声をかけると、ちらりと目を上げて開いていた画面を閉じた。


「来週の議会に提出する資料がまだまとまらなくて。……おかえりなさい、父上」


 そう言って立ち上がった長男は妻によく似て整った顔立ちをしている。知り合いの秘書をしているが、行く先々で女の子に囲まれるのもやはり妻譲りなのかもしれない。


「ああ。あまり根を詰めすぎるなよ。仕事がキツイようならティグドに文句言ってやる」

「大丈夫だよ。今月は移動も少ないし、その日のうちには帰れてるから」

「そうか?」


 ユージーンはため息をついて長男を見る。根を詰める性格と生真面目なのはわたしに似たのだろう。役人には丁度いいのかもしれないが。


「シーリーンは?」

「時間ぎりぎりまで論文読みたいとか言ってたから。呼んでくるよ」

「ああ」


 長男は軽い足取りで階段を上がっていった。

 玄関の開く音がして、「ただいまぁ」と声が聞こえてきた。長女の声だ。


「おかえり」


 迎えに出ると長女のキアラが目を丸くして立っていた。三毛の長い髪の毛を今日は束ねずに流している。


「あれ、父さんもう帰ってたの? 珍しいわね」

「ああ、せっかくの誕生祝いだからな」

「いいわねー、末っ子は甘やかされて。あたしの時なんか帰って来なかったくせに」


 つん、と唇を尖らせたキアラは手に持っていたケーキの箱をユージーンに押し付けた。


「そんなことはない。皆の誕生日には必ず間に合うように帰っていただろう?」

「どーだか。出張入って帰れないって電話、何度ももらったわよーだ」


 べぇ、と舌を出してキアラは自分の部屋へするりと入ってしまった。


「もうじき始めるから」

「はいはい」


 扉越しに聞こえた声に苦笑を浮かべ、ユージーンはケーキをキッチンに運んだ。

 子供たちの誰かをおろそかにしたことはないのだが、やはり年を取ってからできた子どもには無意識ながら甘くなっているのだろうか。


「ディア、キアラが帰ったよ」

「そう、じゃあそろそろ始めようかしら。あなた、ミーシャを呼んできてくれる?」

「ああ、わかった」


 階段のところで息子二人とすれ違う。次男のシーリーンは父親を認めると「おかえりなさい」と言ってさっさとリビングに入っていった。

 赤茶の次男はずば抜けて知能が高く、ミーシャと二つしか違わないのにすでに飛び級で大学に通っている。研究室もあるという。常に何かを考えているようで、周りへの注意が散漫になる。感情表現も乏しいが、可愛い息子には違いない。

 二人の息子の背中を眺めていると、後ろから長女が出てきた。


「何見てるの?」

「ああ、いや。大きくなったなと思ってさ」


 そう言うとキアラは面白くなさそうに横をすり抜けていった。

 ユージーンは二階で待機している今日の主役を迎えに階段を上がっていった。


「ミーシャ、待たせたね」


 扉をノックすると待ちきれなかったのか、白いふわふわな毛を綿菓子のように膨らませた三女・ミーシャが勢い良く扉を開けて出てきた。


「おかえりなさい、パパ」

「ああ、ただいま。皆揃ったよ。さあ、行こうか姫様」


 娘を腕に抱きかかえ、階段を降りていく。誕生日の主役をこうやって迎えに行き、吹き抜けのリビングを見下ろしながら階段を降りるのがいつの間にかヘーヴェン家の習わしになっていた。

 だがそれも、今回が最後だ。中等教育から高等教育卒業までは基本的に全寮制で、帰ってくるのも年末と夏休みのみになる。

 その頃には育ちきった子供たちをこうやって担げなくなっているだろう。

 リビングにはすでに皆が揃って立っていて、ユージーンとミーシャを迎えた。


「誕生日おめでとう、ミーシャ」

「おめでとう、ミーシャ」


 今日の主役は抱きかかえられた状態で家族から祝福のキスを受け、テーブルの椅子に降ろされる。

 お決まりの誕生日を祝う歌が歌われ、家族からそれぞれプレゼントを渡され、ケーキのろうそくを吹き消したところでようやく他の家族たちは席についた。

 妻の手料理はやはり美味い。最近はこういった祝いの時にはホテルなどの料理をケータリングするところも増えてきているが、それよりは妻の作る素朴な料理のほうが好みだ。

 祝いということもあってワインを二本開け、長男長女と四人でグラスを上げる。大人でないミーシャとシーリーンはソフトドリンクだ。


「そういえば、パティはそろそろ向こうの星に着いた頃かしら」


 クラウディアが口にしてようやく、ユージーンはここにいない次女のことを思い出した。皆揃っている、と言いながら、一人だけここにいないのだ。

 決して忘れていたわけではないのだが、儀式が終わるまで帰ってこられないのだ。往復の距離も含めて場合によっては一年かかるとも言われている。


「ああ、そういえばそうね。あの子のことだから、どっかで迷ってるんじゃない?」

「キアラ、そういうことを言うものじゃないよ」

「でもそう思うでしょ? あの子、方向音痴なの必死で隠してたけど、隠れてないっての」


 長女の言葉にユージーンは眉根を寄せた。確かにその気は幼い頃からあった。だから初等部の頃から特別に迷子札と非常用トークンを持たせていた。


「それより、まともに会話できるのか? 現地の人間と。ほっとくとそこらへんの木や草とお話してそうだからなあ」

「そんなに人見知りだったか? 前に見た時には誰とでも仲良くなってたと思うが」

「俺らに比べると要領悪いからなあ、パティは。成績もいまいちぱっとしないし、仲間はずれによくされてたみたいだよ」

「そんなことが……本当か? クラウディア」


 長男の言葉に驚いて妻を見ると、美しい妻は困惑したように微笑んだ。


「え、ええ……あの子は隠してたみたいだけどねえ」

「仕方がないよ。この星では、学校の成績が一生を左右するから。パティ姉さんには生きづらい場所だと思う」


 次男が珍しく口を開いた。そういえば、パティが成人の儀式をやりたいと言い出した時にはじめに賛成したのはシーリーンだった。大人として認められれば、他星への就職も認められる。今住んでいる街は年齢だけで成人と認めてくれるため、最近の若者はやらない者のほうが多い。ネレウスもキリアも、成人の儀式そのものは行ったが、最近の流儀に則って他星までは行っていない。

 パティは強硬に古式ゆかしい方式の成人の儀式をやりたいと主張したのだ。あれほど自分のやりたいことを主張したのは、初めてだった。


「行った先がいい星ならいいんですけれど……」


 妻も心配顔だ。

 パティが生まれてからシーリーンが生まれるまでの五年間、末っ子として過ごしたパティはやはり甘やかしてしまったせいか、どこか浮ついたところがある。それを本人も自覚しての今回の行動だとは理解しているのだが、一人で旅に出すというのはやはり不安が募った。

 これが上二人ならば心配はしなかっただろう。要領もよく飲み込みも早い二人は、放っておいてもちゃんと目的地にたどり着き、無事帰ってくるだろうと思える。

 だが、パティは。


「だいじょうぶよ、あの強運のパティ姉様のことだもの。なんとかなるって」


 本日の主役は早速デバイスを手にニコニコしながらケーキを頬張っている。


「そうであればいいが」


 一抹の不安が胸をよぎる。それが本当に的中するとは、誰も思いもしなかった。

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