3.図書館
「え……ここ、入っていいのか?」
遊真の言葉に僕は振り返った。
フライボードを拾い上げて遊真の視線の先を見やる。
そこには小説なんかで『洋館』と称されるようなでっかい屋敷が建っていた。門をくぐってぐるりと張り巡らされた壁の中に入ったところだけど、入り口から建物までは綺麗に整えられた木々が青々と茂っている。
おかげで日差しが遮られて少しだけ涼しい。
……嘘です。めちゃめちゃ暑い。
「この先にあるんだ。言ってなかった? ここ個人所有の図書館なんだよ」
「へえ……」
それでも門をくぐったあたりから遊真は動かない。
「早く入ろうよ。暑くって干上がっちまう」
「あ、ああ。……ほんとに、捕まったりしないか?」
「大丈夫。前に来た時には無事に出てこられたから」
そこまで言ってようやく遊真は歩きだした。
一体どんな場所だと思ってるのだろう。取って食われたりしないって。
奥まで進むと入り口がある。僕は前にカードを作ってるからカードを提示して、遊真は新しく会員登録。別に難しくない。というか、ここって徹底的に端末使わないんだよな。
紙の登録用紙に書き込んで、提出したら受付の人が手書きのカードを作って、それをラミネート加工して渡してくれる。
次回からはそれが入館証になるんだって。
身分証明とかに腕の端末を見せることもない。
すんなり入り口を通りながら、遊真はこっそり僕に耳打ちした。
「なあ、ここ大丈夫なのか? 身元確認とかも全然されないなんて思わなかった。変なやつとかも入り放題じゃないか?」
「うん、そうなんだよ。名前とか偽名書かれたら分かんないよな」
「それに見たところ監視カメラとかセンサーとかもないっぽいし……本当に個人でやってる図書館なのか?」
「個人だから、じゃないか? セキュリティにそんなに金かけられないだろうし」
「それもそうだけど」
扉を開くとひんやりとした空気に包まれる。太陽にあぶられて熱くなった体が冷えていく。
「うわあ……」
「すごいだろ?」
遊真が言葉を失って当たりを見回している。
ちょっと優越感。
中は二階までが吹き抜けになっていて、見渡す限り本棚が並んでいる。
人は多くないが、独特の匂いがする。紙の匂いというのだろうか、それともインクの匂いなのか。不思議な匂い。でも嫌いじゃない。
「電子書籍とか映像資料とかはあんまり置いてないよ」
「ふぅん。検索したいときは?」
普通の図書館ならリファレンス用の端末が本棚に埋め込まれてたりするんだけど、ここにはない。
「それなら受付の司書さんに聞くのが一番早いよ」
「君たち、館内では静かに」
不意に声が飛んできて首を縮めた。声の方に振り向くと、背の高い紺色のスーツの女性が立っていた。
興奮してつい大きな声を出してたみたいだ。
「あ、すみません、高野さん」
「お友達?」
前に来た時に、リファレンスでお世話になった人だ。
あまり笑わないんだけど、眼鏡の奥の目は結構優しい。長い黒髪をいつも一つにまとめておだんごにしている。一度降ろした姿を見てみたい。
「はい、
「星野遊真です。あの、猫星のことを知りたいんですけど、ありますか?」
「ようこそ、遊真くん。
「テクノロジーの資料とかありますか? あと旅行関係の手引みたいなものがあれば」
差し出された手を握り返しながら遊真はさっそく切り出した。
「テクノロジーと旅行関係の手引ね。少し待っていてもらえますか?」
「はい」
高野さんは手元のメモに書きつけると遊真に手渡した。
「こちらが棚番号。テクノロジーは二階に行って見てください。比較的易しい内容の本がいくつかあると思います。それよりも詳しい資料が必要なら閉架書庫ですね。何をお調べですか?」
「あの、猫星の技術についてのレポートを夏休みの宿題にしようかと思って。詳しい資料も読みたいんですけど、お願いできますか?」
「はい、わかりました。では、手続きをしますのでこちらへどうぞ」
遊真の言葉に高野さんはリファレンスカウンターへ遊真を連れて行った。
僕は遊真を見送ると、予約受け取り用カウンターへ向かう。
カウンターには茶色い髪のちょっと軽そうな男の人が座っていた。
「すみません、連絡した藤原理仁です。予約していた本の受け取りに来たんですけど、まだありますか?」
僕が声をかけると、男の人は顔を上げてにっこりと微笑んだ。前に来た時には見なかった人だ。
「はい、藤原様ですね。承っています。利用カードを見せていただけますか?」
訂正。ぜんぜん軽くなかった。
子どもの僕にも丁寧に応対してくれる。見た目で判断してごめんなさい。
カードを渡すと、男の人は後ろの本棚から本を抜き出した。
「これですね。ご確認ください」
「はい」
紙の本を手に取る。サイズは手に余るくらいで、意外と重たい。
タイトルと筆者を確認すると、僕はカウンターの上に戻した。
「はい、間違いありません」
「では、二週間の貸出となります。延長の場合も一度こちらにお持ちいただけますか?」
「はい。わかりました」
「ではこのままお持ちください。返却の際もこの袋に入れて返却ください」
男の人は一度紙の本を引き取るとビニールパックに入れて渡してくれる。これは途中で破損したりしても散逸しないように、という配慮なのだそうだ。
ここに所蔵されている本はどれも古く、発行されてから数十年経っているものもある。触ったら崩れるような本は貸出対象じゃないらしい。そうでない本も、やはり劣化してるから破れやすいのだと高野さんが言っていた。
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
優雅に礼をされて、僕はどう返していいのかわからずにぺこりと頭を下げるとカウンターを離れた。
ここの司書は高野さんみたいに癖の強い人ばかりかと思ってたけど、そうでもないみたいだ。
遊真はとリファレンスのテーブルに戻るとすでにどっかに行ったあとのようで、高野さんもいなかった。
本当は本を引き取ったらすぐ戻るつもりだったんだけど。
遊真はさっき高野さんから聞いた二階に行ったのだろう。
ぼーっと待ってるのも何だから、一応下にいることと、一時間後にカウンター前で集合することをメッセージに入れておく。
すぐにOKの返事が来た。
さて、あと一時間どうしよう。
借りた本はじっくりゆっくり家で読みたいから、他の何か面白そうな本を探すことにする。
そういえば、あんまりあちこち見て回ったことないんだった。前に来た時はカード作って、リファレンスで高野さんに本の予約をお願いしただけだったから。
せっかくだから一時間ほどぶらついてみよう。
一階の開架書庫を当てもなくぶらつく。
読めない言語で書かれた本とかも置いてある。あと雑誌とか、漫画とかもあった。
子供向けの絵本もある。綺麗な色使いで、見惚れてしまいそうな本もあった。
一階の奥までたどり着くと、その先は別館で、連絡通路でつながっている。別館は確か閉架書庫だって聞いた気がするんだけど、立入禁止とは書かれていない。
外に出るとむわっとした湿気た空気に包まれた。蝉たちの声がうるさい。
連絡通路といってもただの渡り廊下だ。そこから庭の方へ出られるらしい。この先も立ち入り禁止とはなってないみたいだ。
「おや、別館に何か用かね?」
不意に後ろから声をかけられて、僕は振り返った。杖をついた白髪の老人が連絡通路のそばの石に腰掛けている。茶色の着流し来てるとか、ナニモノだろう。
個人の所有だけど、ここに住んでいる人はいないって聞いた。ということはこの人も図書館の利用者なんだろうか。
「この先って何があるんですか?」
「この先? 別館は書庫だと聞いておる」
「立入禁止って書かれてなかったから、通っていいのかと思ってました。すみません」
「別に怒りゃせんよ。わしも休憩しておるだけだからの」
「休憩って……暑くないですか?」
驚いて老人をしげしげと見る。
汗をかいてる風ではないんだよな。こんなに暑いのに、シャツにも汗で濡れたあとはないし、顔も涼しげだ。
「うん? 年を取るとむしろ中のほうが寒く感じての」
「そうですか」
「まあそう心配するな。熱中症にならんように水は飲んでおる」
僕の思いが顔に出てたんだろう。老人はそう言うと笑った。
僕には身近にお年寄りがいないから、そういうものなのかな、と首を傾げる。
「坊主、紙の本は好きなのか?」
「え?」
紙の本は好きかと言われると悩む。電子化されていればわざわざ借りに来なかったかなとは思う。
でも、ここの図書館は結構好きかも知れない。中央のと比べて静かだし。
「その顔だと、読みたいものが電子化されてなかったからというところかの。まあ、それでもわざわざ紙の媒体まで探したのはなかなか珍しい」
「どうしても読みたかったので、探したんです」
そう答えると、老人は嬉しそうに微笑むとうなずいた。
「いい心がけじゃ。本は
「なまもの?」
「そう。本には賞味期限があっての。……と、言うても分からんか。まあよい。読みたくなったらその本は読み時ということじゃ」
「はあ」
本の賞味期限って、なんだろう。別に腐るわけでないし、レンタルなら閲覧可能期限とかあるけど、そうじゃないし。
「さて、そろそろ戻るとするかの。ではの、少年。時は金なりじゃ」
「はい」
腰を揚げた老人は杖をつきながら別館の方へと入っていった。
書庫なのになんで? と首を傾げる。行ってみようかとも思ったけど、別館そのものに用があるわけでもないし、そろそろ汗が滝のように流れ始めてる。
一体なんだったんだろう、と老人の入っていった別館をちらりと見て、僕は元来た道を戻ることにした。
◇◇◇◇
待ち合わせの場所に戻ると、遊真はすでに待っていた。
「あれ、早いな」
「うん、高野さんが出してくれた資料が面白くて、全部借りて帰ることにしたから」
見れば、背中に背負ったリュックが随分重たそうだ。
高野さんはと見れば、リファレンスのカウンターでちらりとこちらを見ている。
軽く会釈をすると、高野さんはほんのり微笑んだ。
「じゃあ、帰って読むか?」
「ああ。理仁は? それだけ?」
手にしていたビニール袋を見て遊真は首を傾げる。
「うん、これを読みたかったんだ」
「へえ。小説か。……そういうの、あんまり電子化されてないんだ?」
「うん、なんか今の出版基準に抵触するんだとさ。結構古い作品とかはそのせいで電子化されなかったり、レーティング制限かかったりするんだ」
「なるほどな。理仁、かばん持ってないだろ。僕のかばんに入れとく?」
「あ、頼む。助かる」
僕は遊真のリュックの一番上に本をそっと差し込んだ。
「じゃ、帰るか。さっきるかからメッセージ飛んできてたよ。新しい端末試したくてウズウズしてる感じだね」
遊真はくすくすいいながら、フライボードスタンドから自分のフライボードを取り上げた。
「違いない」
僕も笑って、フライボードを拾い上げると図書館を出た。
入り口に座っていた受付のお姉さんに挨拶して外に出ると、途端にぬるい空気と蝉の声に包まれる。
「明日はパーツ買いに出かけるから、行けないと思う」
「うん、わかった。てことは目処がつきそうなんだ?」
「たぶんできると思うけど、期待はしないでよ。ついでに猫星商会回ってくる」
「猫星商会? 猫星の人向けのショップか何か?」
「いや。猫星人になりたいコスプレイヤー向けのショップ。ただ、端末も猫星人と同じものを使いたがる人がいて云々って情報があったんだ。ちょっと覗いてくるよ」
「それ、危ない店なんじゃねえ?」
「どうだろ。……まあ、やばくなったら兄貴に盾になってもらうから」
兄貴というのが近所のお兄さんだろう。ということは、未成年だけでは行けないゾーンに立ち入るんだ。
「遊真、大人になるんだな……」
「……理仁、シャレになんないからやめてくれ」
からかうつもりでそう言ったら、遊真にマジギレされた。
何があるのかよくわからないけど、速攻で謝った。
……遊真をからかうのはやめとこう……。
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