4.新しい端末

「もー、こんなに時間かかると思わなかったっ!」


 そう言ってぶんむくれているのはるかだ。図書館から帰り着いた僕らはキッチンに入るなり、さっそくるかに捕まった。


「聞いてよ理仁! お店の対応がね、ほんと信じらんないの!」


 このフレーズ何度目だ? るかが僕のほうに突っかかって遊真に背を向けたのをチャンスと思ったのだろう、遊真はそろりそろりと抜き足差し足で抜け出した。

 リビングまで後ずさったところで、僕を拝むように両手を合わせると、リビングの方の扉からそろっと出て行った。奥のほうで音がしたから、たぶん僕の部屋に逃げ込んだんだろう。

 僕はちらりと視線をそちらにやるが、るかの勢いが止まらないどころか、「よそ見しないのっ!」とか言って僕の顔を無理やり自分に向ける。珍しく積極的だ。

 というか、そんな行動を無意識で取るほど、怒っていた。


「そうなんだよなー、なんか知らねーけどさ、店のやつすんげーえらっそーなの」


 ぼうぼうと燃えてるるかに燃料を追加するのは真壁だ。そういや壊したときの話、してたっけな。

 と思ってちらっと目を向けると、真壁はキッチンの椅子にちゃっかり収まって、プリン食べてる。

 おい、それみんなで食うんじゃないのか?


「でしょ? 兄貴もいろいろ言ってくれたんだけどさ、なんていうの? 相手の態度がすっごい不快で。あろうことか兄貴をあたしの彼氏だと勘違いしたらしくってさぁ。ねちねち嫌味いわれたのよっ! あんなのありなの?!」

「え? れお兄に?」

「そう。もう、血管切れそうになっちゃって、兄貴が止めなかったらぶん殴ってた。てか止めてほしくなかったっ! あーっ、思い出しても腹が立つっ!」


 真壁のプリンから目を離してるかに視線を戻すと、両手をこぶしに握ってぶんぶん振り回している。


「れお兄に何言ったの? そいつ」

「思い出しても腹が立つから思い出させないでっ」


 そう言ってぎぬろと僕を見たるかの目が本当に殺気立っている。よほどひどいことを言われたんだろう。


「まあ、ともかく新しいのに変えてもらったんでしょ? よかったじゃない」


 めぐがさすがに見かねたのか助け舟を出してくれた。


「うん、それはよかったんだけどさぁ……」

「そういえば新しいのってそれか?」


 るかの左手首に巻き付いているのを指さすと、怒りの形相を少し抑えてるかはまだ怒り冷めやらぬぶすくれ顔のまま、左手を差し出してきた。

 前は白一色だったが、今回はリボン風の外観だ。ピンク色の格子柄でブレスレット自体は巻き付けるタイプだ。


「へえ。かわいいな」

「えへへ、でしょ?」


 さっきまでのふくれっ面はどこへやら、るかはにかっとほほを緩ませた。


「これなら着る服を選ばないし、あたしの普段の格好でも浮かないかなって。兄貴が選んでくれたんだけど、気に入ってるの」


 くるくると手首のブレスレットを回しながら話するかは本当に嬉しそうだ。


「よかったな」

「ほんと、助かったわ、理仁くん」


 テーブルの向こう側でエプロン姿のまま立っているめぐはため息をつきながら言った。


「え?」

「理仁くんが帰ってくるまでにプリン作る予定だったんだけど、来て早々からこの調子で興奮し続けだったのよ。そんな状態で料理なんかさせたらまたお風呂行きになっちゃうから、落ち着くの待ってたんだけど、ね」

「あ、ごめんね、めぐ。でもどうしても許せなかったんだもん」

「はいはい。じゃあ、落ち着いたところで料理教室始めましょ。るか、パティさん呼んできてくれる?」

「はーい」


 唇を尖らせながらも、るかはめぐからエプロンを受け取ると、後ろのひもを縛りつつキッチンから出て行った。


「そういえば、パティは二階の部屋にいるの?」

「ええ、荷物の整理するからって言ってたわよ。そうそう、れおさんが、理仁くんが帰ってきたら二階に来てって伝えてって」

「わかった」


 何の用事だろう。とりあえず僕はキッチンを出ると二階に向かった。


◇◇◇◇


「お帰り、理仁」

「うん、れお兄もおかえり」


 ノックして入ると、紙のにおいがする。これってあの図書館と同じ匂いだ。古い紙の放つ匂い。


「るか、荒れてただろう? すまないね」

「いつものことだから。でもひどい店だったみたいだね」

「うん、まあよっぽどのことがなきゃ壊れないものだからね。いったいどうやって壊したのかって話から延々とね……」

「そういえば、なんで壊れたの?」


 あの剣幕に押されて、何があったのかを聞くのをすっかり忘れてた。

 しかしれお兄は苦笑を浮かべたまま首を横に振った。


「まあ、それは本人から聞いてくれる? 絶対僕からは話すなって言われててね」

「はぁ」


 ってことは、聞かれると恥ずかしい理由なのか。


「それはともかく、パティさんのデバイスの件なんだけど。麻紀からはまだ連絡がないんだけど、教授プロフェッサーから連絡があってね。知り合いから一つ分けてもらえそうだよ」

「ほんと? ありがとう、れお兄!」

「緊急用の充電パックだから数分使えるかどうからしいんだけど、それでもないよりはいいだろうって」

「うん、助かるよ。無理言ってごめん」

「いいよ。それと、彼女用にプリペイドの端末を渡しておいたから」

「え!」


 びっくりして目を見開くと、れお兄はにっこりと微笑んだ。


「費用はあとで猫星協会に請求できるから心配しなくていいよ。連絡用にやっぱり必要かなと思ってね」

「ありがとう! れお兄! もしかして、それで時間かかったの?」


 そう尋ねると、れお兄はちょっと困ったような顔をした。


「内緒だからね?」


 猫星人だけでなく異星人ゲストのためにプリペイドの端末が用意されているのは、一応調べたから知ってた。

 でも、契約にはそれなりの立場の後見人でないとだめだってネットの情報ではあった。

 まだ学生の僕らは論外、れお兄も成人しているとはいえ職業を持っているわけではないから、難しかったに違いない。

 麻紀姉がいれば、麻紀姉が後見人になれるはずなんだけど、仕事だし……。


「でも……どうやったの?」

「うん、ちょっと父に協力してもらったんだ」

「え……」


 れお兄のお父さんってことはるかのお父さんでもあって……。


「実はね、るかの端末の修理、契約者でなきゃだめって言われたから父を呼び出しておいたんだ。で、ちょっと協力してもらった」

「……うわぁ、すみません」


 るかとれお兄のお父さんはよく知っている。何回も家に遊びに行ってるし、顔もよく合わせたから僕のことも覚えてると思う。


「だからね、パティさんは僕の父の遠い親戚ってことになっていてね」

「あの……おじさんにはどこまで話したんです?」

「全部話したよ」

「えっ」


 大丈夫なのか? 一応麻紀姉からは太い釘刺されたんだけど……。

 僕の動揺を見て取ったのか、れお兄はぽんと僕の肩を叩いた。


「……言わなかったかな。父は一応あれでも警察関係者だから、口は堅いよ?」

「あ、そっか……」


 人当たりの優しい人だから、すっかり忘れてた。麻紀姉の直接の上司じゃないけど、知ってるんだっけ。


「だから、突然遊びに来た遠い親戚で、デバイスを家に忘れてきたってことにして口裏はあわせてあるから」

「れお兄、ほんとにありがとう。……近いうちにおじさんにお礼しに行きます」

「いいよ、いらないよ。事情は納得してくれたし。でも、顔を出してくれると喜ぶと思うから、遊びにおいで」

「はい。パティと挨拶に行きたいけど……おばさんには?」

「知らせてない。……まあ、母さんには知らせないほうがいいかな。あの人はあの人でネットワーク広いから、あっという間に猫星人がうちに来たって情報が広まっちゃうだろうし」

「うーん」

「それに、まだ儀式前の猫星人がいるって知られると結構危険だから。迎えが来るまではやっぱり家にいてもらったほうがいいと思う」


 そう告げたれお兄の顔はいつになく真剣で、厳しかった。

 そうだった。パティと、るかや真壁たち、れお兄たちと楽しく過ごせるただの夏休みってわけにはいかないんだ。

 少なくとも、パティが公式な立場でうちに居られるのが確定しない限りは、やっぱり外に出ないほうが安全だろう。


「タイミングが会えばここに連れてくるよ」

「うん、わかった」


 麻紀がいやがるんだよな、と小さくつぶやいた声は聞かなかったことにする。

 いつも休みになるとれお兄がやってきて、いつしか部屋の一つを研究室として確保したれお兄のことを知ったおじさんおばさんが、二人そろって麻紀の休みに挨拶に来たことがあったんだよね。

 それを見て、麻紀姉、本気で逃げ出したんだよな。

 その時のこと、はっきり覚えてる。

 れお兄が麻紀姉にプロポーズしたのはずっと昔のことだけど、本気なのも僕は知ってる。

 麻紀姉が嫌がってるのも知ってるけど……あれ、たぶんポーズだよな。

 もし本気で嫌がってたら、部屋の一つも貸すもんか。あの麻紀姉が。


「じゃあ、そういうことだから」

「うん、わかった。いろいろありがと」


 僕は頭を下げると、部屋を出て行った。

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