3.チョコケーキとコーヒー

 翌朝。

 タクシーで理仁の家の前に乗り付けた。

 オートタクシーの難点は運転手がいないことだ。

 以前の人が運転するタクシーなら荷物を運ぶのもドライバーがやってくれていたのに、オートタクシーではそれがない。

 気がつけばどのタクシー会社もオートタクシーばかりになっていた。人の運転するタクシーは介護などの人の手を必要とする分野か、貴重品を運ぶ場合に限定されてきていて、しかも割高だ。

 今日ももちろん荷物を自分たちで降ろして理仁の家の前に立つ。


「久しぶりだな、ここ」

「前に兄貴が来たのってお正月だったっけ。半年ぶりだね」

「そうだな」


 れおは感慨深げに家のあちこちを眺める。

 前もそうだった。

 いきなり呼び鈴を鳴らしたられおに怒られたのだ。曰く『家をゆっくり堪能できないだろ?』と。

 るかにはよくわからないのだが、れおにとってはこの家自体が価値があるものなのだろう。

 日が昇ってきてそろそろ日差しが熱い。

 日焼け止めはしてるけど、これ以上真っ黒になるのはありがたくない。


「ねえ、もういい?」


 そう声をかけると、ようやくれおはるかの方を向いて頷いた。

 ベルを鳴らしてすぐ、理仁が顔を出した。


「おはよう」

「れお兄!」


 朝の挨拶もそこそこに理仁はれおに飛びついた。

 子供か! と内心毒づいたるかだったが、れおが手を離したはずみに倒れかけたトランクに手を伸ばすとなんとか立て直した。


「久しぶり、理仁。元気そうだな」

「うん! れお兄は?」

「僕も元気だよ」

「夏休みいつまで? 今年はどれぐらいいられるの?」

「九月末までずっといるつもりだよ」

「ちょっと理仁、いつまで外で待たせるつもりよっ。暑いんだから早いとこ中に入れなさいよねっ」

「あ、るか。来てくれたんだ」


 苛立ちMAXになったるかが声を上げると、理仁はようやくれおから離れ、るかを見て嬉しそうに笑った。

 それがなんだか眩しくて、昨日の自分が気恥ずかしくなって、るかは唇を尖らせると理仁を睨む。


「あ、あんたが兄貴と二人で来いって言ったんじゃないのっ」

「うん、嬉しいよ。入って」


 さらりと返されてるかは目を見開いて言おうとしていた言葉を飲み込んだ。

 ……だから理仁ってキライよっ。


「荷物? 持つよ」

「い、いいわよ。これ、めちゃめちゃ重たいんだから。兄貴、自分で持ってよ」

「はいはい」


 大きく開けた玄関をくぐって靴を脱ぐ。

 理仁はスリッパを取り出して二人の前に並べてくれていた。


「れお兄はいつもの部屋でいいんだよね?」

「ああ、鍵はまだ預かってるからね」

「あーそっか。だから鍵なかったんだっけ。……ごめん、れお兄、掃除してないから湿っぽいと思う。風も通してないし」

「構わないよ。今日は部屋の掃除と荷物の片付けにあてるつもりだから。麻紀が帰ってくるのは来週?」


 スーツケースを軽々と持ち上げるとれおは勝手知ったる風に階段を上がり始める。

 理仁も一緒について上がってしまい、るかはどうしようかと悩む間に置いてけぼりを食らってしまった。


「あれ、るかは来ないの?」

「えっと……」


 二階の手すり越しに理仁が上から覗き込んでいた。

 前にれおの借りている資料室を覗きこんだら、兄貴にひどく怒られたのだ。

 以来、勝手に二階には上がらないように厳命されている。

 二階には理仁の両親の部屋もあるし、麻紀の部屋もある。

 なんとなくプライベートエリアだから立ち入っちゃいけないんだ、と子供心に刻み込まれている。


「いい、待ってる」

「そう? じゃあちょっと待ってて。れお兄、荷物おいたら下に降りてきて」

「わかった」


 鍵が開くような金属音につづいて扉の開閉音。れおは部屋に入ったのだろう。軽い足取りで理仁は降りてくると、るかを手招きしながらキッチンに入った。

 ついてこい、ということなのだろうとるかがキッチンに入ると、理仁はやかんをヒーターの上に置いたところだった。


「何?」

「ケーキ買ってあるんだけど、紅茶とコーヒーどっちがいい?」

「ケーキってどこの?」

「駅の反対のマキシムのチョコケーキ。お前好きだったろ?」

「覚えてたの?」


 駅から理仁の家までは結構離れている。

 フライボード使っても十分やそこらでは着かないだろう。交通量も多いし、危なっかしいから理仁お得意のハイスピードモードでは飛べないエリアだ。

 れおが一緒だからとわざわざ買ってきてくれたのだろうか。

 それなられおの好きなレアチーズケーキにすればよかったのに。


「レアチーズケーキは売り切れててさ」


 るかはぎくっとして理仁の顔を見た。

 まるで思っていたことを見透かされたみたいだ。


「で、どっち?」

「チョコならコーヒーがいい。ミルク入れてね」

「ほいほい。わかってる。座ってていいよ」


 勧められるままにるかはキッチンの椅子を引っ張って腰掛けた。

 昨日は絶望に襲われながら座った椅子に今日はなんとなく浮かれて座っている。

 我ながら現金だなあ、とるかは苦笑を浮かべた。

 足音がして、れおが降りてきた。


「れお兄もコーヒーだよね。インスタントしかないけど」

「うん、ありがとう。十分だよ」


 コップにお湯を注ぎながら理仁が振り返る。れおはるかの隣の椅子を引っ張って腰を下ろした。

 自分のぶんの紅茶もテーブルに置くと、冷蔵庫から白い箱を取り出してきた。

 ケーキの箱だ。


「レアチーズケーキでなくてゴメン」


 そう言いながら、皿に盛り付けてテーブルに出してきた。

 四つ目をテーブルに置くと、理仁は椅子に腰を下ろした。

 るかはケーキを眺めながら、ミルクたっぷりのコーヒーに口をつけた。

 ちょうどいいくらいにぬるくなっていて、飲みやすい。


「で。話したいことっていうのは何だい? 理仁」


 しばしの沈黙を破ってれおが口を開いた。

 理仁はちらっとるかを見るが、何を言いたいのかはるかにはわからない。


「何?」

「るか、話してないの?」

「るか?」


 兄貴の鋭い視線を受けて、るかは唇を尖らせ、軽くにらみつけた。


「……昨日は兄貴迎えに行って外食して、バタバタしてたから、時間なかったんだもの。それに……」


 パティのことを自分の口で言うのが嫌だった。でもこんなこと言えない。


「まあ、確かにそうだけど……で、一大事なのか?」


 れおは理仁に視線を戻した。理仁は困ったように眉根を隠せた。


「あの、実は……」


 理仁がようやく口を開いた時、玄関のほうで何かが衝突する音がした。

 まるで交通事故のような大きな音が至近距離から聞こえてきて、るかは思わず耳をふさいだ。


「今の、なに?」


 理仁やれおと顔を見合わせる。家の前で事故でも起こったのだろうか。

 立ち上がって様子を見に行こうとした途端、玄関の扉が勢いよく開く音がした。続いてドタバタと廊下を走る音がして、キッチンの扉が勢いよく開いて。


「理仁! 大丈夫!?」


 そう叫びながら飛び込んできたのは、髪の毛を後ろでポニーテールにまとめ、オレンジのタンクトップにワインレッドのパンツスーツという出で立ちの女性だった。


「麻紀姉!? なんで?」


 弾かれたように立ち上がった理仁に駆け寄った彼女は、ぺたぺたと体や頭の状態を確認すると、深く深くため息をつき、床にぺたりと座り込んだ。


「よかった……。生きてるよね、本物よね。幽霊じゃないわよね?」


 るかはちらりと顔を覗き込んだが、理仁の姉・麻紀で間違いない。

 いつもぱりっとしたスーツに身を包み、ファッションも化粧もバッチリ決めて、一分の隙もない警察機構に勤めるキャリアウーマンというイメージを持っていたのだが。


「どうしたのさ、麻紀姉。出張から帰ってくるのは来週の予定だろ?」

「あんたの緊急通報が届いたのよ。でもなかなか帰してもらえなくて。……はー、もしこれで理仁が死んでたりしたら、あの上司ボッコボコじゃすまなかったんだから。よかったぁ」


 理仁にすがるようにして抱きついている麻紀に、理仁は苦笑して腕を剥がしにかかった。


「あー。ちょっと事故って頭打ったからその時かも。ごめん。心配かけて」

「ほんとよ。あんたはすぐ調子に乗るんだから。どうせフライボード乗りながらよそ見でもしてたんでしょう」


 下から睨み上げるような麻紀の目に、理仁は眉を八の字にしながら麻紀の腕を引いた。


「当たり……とにかく立ってよ、麻紀姉。るかもれお兄もいるんだから」


 その言葉に麻紀は首を巡らせ、るかとれおを見た。

 それから理仁に視線を戻すと、麻紀は眉根を寄せた。


「理仁。いつも言ってるでしょ? あたしがいない間に家に上げるなって」

「それは酷いな、麻紀。一昨年まで、君がいない時に理仁の勉強を見てたのは僕だよ?」


 れおはにこやかに微笑みながら麻紀と理仁に近寄った。麻紀はあからさまに嫌そうな顔をすると、唇を尖らせてぷいと横を向いた。


「それはそれ、これはこれよ。そもそもあたしの出張明けに来る話になってたでしょう?」

「そうなんだけど、理仁に呼ばれたんだよ。話があるって」

「話って何よ」

「いや、まだ聞いてない。これからって時にすごい音がして……そういえば、あの音、何だったんだい?」


 れおの言葉に、麻紀は真っ青になって弾かれるように立ち上がって玄関に走っていった。

 るかはれおと顔を見合わせて麻紀を追っかけた。

 靴を履いて玄関を出たところにあったのは、バイクだった。

 でっかいエアバイクが家の前で横倒しになっている。

 麻紀はと見れば、バイクの周りをぐるぐる回りながら頭を抱えている。


「どうしたの、これ? 麻紀」

「レンタカーよ。……こうでもしないと空港からここまでまっすぐ来られなくて。あー……どうしよう。修理代……」

「結構派手にこすってるよね。どっか余所でもやっただろ」


 れおの指摘に、麻紀は小さくうなずいた。


「仕方ないね。連絡して引き取ってもらいなよ。たぶんコレ、車輪逝っちゃってるから走らないよ」

「……はぁ。そうする」

「理仁とるかは家に入ってて。事故処理終わったら話聞くから」


 肩を落とす麻紀を尻目にれおは二人を家に戻らせる。るかは麻紀と兄を振り返りながら、家の中に戻った。

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