2.兄の帰還
「ただいま、母さん。るか」
駅の改札を抜けてきた兄貴は、記憶の中の兄と変わらなかった。
少しだけ髪の毛は伸びたかな。肩までかかるくらいに伸びてるけど、ボサボサだ。
そういえば身なりにあんまり頓着しない人だったっけ。
海外旅行にでも行きそうなくらいでっかいトランクをゴロゴロ転がして、キャスターつきのキャリーバッグをズルズル引きずっている。
「おかえり、れお。飛行機遅れなくてよかったわね」
「うん、ちょっと揺れたけどね」
母はトランクの取っ手に手を掛けると、駅裏のロータリーに向かって歩きだした。
父が車で待っているのだ。
「今年はどれくらい居られるの?」
「九月末までかな。こっちでちょっと調べたいことがあってね」
「それでこの大荷物?」
「うん、必要なものがあってもそうそう取りに帰れないからね。いりそうなもの全部持ってきた」
「道理で重たそうなわけだわ。二階に持って上がれるの?」
れおの部屋はるかの部屋の隣だ。
るかがすっぽり入りそうな巨大なトランクを二階まで持ち上げるのは一苦労するだろう。
しかしれおは首を横に振った。
「いや、そのまま研究室に持っていくから大丈夫」
「研究室?」
母親が首を傾げているが、るかはどこのことかすぐに閃いた。
るかが中学に入る前から、れおは理仁の家に入り浸っていた。
それを初めて知った時、理仁に兄を取られた気がして、理仁に八つ当たりしたっけ。
兄弟のいない理仁にとってれおが兄代わりなのを知った今となってはもう諦めてるけど。
たぶんこの夏もあそこに篭もるのだろう。
るかは兄が何を専攻しているのかそういえば知らなかったな、と思い出した。
「お兄ちゃん、大学でどんなこと習ってるの?」
「あら、めずらしいわね、るか。将来のことでも考え始めたのかしら」
母親のからかいに唇を尖らせる。
兄はくすくす笑うと後ろをついて歩くるかを振り返った。
「そうだな……過去を研究する手法、かな」
兄の言葉にるかはさらに眉を寄せた。
「るかには難しかったんじゃない?」
「そんなことない。僕がるかの年には藤原教授のことも知ってたよ? 母さんはるかに甘すぎるよ」
「そうかしら?」
兄の言っていることを全部理解はできないけど、侮辱されたのは分かった。
「お兄ちゃんの出来が良すぎるだけでしょ。ほら、お父さんが待ってるよ」
るかはバッサリ切り捨てると二人を追い越して車のところまで走った。
◇◇◇◇
駅近くのステーキハウスでステーキに舌鼓を打ったあと、家に戻って居間のソファで食後のカフェラテ飲みながらそういえば、とるかは理仁の伝言を思い出した。
「あのね、兄貴。理仁が相談したいことがあるから一度家に来て欲しいって」
「理仁が?」
れおは顔を上げると目を見開いた。
ほんのり嬉しそうなその笑顔に、あわててるかは付け加えた。
「うん、都合があうようなら明日、兄貴と二人で来て欲しいって」
「そう。明日か……分かった。どうせ行く予定だったし、構わないよ。で、何時?」
「十時に理仁の家の前だけど、早くても大丈夫だと思う」
十時に家の前、はめぐや遊真たちとの約束の時間だ。
れおと二人で話をしたいのなら、それより前のほうがいいだろう。
「そうだね、じゃあ九時に伺うって連絡いれておいてくれる?」
「ん、わかった。それと、今日帰ってくるの、理仁に教えてなかったでしょ。麻紀姉には教えるくせにってぶつぶつ言ってたよ?」
理仁にメッセージを打ちながらそう言うと、れおはくすりと笑った。
「麻紀からは今週は出張でいないって聞いてたし、麻紀が帰ってきてから行こうと思ってたからね」
「それでも連絡いれてあげなよ。理仁にとっては大好きな『れお兄』なんでしょ?」
そう返してから、しまったとるかはうつむいた。
今のは言い過ぎた。八つ当たりもいいところだ。
心の中では思っていても、本人に言うべきじゃなかった。
「るか」
今までの機嫌の良さそうな声と打って変わって、冷たい声。
ちらりと顔を上げると、予想通り、れおは眉をひそめてるかを見ていた。
顔を伏せる。
「……ごめんなさい」
れおが深くため息をついたのが聞こえた
「お前、理仁にもそんな態度で接してるんじゃないだろうな。そんなことじゃお前の思いは伝わらないよ」
「な、なによっ。そんなんじゃないわよっ」
るかは顔が熱くなるのを感じながら、ソファから立ち上がった。
腕の端末が震えた。理仁からのメッセージだ。
「明日九時でいいって」
「分かった。タクシーを予約しておくよ」
「タクシー?」
「あのトランク引きずってフライボードで走るわけにいかないからな。帰りは送れないから自力で帰れよ」
「わ、わかってるわよっ」
荷物を向こうに運ぶってことは、昼間は理仁のところにいるつもりなんだろう。
研究って言ってたし。
「理仁くんの負担にならないようにね? 麻紀さんにもよろしく言っておいてね?」
キッチンの方から声が飛んでくる。
「わかってるよ、母さん。一人暮らしのおかげで料理は上手くなったんだよ?」
「へえ、一度披露してもらわなきゃね」
「はいはい」
「るかも見習ってたまには手伝いぐらいしなさい。料理ぐらいはできるようにならないとモテないわよ」
「そんなの、関係ないもんっ」
るかは居間を出て階段を駆け上がった。
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