3.5つのソファ

「ええーっ!」


 ワンテンポあいて素っ頓狂な声を上げたのはるかだった。

 男たちはきょとんとした顔でるかの方を見ている。

 るかはその視線を一斉に浴びながら、耳の先まで熱くなっているのを感じた。


「えっと……なにそれ」

「つがい?」

「なんだっけ、聞いたことあるけど」


 男たちは三人ともきょとんとした顔のまま、互いに顔を見合わせている。

 猫耳少女を凝視したままのるかは、Tシャツの裾を引っ張られてようやく視線を猫耳から外して振り向いた。


「ねえ、るか。説明してあげたら? みんな分かってないみたいだし」

「やっ、なんであたしがっ。めぐがすればいいじゃないっ」

「えー? わたしもよくわかんないから。ね?」


 るかはこの幼なじみをじっと睨んだ。知らないはずない。あの本を貸してくれたの、めぐなのに。


「ほら」


 指さされて振り向くと、三人の男はるかの方を期待を込めて見ていた。

 期待だけでなく、自分たちが知らないことを知っている者への崇敬の念すら見える。

 そんな相手に、説明できる?

 つがいって……つまりは……アレ、よね?


「いやよっ」

「なんだよ、ケチだな」


 ぷいと横を向くと、エロキングが口を挟む。思いっきり睨みつけて舌を出した。


「あんたには絶対教えないっ!」

「えっと……言葉の選択、違いました?」


 会話の流れを読んでるのか読んでないのか、猫娘は首を傾げた。


「ととととにかくっ、みんな。居間に行かない? こんなところで立ち話も何だし。ね?」


 理仁が慌てて遊真と王子の背中をぐいぐい押して廊下を歩いていく。


「めぐちゃんたちは冷蔵庫に麦茶あるから入れてきてくれる?」

「はーい、わかりました」


 めぐはさっさと勝手知ったる風でキッチンに行ってしまった。るかは横を通り過ぎようとした猫娘の腕をとっさに引っ張った。


「きゃ、な、なんですか?」

「あんた……ほんとに理仁の……つ、番になりにきたのっ? わざわざ猫星ねこぼしから」

「えっと……あなたは?」


 首を傾げてこっちを観る猫娘に、るかはいらっと声を荒げた。


「早瀬るか。理仁の同級生。そんなことはどうでもいいの。あんたほんとに……」

「るかさんですね。初めまして。パティと呼んでください」


 るかの言葉をまるっと無視してパティは深々と頭を下げた。

 至近距離にピクピク動く赤茶の耳がある。彼女の後ろを見れば、同じ色の尻尾がゆらゆら揺れている。


「……ほんっと、いらつく」


 ぼそっとつぶやくと、パティは体を起こしてやはり首を傾げる。

 ワンピースはおそらく理仁の姉・麻紀のものなのだろう。それにしても胸が不自然な形になっている。もしかして無理やり前を止めてるんじゃないだろうか。お世辞にも綺麗に着こなせてるとは思えない。

 やっぱり男は乳がでかいほうがいいのかしら。でも本物じゃないかもしれないし、最近はブラジャーで底上げだってできちゃうし。

 あーもう、ムカつく。


「……どこで知り合ったのよ」

「え?」

「理仁とよっ。ほんといらつくっ」

「えっと……町外れの道路で。わたし、ちょっと失敗しちゃいまして、理仁を潰しちゃって」


 てへ、とはにかんで笑うパティにるかは一拍遅れて目を剥いた。


「え、えええっ!? 理仁潰したって」

「……るか、うるさい。てかとっとと居間に来いよ。パティも。そんなところで立ち話してないでおいでよ」


 居間の扉から理仁が顔をだしてる。


「う、うるさいわねっ、中学二年にもなって呼び捨てにしないでよ。まったく、デリカシーがないんだからっ」


 ぷいとそっぽを向くと理仁の方へ歩く。理仁は体をずらしてるかを通し、後ろについてきたパティに声をかけている。それすらも、るかの心をズキズキさせる。


 ――馬鹿理仁。ほんっと、馬鹿なんだから。


 パティは理仁より身長がある。中二の男子は女子より成長が遅いから背が低くてもあとから伸びるとは言ってたけど。ということは、この猫娘はたぶん年上だ。

 猫星という名前だけは知ってたけど、そこに住んでる人のことなんか考えたことなかった。

 調べてみないと。


 ……理仁の番なんて、絶対だめなんだからっ。


 まだへらへらパティと何か話してる理仁の後頭部を思い切り睨みつけて、べぇっと舌を出してやった。


「なにやってるの? るか」

「え、あ、まあちょっと舌の運動?」


 めぐの方に向き直ると、麦茶のグラスを渡された。


「はい、るかの分。理仁くん、お茶入ったから」

「おう、サンキュ」


 理仁が猫娘をエスコートして前を通り過ぎる。

 それがあまりに自然な動きで、るかはキッチンの椅子に座るとため息をついた。


「るか? 向こういかないの?」

「行かない。……めぐは行きなよ。遊真も来てるんだし」

「……るか、意地悪」


 そばにやってきためぐはるかの手の甲をつねるとぷんとほっぺたを膨らましてソファの方へ行った。

 理仁の隣には猫娘が座っている。

 ダイニングキッチンだからソファに座ってるの様子は見て取れる。会話も聞こえてる。

 るかは理仁に会えると楽しみにしていた気持ちがぺしゃんこになったのを感じて、テーブルにほっぺたをくっつけて目を閉じた。

 冷たくて気持ちがいい。


 ――ああ、なんであたし、ここにいるんだろ。


 ぎゃいぎゃいとエロキングが騒いでるのが聞こえる。馬鹿エロキング、ほんっと馬鹿。


「おい、大丈夫か? るか」


 いきなり至近距離で呼ばれてがばっと起きると理仁が目の前にいた。


「えっ」

「いや、いつもみたいに元気ないし、ソファの方に来ないし、こんなところで突っ伏して寝てるし。なんかあったのか?」


 眉をひそめ、声も他のメンバーに聞こえないようにトーンを落として。


 ――だから勘違いするのよ、馬鹿。


「べ、別に何でもない。それに、ソファの数、足りないでしょ?」

「え? あ……」


 遊真、王子、めぐ、理仁、るか。二人がけ二つに一人がけ一つのソファに、パティが加われば誰か一人は座れない。


「ごめん……気がついてなかった」

「……あたし、もう帰るわね」


 時計をちらっと見てるかは立ち上がった。まだ昼を過ぎたばかりで、外はゆでダコのように暑いだろう。

 でも、この場にいたくなかった。

 さっさと立ち上がるとるかは玄関に向かった。


「るか? おい、るかってば」

「うるさい」


 靴を履こうと玄関の上がり框に腰をおろす。なんでこんな日に限ってこんなかわいい履きにくいサンダルにしたんだろ。


「なあ、るか。……僕がなんかしたのなら謝るよ。悪かった」

「別に。あんたが悪いわけじゃないから……兄貴が帰ってくるから夕方迎えに行くのよ」

「えっ、れおにい帰ってくるの?」


 理仁の声が途端に明るくなる。なんて分かりやすい。


「れお兄、今度はどれぐらいこっちにいるの? 遊びに行ってもいい?」

「知らない、まだ聞いてない。でもなんか大荷物らしいから、夏休みずっとこっちにいるんじゃない? うちに来るのは構わないけど」

「ありがと。ああ、でもパティのこと相談したいしな。れお兄の都合がいい日を聞いておいてくれない? うちに来て欲しいから」


 満面の笑みをるかに向けてくる。るかはその笑顔に胸を高鳴らせながら、そっぽをむいた。兄貴にまでパティの話するなんて。


「わかった。伝えとく」

「……るか」

「なに?」

「明日は?」

「え?」

「明日も来る?」


 どきりとしてるかは振り向いた。


「わ、わからないわよ。兄貴が帰ってきてからじゃないとスケジュール立たないし」

「そっか。なあ、ソファーどかしとくから」

「え?」

「……席がないとか気ぃ使わなくていいから。誰か一人が輪から外れてるとか、僕やだから」


 るかはうつむいて背を向けた。


「るか」

「……考えとく。じゃね」


 玄関先のフライボードを取り上げて、振り向かずに家を出る。フライボードを道に放り投げると飛び乗ってスピードを上げた。

 嬉しいのに嬉しくない。泣き出してしまいそうなほど心臓が痛い。


「馬鹿理仁」


 そのつぶやきは風に流れて消えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る