第67話 薫子と王子様とお姫様⑤
その次のお休みの日、私は高木さんのお家に行くことになった。
場所が分からないので、小学校の前で待ち合わせをしている。
私はそわそわと左右を確認して高木さんを待つ。
途中までは同じ方向へ帰るので、どっちから来るかは分かっているのだが、落ち着かないのだ。
手に持ったニャニャミ柄のトートバッグの中にはクッキー作りの材料や道具が入っている。
頭の中で、前にママと作ったときに教わったことを思い出す。うん、作り方の本もあるし、教えられるだろう。
「お待たせ! 待たせちゃった?」
約束の時間の5分前くらいに高木さんはやってきた。私を見つけると駆け足で走ってくる。
「い、今来たところだよ」
とは言うものの、本当は30分以上早く来ていたりする。
私は高木さんに案内して貰って、彼女の家へと向かう。
途中まではいつもの帰り道と同じ。そして、途中からは普段通らない道だ。いつもと違う道は何だかドキドキした。
「ここが私の家……というかマンション」
高木さんが案内してくれたマンションを見て私は一瞬面食らう。頭の中では、普通の一軒家がイメージされていたのだ。
「部屋五階だから」
「うん」
返事をして二人で一緒にエレベーターに乗り込む。一軒家に暮らしている私としては、家に行くのにエレベーターを使うというのは不思議な感じである。
「で、ここが私のうち」
507と書かれたところの前まで来ると、高木さんがそう言った。
「ほへー」
マンションというものに初めて入った私は、ただただ驚きの声を上げてしまう。
「さ、上がって」
そんな私の気持ちを知ってか知らずか、高木さんは鍵をガチャリと開けて部屋の中へと招き入れてくれた。
「お、おじゃまします」
「今は誰も居ないから、そんな緊張しなくていいよ」
おそるおそると足を踏み入れる私に高木さんが微笑みながら教えてくれる。
「そうなの? ママさんとかは?」
「うちは両親共働きで夜遅いから」
「遅いって?」
「酷いときは日付またいでたりするよ」
「えぇっ!?」
高木さんのその言葉に私は驚いた。自分の父親も帰りが遅いが、そんなに遅いことはない。それに母親まで働いているのでは、高木さんは夜遅くまで独りぼっちなのでは……。
「その……夜とか一人で怖くない?」
「うん? あ、いやお兄ちゃんがいるし」
「お兄さん?」
「そ、今は出かけてるけど、夕方までには帰ってくるから。それにゆ……幼なじみの家にお世話になったりもするし」
「幼なじみ……」
「うん、家というか部屋? が隣同士で昔からお世話になってるの」
「そっかー」
それを聞いて、私は少し安心した。高木さんは夜一人で怖かったり寂しかったりとかはないみたいだ。
家にお兄ちゃんがいて、すぐ隣に幼なじみがいる。一人っ子で兄弟がいなくて、勿論幼なじみなんていない私には、少し羨ましく思えた。両親が夜遅くまで居ないのは、私だったら怖くて耐えられないけど。
「よし、じゃあお菓子作りしよっか」
「あ、うん。そうしよー」
高木さんに声を掛けられて、当初の目的を思い出した私は、慌てて返事をした。
「…………」
「…………」
二人で何時間も悪戦苦闘し、何度目かのできあがったクッキーを二人して見つめる。
「うーん……最後も失敗かー」
高木さんがそう言って肩を落とした。私にはフォローする余裕もない。
これで一体何度目の失敗だろうか。材料の残り量的に最後となった今回もちゃんとしたものは作れなかった。
高木さんは、説明して見ている間は、良いのだが少し目を離すと突拍子もないことをしてしまうのだ。本人はレシピを見て先に進めているだけのつもりのようなのだが、何をどう読んだら、こんなことになってしまうのか。砂糖と塩を間違えたのが一番マシな方だったくらいである。
「そ、その次からは……れっレシピ通りにやろうね?」
「やってるんつもりなんだけどなー」
「やってないよ! ……あっ」
高木さんの言い分に思わず大声を出してしまった。
せっかく友達になってくれて、家に呼んでくれたのに、嫌われちゃう……。
「ご、ごめんなさい!」
私は慌てて高木さんに謝った。勢いよく頭を下げて体を90度に曲げる。
「え、いや何で謝ってるの?」
「えっ? 今、怒鳴っちゃったし……」
私はそう言いながら顔だけ上げて高木さんの方を見る。
「いや、別に怒鳴られたと思ってないし。前に調理実習で愛里沙に言われたときは、もっとボロクソだったし」
「そうなの?」
「そー。最終的には出来上がるまで触るな! とまで言われたし」
確かに、今日の様子から考えるとそう言いたくなるのは分かる。それくらいとんでもなかった。現実でここまで料理が出来ない人いるのかとすら思った。
「だから、まあ謝らなくて良いよ」
「うん」
「ていうか、一ノ瀬さんは遠慮しすぎ。そんなに私って怖いのー?」
「え、いやそうじゃなくて……」
高木さんがむくれてしまったので慌てて訂正する。
「友達なんだから、もっと気軽に接してよ。こっちまでかしこまっちゃうじゃん」
「き、気軽に……」
どうすれば良いのだろう。こっちに来てから、ずっと一人だったので友達との接し方が、前よりも分からない。
「うーん……あっ、じゃあ名前で呼ぼうか。他の友達とも名前呼び出し」
「えっ!?」
「というわけで、これからは気軽にしてきてね薫子……なんか改まって言うと恥ずかしいね」
「えっ……えと…………」
そ、そんな急に言われても心の準備が……。
「よっよろしく、ゆっ柚葉……ちゃん」
何とか言葉をひねり出す。名前を呼んだだけで凄く恥ずかしい。顔が熱くて死にそうだった。
「ちゃっ、ちゃん!? えーじゃあ私も薫子ちゃん? いや、普通に呼ぶより恥ずかしいかも……」
柚葉ちゃんが、少し恥ずかしそうにしながら、私のこともちゃん付けで呼んでくれる。
「たっ高木さ……柚葉っちゃんは、薫子で良いよ……」
「そ、そう? 薫子ちゃんはそれでいい?」
「う、うん。良いよ……」
薫子ちゃん呼びも捨てがたいが、柚葉ちゃんは恥ずかしいようなので、ちゃんは付けなくても良いと伝える。私がちゃん付けしたのは、呼び捨てに抵抗があったからだ。何か、いきなり馴れ馴れしすぎる気がして……。
「うーっ……うん、じゃあ薫子って呼ぶ」
へへへっと、恥ずかしそうに頬をかきながら、改めて名前を呼んでくれた。
それを見て、私も嬉しくなって笑った。
二人で片付けをして、キッチンから柚葉ちゃんの部屋に案内して貰う。
「あっ、ちょっと待って!」
部屋の前でそう言ってから、慌てて一人自分の部屋に入った柚葉ちゃんは、ガチャガチャと音を立ててから、私を部屋へと入れてくれた。片付けでもしていたのだろうか。
少し緊張しながら、おずおずと部屋に入る。白い勉強机の上で写真立てらしきものが倒れているのが目に入った。もしかしたら、さっき自分で倒したのだろうか。
「その写真立てって……」
私は気になって思わずそれについて聞いてしまう。
「えっ、これはその……何でもないというか」
その反応を見て私は余計なことを聞いてしまったと気づいた。
「あ、無理に言わなくて良いよ?」
「えっいや、言えないような写真じゃなくて……その幼なじみと撮った写真だから、からかわれると恥ずかしいから隠しただけで……」
その表情は、少女漫画で見た恋する女の子のようでとても可愛らしかった。その反応で、柚葉ちゃんの幼なじみが男の子で、彼女の好きな人だと、私は理解出来てしまった。
二人で少しの間おしゃべりをして時間を過ごす。ついついその幼なじみについて話を聞いてしまったが、恥ずかしそうにしてはぐらかされてしまった。
「あ、もうこんな時間……」
ふと、掛け時計を見ると、もう18時を過ぎていた。友達と過ごせるのが楽しすぎて、時間を忘れてしまっていたらしい。
「帰る?」
「うん。ママも待ってるだろうし、早く帰らないと」
「じゃあ、下まで送っていくね」
支度をして二人で部屋から出る。靴を履いて扉を開けて廊下へと出た。
来た時は緊張で気づかなかったが、5階だけあってそこからの眺めを改めてみると、少し怖くて震えてしまう。高いところは結構苦手なのだ。
二人で歩いてエレベーターまで行く。ちょうど、1階からエレベーターが上がってくるところだった。
少し待つと、エレベーターが到着し、扉が開く。中には一人乗っていた。
「えっ……」
私はその人物を見て小さく呟いた。その人は――
「あ、柚葉と……一ノ瀬? こんばんわ」
「こんばんわ。今帰り?」
「うん、当麻達と遊んでた」
驚いて声も出せない私の前で、柚葉ちゃんは、その人――御坂くんと親しげに話をする。
「あ、後で和兄とうち来なよ。お母さんがカレー多めに作るって」
「うん、じゃあお兄ちゃん帰ってきたら行くね」
えっ、かずにい……柚葉ちゃんのお兄さん? えっえっ?
「じゃあ、また後で」
「ん」
御坂くんの言葉に柚葉ちゃんが短く返事をする。それを聞くと御坂くんは、歩いて行ってしまう。視線で追うと、柚葉ちゃんの隣の部屋へと入っていくのが見えた。
「薫子、早く乗って。エレベーターずっと止めてると、迷惑になるから」
柚葉ちゃんが先に乗って、エレベーターの扉を開けててくれる。
「あ、ごめんね」
返事をして、私は慌てて乗り込んだ。
「え、えとさっきのが柚葉ちゃんの――」
好きな人の……。
「あ、うん……幼なじみの悠輝。隣のクラスなんだけど、知ってた?」
「え、うん。前に音楽室の場所教えて貰って……」
「あっそうなんだ」
どこか圧のようなものを感じる。
「ど、どうして……?」
「悠輝が薫子のこと知ってたみたいだから、ちょっと気になっただけだよ」
「そ、そっか」
ちょっと、今少しだけ柚葉ちゃんが怖かったけど。
「じゃあ、ここで。また学校で」
「うん、またね」
マンションの正面玄関で見送って貰って、自分の家へと向かう。
「……柚葉ちゃんの幼なじみって、御坂くんだったんだ」
独りぼっちだった私と友達になってくれた柚葉ちゃんの幼なじみで、好きな人。
「うーっ、何でだよー」
自分が気になっていた相手が、友達の好きな人で……その事実に私は悩まされてしまった。
結局、帰った後も眠りにつくまでうーうーと唸っていることしか出来なかった。
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