第59話 またプールの季節⑥

 バッシャーンと大きな音を立てて、私は水面に衝突した。

 勢いのままに水の中に沈んだ私は、息苦しさを感じて慌てて水面から顔を出す。

 はーはーと、落ち着き無く呼吸を繰り返して、不足した酸素を補給して、ようやく少し落ち着いた。

「し、死ぬかと思った……」

 これくらいで死ぬことなど普通はないだろうが、正直それくらい血の気が引いた。滑っている間は、ギリギリバランスを保っていられたのだが、水面にぶつかる時にひっくり返り、乗っていたはずのアザ太にのしかかられる形になってしまい、予想以上の衝撃を浮けたのだ。

「……とりあえず出なきゃ」

 少ししたら、次の人が滑ってくるだろう。落下地点に居たのでは危ないし、邪魔になる。

 さっきの衝撃でまだ少しぼーっとした思考のまま移動を開始する。そこで近くにアザ太がないことを思い出し、辺りを見回すと、プールの端に流れ着いていた。私を踏み台にあんな所まで飛んだのか……。

 正直、大きすぎて邪魔だったり、乗っていたはずが突撃されたりと、呪いのアイテム感があるが、拾わない訳にはいかない。薫子が騒ぐ姿が容易に想像できて、ふっと笑みがこぼれた。

 はーっと小さく溜息を吐いてから、アザ太の方へ向かう。その近くにも上がれる場所が見えたし、そこから出よう。

 水に揺られながら、少しフラフラと歩いていき、無事アザ太を回収。それと同時くらいに後ろの方で着水した音が響いた。

 さっきは後ろの方から急かされていたし、あまり顔を合わせたくはない。そう思い慌てて梯子の所に向かう。

 むにっ。

「……!?」

 梯子を掴もうと伸ばした手が何か柔らかい物に触れた。予想外の反応に慌てて正面を見る。一瞬、幽霊でも現れたのではと、嫌な考えが浮かんだが、そんなことはなかった。

「……って坂間さん!?」

 目の前に居たのは自分より先に滑った……いや落ちていった坂間さんだった。何か目が虚ろである。

「何でまだプールに……っ!?」

 そこで自分の手がどこにあるのか気づいた。慌てて手を引っ込め、謝罪の言葉を口にする。

「ごごごめん! わわわざとじゃなくて……いや、その……」

 目をぱちくりさせながら、あわあわと弁明する。そこでやっと坂間さんが反応した。

「えっ……ああ、うん」

 反応鈍くない!? っていうか大丈夫この子?

「坂間さん? 大丈夫? おーい」

 顔の前で手を振って呼びかける。すると、だんだん坂間さんの目に光が戻っていった。

「あー、大丈夫。ちょっと吃驚しただけ……」

「えっ吃驚? あっそうだよね……ごめんね」

 いきなり触ってしまって吃驚させたのだろう場所が場所だし。

「いや、高木さんのせいじゃないでしょ……」

「でも……」

 わざとじゃなかったけど、さすがに触ってしまったのは……。

「本当にごめんなさい!」

「だから謝らないでよ……私が泳げないの黙ってたのが悪いんだから!」

 …………えっ?

「えっ……? 泳げないの?」

「そうよ……足が滑って、気持ちの準備が出来る前にプールに落ちたから、ぼーっとしてたんじゃない」

 えっ……うん?

「何よその顔は? 泳げない人を滑り台に連れてったから謝ってたんじゃないの?」

「いや、私が謝ってたのは、胸を触っちゃったことで、泳げないなんて気づいてなかったというか……」

 正直に告げると、坂間さんがじとーっとした目でこっちを見てくる。意味が分からないという顔だ。

「そういえば、さっき当たった気もするけど、別に女同士じゃない。何をそんなに謝ってんのよ。何? もしかしてあんたそっちの趣味なの?」

「いやいや、そんな分けないでしょ!」

 坂間さんが変態でもみるような目つきで、自分の体を抱きながら後ずさるので、慌てて訂正する。柚葉がそんな趣味だと思われたら大変だ。

「……そうよね。高木さんだって御坂君のことが好きなんだから、そんなわけないわよね」

「あはは」

 本人の中で納得がいっているようなので、敢えて訂正しないでおく。ここで否定して誤解を招いても困るし。

 とりあえず、話が済んだところで、二人でプールから出る。端の方だし、注意もされないので別に邪魔にはなっていないだろうが、いつまでも入っていても仕方ないだろう。

 そのまま二人で、邪魔にならないように壁際に移動する。

「あれ、そういえば薫子は……?」

「多分、もう一回並んだんじゃない? 列の方に向かうの見た気がするし……」

 さっきまでぼーっとしていたので、よく覚えていないのだろう。いや、こっちもか。

 冷静に考えれば、女の子同士なのに気にしすぎだっただろう。中身が男だとか、坂間さんは分からないわけだし。謝りすぎて変に思われたくらいだ。

 ふと、空腹を感じて設置された時計を確認する。長針も短針もほぼ真上を指していて、ちょうどお昼時だ。

「そろそろお昼にする?」

「別に良いけど、一ノ瀬さんどうするの?」

「じゃあ、薫子が戻ってからで」

 そう答えながら、滑り台の待機列に目を向けたが、人が多すぎて薫子は見つからなかった。




 しばらく待つと、薫子が滑ってくるのが見えたので、プールから上がってきたところで合流し、一緒にフードスペースへと向かう。

「薫子、滑り台気に入ったの?」

「うん、楽しいよ!」

 道中、薫子に聞いてみると、元気よくそう返事をされた。一人で、もう一度並んだくらいだし、本当に楽しいのだろう。声を掛けなければ、3週目に行ってしまったかもしれない。

 目的地に到着すると、お昼時ということもあり、大変混み合っていた。座る席があると良いのだが。

「あ、柚葉!」

 名前を呼ばれて顔を向けると、愛里沙がこっちに歩いてきた。

「あ、愛里沙は座れた?」

「一応ね。でもみんなで一緒に座れるスペースはないんだ」

「まあ仕方ないね。こっちはこっちで席探すよ。愛里沙も大変そうだし」

「ごめんね。じゃあ、後で」

「うん」

 頷いて、戻っていく愛里沙を見送る。これだけ混み合っているのでは、全員一緒なんて絶対に無理だろう。

「さて、私たちの席はどうしようか……」

「手分けして探す?」

 まあ、それしかないか。探してみれば、空いている席や、ちょうど空く席があるかもしれない。

「じゃあ、私はあっちの方を探してくるね」

 隣で聞いていた薫子はそう言うと、指さした方へとすたすたと歩いて行く。

「えっと……じゃあ、私は奥の方見てくるから、坂間さんは、この辺り空かないか見てて」

「分かったわ」

 返事を確認して、フードスペースの奥へと向かう。混み合った入り口付近から人の波をかき分けて行くと、目当ての場所はそれほど人混みはなかった。しかし、席は全部埋まっている。

 どこか空きそうなところがないか、キョロキョロと見回すが、それらしい人はいない。時間のせいなのか、まだ食べ始めたばかりという人が多く、場所取りなのかただ座っている人までいる。

「むむっ……」

 この感じだと、どこも同じような感じだろうか。薫子や坂間さんが席を取れていると良いが……。

「おい、高木」

 とりあえず、戻って確認しようと踵を返したところで、聞いたことのある声に呼び止められた。

「あれ? 石井君……?」

 そう悠輝の頃は友人であり、少し前にセクハラをしてきた石井当麻である。いや、わざとじゃないのは分かってるけどさ。

「席探してるのか?」

「うん。でも空いてないみたいで」

「少し待ってくれれば、空けるぞ。俺らは少し早くに来たから、もう食べ終わるし」

 少し後ろの席を指しながら、当麻がそういうのでそちらに視線を向けると、4人用の席に2人の男子が座っていた。

「うん、そうしてくれると助かるよ。お願いしても良い?」

「おう。まあ、ちょっと待ってな」

「うん」

 とりあえず、席は何とかなりそうだ。待ってる間に、二人を呼んでくるとしよう。うん。

「じゃあ私、友達呼びに……」

「高木……その……」

「うん?」

 薫子達を呼びに行く旨を伝えようとしたところで当麻に言葉を遮られる。

「えっと、その……水着……似合ってるな……」

 顔を少し赤くしながら、きれぎれに予想外の言葉をその口から紡ぐ。

「えっ……あ、ありがとう」

「……それじゃあ!」

 それだけ行って、当麻は席へと戻っていってしまう。

「似合ってるか……」

 良い意味だし、悪い気はしない。しないのだが……。

「何か、胸がむかむかする」

 私はぼそっと、そう呟いた。



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