第58話 またプールの季節⑤
「あっ、いた!」
私は二人に追いついて思わず声を上げる。
案の定二人を見失った私は、人混みの中を探し回って少し疲れている。このアザ太がでかくて人混みを動くのに邪魔で仕方が無かった。少し歩くだけで近くの人にぶつけてしまい、その都度ぺこぺこと頭を下げることに。
軽く深呼吸をして息を整えてから、薫子に声を掛ける。すーはー……。
「……薫子、お礼は言えたの?」
「うん」
先ほどは不満そうな顔だったが、今はいつもの薫子だ。さっきのは気のせいだったのだろうか。でも、薫子は坂間さんのことになると、何か変だし……。
「柚葉ちゃん?」
「ううん。何でもない」
今度薫子にそれとなく聞いてみよう。そう心に決めて、今はとりあえず考えるのやめる。
「……じゃあ、一回休憩する? あっでもちょっと早いか……」
施設に設置してある時計を確認すると11時を過ぎたところ。今休憩すると、そのままお昼時になってしまう。お昼には一度合流しようとか言ってた気がするので、今休憩に入ると、せっかくプールに来たのに午前中は全く遊んでいないことになる。
冷静に考えれば、疲れているのは二人を探して人混みの中に居たからであり、まだプールに入ってすらいないのだ。
「疲れてるなら少しでも休んだ方が――」
「柚葉ちゃん、私あれやってみたい!」
坂間さんの言葉を遮るようなタイミングで薫子が何かを指さしながら声を上げる。
「えっ……と?」
一瞬薫子がわざと遮ったのではないかと思い、冷や汗をかく。しかし、薫子の方を向いて勘違いだと確信した。
「ねえ、柚葉ちゃん!」
目をキラキラとして、気になっているものしか見えていない。これは何かに夢中になって周りが見えなくなったときの薫子の顔だ。ファンアニが絡んだときによくこの薫子になるのだ。こうなると、止まらないのは、入れ替わってからの付き合いだけでも十分分かっている。
ちらっと坂間さんの方を見るが、特に気にした様子もなく、ほっと一息つく。
気を取り直して、薫子が指さしている物を確認する。
「あれ、滑り台?」
結構大きな滑り台だ去年はなかった気がする。その上を浮き輪に乗って滑っていく子供達が見える。あっ表面に水を流しているから浮き輪に乗っていても滑るのか。
「あれ、やりたい!」
薫子か目を輝かせて繰り返す。
「でも、薫子大丈夫なの?」
去年はウォータースライダーを怖がっていたはずだ。あれは怖くないのだろうか。
「あれくらいなら大丈夫!」
「そっか」
まあ、本人が言うなら大丈夫なんだろう。ウォータースライダーに比べれば、高さもないし、勢いもそこまでない。
「柚葉ちゃん、行こっ!」
薫子が待ちきれないと言った様子で滑り台の方へと向かっていく。
「待って! またはぐれるよ!」
慌てて薫子を追いかけて走り出そうとして、すぐに足を止める。
「坂間さんも行こう?」
「いや、私は……」
「早く! 薫子行っちゃうよ」
「あー……うん」
あまり乗り気じゃなさそうだったが、坂間さんもしぶしぶといった感じで了承してくれる。私は坂間さんの手を引いて薫子の後を追いかけた。
「もう、遅いよー!」
滑り台の所まで行くと、薫子が列の後ろの方から抗議してくる。よく見ると並ばずに近くに居るだけで、一応待っていてくれたようだ。
「今、行くー。坂間さん、行こ?」
「……行くから、手を引っ張らないでよ」
「ふぇっ……? あっごめん、その、つい……」
手をぱっと離し、数歩後ろに後ずさる。薫子の距離感に慣れすぎて、女の子に触れることに躊躇なくなりすぎでしょ私……。
「何、きょどってんのよ」
「あっいやー……別に」
「変なの」
そう言い残し、坂間さんは列の最後尾へと、スタスタと行ってしまう。
確かに、女の子同士だし、気にしすぎるのも変かもしれないけどさ……。
頭では、そう分かっていても自分の中にある悠輝としての部分が、受け入れさせてくれないのだ。
いっそ、言ってしまいたい。私の中身は、御坂悠輝だぞ。お前の惚れてる相手だぞ、と。それを告げたら彼女は一体どんな反応をするのだろうか。身体的に柚葉とはいえ、手を繋いだことを少しは恥ずかしがったり……。
「柚葉ちゃん、はやくー!」
「高木さん、何ぼーっとしてんの!」
考え込んで立ち止まっていたらしく、二人に大きな声で急かされる。
「ごめん!」
二人を待たせていたことを思い出し、慌てて列の最後尾に向かう。
「柚葉ちゃんが遅いから、何度も先譲ったんだよー!」
「本当にごめんね」
「もー」
軽く手を合わせて薫子に謝罪する。それほど怒っていたわけではなかったのか、薫子はまあ良いけど、と言って許してくれた。
列に並んだときは、結構待たないといけないかと思ったが、思いの外回転が良いようで列の進みは早い。
「ふんふーん~」
薫子も上機嫌に鼻歌なんて歌っている。
彼女はいつも分かりやすく顔に出るし、自分の口でがーんとか言ってしまうような天然な子だ。やっぱりさっきのは、わざと坂間さんの言葉を遮ったんじゃないんだよね。そうだよね。……うん。
「……」
一方、坂間さんは先ほどから一言も喋っていない。ちらりと様子をうかがうと、少し震えているような……。
「坂間さん、大丈夫?」
「な、何がよ」
声を掛けると、びくっとされる。
「いや、震えて……」
「震えてない!」
いや、震えているというか、腰が引けているという……これは。
「坂間さん、怖い?」
そういえば、ウォータースライダーも苦手そうな反応をしていた。順番が迫るたび、表情がみるみる強ばっていく。
「怖いならやめても……」
「怖くないわよ! ただのちょっと……ちょーっと高い滑り台だし……」
あの泣きそうな顔に見えるんですが、あの。
「次の人どうぞー」
会話をしている間に順番が来てしまったらしい。
「柚葉ちゃん、先滑って良い?」
「私は良いけど……」
言いながら坂間さんの方を見る。いやそもそも順番以前に本当に大丈夫なのだろうか。
「一ノ瀬さん、先どうぞ……」
「うん、ありがと」
坂間さんの絞り出すような声に返事をして、薫子はノリノリで係の人の方へ向かう。
そして、浮き輪をお尻の下に敷いて薫子は勢いよく滑っていった。
「えっと……先、行く?」
「そ、そうね。じゃあ私から……」
坂間さんは声を引きつらせながら、係の人の方へ歩いて行く。坂間さんを見た係の人も君大丈夫!? などと声を掛けている。
「やっぱり、やめた方が……」
「だ、大丈夫!」
もの凄い気迫で言われ、止めるのを諦める。
「行くからね!」
「うん……」
「……よし、行くわよ」
「うん…………」
何度もこちらを振り返りながら、宣言してくる。行くと言いながら腰も下ろさないし、やっぱり止めて欲しいのだろうか……?
「やめる……?」
「うるさい、今度こそいっ――」
振り向いた拍子に足を滑らせたのか、変な態勢で滑っていってしまう。
「って坂間さん!?」
慌てて下を確認する。落下地点でぷかぷかと浮かび上がってきた坂間さんが見えた。大丈夫だったらしい。とりあえずひと安心だ。
「じゃあ、今時は君の番だよ」
「あっはい」
「危ないから滑り台の上で騒がないでね」
「はい……」
係の人に注意されてしまった。いや、あれは寧ろ坂間さんが騒いでいたんだと思うんだけど……。
「それに乗るの?」
「えっ……」
係の人が指さしているのは、私が手に持つアザ太だ。
「いや、これは……」
どう考えてもこんなのに乗って滑ったら危ない。
「ちょっと貸してみて」
「えっはい」
預かってくれるのかな? まあ、滑るのに邪魔だったし……。
「しっかりしてるし、大丈夫そうだね。落ちると危ないから、しっかり捕まってるんだよ」
「へっ……?」
いや、乗る気ないんですけど!?
「いや、私は……」
「そこのお姉ちゃん早くしてよ!」
後ろに並んでいた子供達が急かしてくる。そちらを見ると、早くしろと目でも訴えてくる。
「あっ……」
後ろに並んでいる人たちからすれば、坂間さんに続いて2連続で時間がかかっているわけだ。確かに迷惑だろう。
仕方ないので滑り台の縁まで行って、アザ太にまたがる。うわっそこまで高い滑り台じゃないのに、ここに乗ると高っ……。
「じゃあ、押すからしっかり捕まっててね」
「はっはい!」
係の人がアザ太ごと私を押す。傾いた瞬間、後ろ向きにしておけば良かったと、後悔した。
「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
我ながら、恥ずかしい悲鳴を上げながら、私は下へと滑って行く。咄嗟に出た悲鳴がこんなに女の子らしいものだという事実に、叫びながらもショックを受けた。
その日、私は心の中で二度とアザ太に乗って滑らないと固く誓うのだった。
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