第57話 またプールの季節④
「柚葉ー! みんなウォータースライダー行くって!」
更衣室を出たところで、坂間さんをなだめていると、後から出てきた愛里沙が声を掛けてくる。
「ウォータースライダー……」
個人的には、嫌いではない。というか割と好きなのだが……。
「うーん、私はやめとく」
「そっか、了解」
そう返事をすると、愛里沙は斉藤さん達の方へ戻っていった。そっちの方を見ると、今日はまだ話せていない香奈がうきうきとしている。そういえば、去年もウォータースライダーを楽しんでたなぁと、思い出す。
「高木さん行かないんだ。ウォータースライダー苦手なの?」
「いや苦手という訳じゃなくて……」
まだ出てこない薫子を待っているだけなのだ。仮に今、愛里沙達と一緒に出てきたとして、多分薫子はウォータースライダーには向かわなかっただろう。去年泣かせちゃったし。
「って、あれ? 坂間さんは行かなくて良いの?」
先ほどの集団の中に竹野さんも居たはずだ。一緒に行かなくて良かったのだろうか。
「わ、私はウォータースライダーとか興味ないし」
「あー……」
なるほど、坂間さんも薫子みたいに苦手なのか。それなら、行かないだろう。おそらく竹野さんは、坂間さんが行かないと分かっていて、声を掛けに来なかったのだ。
「まあ、苦手なら仕方ないね」
「誰も苦手なんて言ってないでしょ!」
何故か怒鳴られてしまう。ちょっと理不尽感。
「それにしても、薫子遅いなぁ……」
さっきの時点で服は脱いでいたし、こんなにかかるだろうか?
あっ薫子といえば……。
「私、これ膨らませてくるけど、坂間さんはどうする?」
そう言いながら、さきほど薫子に渡されたしぼんだアザ太を見せる。大きさ的に口で膨らませるのは大変なので、プールのスタッフさんにお願いしないといけない。確か、浮き輪とかに空気を入れるサービスをしてくれるところがあったはずだ。
「私も、暇だから行く……」
「ふぇっ? あっうん、じゃあ行こっか」
まさか、付いてくると思わなかったので一瞬変な声を出してしまった。
気を取り直して、二人で係の人の所まで向かう。
すぐに目的の人を見つけて、アザ太に空気を入れて貰う。
「あ、もう膨らんできた。やっぱり機械だと早いね」
「っていうか、やっぱりでかいわね、それ」
二人それぞれ感想を言いながら、完了を待つ。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
空気を入れ終わったアザ太を受け取って、係の人にお礼を言う。
とりあえず、アザ太の準備は終わったのだが……。
「遅いなぁ……」
ちらりと女子更衣室の方を見るが、まだ薫子が出てこない。
「薫子まだなんだけど、坂間さん先に泳いでる?」
「えっ……いやっ……ここまで付き合ったし、最後まで付き合うわよ」
「そっか。うん、ありがとう」
何か挙動不審だった気がするが、まあ本人が一緒に待ってくれると言うなら、断る理由はないだろう。
何か話題……話題……。
「柚葉ちゃん……!」
何を話そうか考えている間に、ようやく薫子が更衣室から出てきた。
「あっ薫子、遅かったね……ってどうしたの!?」
薫子の方に向き直って声を掛けると、薫子が泣きそうな顔でこっちを見ている。
「にゃっニャニャミが……ニャニャミがぁっ!」
「えっ何……? ちょっ、薫子!?」
薫子がひしっと私に抱きついてくる。随分と
「何、顔赤くしてるの?」
「赤くなってないし!」
坂間さんの言葉を即座に否定する。柚葉がそっち趣味だとか噂がたったら大変である。
「それで、薫子どうしたの? ニャニャミが何?」
薫子が私から、ゆっくりと離れる。押しつけられた柔らかい物が離れるのが少しだけ名残惜しくなってしまう。
「これ見て……」
「これは……」
薫子が見せてきたのは、先日ファンアニショップで買っていたニャニャミ浮き輪についてた小さいニャニャミである。それを見て薫子が泣きかけている理由が分かった。
「頭だけ膨らんでない……」
空気を入れると膨らむはずのニャニャミが胴体しか膨らんでいない。空気を入れるところは足の所だけなので、薫子が頭の方に空気を入れ忘れたわけでも、穴が空いているわけでもなさそうだ。
「そういう仕様……?」
「……がーん」
薫子が声に出してそんなことを言って、いよいよ泣きそうになる。フラフラと倒れそうになったのを私に捕まってどうにか踏みとどまった。
「ごめん、嘘嘘。偶然不良品だったんだよ、きっと……」
「ふりょう、ひん……」
どうにか薫子を落ち着かせようと出来るだけ優しい声で話しかけるが、薫子は中々落ち着いてくれない。
「あれっ? それ、初期不良で空気が入らないから、交換対応するって、公式サイトに載ってたやつじゃない?」
「えっ?」
しばらく様子をうかがっていた坂間さんがニャニャミを確認すると、そんなことを言い出す。
「それ本当!」
「わっ」
さっきまで私に弱々しく捕まっていた薫子が坂間さんに勢いよく掴みかかる。
「た、多分。今朝ちらっと見ただけだから、絶対にそれだとは言えないけど……」
「じゃあ、ニャニャミちゃんと膨らむんだ!?」
「交換すれば、そうじゃない?」
それを聞いて、薫子の表情が少し明るくなる。このままニャニャミが潰れているのが一番嫌だったのだろう。
「あっ、でも今日はニャニャミで浮けないんだ……」
そう呟くと、またみるみる表情が暗く……。
「今日は、浮き輪の方だけ使おう? ねっ?」
今膨らまないのは、あくまで浮き輪のオプションパーツだ。浮き輪の方さえ使えるならとりあえず問題は無いはず。
「…………楽しみにしてたのに」
「うぅっ」
薫子は確かに、ファンアニショップからの帰りも今日の朝も、買ったばかりのニャニャミ浮き輪で遊ぶのを楽しみにしていた。それがオプションだけとはいえ駄目になったらテンションが下がるのも仕方が無い。
そんな悲しそうな顔をされてしまうと、どうにかしたくなるが、こればかりはどうしようもない。
「あー、えっと……」
何て声を掛ければ良いだろうか。ファンアニが絡んだ薫子を上手くなだめる方法が思い浮かばない。
「……ちょっと待ってて」
「えっ坂間さん?」
先ほどから、何か考えるような表情をしていた坂間さんが更衣室へと戻っていく。
「えっ、えぇ……?」
どうしたら良いのか分からず困り果てる。薫子は泣きそうだし、坂間さんは突然更衣室に戻るしどうしたら……。
「……お待たせ。はい、一ノ瀬さん」
「……?」
戻ってきた一ノ瀬さんが薫子に何かを差し出した。
「これ、一番くじの時のミニ浮き輪!」
「一番くじ?」
「6月にあったファンアニ一番くじだよ柚葉ちゃん! 覚えてない?」
覚えてないも何も知らないけど……。
「でも貰って良いの?」
「良いよ。私ニャニャミ推しじゃないし」
坂間さんがそう言ったのを聞いて柄を見てみると、ニャニャミがでかでかと描かれている。
「でも、坂間さんが好きなメープルさんもいるんだよ!」
「うーん、でもいると言っても小さくだし……」
そう言いながらも、何だか坂間さんからミニ浮き輪を惜しむ気配を感じる。
「やっぱり、やめ――」
「――じゃあ、あげたからね!」
薫子が断ろうとするのを遮って坂間さんはミニ浮き輪を押しつけると、中央のプールの方へと早歩きで行ってしまった。
「……坂間聖羅のくせに」
薫子がぼそっと言った。
「えっ?」
「ううん。何でもないよ。お礼言ってくる」
そう言うと薫子が坂間さんの後を追いかけていく。
「うーん?」
前々から薫子は坂間さんに良い印象持ってはいなかったようだったけど……。
「あの薫子が……ファンアニグッズまで貰ったのに……」
何故か凄く不満そうな顔をしていたのだ。薫子はどうしてそこまで坂間さんのことを……。
「って……」
考えている間に坂間さんも薫子もどんどん遠くなっていく。視認出来るうちに追いつかないと、この人の多さでは合流が大変そうだ。
「ちょっと待ってよ薫子!」
私はそう叫んで、慌てて追いかけた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます