第43話 香奈のおうち
4月も終わりに近づいた祝日の金曜日。今日はある場所に行くことになっている。
「何か、ドキドキする」
「緊張することなんてあるのか?」
目的地に向かってお兄ちゃんと並んで歩く。私は上に水色のカーディガンを羽織った普段と変わらないような格好だが、お兄ちゃんは動き安そうなジャージ姿だ。
私の言葉に対してお兄ちゃんが不思議そうにする。
「いや、女の子の家に行くのはやっぱり緊張するというか……」
「友達の家だろう。柚葉になって長いのにまだ気になるのか?」
「気になるし、気にするよ! これでも心は男の子なんだから!」
男の子の部分だけ声を小さくする。周りに誰もいないが、誰が聞いているか分かった物ではない。
そう男の子なのだ。可愛い服を着てたり、スカート履いてたり、ブラを着けてたりしても男の子だ。体はともかく、心は。
「…………やっぱり落ち着かない」
意識してしまうと、また違和感が出てきた。
自分の胸元を見つめる。Tシャツに覆われていて直接は見えないが、確かに身に着けている。胸から背中にかけて巻かれたそれは、中々慣れない。
「まだ、言ってんのか……」
「…………仕方ないじゃん」
着けた感じもそうだが、気持ち的に気分が悪い。スカートも慣れたし、いつかは気にならなくなると思うが、すぐには無理だ。
「……それで後どれくらい?」
「そこを曲がればすぐだよ」
「そっか……」
目的地まであと少し。すーっと息を吸ってゆっくりと吐き出す。何事も最初は緊張するのだ。薫子の家に初めて行ったときもそうだった。
二人で佐藤と表札の付いた家の前に立つ。お兄ちゃんがインターホンを鳴らした。
「はい?」
「あ、高木です。亮さんと同じ部活の……」
「あら、和也君? 待ってて今亮を呼ぶから」
佐藤家のお母さんらしき人が応答してくれる。少しして中からどたばたと音が聞こえてきた。
「お、いらっしゃい柚葉とお兄さん」
玄関扉を開けて勢いよく出て来たのは同じクラスの友人、香奈だ。
「おはよう」
「香奈おはよう」
二人で香奈に挨拶を返す。
「お兄ちゃん、まだ呑気にしてるからまっ――」
「ちゃんと支度してるっての。二人ともおはよう」
家の奥から出てきた亮さんが香奈の言葉を遮る。
「和也、行こうぜ」
「おう、じゃあ柚葉頑張れよ」
そう言うと二人で歩いて行ってしまう。
「あ、亮さんと、柚葉のお兄さん……おはようございます」
「おはよう有華ちゃん。香奈と約束? まあ、相手よろしくね」
「えっ……あっはい」
「それじゃあ、俺たちは行くから」
「は、はい行ってらっしゃい……」
お兄ちゃん達が言ってすぐそんな会話が聞こえてくる。どうやら、亮さんと有華が話しているらしい。
「柚葉、何やってるの? 入って入って」
「あ、うん……」
香奈は気づいているのかいないのか、有華のことは気にせずに私を家へと招き入れた。
「お、お邪魔します……」
靴を脱いで家の中に上がらせて貰う。
外観からも思ったが、結構年期が入った家だ。新しくて綺麗な薫子の家とはかなり印象が異なる。玄関も色々と靴が散乱して散らかっている。
香奈に付いて行って居間へと案内される。古い畳の部屋で角の所にゲーム機の付いたテレビが置かれている。あまり可愛らしい小物などはなく、脱ぎ散らかされたものや、バスケットボールが転がっている。
「えーっと……」
うん、何というかいわゆる女の子の家とは真逆のイメージだ。というより悠輝の頃遊びに行った男友達の家に近い。
「あ、これお兄ちゃんのだ。全く、適当に脱ぎ散らかして」
香奈がそれを手で持って隅の方へと投げる。えっいや、せめて洗濯機のところに置いておいたりしないの?
「柚葉座って待ってて。今、何か飲み物持ってくるから」
「う、うん」
真ん中の丸テーブルの脇に座布団を一つ敷いて、そこを示すと香奈は部屋を出て行ってしまった。
「何というか女の子の家の幻想的なのを一年越しに壊されたような……」
思わず声が出てしまう。
薫子の家はイメージ通りの感じだったし、柚葉の家も本人の部屋は可愛らしい感じはあった。
まあ、女の子と言っても人それぞれだし、そもそも兄がいて大雑把な香奈の家だ。これくらいの方がイメージに合う。そう思おう。
「お久しぶり。去年事故に遭ったって聞いたときは吃驚したけど、もう大丈夫なのね」
「えっあっ……はい」
突然知らない女の人に話しかけられてびくっとする。多分先ほどインターホンで応答していた香奈のママさんか。
何だかんだ一年も柚葉をやっているのに会うのは初めてだ。柚葉的には初めてじゃないみたいだけど。
「お母さん、何かお菓子とかないっけ?」
お盆にコップを乗せた香奈が戻ってきた。
「棚に何か無かった?」
「見たけど無かったよ」
「そう……ごめんなさいね柚葉ちゃん何も出せなくて」
「え、いえ……お構いなく」
別にお菓子を貰いに来たわけではない。ちょっと残念だが気にしない。
「よしっ……とりあえず麦茶どーぞ」
「あ、ありがとう……」
香奈が持ってきた麦茶を飲んで一息吐く。
しかし、香奈の家に来たは良いのだが、何をするのだろう。
今日遊びに来ることは、昨日の夜、急に決まったのだ。お兄ちゃんが香奈の兄、亮さんと一緒に練習をする約束をしていて、時間の確認をするのに、香奈の家に電話を掛けた。お兄ちゃん達はいつの間にか仲良くなったようで、よく一緒に練習しているらしい。
その電話の時、何を思ったのか香奈が家に来ないかと、誘ってきたのだ。
「それで柚葉を今日呼んだのはだね」
私が考えていることが分かったのか、偶然なのか香奈が話を始める。言葉遣いちょっとわざとらしい。
「呼んだのは……?」
何だろう。全く心当たりがない。
「これを一緒にやろうと思ったからです! 目指せ一章クリア!」
「それって……レールオブの新作?」
レールオブシリーズは、ファンタジー世界の鉄道を中心に物語が進んでいく人気アクションRPGシリーズだ香奈が持っているのは今月の初めに発売したばかりのシリーズ最新作。
「いやー、この前お兄ちゃんが買ったんだけどさ。私がいない間にお兄ちゃんが進めてるから話し分からなくなって、最初からやりたいんだよね」
「それで……?」
それでどうして呼ばれたんだろう。
「柚葉が前にやったことあるって言ってたから手伝って貰おうと思って。一人でやるよりみんなでやった方が楽しいじゃん」
「あぁ……」
確かに前にやったことがあると口滑らせた気がする。柚葉はやったことがないはずなのであの時は悠輝と一緒に少しやったとか言って誤魔化したのだ。
「それじゃあ、さっそく――」
「お邪魔しまーす」
香奈がゲームをスタートしようとしたところで、玄関の方で有華の声がした。
「お菓子来たー!」
「誰がお菓子だ! 誰が! おっと、柚葉おはよう」
「うん、おはよう」
手にお菓子の入った袋を持った有華が居間へと入ってきた。
「それ、どうしたの?」
「うん? 香奈がお菓子ないかもーとか言うから、家にあったの持ってきたの」
「さっき一回来たから、頼んだんだよねー」
「いや、全然頼む態度じゃなかったからね!」
すぐそこまで来ていたはずなのに遅かったのは家に一度帰っていたからってことだろうか……?
「わざわざ家まで……」
「いや、まあすぐそこ……というか隣だし」
家が隣って、
「あっ……ごめん私もお菓子あった」
自分も持ってきていたことを思い出して鞄から取り出す。緊張ですっかり忘れていた。
「おーゼリーかぁ。後で食べよう」
「うん」
友達の家とはいえ、初めて……正確には久しぶりにお邪魔するんだし、ちょっとした手土産くらい必要だろう。
「よし、お菓子もそろったし早速ゲームを始めよう!」
「私は見てるだけだからね」
「いいよ、柚葉にやって貰うから」
香奈がそう言いながら、コントローラーを手渡してくる。
受け取って両手で持つ。ああ、何だか懐かしいかも。
悠輝の頃は毎日のようにゲームをやっていたし、友達と一緒に遊んだりもした。しかし、この一年は全くやってはいなかった。
お兄ちゃんが色々と持っているし、やれないわけではなかったのだが、柚葉っぽい行動を考えると、どうしても手を出す気にはなれなかったのだ。
「……ありがとう」
誰にも聞こえないように小さな声で言う。
「うん? 柚葉なんか言った?」
「ううん、何でもない」
柚葉になったって悠輝の頃みたいに楽しめる。香奈みたいに男の子みたいなところがある女の子もいるんだから。
あまり柚葉らしからぬことをするのは良くないと思うし抵抗もある。だけど、少しくらい自分らしくいてもいいかもしれない。
そんなことを考えながら、久しぶりのゲームを楽しむことにした。
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