第41話 出来れば着けたくない……

 私は夕食を終えて使った食器を洗う。後に回すと面倒なので、すぐにやってしまうことにしている。

「はぁ……」

 思わず溜息が出る。いよいよ明日だと思うと憂鬱になってしまう。

「どうしたんだ? 溜息なんて」

 リビングのソファでくつろぎながらテレビを見ていたお兄ちゃんが心配そうに聞いてきた。

「明日ママと出かけることになっててさ……」

「うん? 母さんと接するのも大分慣れただろ。溜息吐くほどか?」

「いや、そうじゃなくて……その」

 柚葉のプライバシーに関わることだ。お兄ちゃんに言ってもいいのかな……? いや、でも相談に乗ってもらいたいし……。

「はっきり言えよ」

「……ブラジャー買うことになってて」

 話していたら恥ずかしくなってくる。顔が熱いし真っ赤になっているかもしれない。

「そ、そうか……」

「…………」

 えっそれだけ?

「お兄ちゃん、他に何か言うことは?」

「特に……だって兄貴が触れることじゃないだろ?」

「いや、触れてよ! こっちは困ってるんだから!」

 ちょうど洗い物が終わったので、叫びながらお兄ちゃんの方へどたどたと近づく。

「そうは言っても、必要なんだろ? おまえも中身は一応男だし嫌なのは分かるけど……」

「一応じゃなくて、男です!」

「あ、うん……悪い」

 何だろう、最近普通に女の子扱いな気がする。何故、一応とかつけるのか。

「だから、出来れば着けたくないんだよ……ママを止める良い手段ない?」

「無い」

 一瞬も考えるそぶりを見せずに即答。もっとちゃんと考えてよ。

「無いじゃ困るの! だって止められないと明日には買いに行って……」

 買ってしまったら身に着けざるを得ない。どうにかして避けたい。

「だから、もう必要なんだろ? これは諦めろとしか言えないって」

「……お兄ちゃんから見て必要に見えるの?」

 個人的には大丈夫だと思うのだ。気になって少しだけ調べてみたが、今くらいなら普段身に着けているキャミソールで問題なさそうで。ていうか、今回調べて確認してみるまで下着の胸の部分が2枚重ねになってるの気づかなかった……。

「いやー俺、男だから詳しくないし……」

「私だって男だよ!」

 もう自分のことを私と言ったり、女の子っぽい言葉遣いで話したりするのにも、すっかり慣れてしまったが、心は男のつもりだ。うん。

「両方男なら、今判断出来る奴いないだろ。母さんの言うこと聞いとけって」

「むー…………」

 そう言われてしまうとお兄ちゃんの言うとおりなんだが、うーん納得いかない。

「そんなに睨むなよ。母さんは止めてやれないけど、頑張ったらご褒美に一日付き合ってやるから」

 付き合う? それって……。

「お兄ちゃんもブラジャー着けて同じ苦しみを味わってくれるってこと?」

「いや、着けねーよ! 同じどころか俺の方が辛いだろ! 男が着けてたら変態扱いされるわ!」

「私だって男なのに着けるし……」

「いや、中身はともかくお前の体は柚葉おんなだからな?」

 それは、そうなんだけど……。

「そういう付き合うじゃなくて、気分転換にどっか連れてってやるってことだよ」

「それって、費用お兄ちゃん持ち……?」

「俺の小遣いで何とかなる範囲ならな……」

 ほうほう、それはそれは……。

「そういうことなら、我慢するか。ママから逃げられなさそうだしね」

「最初から我慢して欲しかったけどな……」

 いやいや、おかげで費用お兄ちゃん持ちでお出かけ出来ることになったし、話して良かったかな。




「柚葉、何してるの早く来なさい」

「……うん」

 土曜日、ママと買い物の約束をした日である。

 私はママと二人で来慣れた天衣モールにやって来ていた。実はここに女の子の下着を専門に取り扱ったお店があるらしい。用がないので知らなかった。

 心細いので、お兄ちゃんに付いてきて欲しいと頼んだのだが、用事があるとか言って断られてしまった。多分用事というのは嘘で来たくなかったのだろう。いや、女の子用の下着売り場に近寄りがたいのは分かるけど……出来れば私の精神安定のためにいて欲しかった。

 ママを追いかける形で目的のお店へとたどり着く。

 うわぁ……外から見ただけで、もう恥ずかしい。こんな所入りたくない……。

「柚葉、どうしたの?」

「…………何でもない」

 ここまで来て、今更逃げられるわけがない。もうさっさと済ませるのが吉だ。下手に抵抗すると居る時間が長くなりそうだし。

 覚悟を決めてお店の中に足を踏み入れる。どこを向いても女性物の下着ばかり……。何かくらくらしてきた。

「あぅぅ……」

「柚葉、変な声出してないでこっち来なさい」

 別に好きで呻いてる訳じゃないんだけど……。

 とぼとぼとママの方へと歩いて行く。どうやら店員さんと話しているみたいだ。

「じゃあこの店員さんに付いて行って」

「?」

「サイズ測らないとでしょ」

「サイズ…………!?」

 そっか、大きさに合わせて選ばないとなのか……。嫌だなぁそんな所測られるの……。

「もう、変な顔してないで行って」

「はい……」

 正直嫌だが、こればかりは仕方がない。店員さんの後を追って、カーテンで仕切られた試着スペースへと向かう。

「じゃあ、上に着てるの脱いでくれる?」

「はい……」

 Tシャツに手をかけてさっと脱いでいく。軽く畳んで用意してあったかごの中に置き、今度はキャミソールをに手を掛ける。

 これを脱いだら、いよいよ……。

 店員さんは既にメジャーを手に持って待機している。早くしないと……。

 えいっと下着を脱いでかごの中に突っ込んだ。

「それじゃあ、測りますね」

「はっはい……」

 店員さんがメジャーを私の胸の部分に巻く。こんな所に何かを巻かれたことなんかないので変な気分だ。

「…………」

「…………あぅっ」

 長い……まだなの……? 早くこの恥ずかしい状況から解放してぇ!

「…………」

「…………あの、まだですか?」

「もう少し待ってくださいね」

 まだ終わらないらしい。さっきから少しずつ上下して位置を調整している。そんなに精密に測らないと駄目なの?

 うぅっ……何でこんなことになってるんだろう……。柚葉本人すらまだブラジャーなんて着けたことないはずなのに、私の方が先に経験することになるなんて……。

「…………よしっ」

 ようやく終わったのか……。これでこの恥ずかしい状況から解放される……。

 とりあえずこのままだと恥ずかしいし服を着よう。屈んで、かごの中の服を取ろうとする。

「じゃあ次はアンダー測るので、もう少しそのままでお願いしますね」

「!?」

 えっまだ終わらないの!? 一カ所測って終わりじゃないの……。

 予想よりも測るのは時間がかかるらしい。




「これで良いみたいですね」

「はい……」

 メジャーでサイズを測られた後、微妙にサイズや形が違うブラを着けては外し着けては外し……。何回もくり返し、ようやくちょうど良いタイプのものが決まった。本当に色々と種類があるんですね……。

「それじゃあ、柄とかも種類もあるのでお母さんと選んでくださいね」

「……はい」

 今のこの体に合うサイズは分かった。いや、何か思ったよりも……そのっ…………あったんだなぁと。

 店員さんに案内して貰って自分に合ったブラのスペースに移動する。

「だいたいこの辺りか……」

 女の人の下着なんて、元々お母さんのものくらいしか見たことなかった。柚葉になってからも着たり選択する都合で目に触れてはいたけど、ブラジャーはなかった。

「…………」

 サイズを測って貰ったときにも思ったが、自分の思っていたデザインとは異なっている。多分、子供向け? ってことなんだろうけど、お母さんのとかママのとかとちょっと違う。

「とりあえず選んでしまおう…………っ」

 選ぶために手で取ってみようとしたが、触るのも恥ずかしくなって手を引っ込めてしまう。

 駄目だ、触れるだけでも恥ずかしい……。さっき試着みたいなこともしておいて今更だが、自分から手に取るのはどうにも抵抗がある。

「うぅ……」

 今は、店員さんがママを呼びに行っている。もうママに選ぶのは任せようか……。

「あれれ? 柚葉ちゃん?」

「ふぇ……?」

 手に取ることもその場を離れることも出来ずにいると誰かに声をかけられる。こんなところで誰?

「やっぱり柚葉ちゃんだ、久しぶり。もしかして柚葉ちゃんもついにブラデビュー?」

「あっ、美紗さん……」

 クラスメートの愛里沙のお姉さん美紗さんだ。

「一応、初……です」

「ほほーう、それは楽しそうな所に出くわしたねー」

 全然楽しくないんですけど……。辛いくらいだし。

「美紗さんはどうしたんですか? 買い物?」

 周囲を見回すが他には誰もいない。あれ? いないのかな……。

「愛里沙なら、今日はいないよ。友達と待ち合わせしてるんだけど、まだ時間あるから色々と見て回ってたの」

「あっそうなんですか……」

 何となくセットのイメージがあったけど、美紗さんも美紗さんで友達がいるんだよね。

「あと一年もないと思うとストレスたまってねー今日はお買い物したりして発散してるの」

「一年?」

「私、今年3年でしょ? 高校受験まで一年切ったからねー」

 ていうことはつまり……美紗さん中3だったのか。お兄ちゃんよりも一つ上……。

「そうだ。ここで会ったのも何かの縁だしストレス発散に付き合ってよー」

「えっいや……私ママと来てるんで……ここを動けないというか……」

 ていうかママ遅くない? 何してるの?

「そっかー……あっじゃあ柚葉ちゃんの選ばせてよ」

「はい?」

「任せてって、可愛いの一緒に選んであげるから。愛里沙はまだ必要なくて一緒に見たり出来なくてちょっと寂しかったんだ」

 いや、そういうのは有華とか香奈とかとやってよ!

「えっと、サイズは?」

「あっサイズは…………こ、これと同じサイズです」

 何となく口に出すのが憚られたので、咄嗟に同じサイズの物を手にとって見せる。

「なるほどーこの辺りか……柚葉ちゃん結構あるね。去年の夏から急速に成長したのかな?」

「えっいや、あはは……」

 そういえば去年の夏、温泉に入ったとき美紗さんに胸揉まれたんだった……確かあの時は微妙とか言ってたはず。気づかぬ間に成長してたんだなぁ。

「これとかどう? 花びらみたいな柄が結構可愛いかなって」

「えっと……」

「こっちは? 薄くハートの柄になってるの一見シンプルだけど可愛いと思うよ」

「あの……」

「それとも……」

 あれこれと手にとって私に見せてくる。そんなに矢継ぎ早に見せられても……。ていうか、あまり直視したくないんですけど……。

「あら、愛里沙ちゃんのお姉ちゃんの……美紗ちゃん?」

「あ、柚葉ちゃんのママ、こんにちわ」

 この反応、ママと美紗さんは面識があるのか……。

「柚葉、何か良いのあった?」

「それが柚葉ちゃん悩んでるみたいですよ? 中々決まらないみたいでさっきから右往左往してて」

 そういう悩んでるじゃないよ!? 着けたくない的な悩みだよ!

「そうなの? 美紗ちゃんアドバイス貰える? 私、今の若い子のあまり分からなくて」

「良いですよ! まだ時間あるので柚葉ちゃんが気に入るの見つかるまで一緒に選びますね」

 えっ別に変じゃなければ何でも良いんだよ? 早く選ぼうよ。ここにいるだけで恥ずかしいんだから……。

「じゃあ、柚葉ちゃん色々見ようね。大丈夫、私も一緒に探すから!」

「えっいや別に……」

 そんなに意気込まなくても適当で……早くここから出してぇ……。

「お願いね美紗ちゃん。……こういうのはどうなの?」

「愛里沙の友達のとか見てると、こっちの方が……」

 ママと美紗さんがノリノリで買い物を始めてしまう。

「何でも良いから……」

 私が呟いても二人は夢中で気づいてくれない。

 その後、一時間以上付き合わされてから、ようやく解放されたのだった。



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