第31話 わざとらしく微笑んだ
いつも通り、面会用の受付で名前を書いて悠輝の病室に向かう。ここで高木柚葉と書くのも大分慣れた。半年近く続けてるしね。
病室に着くと一昨日見た時と何も変わらずに眠り続ける自分の体。この体で眠っているのは御坂悠輝ではなく、本物の高木柚葉だ。
昨日薫子に、明日行ってから一週間に一度くらいにするように言われているので、次に来るのは一応来週のつもりだ。心配してくれている友人の気持ちを裏切るわけにはいかない。約束は守らないと。
「だから今日は時間ギリギリまで一緒に居るからね。出来れば目を覚まして欲しいな」
自分の体に、柚葉に言葉を投げかける。返事がないとしても、こうしていると少しだけ落ち着くのだ。端から見たら痛い子かもしれないが、止める気がないので仕方がない。
日々の出来事を柚葉に話していることも多いのだが、この一週間は毎日ここに通っていたので、そんなに話すことがない。話すことと言えば……。
「昨日ね、薫子を怒らせちゃったよ」
あの薫子があれだけ感情的になって怒ってくれた。私のことを……ううん、柚葉のことを凄く心配して、ずっと見守ってくれていたことが分かった。
「我ながら鈍感過ぎて恥ずかしくなったよ。入院している間も毎週お見舞いに通ってくれて、学校に行けるようになったときも、登校時間に待っててくれたり、手を貸してくれたりして……」
心配して気遣ってくれていることくらい普通に気づけるはずだったのに、良い子だって片付けてしまっていた。
「何で気づかなかったのかな。柚葉になってからずっと助けられてたのに」
上手く柚葉をやると心に決めてちゃんと出来ていなかったこと。薫子と一番の友達としてちゃんと向き合って見てあげること。戻るまで代わりをするというなら、そこまでしないといけない。いや、そうじゃない。
「俺、薫子とちゃんと友達になりたい。助けて貰うだけじゃなくて、こっちが助けてあげられるような。柚葉と薫子みたいなそんな関係に」
多分、二人みたいなのを親友って言うんだろう。元に戻るまでの仮初めで偽りの関係。薫子に柚葉だと嘘を吐いている立場だけど。それでも。
「正直、いつ戻れるか分からないし。でも、だからこそ柚葉でいる最後の瞬間まで、薫子と親友でいたい」
別の人間として過ごさなければいけないという、このおかしな状況の中で自分は彼女に助けられてばかりいる。昨日だって薫子のおかげで少しだけ気持ちが楽になった。これまでだって楽しく過ごせているのは薫子が居てこそだろう。
「柚葉でいる間に助けて貰った分全部、柚葉として過ごす時間全部使ってお返しすることにしたんだ」
柚葉でいる間は柚葉の分まで色々としようと決めた。髪を伸ばしたり肌のお手入れしたり。そこに、助けて貰ってばかりいる薫子へのお返しをするという新しい決意。何だ、柚葉の間にすることは、たくさんあるじゃないか。不安になって空回りしている場合じゃない。
「柚葉が羨ましいな。薫子みたいな親友がいてさ」
自分には、薫子みたいな親友はいなかった。友達はいたけど、親友と言えそうな相手はいない。
「……本当に羨ましいな」
柚葉になって初めて手に入れた、自分を親友のように思ってくれている相手。本当は自分の事じゃなくて、柚葉のことをだけど、今は柚葉なんだから、親友だと思っていても良いじゃないか。
「それと昨日改めて考えたんだけどね……」
薫子のことを色々と話していると、ある話を思い出す。
「その……柚葉が悠輝の事をね……そのっ」
誰も聞いていないというのに口に出すのが恥ずかしい。ついつい話を止めてしまう。ああ、何か顔が熱い。
「すっ好きなんじゃないかって…………どうなのかな?」
もじもじとしながら柚葉を見る。勿論返事なんてない。当たり前だ。寝てるんだから。
「はぁ……何やってるんだろう。今、この話したって仕方がないのに……」
我ながら馬鹿なことをしていることに気づき、今度はそっちが恥ずかしくなってくる。
「………………ちょっとトイレっ」
その場にいるのも恥ずかしくなって立ち上がる。丁度尿意を感じていたし、一度この部屋を出て気分を変えよう。
立ち上がり、トイレへと向かう。そういえば、初めてこの体で用を足したのはここだったなぁとか考えて、ちょっと懐かしくなる。
さすがに半年も女の子をやっているので、初めての時とは違い迷わずに女子トイレに入る。恥ずかしさが無いわけではないが、こういう当たり前のことでおどおどしていると、周りから変な目で見られてしまう。出来るだけ自然に堂々とだ。
適当な個室に入り、下着を下ろしスカートをたくし上げて便座に付かないようにしながら座る。
「そういえば、最初はやり方が分からなくて慌てたっけ……」
結局ノリと勢いで適当に済ませたが、あの後にインターネットとかでやり方を調べたので、多分今は正しく出来てる。……はず。
「んっ……」
音姫を使ってから息むと、いつも通り出始める。半年が経ってこの体で済ませるのも慣れたが、やっぱり違和感は無くならない。生まれてからずっと続けてきた男の子の体でするのが自分にとっては普通の感覚なのだ。
「……ふぅ」
今は女の子なので、トイレットペーパーを適当な量取ってあそこを拭く。さすがに習慣づいて来たので忘れたりすることはない。最初のうちは何度も忘れそうになって慌ててばかりいた。
「このままだと、いつか色々と違和感とかなくなって女の子で居るのが気にならなくなりそう」
あまり焦らないようにしたいが、不安は尽きない。拭くときとか直接でなくても股の辺りに触れたときに、あれが無いことで不安になるから、まだちゃんと男だよね。うん。
「はぁ……」
ついつい溜息を吐きながら個室を出て手を洗い、病室へと向かう。まだ時間があるし、柚葉の傍にいよう。
「あの女の子……前に入院してた高木さん? またお見舞いに来てるのね」
「うん?」
今の自分の名前を呼ばれた気がして声の方に顔を向ける。少し先の所で看護師の女性が二人、何やら話している。
「そうみたいですね。退院してから半年近くずっと来てますし」
「よっぽど仲が良かったのかしら。もしかして知らないのかな?」
知らない? 何のことだろう。何となく会話の内容が気になって、気づかれないように二人との距離を詰める。明らかに話題は柚葉と自分のことだ。
「知らないんじゃないですか? まだ小学生だし誰も伝えてないんじゃ」
「そうよね。もう男の子が目を覚まさないなんて教えられないわよね」
その言葉に思わず足を止める。今、何て言った? 目を覚まさない? 誰が……?
「目を覚まさないって……柚葉が?」
「あっ……」
声を出してしまったからか、看護師の若い方に気づかれて目が合ってしまう。若い看護師が気まずそうに目を背ける。
「あーっ……」
相方の反応で気づいたのか、もう一人の看護師もこっちを向いた。誰も言葉を発さず、数秒ほど重い空気が流れる。
「これ早く運ばないと、ほら急いで」
「あっはい!」
年が上の方の看護師がわざとらしくそう言って、その場を離れようとした。
「……待ってください!」
力を込めて言うと、動き始めた二人がまた気まずそうに固まる。
「教えてください! ゆずっ悠輝が目を覚まさないってどういうことですか?」
心臓が早鐘を打つ。息が苦しい。呼吸が安定しない。胸がもやもやとする。
「はぁっ……はぁっ……」
落ち着こうと、呼吸を整えようとしているのに上手く行かない。今まで生きてきてこんな風になったのは初めてだ。
「……柚葉がもうっ、目を覚まさないかもしれないなんて」
看護師二人から話を聞いて、私は病室に戻ってきた。正直よく分からない単語もいくつか出てきたが、ようするに目を覚まさない可能性が高いということだった。
入院後怪我がある程度回復した後に、色々と検査をしたらしい。事故の時に悠輝の体は頭の辺りもぶつけていたりと、かなりの大怪我だった。それでも、傷は徐々に癒えていたし、脳などに目立った外傷もなく通常なら、すぐに目を覚ますはずだったらしい。
しかし、事故から半年経った今でも柚葉は目を覚ましていない。医者の方でもその原因が分からないらしいのだ。
稀に事故の後などに、特に脳に異常が無くても目を覚まさないことがあるらしい。柚葉の症状はそれではないかということだそうだ。
もう柚葉が目覚めないかもしれないことは、7月くらいに両親に説明されたらしい。今思えば、お母さんがパートを始めたのは柚葉の入院が長引く可能性が高いと知ったからだったのだろう。
「何でこんなことになるんだよ……」
考えなかったわけじゃない。いつまで経っても目覚めない柚葉が、このままかもしれないって。でも、それは無いって思いたかった。だって、悠輝に戻りたいから。この体をちゃんと柚葉に返したいから。それに。
「話したいよっ柚葉……」
せめて、柚葉ときちんと話したい。中々元に戻れなくても柚葉と話せさえすれば、ちゃんと相談し合えれば、少しは現状が良くなるはずなのだ。ううん、そうじゃない。毎日のように会って、何でもないことを話していた柚葉と、またいつもみたいに過ごしたい。あの日々に戻りたい。
寝ている柚葉の手を取って、両手で握りこむ。すぐなんて贅沢は言わない。半年くらいで騒いだりしない。1年後でも2年後でも、もっと先でも構わない。だから……。
「このままだけは止めてよっ……目を覚ましてよ……」
瞬きをする度に頬を涙が伝う。目から溢れて止まらない。柚葉になってから、涙もろくなってしまった。
目を覚まして欲しいと必死に語りかける。それでも、その言葉にも返事は無かった。
「ただいま……」
玄関で靴を脱いで家に上がる。夕飯作らないと。冷蔵庫に何が入ってたっけ。
体を引きずるようにして台所の方へと向かう。何だか体が重い。
「あ、おかえり。今日は早かったんだな。てっきり、また遅くなるかと……って、どうした!?」
台所までやって来たところでリビングにいたお兄ちゃんに話しかけられたかと思うと、もの凄い勢いでこっちにやってきた。
「何……?」
「いや、何じゃなくて! 目が腫れてるだろ。泣いてたのか? 何があったんだ!」
お兄ちゃんが心配そうに私の顔をのぞき込む。そっか、目が腫れてたのか。柚葉の可愛い顔を台無しにしてしまったな。
「ううん、大丈夫だよ……」
「どう見ても大丈夫じゃないだろ! さっきから元気ないし」
「大丈夫だってば……別に何が変わったわけじゃないし」
そうだ、別に変わらない。柚葉がいつ目覚めるか分からないのは前から同じなんだから。今までと同じように、ちゃんと柚葉をやって待ってればそれで……。
「おい、悠輝! 何があったかちゃんと――」
「……本当に大丈夫、だからっ」
目頭が熱くなる。涙が頬を伝って流れていく。ああ、また柚葉の顔を台無しにしちゃう。
「悠輝……」
「もう、何で泣いちゃうんだろう。別に何が変わったわけじゃないのに……今までだって、いつ目覚めるか分からなかったのにっ」
涙を止めようと必死に両手で目を擦ったり押さえたりする。それでもどうしても溢れてきてしまう。
「何があったか話せよ」
言わない方がもっと心配を掛けてしまうかもしれない。
「柚葉がっ……もう目覚めないかもって……」
涙でぼやけた視界でもお兄ちゃんの表情が驚愕に変わったのが分かった。
「そうか……辛かったな」
それだけ言ってお兄ちゃんが私を抱き寄せて頭を撫でてくる。
「辛くなんて……」
「何度も言うようだが、お前が悠輝だって知ってるのは俺だけだからさ。俺の前でくらい我慢しなくて良いだろ。どんな悩みでも我が儘でもとりあえず聞くことは出来る。な?」
そう言って私の頭をまた優しく撫でる。
「…………やだ」
「えっ?」
「柚葉が、目を覚まさないなんて嫌だよっ!」
抱き寄せてくれているお兄ちゃんに縋りついて思いっきり泣き出す。その間、お兄ちゃんは背中をさすってくれたり励ましてくれた。
「……ありがとう」
「もう、大丈夫なのか?」
しばらく大声で泣いて、お兄ちゃんから離れてお礼を言うと心配そうに聞き返された。
「大丈夫ってことはないけど……」
「けど?」
「泣いてても何も変わらないし、目も痛いし、夕飯の支度しないとだし、それに……」
「それに?」
柚葉になって、涙もろくなって。泣いた後に鏡を見るといつも思ってしまうのだが。
「これ以上泣いてると、鏡を見たときに今までで一番酷い顔してそうだから」
この体で泣いてから、鏡を見ると目を腫らした柚葉の顔を見ることになる。それを見ると、自分が泣かせてしまったみたいで余計に辛くなるのだ。
「だから、もう泣かない。とりあえず、出来ることをする」
また、泣いてしまうこともあるかもしれない。でも、柚葉の泣き顔を見たくないから、極力泣かないようにする。
それに今日はもう十分泣かせて貰って、少しだけ気分がすっきりしていた。この体で目覚めた日も、半年経った今も泣いてる私を励ましてくれる兄がいた。だから今日は日頃のお礼も兼ねてお兄ちゃんの好きな物でも作ってあげようか。
「ねえお兄ちゃん、何が食べたい?」
私はお兄ちゃんに向かって少しわざとらしく微笑んだ。
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