第30話 一番の友達がそう言うんだから……

「はぁ……」

 今日何度目かの溜息を吐く。入れ替わってから早半年。一度意識してしまうと、その時間の経過が恐ろしくなってくる。

「ゆーずはちゃん!」

 柚葉が目覚めたからってすぐに戻れる保証もないのだ。仮に今この瞬間に目覚めたとしても元に戻るのに時間が掛かるかもしれない。

「柚葉ちゃんってば!」

 半年近く経っても目覚めない柚葉。一体いつになったら元に戻れるのか。もう柚葉になって半年なのだ。目覚めるのを待って、戻るのに時間もかかって。そうなったら、さらに半年くらい余裕で経つかもしれない。そうしたら一年も柚葉でいたことになる。

 いや、一年で済めば良い方かもしれない。この前想像してしまった通り中学生になっても柚葉のままってことも十分にあり得る。

「ねえ、柚葉ちゃん!」

 どうしたら良いんだろう。何をすれば少しでも早く柚葉が目覚めてくれるのか。元に戻れるのか。この一週間、はやる気持ちを抑えられず毎日のように病院へと見舞いに行った。変わらず眠り続ける自分の体しか見れない毎日だった。

 帰りの遅い柚葉の両親には多分気づかれていないが、毎日迎えに行くのが大変だから今日は行くなとお兄ちゃんに言われてしまった。でも。

「聞こえないのー? 柚葉ちゃん!」

 やっぱり、今日も病院に行こう。帰るのが遅くならなければ、バス停まで迎えに来て貰う必要もないし、お兄ちゃんにも迷惑が掛からないだろう。そうだ、そうしよう。

「柚葉ちゃん!!」

「……痛っ」

 頬を抓られたような痛みを感じて思わず声を上げる。何が起こったのか分からず慌てて辺りを見回そうと頬を抑えながら下げてしまった視線を正面に戻す。

「あっ薫子……」

「あっ薫子じゃないよ柚葉ちゃん! さっきからずっと声かけてるのに気づかないんだもん」

「えっ……」

 今日は11月3度目の土曜日。お兄ちゃんと買い物に来てから一週間が経ったが、またこの天衣モールに来ていた。

 理由は薫子とファンアニショップを見る約束をしていたからで、この中央スペースで待ち合わせしていた。

「ごめん……気づかなかった」

「もう、最近ずっと心ここにあらず何だから」

「……ごめん」

 申し訳なくて思わず視線を下げると自分の体を見下ろす形になる。この体は柚葉のものだ。どうしてここに柚葉の心が宿っていないのか。ある意味これも心ここにあらずだろう。

「別に良いけどさ……もう、また考え事してるでしょ!」

「っえ……いや、大丈夫だよ別に考え事とかしてないよ」

 危ない危ない。薫子といるのに、こんなんではいけない。さすがに薫子に失礼だ。

「それより、ファンアニショップに向かおうよ」

 そう言って、薫子の腕を掴んで歩き出す。いつもなら薫子に手を引かれる側だが、今回は早くこの場を離れて空気を変えたい気がしたので私から手を引いた。

 少し不満げだったが、薫子もちゃんと付いて来てくれる。女の子の手を引いて歩くなんて、以前なら恥ずかしくて絶対に出来なかったが、薫子と過ごすのも慣れたし、普段は向こうからのボディータッチも多いのでちょっと腕を掴むくらいなら問題ない。それでも少し恥ずかしいけど。

 少し歩いてファンアニショップに到着する。

「それで今日は何がお目当てなの?」

 ファンアニ関係の話を振れば薫子が楽しそうに話を広げてくれる。それを期待して言葉を掛ける。

「……」

 しかし、薫子が質問に答えずにこっちをじーっと見つめてくる。まださっきのことを怒っているのだろうか。

「さっきは本当にごめんね。その……もう本当に大丈夫だから、いつも通り楽しく買い物しよ?」

「……無理」

「えっ」

 いつもなら、しょーがないなーとか言って笑って許してくれる薫子だが今日はそうではないみたいだ。そんなに怒ってるの? 確かに話しかけてるのに相手が上の空だったら嫌だろう。予想以上に怒らせてしまったらしい。

「えっと、その怒ってるよね? ごめんなさい……お詫びに何か奢るよ? 前に食べたクレープとか、他のでもいいし……」

「怒ってるんじゃない」

 どうにか機嫌を直して貰おうと話しかけると、そう返事を返される。どう見ても怒ってるけど。

「私は怒ってるんじゃなくて、心配してるんだよ! このっこのっ」

「ひょっひゃにを」

 薫子が私の頬を両側から引っ張る。痛いことよりも状況が理解出来なくてあたふたする。聞き返したいが、これでは上手く喋れない。

「ずっと心配してたんだからっ! 事故に遭ってから様子が変で、まるで人が変わったみたいにおかしいし!」

「ふへっ!?」

 事故に遭ってから変って、感づかれてる!?

「それでも、最近は大分落ち着いてきたみたいだし、そうそう事故のショックは治らないってママも言うから、何も言わないでいたのに……」

 ファンアニが絡む時以外はおっとりとしている印象の薫子が感情的になって言葉をぶつけてくる。初めて見るそんな姿は、薫子がずっと気持ちを溜め込んでいたことを感じさせた。

「それなのに、この一週間っ……事故の後で一番酷い顔してる!」

 この一週間。半年も経ってしまったことが恐ろしくて急に不安になって、柚葉の所に行くことしか出来ずに過ごした。そんなに酷い顔をしていたのだろうか。

「何で何も話してくれないの? 相談してくれないの? 柚葉ちゃんが言ったんだよ! 悩みを相談するのが友達だって……」

「……それは」

 薫子の手が頬から離れて力なく落ちる。

 柚葉が薫子にそう言ったというのは、今初めて知った。でも、仮に柚葉が薫子にそう言ったのを知っていても、柚葉と薫子が悩みを相談し合うような友達関係だと分かっていても、話すことは出来ないのだ。

「前は私が聞いて貰ったから、今度は私が聞く番だと思ってたのに、ずっと相談してくれるの待ってたのに……」

 薫子の言葉が震えている。何も言葉を返せない。だって話せないじゃないか。入れ替わりのことは誰にも話さないってお兄ちゃんと約束した。そうでなくても信じて貰える話じゃない。言ったって混乱させるだけだ。

「私じゃ柚葉ちゃんの助けになれないの? 話を聞いて一緒に悩んだり考えたりくらいは出来るんだよ……」

「そうじゃなくて、助けになれないとかじゃなくて……」

 顔を俯かせてしまった薫子の表情は見えない。でも、多分泣きそうな顔をしている。上手くやれているつもりでいた。特に薫子とは、ちゃんと友達が出来ていると思っていた。でも、ずっと心配をかけ続けていたのだ。

 今までと違う柚葉を見て、きっと事故のせいだと思って、相談してくれるのを待ち続けていた。全然分かってなかった。薫子と柚葉は互いにとって自分が思っている以上に一番の友達だったのだ。

「……全然分かってなかったんだ」

 柚葉のことも薫子のことも。柚葉が薫子にそんな言葉を言ってあげたり、薫子が相談されるまで待っていたり。自分なんかが入って良い友情ではないかもしれない。だけど。

「……あのね、薫子」

 ここで何も言わなかったら、二人のこの友情も昔の思い出も全部壊してしまう。それはしたくない。そして何より。

「……相談に乗って貰えるかな? 今更かもしれないけど、その柚葉わたしが言ったことだもんね。悩みがあったら友達に相談するって。まだ、大丈夫かな……?」

「…………うん!」

 薫子が顔を上げて嬉しそうに返事をする。その目には涙を溜めていたけれど、その表情はさっきまでの怒ったような表情でも悲しそうな表情でもない。

 良かった、薫子が少しでも元気になって。柚葉の代わりとして二人の関係は絶対に壊しちゃいけない。それに何より大切な友達には笑っていて欲しい。柚葉になってから、半年も過ごした自分に取っても薫子はもう友達なんだから。

 全部は話せない。入れ替わりのことは教えられない。それでも、今自分が抱えているこの不安を話せる範囲で話そう。だって、悩みを相談するのが友達だって幼馴染みが言ってたらしいしね。




「そっか、この一週間毎日通ってたんだ」

「うん……」

 お店の前で立ち話もどうかと思い、近くのカフェに移動して悩みを打ち明けることにした。勿論入れ替わりの事は話せないので、薫子には悠輝がいつまでも目覚めないまま半年が経って不安になってきたと話した。入れ替わりの事は話せないし、これが限界だろう。

「柚葉ちゃんも分かってると思うけど、毎日は行きすぎだよ。学校もあるし、最近は家の事もしてるんでしょ?」

「うん、でも……」

 薫子が言うことも分かるのだが、どうしても柚葉の所に行きたくなるのだ。行ったところで早く目覚めるようになるわけでもないのは分かっている。分かっているけど。

「こんなこと続けてたら体壊しちゃうよ。また入院しちゃうよ」

「……そうだよね」

 自分ではそこまで無理をしているつもりはないが、薫子からしたら酷い顔をしていたようだし、疲れが溜ってきているのだろう。これは柚葉の体だし、自分のせいで体調を崩すのは忍びない。やっぱり、通うペースを落とさないと駄目かもしれない。

「だから、私からの提案。基本は週に一回までにしよう」

「週に一回……」

 夏休み以降は、元々週に一回か二回くらいで通っていたので、元のペースに戻す感じだろうか。いや、週に二回行く方が多かった気がするし、少ないかも。

「で、出来る限り頑張る……」

「出来る限りじゃ駄目! そんなこと言ってたら、絶対同じ事になるもん。週に一回にしよう。御坂君だって絶対その方が良いと思うって」

「どういうこと……?」

 この場合、柚葉がそう思うってことで、いや逆の立場だったら自分がそう思うって思われてるって考えた方が良いのかな?

「御坂君優しいから、自分が寝てる間に柚葉ちゃんがお見舞いに来すぎて体調崩したり、普段の生活に支障が出たら、絶対気にするよ! 柚葉ちゃんだって言ってたじゃん御坂君は気にするタイプだって」

 言われてみれば、確かにそう思うかもしれない。もしも自分が柚葉の立場で、柚葉が今の自分と同じようなことをして体調を崩したりしたら、絶対に良い気はしない。お見舞いに来てくれるのは多分嬉しいと思うし、頻度を減らしてくれた方が安心するだろう。

「柚葉ちゃんだって、そうでしょ? もし逆の立場で自分の所にお見舞いに来すぎて御坂君が倒れたら嫌でしょ?」

「う、うん……」

 本当に柚葉がそう思うのかは分からないが、きっと柚葉だって自分と同じように気にするだろう。それなら……。

「……分かった薫子の言うとおり、週に一回くらいにする。心配して自分が体調崩したりしたら怒られちゃいそうだし」

 薫子にも目を覚ました柚葉にも怒られてしまう。少しでも傍で目覚めるのを待っていたいという気持ちは変わらないが柚葉が目を覚ましたときに心配を掛けたりしないためにも、ちゃんと健康な体を返すためにも我慢しないといけない。

「うん、じゃあ明日行って、また来週って言ってくるんだよ」

「明日は行って良いんだ!?」

「だって柚葉ちゃん、御坂君の顔見て決意固めてこないと駄目かと思って」

「あ、いや……じゃあ明日行って、それから週に一回まで実践するね」

 そう言って、ストローでカフェオレを吸い上げる。店に入ったときに注文したのだが、話している間にすっかり氷が溶けてしまった。

「我慢だよ柚葉ちゃん。御坂君の顔を一週間に一回しか見れないと思うと寂しいかもしれないけど、御坂君の……好きな人のためだよ!」

「っ!?」

 予想していなかった言葉に驚き、変な飲み方をしてしまい咳き込む。今はそういう話の流れじゃなかったはずだけど。

「目が覚めた御坂君には、心配しすぎて疲れ切った柚葉ちゃんじゃなくて、健康で可愛くした柚葉ちゃん見せてあげないと嫌われちゃうよ?」

「いや、だから……」

 いつものように否定しようと口を開き掛けて言うのを止める。正直、柚葉については自分よりも薫子の方が分かっている気がする。もしかしたら、薫子の言う通りかもしれない。柚葉が悠輝を好きで……って、それってつまり……?

「もう、そんなに顔を赤くして照れなくても。前からバレバレだよ」

 顔が熱い。薫子は好きな相手を指摘されて照れていると思ってくれているようだが、勿論違う。今赤くなっているのは別の理由だ。

「…………そんな、いやいや」

 絶対ないと思っていた。でも、柚葉のことをよく見ていて理解している薫子がそう言うのだ。

 柚葉が自分の事を好きかもしれない。そう考えると嬉しいような恥ずかしいようなどうにもムズかゆい変な感じがして落ち着かない。

 不安で一杯だったはずなのに、今は別の事で頭が一杯だった。



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