第14話 この髪伸ばしてたのかな
「いってらっしゃい」
夏休み二日目土曜日の12時、玄関でお兄ちゃんを送り出す。今日は午後から部活の練習があるらしい。
「おう。今日は病院か?」
「うん、後でゆずっじゃなくて、悠輝のところ行ってくる」
二人っきりで気が抜けていて思わず柚葉と言いそうになる。扉が閉まっていても玄関なので外に声が漏れかねない。
「帰りはバスに乗る前に連絡しろよ。そのためのケータイなんだから」
「うん、分かってる。ちゃんと電話するって」
お見舞いに行くと帰りが遅くなることが多い。だから、帰りはお兄ちゃんに迎えに来て貰えというがママの言いつけだ。夏になって日が長いとはいえ、遅い時間に女の子が一人歩きするのは危ないし、ちゃんと言われた通りにする。一応これでも周りから見たら女の子だという自覚はあるのだ。
「心配いらないから早く行きなよ。遅れちゃうよ?」
「そうだな。じゃあ、今度こそいってきます」
「うん、いってらっしゃい」
お兄ちゃんが出て行くのを見送ってから部屋の鍵を閉める。マンションの上方の階なので、そうそう泥棒が来たりはしないだろうが念のためである。
後は、洗濯物が洗い終わるのを待って、それを干したら今日の家事はだいたい終わりだ。後は夕飯を作るだけである。我ながら少しは慣れてきた。
洗濯機まで行って残り時間を確認すると、後15分ほど。時間が出来てしまった。
「あっそうだ、薫子に電話しないと」
ファンアニショップにいつ行くのか確認するつもりだったのだ。15分もあれば電話出来るだろう。
部屋に戻って、机にある一冊のノートを開く。柚葉の友人達の電話番号が載っている。その中から薫子の番号を確認する。昨日の夜充電したままにしていたスマホを持ってきて電話をかける。これで電話をするのは初めてだ。女の子の家に電話をかける恥ずかしさと合わせて、少しドキドキ。
『……もしもし?』
しばらくのコール音の後、電話の向こうから声が聞こえてきた。薫子の声じゃないし、薫子のママさんだろうか。
「一ノ瀬さんのお宅ですか? あの薫子……さんと同じクラスの高木柚葉です」
『あら、柚葉ちゃん? 薫子に用事?』
「あ、はい。薫子に用事……です」
反応からして知り合いなのだろう。昨日の渡辺のお姉さんといい、会ったことがない相手と知り合いというのも困りものだ。どう対応して良いのか分からない。
『事故、大変だったわね。無事に退院出来て良かったわ』
「あ、はい。ありがとうございます」
『また、遊びにいらっしゃいね。っと薫子に用があったのよね? 今代わるわ』
電話口の向こうでママさんが薫子を呼ぶ声が聞こえる。とりあえず取り次いで貰えて良かった。クラスの女の子の母親と話すのは、男として緊張せざるを得ない。まあ、今は男じゃないけどさ。
『もしもし、柚葉ちゃん?』
しばらくして薫子の声が聞こえてきた。
「あっ薫子、今大丈夫?」
『うん大丈夫。どうしたの?』
「えっと、ファンアニショップ一緒に行く約束してたでしょ? 今度の月曜にオープンみたいだから、いつ行くか聞こうと思って」
『柚葉ちゃん、ファンアニショップのオープン日知ってたんだ!』
「う、うん。昨日ショッピングモール行ったときにビラ貰って……」
『そうなんだ。どんなビラ? 誰か映ってた?』
「コグマルとニャニャミとラビラビだったかな」
言いながら、昨日のビラを取り出して確認する。うん、この3匹で合ってる。
『ニャニャミも映ってるの!? いいなー今行ったらまだあるかな』
「欲しいならあげるよ。半分に折っちゃったけど……」
『欲しい! ありがとう柚葉ちゃん!』
ビラすら欲しがるなんて。薫子に心の中でニャニャミコレクターの称号を贈る。
「えっと、話戻すけど、いつ行く?」
『うーん、ちょっと待ってね。ママにいつ行ってもいいか聞いてくる』
そう言って薫子が電話口から離れた。しばらく戻ってくるのを待つ。
『おまたせ!』
「ううん、待ってないよ」
『じゃあ、月曜日は柚葉ちゃん大丈夫?』
「月曜って、オープンの日?」
『うん! きっと数量限定の商品とか、お買い上げ特典とかあると思うんだ。それが無くなる前に行きたいし』
何か用事があったか考える。特に思い当たることも無かった。そもそも、パパもママもいつも仕事だし、お兄ちゃんも部活でほとんどいない。だいたい暇である。
「私は大丈夫だよ。遅くなければ何時でもいいし」
『本当!? じゃあ、月曜日の13時に駅前のバス停で待ち合わせしよ』
「うん、分かった。月曜の13時にバス停っと」
一応メモを取っておく。何か間違えるとまずいし。
『うん、月曜日』
「分かった。それじゃあ、また――」
そこで電話を切ろうと別れの言葉を口にしようとしたが。
『それでね柚葉ちゃん! 昨日の夜ファンアニの公式サイト見てたらね』
「え、うん。見てたら?」
薫子が別の話を始めてしまう。
ああそうだった。薫子はファンアニの話になると中々止まらないのだ。
『新しい仲間が追加されるらしくて』
「そうなの?」
返事をしながら時計をチラッと確認する。そろそろ15分経つ。早く会話を打ち切って、洗濯を干さないとなぁ。そんなことを考えながら、女の子の長電話という奴を、身をもって体験するのだった。
薫子との電話を終えて、洗濯を干したり支度をしたりして家を出る頃には14時を過ぎていた。少し前まで12時だったはずなのにおかしい。13時前には家を出て病院に向かっているはずだったのに。
お見舞いの時間が減ってしまうのが嫌だったので、少し早足でバス停まで向かう。既に乗り慣れた病院前を通るルートのバスに乗り込み、到着を待つ。
「やっと着いた……」
スマホの時計を確認すると14時半。予定より一時間以上遅い。完全に薫子と長電話をしていたせいである。どこで会話を切れば良いのか分からず、長々と話してしまった。最後には薫子のママさんから、いい加減にしなさいと言われて電話を切る流れになった。
いつも通り受付で記名してから、柚葉の所に向かう。
病室に入ると、変わらず寝むり続けている自分の体。お母さんはいない。今日はパートの日なのかもしれない。
いつも通りベッドの脇の椅子に腰掛けて見守る。
「柚葉、また来たよ」
反応がないのは分かっているが声を掛ける。そうすることで好転することがあると何かの本で見た。意識がない人でも親しい人の声で反応することがあるとか。今日までやってきて効果はないけれど。
「今日は薫子と長電話しちゃって、いつもより遅くなっちゃった」
寝ている自分の左手に触れる。いつものことだがぴくりとも反応しなくて悲しくなる。
「昨日さ、ママとお兄ちゃんと買い物に行ったよ。その時にスマホ買って貰ったんだ。いつもここに来ると帰りが遅くなって心配だからって」
いつも通り、あったことを柚葉に語りかける。
「明後日は、薫子とファンアニショップに行くんだ。天衣市にもやっと出来るって、薫子ずっと前から楽しみにしてたんだよ」
柚葉の左手を両手でぎゅっと握る。
「柚葉が起きたら、一緒に行こうな。部屋にあるコグマルが一匹で寂しい感じだし、他のぬいぐるみでも二人で選んでさ……」
握る手に力を込める。
「だから、早く起きてよ……柚葉」
私はそう呟いたっきり、その日はそれ以上話かけなかった。
今日は約束の月曜日。朝早くから始めて、掃除も洗濯も全部終わらせた。
「もう行くのか?」
「うん、待たせると悪いし。お兄ちゃんは友達の家行くんだっけ?」
部屋から着替えて出てきた私を見てリビングで少し遅れてお昼を食べ始めたお兄ちゃんが声を掛けてくる。いつもは一緒に食べるのだが、朝から部活の練習があってさっき戻ってきたばかりのお兄ちゃんと、そろそろ家を出ないといけない私では一緒に食べるのが難しそうだったので、先に食べさせて貰った。ちゃんとお兄ちゃんの分は用意しておいたから、まあ良いだろう。
「気をつけろよ」
「うん。それじゃあ行ってきます」
家を出てバス停に向かう。ちなみに今日は、この前ママに買って貰った水色のワンピースを着てきた。柚葉以外の女の子と二人で出かけるのは、初めてなので少し気合いを入れて、新しい服を着ることにした。今は柚葉で女同士の友達なんだから、気合いを入れる必要はないけども。
少し歩いてバス停に到着。今は12時45分なので、15分もすれば薫子が来るだろう。時刻表を確認すると、13時10分発のショッピングモール行きがあった。これに乗ればいいか。
「柚葉ちゃんごめーん! 寝坊しちゃったぁ」
しばらく待つと、少し先から薫子が走ってくる。いつもふわふわの髪が乱れているし、慌てて来たのだろう。
「はぁはぁ……。本当にごめんねぇ」
大分息が上がっている。家からずっと走っていたのかもしれない。
「謝らなくても大丈夫だよ。それより大丈夫? 大分疲れてるみたいだけど」
「……うん……大丈夫っ……」
息切らせながら返事をしてくれる。正直大丈夫には見えない。
薫子が来てすぐバスが到着した。
「とりあえず、乗ろう。そして座って休もう。ね?」
「うっ……うん……」
薫子を支えながら、一緒にバスに乗り込む。空いている席に二人で座る。バスが走り始めてしばらくして、薫子がようやく息を整えた。
「ふー」
「落ち着いた?」
「うん。……ごめんね遅れちゃって。私から誘ったのに……」
「気にしなくて良いよ。別に急いでるわけじゃないし」
そう言って薫子に笑いかけるが、申し訳なさそうに落ち込んでいた。
「どうして寝坊しちゃったの?」
「今日が楽しみで中々眠れなくて……」
まるで遠足前の子供みたいな理由に思わず笑ってしまう。薫子らしいといえばらしいけど。
「そっか。じゃあ、しょうがないね」
私が笑いながら言うと、薫子が恥ずかしそうに顔を赤らめた。何か言おうとして口をもごもごと動かしている。多分笑われていることに文句を言いたいが、遅れた手前言えないのだろう。
「笑わなくてもいいじゃん……。遅れた私が悪いけどさ」
「ごめんごめん」
なだめるがそっぽを向かれてしまう。
「じゃあ、これでお相子ってことで」
「え、でも……」
こっちとしては気にしていないが、薫子はどうしても気になるらしい。このままでは楽しくファンアニショップとは行かないだろう。どうしたものか。
「うーん、じゃあお詫びに薫子がファンアニショップのこと色々案内してくれるってことでどう?」
「……それで許してくれるの?」
「うん。私もファンアニ楽しみたいから。ね?」
だめ押しで付け加えると、薫子の表情がみるみる明るくなっていった。
「うん! 案内するよ! 何でも聞いて!」
とりあえず元気に戻ったようで何よりだ。薫子は元気な方がこちらも楽しい。
「それよりも、髪乱れちゃってるよ」
「えっ? ……あっ」
薫子が鞄から鏡を取り出して自分の髪を確認して驚きの声を上げる。夢中で走ってたので気づかなかったのだろう。薫子が櫛を取り出して鏡を見ながら髪を整えていく。
ふと、自分の髪に触れる。目覚めたときよりも少し伸びていて、そろそろ結べそうだ。正直長い髪は面倒なので、男の頃のようにとまではいかないが、もう少し短くしたい。柚葉も前は女の子にしては短めだったので切っても良いと思うのだが。
「この髪伸ばしてたのかな……」
「えっ髪の毛がどうかしたの?」
考えていたことが口から漏れていたらしく、薫子に聞かれてしまう。
「えっと髪の毛伸びてきたなって……」
「そうだね、大分伸びてきたね。目標は腰くらいまでだっけ?」
「えっ腰くらい……?」
腰の辺りまで伸ばすってこと? 誰が柚葉(わたし)が?
「あれ、違ったっけ? 柚葉ちゃん前に腰くらいの長さまで伸ばすって言ってたはずなんだけど……」
「あ、そうだね。言ったよ、うん。まだまだかかりそうだね」
どうやら柚葉は髪を伸ばしていたらしい。それでは切るわけにはいかない。
「ねえ、長い髪って大変?」
「えっ私は昔からこのくらいの長さだから、大変かどうか分からないけど。多分慣れれば大丈夫じゃないかな」
「そっか。慣れれば……」
そんなに長い髪に慣れたいとは思わない。だけど……。
この体は柚葉のものだ。その柚葉が伸ばしたいと思っていたのなら、自分はこの髪を伸ばすべきだろう。
そして、ただ伸ばすだけじゃなくって、この体を返すときに綺麗な腰までロングで返せるようにきちんと手入れをしよう。そうしたら。
「そうしたら、喜んでくれるかな」
体を勝手に使っている分、彼女にお返しが出来るだろうか。
「喜ぶ? あっやっぱり御坂君のために伸ばしてたの?」
薫子がいつもの勘違いをする。でもある意味間違っていない。御坂悠輝になって眠っている柚葉が起きたとき、理想のロングヘアーを見せてやろうじゃないか。
「そういうことにしておこう」
「思った通りだ!」
ただ待つだけじゃなくて、柚葉のために出来ることはあるんだ。そう考えると、嬉しくてたまらなかった。
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