2章 初めての夏休み
第12話 夏休みが始まった
今はだいたい9時くらい。私はリビングで掃除機をかけている。一通り終えると、今度は自分の部屋、両親の寝室へと移動していく。コードレスなので苦もなく移動できる。順番にこなしていき、残る場所はある人物の部屋だけになった。
「お兄ちゃん、掃除機かけるから起きて!」
言いながら、布団をはぎ取り勝手に掃除機を動かす。
「何だよこんな朝早くから……」
「もう9時だよ! 夏休みだからってぐだぐだしない」
そう今日から私とお兄ちゃんは夏休み。毎年心待ちにしている季節がやってきた。
そのままお兄ちゃんを部屋から追い出す。とぼとぼと洗面所の方に行ったらしい。多分眠気覚ましに顔でも洗いに行ったのだろう。
そんな事を考えながら掃除機をあっちこっちにやっていると、ベッドの下で、先が何かにぶつかった。
「……?」
昨日までは何も無かったはずだが、教科書か何か落としたのだろうか。そう思ってベッドの下に手を伸ばす。
「これって……漫画?」
表紙に女の子の絵が描かれている。悠輝の頃によく見ていた少年漫画とも、柚葉になってから見るようになった少女漫画とも絵柄が違う気がする。
「大人向けとか?」
お兄ちゃんも中学生だし、少年漫画ではなく青年漫画的なものを買うようになったのかもしれない。それだともっと厳つい絵柄のイメージだが。
試しに適当なところを開いてみる。
「えっ……」
あっこれって、つまり……。
「おい柚葉、俺の歯ブラシ捨てたか……ってうぉっ!」
戻ってきたお兄ちゃんがすばやい動きで私の手から漫画を奪い取る。漫画を後ろ手で持って隠すと、恥ずかしそうにしている。
「お兄ちゃん、それ」
「いや、これはだな」
「エロ漫画だよね……」
じとーっと見つめると、お兄ちゃんが慌てた様子になる。
「いや、これは部活の先輩に預かってるように頼まれたやつで……そろそろ受験の追い込みだからって」
「……じー」
わざとらしく口で擬音を言いながら見つめ続ける。
「いや、本当だって」
「……そう」
「明らかに、疑ってる目だよな!?」
よっぽど恥ずかしいのかお兄ちゃんが言いつのる。そんな様子が可笑しくて思わず吹き出す。
「……? 何だよ急に笑って」
「いや、だって」
お腹を抱えながら返事をする。中々笑いがおさまらない。
「別に慌てて隠すことないじゃん。中学生とか高校生の男子はだいたいそういうのとか持ってるでしょ」
「いや、まあそうなんだが……って、違うからなこれは預かっただけで」
どうしても否定したらしい。こっちからすればどっちでも良いのだが。
「もしかして、妹に見られて恥ずかしい感じ?」
「……っ」
お兄ちゃんが黙り込む。どうやす図星らしい。
「まあ今は妹だけど、中身は男なんだから、そんなに気にしなくても」
「………………分かってはいるんだがどうにもな」
「まあ、本物の柚葉が見たら怒りそうだよね。そのまま捨てそう」
「それが頭に浮かんで落ち着かないんだよ。中身が悠輝だって分かってても」
お兄ちゃんとしては、妹に嫌われたくはないだろうし、仕方がないのかもしれない。今まで一人っ子だったから分からない感覚だ。
「まあ、冷静に考えれば気にするほどでもないか……」
「そうそう」
頷いてにっこりと微笑んであげる。
「じゃあ、ちょっと貸してみて」
「うん? 一応男だし興味あるのか」
差し出してくれたので受け取って脇に挟む。
「ううん、捨てとこうと思って」
「そうか……って、だから預かり物だって言ってるだろ!」
「だって、柚葉だったら絶対捨てるし……」
「おい、こらっ!」
またお兄ちゃんが奪い取ろうとしてきたので、今度は避ける。
「ほら、こっちだよ!」
お兄ちゃんの部屋を飛び出してリビングまで逃げる。
「おい、馬鹿! リビングに持ってくんな」
「別に今私達しかいないじゃん」
言いながら突っ込んで来たお兄ちゃんを
「お兄ちゃんもエッチだね。妹がいつも掃除してるのしってるくせに、分かるところに置いて見せつけるなんて」
「勝手に見たんだろうが!」
お母さんのことを真央さんと呼ぶようになった日から、この家での過ごし方にも変化があった。簡単に言えば、一通りの家事をするようになったことである。元々、共働きの両親に代わって兄妹で最低限の家事はやっていた。
しかし、今回はそのほぼ全てを柚葉である私がやるようになった。理由は簡単、自分で言いだしたのだ。
元々夕食に関しては、自分で作れるようになるためにお母さんこと真央さんに習い始めたのだ。ママの料理がとても食べられたものではないし、ママが作れない日はスーパーなどのお弁当などで、体に悪いと思ったし。それに加えて家事のほぼ全てもする事にした。
何故かと言えば、パパとママに申し訳ないと思ってしまったからだ。お兄ちゃんは知っているが、今の両親は自分が本物の柚葉ではないことを知らない。それなのに育てて貰っている。騙しているようで心苦しかった。
色々考えた結果、それならばお世話になってる分出来る限り家のことをしようと思いついたのだ。
その考えを伝えたとき、お兄ちゃんは気にしなくて良いと言ってくれたのだが、こっちは気になると言って、私は聞く耳を持たなかった。
両親も娘が将来的に考えて、そのっ花嫁修業的なことを始めたとでも思ったらしく、了承してくれた。
そういったことがあり、この一週間ほど毎日掃除洗濯など時間を作ってやっている。今日から学校が休みなので、早めに終わらせようと思い朝からやっていたのだが。
「見てくださいと言わんばかりの場所に……」
「昨日預かってきてとりあえず目立たないところに置いといたんだよ!」
お兄ちゃんが私の体を押さえつける。漫画を返すまで逃がさないつもりらしい。
「って、どこ触ってんのさ。ひゃっ」
「うおっ!」
お兄ちゃんが驚いた様子で私を離す。とりあえず解放されて一安心。漫画もまだこちらが持っている。
「もう、くすぐったいじゃん!」
「あっそういうことか……」
お兄ちゃんが安心したようにはーっと息を吐き出した。
こっちの手に漫画があるのに、何を安心したのかは知らないが、さすがに可哀想になってきた。調子に乗ってからかいすぎたかもしれない。
「これ返すよ……」
「何だよ急に」
「別に最初から捨てるつもり無かったし。……その、ごめんなさい」
落ち着くと申し訳なくなってきて、素直に謝った。普段からお世話になっているのに何をやっていたのか。
「いや、気にするなよ。こっちが分からないところに置いとけば良かったことだし」
「うん。それは同意」
そもそも見られたくないなら、分かりやすい場所に置いておくなというのは少し思う。
「よし、気を取り直して朝ご飯にしようか。用意してあるから、温め直して並べるね。それと歯ブラシは新しいのが引き出しに入ってるから」
そう言ってその場を離れる。お兄ちゃんの部屋から掃除機を回収し、片付けてから台所に行って準備をする。
ご飯やお味噌汁をお椀に盛りつけてテーブルに運ぶ。今日のメニューは白ご飯、豆腐とわかめの味噌汁、鮭の切り身に買っておいた大根とキュウリの漬け物である。
「相変わらず朝からちゃんと作ってるな。もっと手を抜いて良いんだぞ。別にパンでもシリアルでも問題ないし」
「疲れてたらそうするかもだけど、当分は慣れるためにもちゃんとする」
お母さんに習っていたときに、慣れてくれば早く出来るようになると言われた。せっかくの夏休みだし、毎日朝昼夕とちゃんと作って慣れていった方が良い。
二人で頂きますして食べ始める。普段は学校に行っている時間に家でご飯というのも久しぶりだと中々に変な感じ。夏休みだと実感できる。
「そういえば。母さんは今日午前で帰ってくるってよ」
「えっそれ聞いてない……」
「お前、昨日は母さん達帰ってくる前に寝てただろ」
確かに昨日は両親に会わずに眠りについた。朝からまだ慣れない料理をしようと思ったら、どうしても早く寝る必要がある。いつもなら寝る前に会えるが、二人とも昨日は遅かったのだ。
「金曜の平日に午前中だけってあるんだね」
「別に母さんは土日休みじゃないしな」
悠輝の頃は、お父さんが土日祝と自分が休みの日が休みだったので、両親の休みが違うというのは不思議な感覚である。
「ってことは、お昼は3人分か……」
朝食を食べながら、既に昼食の事を考えている。いったい何を作ろうか。まだ作れるものが多くはないので、レシピを決めるのは毎日の課題である。
「お兄ちゃん何か食べたいのある」
「別に何でも良いけど……」
「それが一番困るんだよー」
これが俗に言う主婦の悩みの一つだろう。まさか自分が同じ悩みを持つ日が来るとは思わなかったが。
「あっでも、多分昼飯は用意しなくていいぞ」
「うん? 何で」
「母さんが、久しぶりに柚葉とお出かけしたいって。俺も付き合わされそうだし」
「いや、お兄ちゃんはいないと。私まだママと二人きりでお出かけとか無理だよ」
柚葉になってから、2ヶ月経たないくらいだが、未だに両親との会話には困っている。毎日一緒に過ごしていた薫子や佐藤達とは違って、すれ違い気味の生活で話した回数が少ないのも原因の一つだろう。
「だから、付いてくから安心しろって」
「それなら良いけどさ」
まだまだ家の中では、お兄ちゃんがいないとちゃんと柚葉をやれていない。助けられてばかりだ。
「それでえっと、何の話だっけ?」
お兄ちゃんが一緒に行く行かないに話がいったので最初の話題を忘れてしまった。
「母さんと出かけるなら出かけた先で食べるだろうし、昼は作らなくて良いって話」
「そうだったそうだった」
お昼の用意をしなくて良いのは助かる。掃除も終わって洗濯は回してるのが終わったら、干せば良いだけだし、あとは。
「あとは夕飯かー」
「何、朝から夕飯のこと考えてるんだよ」
「あはは、確かに」
夜のことまで考えている自分に少し笑ってしまう。今日はママも一緒に食べられるだろうし、少し凝った物にチャレンジしてみよう。日々お世話になっているお礼に。そんなことを考えながら、朝食の時間を過ごしていった。
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