第4話 お母さんと薫子

 柚葉として過ごし始めてから一週間ぐらいが過ぎた。リハビリと検査以外にすることもなく、今日も退屈な一日を過ごしていた。

 今は、悠輝の病室にやってきている。特に用事があるわけではなく、傍で目覚めるのを待っているだけだ。

 目の前の自分の体は規則正しいリズムで呼吸を続けるばかりで起きる様子がない。それでも、傍にいることで少しは落ち着くことが出来るため、度々悠輝の病室に訪れていた。

 病室のドアがガタッと音をたてる。開くとお母さんが、悠輝の母親が顔を出した。

「柚葉ちゃん来てたの? いつも悠輝を見ててくれてありがとね」

「いえ、どうせ暇ですし……ゆずっ悠輝のことが心配なので」

 今は幼馴染みの母親であって家族でも自分のお母さんでもない。おばさんと呼んで、丁寧な言葉遣いで会話をする。どうしてもそれが慣れなかった。違和感も凄くある。

「でも、まだ入院中なんだから、安静にしてなきゃ駄目よ。まだ万全じゃないんだから」

「はい、気を付けます……」

 お母さんは気遣わしげに柚葉おれを見ている。本当に心配してくれているのが伝わってくる。でも……。

 やっぱり駄目だ。お母さんとこんな他人として接するのはどうにも心が重い。体は柚葉だから血のつながりが今は無いのかもしれないけど、それでも心はお母さんの息子なんだから。

「それじゃあ、私はそろそろ戻りますね。おかっ……いや、おばさんも無理はしないでくださいね」

 そう言って自分の病室に戻る。まだまだ体力が戻らないこの体では、この移動だけでずいぶんと疲れる。

 悠輝の病室で長い時間休んでいたはずなのに、持ち上げる足がとても重く感じた。




 先日会って以来、悠輝の母親おかあさんのことを避けていた。

 出来るだけ顔を合わせないようにタイミングを見計らって悠輝の病室に行っていた。会ってしまえば、柚葉の演技をして他人で居なければならない。それがどうにも我慢出来なかった。

 どの時間に行けば、会わずに済むかは分かっている。だいたいお昼過ぎの14時くらいになると一度病院を出て、夕方くらいに戻ってくる。多分家事などをするために家に戻っているのだろう。お父さんだって毎日仕事をしているし、悠輝のことばかり構ってもいられないのだ。

 今はちょうど14時を少し過ぎたところ。さきほど病室から出て行くのを見たので、今ならお母さんに会わずに見舞うことが出来る。

 ゆっくりゆっくりと歩いて悠輝の病室へと向かう。毎日のように続けているおかげか、リハビリの成果か大分体力が戻ってきた気がする。悠輝の病室まで行ってもくたくたになったりはしなくなっていた。

「あれっ? 柚葉ちゃんどこ行くのー?」

 聞き覚えのある少しおっとりとした背後からの声に振り向くと、薫子がこっちをじーっと見ていた。

「かっ薫子……来てたの?」

「また、来週も来るって言ったのにー」

「え、そうだったかも……ごめん」

 確かに先週の会話の中で聞いた気がする。この一週間はお母さんのことで頭がいっぱいで忘れていた。

「それで、どこに行くのー?」

「ゆっ悠輝の病室に行こうとしてたんだけど……」

 薫子が来たのなら、今日は止めた方が良いかもしれない。柚葉が目覚めたときに、混乱するだろうから、出来れば少しでも一緒に居たいが仕方がない。

「……じゃあ、私も一緒に行くー」

「えっ!?」

 薫子からの予想外の申し出に素っ頓狂な声を上げてしまう。

「だめ?」

「ううん……大丈夫。じゃあ一緒に行こっか」

「うん!」

 二人で一緒に悠輝の病室まで向かう。途中少しふらついたりしていると、薫子が肩を貸してくれた。

「あ、ありがとう。でも、もう大丈夫だから」

「気にしないで。柚葉ちゃんふらついてるし、肩貸すよー」

「あっいや……うん」

 女の子に密着されるのが照れくさかっただけなのだが、そう言われては断れない。

 少し胸をドキドキさせながら悠輝の病室までの近くて遠い距離を一緒に歩く。

 落ち着け。今は女の子同士だ。平常心で。ドキドキしてたらおかしいから……。

 しかし、意識すればするほど、鼓動は早く顔は赤くなった。

「柚葉ちゃん大丈夫? もしかして熱ある?」

「い、いやちょっと疲れただけ。大丈夫だから!」

 誤魔化しつつ、何とか到着して中に入ると、予想通りお母さんは中には居なかった。

「うわー御坂君痛そう……」

 薫子が悠輝の体を見て、第一声驚きの声を上げる。実際の傷は見えないが、包帯でぐるぐる巻にされているのは、見ているだけで痛くなってしまいそうである。

「うん。多分、凄く痛かったと思う……」

 本当なら、自分がこの傷に苦しむはずだったのである。それを柚葉に押しつけているのだ。そんな自分のことが許せなかった。

「柚葉ちゃん!」

「ふぇっ!?」

 薫子が突然位置を変えて、抱きつく形になる。状況が飲み込めず、ようやく熱が引いた顔がまた熱くなった。

「かっ薫子っ何してるの?」

 さっきよりも、さらに密着した形だ。

 落ち着け。今は柚葉の体だ。繰り返すが一応女の子同士なんだぞ。意識するな。意識するな俺っいや私!

 しかし、そうは言っても気持ち的には男のつもりだ。女の子に、異性に抱きつかれるという経験したことのない状況に頭がパンク寸前だった。

「柚葉ちゃんが暗くなってちゃ駄目だよ! 御坂君だって、柚葉ちゃんにそんな顔させるために庇ったんじゃないはずだよ!」

「あっ……」

 薫子の言葉が胸に刺さったような気がした。自分はあの時、柚葉を助けたくて手を伸ばした。そして離れないように抱きしめた。

 もしかしたら、その行動が原因で入れ替わってしまったのかもしれない。でも、自分はただ柚葉を助けたかっただけだ。その気持ちに嘘はない。

 柚葉もきっと分かってくれる。そんな気がした。目を覚ましたときにちゃんと謝れば良いのだ。

 だから、今は過去の自分の行動を恨むんじゃなくて、柚葉が目覚めるまで今出来ることをすれば良い。ごめんなさいは目を覚ましたときに言えば良いのだ。

「うん、そうだよね。私が暗くなってたら駄目だよね」

 今出来るのは、元に戻った後に迷惑をかけないように、柚葉が目覚めたときに不安に思わないように、今まで通りの柚葉でいることだけだ。

「そうだよ! 柚葉ちゃんは笑ってなくっちゃ」

 言いながら薫子がほっぺたを引っ張って無理矢理笑い顔にしてくる。お返しに薫子のほっぺたを軽く引っ張る。何だか可笑しくなって笑ってしまった。柚葉になってから、こんなに笑ったのは始めてだったかもしれない。

「もう、私の顔見て笑うなんて失礼しちゃうなぁ」

 薫子が悪戯っぽく笑いながら言った。最初から元気づけようとしてくれていたのかもしれない。

 そんな柚葉の友達かおるこの優しさに心が温かくなった。




 目覚めてから2週間と少しが経った日曜日。今日は朝から悠輝の病室に来ている。

「まだ目覚めないか……」

 さすがに毎日はやめておいたが、ここにはかなりの頻度で来ていた。しかし、今日はいつもと少し違う気分だった。

「あと一週間しかないぞ。早く起きろよ柚葉……」

 柚葉のことを口に出す時は悠輝というように心がけてきたが、今日はそこまで気が回っていなかった。私は焦っていたのだ。

 昨日の夜、両親と一緒に担当の医者から、退院することを勧められた。検査の結果、体に異常もなく、体力が戻りきっていないことを除けば健康。その体力も半月のリハビリで大分改善していた。退院の話が出るのは当然だった。

 両親も退院の方向で話を進めることにし、一週間後の日曜に退院することになった。

 自分が退院する頃には、目覚めているだろうと思っていた柚葉は、未だ眠り続けたまま。このままでは柚葉として退院して生活していくことになってしまう。

 入院中は退屈ではあったが、ほとんど一人で過ごせたため柚葉として振る舞う分にも問題は無かった。

 しかし、退院して普通の生活に戻るとそうはいかないのだ。毎日柚葉の家で柚葉として生活し、柚葉として学校に通う。それは、ほとんどの時間を柚葉でいなければいけないということである。正直、どう考えても不可能だった。

 元に戻るどころか、柚葉が目覚めないまま、柚葉としての生活が始まってしまう。その事実に頭がどうにかなりそうだった。

 どれくらい柚葉を、自分の体の寝ている姿を見つめていただろうか。急に病室のドアが開かれた。

「あ、柚葉ちゃん。やっぱりここにいたー」

 入ってきたのは薫子だった。薫子は毎週日曜にお見舞いに来てくれている。先週彼女が来たときに一緒にここに来たので、居場所が分かっていたのだろう。

「御坂君、目が覚めそう?」

「分からない」

 薫子の言葉に力の入らない声で返す。来てくれたのはありがたいが、今は人と話す気分じゃなかった。

「看護師さんが探してたよ―。いつまで経っても帰ってこないから、お昼ご飯片付けられないって」

「あれ美味しくないし、片付けて貰っても良いよ」

「駄目! ちゃんと食べないと元気になれないよ。ほら、柚葉ちゃんの病室に戻ろう」

 薫子が左腕を掴んで引っ張る。1回振り解いたが、また掴まれてしまった。

 今は柚葉から離れたくない。でも。

「分かった。戻って食べるよ」

「うん!」

 今、薫子を邪険に扱って追い出してしまったら、傷つけてしまったら、それは柚葉が薫子を傷つけたことになってしまう。自分の勝手で二人の仲を絶つようなことをしてはいけない。今は柚葉なのだ。友達の優しさに応えるべきだ。

 薫子に引っ張られて、自分の病室に戻って素っ気ない味のお昼を済ませる。

「ごちそうさまでした」

「うんうん」

 薫子が満足そうに頷いた。

 また、柚葉のところに戻りたいが、薫子を残していく訳にもいかない。彼女が帰るまで、ここで大人しくしているしかないのだろう。

「それにしても柚葉ちゃんって」

「?」

 薫子が少しにやにやとしながら言ってきた。何だろう。

「本当に御坂君のこと好きだねー?」

「っ!」

 驚いて飲んでいた水を吹き出しそうになる。何とかこらえたが、変に飲んでしまいゲホゲホと咳き込んだ。

「え、何、どうして……」

「だって、あんなに熱心に通ってるんだもん」

「そ、それは……」

 それは好きだからとかそういうことではない。勿論柚葉は心配だ。それに加えて自分の体に戻りたいこととか、柚葉の体を使ってしまっている罪悪感とか色々な理由がある。そもそも幼馴染みが同じ事故に遭って未だ意識不明なのだ。別に通ったっておかしくないだろう。

「幼馴染みだから……」

 言い訳を絞り出す。ここで否定しきれないと後々柚葉に迷惑をかけることになる。

「えー幼馴染みってだけで、そんなに心配するかなー?」

「心配するって」

「幼馴染みってだけ?」

「幼馴染みってだけ」

「本当に?」

「本当に!」

 薫子が執拗に聞いてくる。これは本当に疑われているのだろう。女の子は恋の話題が好きだと言うし、それが友人のなら尚更だろう。

「本当に、そういうんじゃないから……」

 そう言ってそっぽを向く。最初はおっかなびっくり話していたのに、いつの間にか普通に会話出来る様になっていることに気づき少し驚いた。

「じゃあ、そういうことにしとく」

 薫子がそう言って追求を止めてくれた。でも、これは多分照れ隠しだと思われてる。

 どうにか言い繕おうと、しばらく考えたが、上手い言葉が見つからず、諦めることにした。

「そういえば、一週間後に退院することが決まったよ」

 別の話題を切り出して、この話に戻らないようにする。

「え、そうなの? 日にち決まってる?」

「28日の日曜日」

「ちょうど一週間後だね。じゃあ、来週は忙しいかもだし来ない方がいいかな?」

「うん。入れ替わりになると悪いし、また学校で会えるし、そうして貰えるかな」

 このまま、元に戻れず退院すれば、嫌でも柚葉として会うことになる。わざわざ来て貰うのも迷惑だろう。

「分かった。また学校でだね」

 薫子がうんうんと頷く。それから、思い出したように鞄の中を漁りだした。

「そういえばね。正式な日にち決まったんだよ」

 そう言って鞄から、一枚のビラを取り出した。

「ほら、8月1日オープンだって! 絶対一緒に行こうね」

 そのビラは薫子が以前から言っていたショッピングモールに出来るファンアニショップのオープン日を伝えるものだった。

 そこには、元に戻った本当の柚葉と薫子が行くのだと思っていた。オープンまで1ヶ月ちょっと。きっとあっという間だ。

「うん。楽しみだね」

 もしかしたら、自分が柚葉として薫子とファンアニショップに行くのかもしれない。すぐに戻れると思っていたはずなのに、その時も柚葉でいる自分が想像できてしまった。

 いったい自分はいつ悠輝に戻れるのか。こんなに時間が経つのが怖いと思ったのは人生で初めてだった。



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