第3話 柚葉の友達

 目覚めてから三日が過ぎた。

 次の日は、体の状態の確認のための検査や体力を戻すためのリハビリで終わった。お兄ちゃんとママとがお見舞いに来て、着替えや暇つぶしに使えそうな漫画や勉強道具を置いていってくれた。

 さらに次の日はリハビリだけで他にすることもないけど勉強する気分でも無くて、持ってきて貰った漫画を読んで過ごした。ちなみにこの漫画は柚葉の部屋にあったもので全てが少女漫画。男子としては気恥ずかしくて読んだことは無かったが、読んでみると意外と楽しめた。まだ完結していなかったので中途半端なところで終わってもやもやとした気分になったが。

 そして、目覚めてから通算四日目の今日。完全に暇を持て余していた。

 漫画は既に読み終えた。さすがにすぐに読み返す気にはなれない。それならば教科書を開いて、眠っていた間に遅れた分を取り戻そうとしていたのだが、集中力が中々持続しない。悠輝の病室に行きたいが、あまり行き過ぎるなとのお兄ちゃんからのお達し。それなら寝ようと思ったが、リハビリの時以外ずっとベッドの上なので対して疲れておらず全く寝付けない。

「……暇だ」

 入院生活というのは中々苦痛だった。特にすることもなく、ずっとベッドの上なのだ。体力が戻っていないとはいえ、基本的に元気なのが、さらに辛さを加速する。

 テレビでも見ていれば暇も紛れそうだが、生憎病室にそんな物はない。一応入院患者用の共有スペースに置いてあるが、いつもお年寄り達が占拠していて個人的に面白い番組は見られない。そもそも共有スペースまで少し距離があるので、今の体力で往復するのは大変だったりする。

 一応、今日の夕方に一度お兄ちゃんが来るはずだが、まだ13時を過ぎたばかり。当分来そうにない。

 しばらくの間ぼーっと窓の外を眺める。ちらちらと時計を確認するが中々時間が進んではくれなかった。

 しばらくそうしていると、トントンとドアがノックされた。

 時計を確認すると14時を回ったところ。お兄ちゃんが来るにはまだ早い。看護師さんだろうか。

「どうぞ」

 一言促すと、遠慮がちに扉が開かれた。

「おじゃまします」

 そう言って一人の女の子が入ってきた。年は自分と同じくらい。肩に掛かる長い髪はくせっ毛なのか先がカールしている。少し垂れ目で肌が白く、大人しそうな印象。俺は、いや私はこの娘のことを知っていた。

 一ノ瀬いちのせ薫子かおるこ。同じクラスの女の子で多分柚葉の一番の友達だ。

 柚葉は学校で5人くらいの女の子のグループで過ごしているが、休みの日などに遊ぶのは一ノ瀬が一番多かった気がする。勿論知っている範囲でだが。

 柚葉と悠輝の家はマンションの隣の部屋同士。なので自宅に友人を招いて遊ぶと、お互いに誰と遊んでいるか筒抜けだったりする。

「柚葉ちゃん久しぶり。怪我はもう大丈夫?」

 一ノ瀬が話しかけてきた。さて、柚葉は一ノ瀬のことを何と呼んでいただろう。向こうが柚葉ちゃん呼びなら……。

「怪我は大丈夫だよ。来てくれてありがとう薫子ちゃん」

 多分こっちも名前にちゃん付け呼びで良いんじゃないだろうか。ちらっと一ノ瀬の様子を窺う。いつもと違う呼び方だったなら、何かしら反応があるだろう。

「柚葉ちゃんに薫子ちゃんって呼ばれたの久々だー。あ、これお見舞いに」

 言いながら、包装されたバスケットに入った果物を渡される。

 この反応は、違うっぽい。えっと、何て呼んでたっけ……あ、確か。

「ありがとう。薫子がいつまでもちゃん付けで呼ぶから、ついね?」

「そんなこと言われても、柚葉ちゃんって呼ぶの慣れちゃったしー」

 今度は合っていたらしい。思い出してみると、前は薫子ちゃんだったが、いつの間にかちゃんが取れて薫子呼びになっていた。そうだそうだ。

 考えながら、頭の中でも一ノ瀬ではなく、薫子と呼ぶように意識し始める。頭の中でもそうしていないと、うっかり口に出してしまいそうだから。

「あ、そうだー。リンゴの皮剥くから貸してー」

 手を差し出されたので包装を解いてリンゴを取り出す。それから、備え付けの冷蔵庫の隣にある棚の引き出しから、小さな果物ナイフを取り出した。まとめて薫子に渡す。

 すると薫子が鮮やかな手際でリンゴの皮を剥いていった。確か一ノっと、薫子は料理とか裁縫とか家庭科系のことが得意だったのを思い出した。ちなみに柚葉は、その辺り壊滅的だったりする。

「お皿とかない?」

 いつの間にか、皮を一通りむき終えていた薫子に聞かれて、先程果物ナイフを取り出したのと同じ棚から紙皿と、ついでに紙コップも取り出した。

 紙皿の方は薫子に渡して、紙コップには冷蔵庫からスポーツドリンクを取り出して注ぐ。

「はいどうぞ」

 リンゴを紙皿の上に切り分けて待機していた薫子に紙コップを一つ渡す。薫子はリンゴの乗った紙皿をベッドのミニテーブルに置くと紙コップを受け取った。

 爪楊枝を取り出してリンゴに刺して一切れ囓る。みずみずしいリンゴの甘みとシャキシャキとした食感が心地よかった。味気ない病人食と比較すると、ただのリンゴでさえ美味しく感じる。

「そういえば一人で来たの?」

 リンゴの一切れを少しずつ食べている薫子に話かける。あまり女の子の話題も分からないので、適当に思いついたことを話題にした。

「ううん。ママも一緒だよ」

 母親と一緒に来たらしい。今居ないと言うことは、下で待っているのか、先に帰ったのか。

「ママがこっちの方に用事があったから、途中で降ろして貰ったの。帰りも拾ってくれるらしいから、それまで居ても良い?」

「うん。全然良いよ」

 本当は長く一緒にいるとボロを出しそうで嫌だが、断るわけにもいかない。迎えが来るまで一緒に過ごすしかないようだ。




 ちらっと時計を確認する。時刻は17時半を過ぎたくらい。そろそろお兄ちゃんが来る頃だろう。

 ずっと薫子とお喋りをしているが、意外と苦痛ではなかった。勿論話の内容で分からないことも多いので大変ではあるのだが。

 薫子は結構天然で話し方も少しゆっくりでおっとりしている。あまり細かいところを気にしないのか、事故後だから気を遣ってくれているのか、少し口を滑らせたりしても流してくれている。ちょうど暇も紛れるので居てくれるのはありがたい。

「それでね、この前風宮のファンアニショップに行ったら、ニャニャミのアジサイドレスのぬいぐるみがあってね」

 ファンアニとは、ファンシーアニマルズという様々な動物をキャラクター化したファンシーグッズのこと。ちょっとしたアニメーションや絵本などにもなっていて、誰でも一度は聞いたり見たりしたことがあるはず。全国各地に関連グッズを扱う専門店もあり、ファンアニショップとか呼ばれている。

 ちなみに県内だと、今いる天衣市の隣にある風宮市にしかファンアニショップはないらしい。これは昔柚葉に教えて貰ったのだが、もしかしたら薫子からの情報だったのかもしれない。

「それがすっごく可愛かったんだけど、高くてお小遣いも足りないし、ママも駄目っていうから諦めたんだ。可愛かったなぁアジサイニャニャミ」

 ニャニャミはファンアニで2番目に人気の猫のキャラクター。1番人気は熊のコグマル。まあ、どちらも十分人気なんじゃないだろうか。あまり興味がない私でも知ってるくらいだし。

 私の方からあまり話を振れないため、話題のほとんどがファンアニのことになっている。柚葉がファンアニを特別好きなわけでもなさそうなのに、そこそこ詳しかったのは、いつも薫子から話を聞いていたのだろうと納得した。

「お小遣い貯まったら買いに行ってみたら?」

「でも、季節物って無くなったら終わりだし、残ってても1ヶ月くらいしか置いてないから、次行く頃には多分無いの」

「そ、そっか」

 今は6月だしアジサイは梅雨の季節物ということなのだろう。その時でしか買えないというのは中々シビアだ。ファンアニ恐ろしい。

「あ、そういえばね」

 薫子が鞄から何かを取り出す。それは一枚のビラだった。

「今度、天衣市にもファンアニショップが出来るんだって」

 そう言って薫子がビラを渡してくる。天衣市進出決定! と書かれている。オープンは夏頃となっていて、正式な日にちは分からない。場所は天衣ショッピングモール。気軽に行ける場所にできるなら薫子も嬉しいだろう。

「夏休みくらいには、オープンしてると思うから一緒に行こうよ。その頃なら柚葉ちゃんも多分退院してるでしょ?」

 薫子が楽しそうに言ってくる。まだゴールデンウィークが過ぎたばかりだと思っていたら、もう夏休みが近いのか。その事実に少し驚かされた。

「うん。楽しみにしてるね」

 薫子にそう返事をする。夏休みまで1ヶ月以上ある。きっとそれまでには悠輝の体にいる柚葉も目覚めて、お互いに元の体に戻っているはず。だからその時には本物の柚葉と一緒にファンアニショップを楽しんで欲しい。

 そんな話をしていると、部屋の扉がノックされた。どうぞ、と言って促す。

「調子はどうだ? って、薫子ちゃんが来てたのか。こんにちは」

「こんにちは、お兄さん」

 部屋に入ってきたのは、和兄ことお兄ちゃん。反応からして多分面識があるのだろう。家に遊びに来たときに知り合ったのかな。

「遅かったね。何か用事でもあったの?」

 ちょっとだけ嫌みっぽく言う。柚葉はいつもお兄ちゃんに対して少しつれない態度をとっていた。勿論嫌っていたわけではなく照れ隠しでしていたのは分かっている。

 急に態度を変えるとおかしいだろうということで柚葉っぽい態度をとることにしているため、こういう反応をしてみた。

「日曜でも部活とか色々あるんだよ」

 お兄ちゃんが気にした風もなく返す。私が柚葉っぽくしようとしいるのを知っているので怒ったりはしないだろう。

「そっか。お疲れさま」

 一言付け加える。わざわざ来てくれた相手に文句を言うのも憚られる。

「ほい、お土産」

 白い箱を手渡される。開けてみるとショートケーキが二つ。

「じゃあ、俺はちょっと出てるから二人で仲良く食べろよ」

 そう行って来たばかりのお兄ちゃんが出て行こうととする。

「あ、うん。ケーキありがとう」

 その背中にお礼を言うと手をひらひらとされて返された。

 ふと、視線を感じて薫子の方を見るとじーっとこっちを見ていた。

「……どうしたの?」

「何か柚葉ちゃんとお兄さん前より仲良くなったなぁと思って」

 他の部分は特に指摘してこなかった薫子が言うくらい柚葉らしい振る舞いではなかったようだ。良く知った相手とはいえ演じるのは難しいと改めて感じた。

「そんなことないよ」

「そうかなー?」

 薫子がめをぱちくりさせながらこっちをじっと見てくる。

「そ、そうだよ」

 その視線が見透かしているようで少しだけ怖かったが、薫子はそれ以上追求してくることはなかった。




 週明けの月曜。いつもなら休みが終わってしまった憂鬱感を感じながら学校に行っていたが、入院中の今はただの退屈な時間の延長である。

 今日もリハビリの時とトイレのとき以外はベッドの上。暇すぎて自分から教科書を開いたほどである。

 自分でも驚くことにもう3時間続けて勉強をしている。自分にこんな集中力があったとは。

 今日は誰も来る予定がない。このまま夕飯まで教科書と向かい合っているかもしれない。

 昨日薫子に授業がどこまで進んでいるのか確認した。算数の遅れていた分が終わって大きく伸びをした。

 ドアがコンコンとノックされる。時計を見ると17時前。夕飯が届くにはまだ早い。誰だろう。

「入って良いですよ」

 声を掛けると、ドアを開けて3人の女の子が入ってきた。

 一人は髪をポニーテールにしている元気の良さそうな佐藤さとう香奈かな

 もう一人は、ショートヘアーで少し派手な服装の田中たなか有華ゆか

 そして、小学校低学年にも見えるくらい背が低い渡辺わたなべ愛里沙ありさ

 何故知っているか。全員同じクラスで柚葉の友達だからである。我ながらよくフルネームを覚えていた。

「お、柚葉起きてる!」

 元気の良い声で佐藤が言った。もしかして、今日薫子に柚葉が目覚めたと聞いたのだろうか。

「薫子が昨日話してきたって言ってたんだから、起きてるに決まってるじゃない」

 田中が呆れた様子で佐藤に突っ込む。やはり、薫子に聞いたようだ。

「二人とも、とりあえず渡そうよ」

 小さな声で渡辺が佐藤と田中に話かける。

「あっそうだった」

「自分が渡すって、香奈が持ってたんじゃない」

 とぼけた様子の佐藤に田中が毒づく。

 それに対し佐藤がごめんごめんとばつが悪そうにした。

「はい柚葉。これ」

 そう言って手に持っていた花束をこっちに差し出す。別に驚いたりしない。病室に入ってきたときから手に持ってるの見えてたし。

「ちゃんとみんなからって言わないと、香奈が一人で買ったみたいじゃない」

「そ、そうだよ」

 田中と渡辺が佐藤に文句を言った。

「みんなありがとう。わざわざお見舞いに来てくれて」

 揉め事に発展すると悪いのでとりあえず3人の会話を切る。一連の会話で3人で用意してくれたのは、こっちも分かっている。

 3人は、どういたしましてだとか、気にしないでとか言って頷いた。とりあえず険悪な雰囲気にはならなかったみたいで安堵した。

 柚葉は学校でこの3人と薫子の4人と過ごしていることが多い。どういう集まりなのかはよく分からない。

「それで柚葉って、いつ退院するの?」

「まっまだ、分からない」

 いきなり佐藤に声を掛けられてびくっとした。

「1ヶ月くらい寝たきりだったら、すぐに退院できるわけないんじゃない?」

「そうなの? 私ならすぐ退院したいけどなー。ずっと入院とか暇そうだし」

「暇とかじゃなくて、ちゃんと治らないと駄目でしょ」

 佐藤の言葉に田中が溜息を吐く。

 人の病室に来て揉め事は止めて欲しい。でもこれが平常運転なのかもしれない。悠輝の頃は特に仲が良かった訳ではないが、田中が佐藤に対して突っ込むのはよく見かけた。

 渡辺も二人の横でニコニコしているし、喧嘩しているというわけではないのだろう。

「話戻すけど、柚葉は調子どうなの? やっぱり体調悪いとか、事故の怪我が酷かったり?」

 渡辺が私の方に話を戻す。ニコニコしているが、少し心配そうな声音だ。

「あ、怪我とかそういうのは大丈夫。一ヶ月も寝たきりだったから、すごく体力が落ちてるのと、結構大きな事故だったから、一応経過観察みたいな?」

「そっか大丈夫なんだ。それなら良かった」

 渡辺が胸を撫で下ろしたような表情になる。

「あー事故凄かったみたいだよね。毎日ニュースで報道されてたし」

「ねー。私も事故現場の映像みて、これに巻き込まれたなんて、柚葉もう駄目なんじゃないかと思ったもん」

 佐藤の言葉に田中が同意するように続いた。

「えっ、そんなにニュースとかでやってたの?」

「毎日同じニュースばかりやってたよ。最近は落ち着いたけど」

「そうなんだ……」

 田中の言葉に少し愕然とした。この体はこの通り無事なので、そこまでの事故だとは思っていなかったのだ。

「あっ、でも、だからあっちは……」

 自分の体の方は酷い怪我だった。寧ろあっちが普通で、この体の状態が奇跡なのかもしれない。

「あっちって……御坂君のこと? そういえばあっちはまだ?」

「うん、まだ起きてない」

「そっか、早く起きると良いね。柚葉も気が気じゃないだろうし」

「うん」

 田中の言葉に頷く。入れ替わっているという事実が分からなくても、幼なじみが事故から目覚めなくて不安だという気持ちは察してくれているようだ。

 それから少し、最近の学校であった話を聞いていると、コンコンと、ドアがノックされた。返事をすると扉を開けて、夕食を運び込んでくる。

「あ、そろそろ帰らなきゃだ」

「そうね」

 渡辺が運ばれてきたものを見て、言うと田中が応じた。

「じゃあ、また」

「それじゃあね」

「またね」

 佐藤、田中、渡辺は口々にそう言った。

「うん、またね。今日はありがとう」

 そう言って3人を送り出した。三人とも薫子と全然違うタイプだった。

 退院して、この体のまま学校に行くようになったら、薫子や今日来た3人と一緒に過ごすのか……。今日は何とかなったけど、大丈夫だろうか。新しい友人関係に戸惑わずにはいられなかった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る