第11話 ビョードー一味
運動会の練習でお師匠に負担かけてて、それが終わったと思ったらお彼岸に突入して、2人してお寺の仕事に飛び回っていた。
やっとお彼岸を乗り切ったと思っても、今時は仏事を人間のスケジュールの方に合わせる傾向にあるせいか、お彼岸を過ぎても法事等が入り、結構忙しい。通常の月参りも重なり、お師匠もしんどそう。
そう思ってたら、お師匠が珍しくわたしに申し訳なさそうに頼み事をしてきた。
「木戸さんとこと津田さんとこの月参りだけどな、もより1人て行って来てくれないか」
「え?」
今までお師匠のサポートをしながら同行するのは常だったけれども、わたし一人で行ったことは無い。
「いや、わたしはいいんだけど、相手が怒るんじゃない?高校生の小娘1人でお経上げにくるなんて、うちの先祖を軽く見てる、とかってさあ」
お師匠は、いやいや、と言う。
「もよりは充分きちんとしてるし、何より、もより自身が平等な心を身に着けてきてる」
「平等な心?
「うん。本当の平等って言うのは仏様からしか頂けない。仏法の前では高校生の小娘だろうと住職の私だろうと、平等だ。本当の平等っていうのはそういう厳しいものだ」
「?」
「とにかく、もよりは大丈夫だ。両方の家とも、仏説阿弥陀経を上げて来てくれ」
よく分からないけれども、お師匠が大丈夫と言うんなら概ね大丈夫なんだろう。
日曜の朝の静かな住宅街を、黒衣を着て自転車で走る。
部活にでも行くんだろうか、よその高校の学生服を着た男子4人が並んで歩いて来る。
わたしが自転車で近付くと、え?、というような感じでじろじろとわたしを見る。すれ違った後、
「おい、今の尼さん、可愛かったんじゃない?」
とかなんとか話しているのが聞こえた。
状況把握は色々と間違ってるけれども、”可愛い”とか言われて悪い気はしない。
「お早うございます」
玄関の引き戸をがらがらと開けて声を掛けると、木戸さんの奥さんが出て来た。
「あら、お1人ですか?」
お、やっぱり。普通、そういう反応だよねー。
「はい、今日はわたし1人です。いいお天気ですね。お邪魔します」
我ながらさすがだと思う。相手にそれ以上のコメントをさせず、一気に仏間へと向かう。
仏間では木戸さんのご主人が、わたし用の座布団を仏壇の前に敷いてくれているところだった。
「あ、お1人ですか?」
「はい、一人です。早速」
有無を言わさず、わたしはお仏壇に向かい、リンを鳴らす。
憶えているので必要はないけれども、一応お経の本を開き、お師匠の指示通り仏説阿弥陀経を上げ始める。
木戸さんはこの老夫婦の2人暮らしだ。
老夫婦といっても、本人たちにその自覚は無く、現役の意識を持っている。
確かに2人は70歳前後で、いわゆる後期高齢者ではない。
息子さんが2人おられるらしいけれども、長男は東京の大学を出た後、霞が関の官僚となり、どこかの省の、なんとか室長に出世してるそうだ。次男も理系の有名な東京の大学を出た後、大学院に進んで、無収入のままずっと研究室にいたのだけれども、頑張って去年ついに教授になったのだそうだ。
2人とも自慢の息子さんらしい。
ちなみに、この情報はわたしがこのご夫婦に質問して得たものではない。全てご夫婦の方から一方的に聞かされたものだ。
毎月お師匠と一緒に月参りに来ると、ご夫婦はお師匠に息子2人の活躍の状況を聞かせる。お師匠は毎回、うん、うん、と静かに聞いていた。
お経を終えて、わたしはご夫婦の方へ向き直る。
法話、とまで本格的なものではないにしろ、月参りの時にはちょっとした日常の出来事などを題材に、文字通り本当の意味で坊主の”お説教”をsるのが常だ。
わたしが仕入れておいたネタで、えへん、とお説教を始めようとすると、奥さんから先制攻撃された。
「うちの長男、この間のサミットに大臣の随行でヨーロッパに行ったんですよ」
「へ、あ、そうなんですか」
「今、関税の撤廃とか言って新聞でも毎日大変でしょ。長男も休日も無く大臣に呼ばれたりして、本当に忙しいみたい」
「いや、でも、国のために命を懸けて仕事させて頂けるんだからありがたいことだ。サラリーマンでは得られないやりがいだよ」
ん?サラリーマンも命懸けなんじゃないかなあ。生活の糧を得るのって、それだけでも尊いと思うけどなあ。まあ、この2人にしたら息子が生き甲斐なんだろうから、一応聞いてあげようか。
奥さんの長い演説が始まる。
「次男はほら、教授だから、研究室の予算なんかにも気を配らなきゃいけなくて。次男が中心にやってる研究プロジェクトが民間企業にもウケが良くて、この間、専門誌にも取り上げられたのよ。どうも、ノーベル賞級の研究らしくて、来年あたりひょっとしたら、って話も出てるみたい」
「へー、ノーベル賞ですか。すごいですねー」
「
「へー」
よく分からん。ハクセンキン、ってなんだろう。
ご主人も嬉しそうに話に加わる。
「何にせよ、2人の息子が、国や人類のために働いてくれるのは本当にありがたいことです。私らも誇りに思っています」
奥さんがまた話し始める。
「そういえば、ほら、この地域って、中・高生が雪かきして回ってるでしょう」
おー。やっと話題が変わった。わたしは喜び勇んで答える。
「はい。お年寄りだけの家を回って除雪するボランティアですよね。わたしも中学生の時、3年間やってました」
「そう。それで、うちの長男がね」
あ、まだ息子の話の続きだったんだ。
「うちの長男がね、そういう子たちのことを褒めてたのよ。そういう若者たちになら安心して地元を任せて、自分は国や世界の大きな仕事に取り組めるって。日本は安泰だ、って」
日本は安泰?なんか、ちょっと感覚がどうなんだろう。別に、木戸さんの長男に褒められたって嬉しくもないし。それに、ちょっと待ってよ。自分のは国の大きな仕事とか言って、もしかして地元の雪かきとかを小さな雑用程度にしか思ってないのかな?だとしたらちょっと心配。わたしはお愛想も兼ねて訊いてみる。
「でも、息子さんも、こっちに帰って来られた時は雪かきとかされるんでしょう?お正月にお孫さん連れてとか」
「いや、2人とも大きな仕事を抱えてるからね。正月もちょっと帰れなくてね」
ご主人が何だか慌てた感じで答える。
「じゃあ、お嫁さんとお孫さんだけで帰って来られたりとか」
「いや、そういうの、ちょっと!」
と、ご主人が結構な剣幕でわたしに言う。わたしとしては何気ないつもりだったんだけどな。ただ、ちらっと仏間のテーブルに飾ってあるお孫さんらしき写真を見て、はっと気付いた。そう言えば何年も前からこの写真は幼稚園の制服のままだ。もしかしたらお孫さんに会えないどころか、写真も久しく送って貰ってなかったり、下手したら電話で話したりメールをやり取りしたりすら無いんじゃなかろうか。わたしは急に2人が憐れになった。だから、ちょっとネタを変更して、強引にでもこの2人に合った話をしなくては、と、強く思った。わたしは突然、女子高生の図々しさを持って、唐突に話し始める。
「昔、インドにとても大きな豪商の、これまた大きな大邸宅があったんです」
「はい?」
ご夫婦2人揃って、きょとん、とした顔をする。わたしは無視して話し続ける。
「その豪商にはたくさんの息子たちがいました。息子たちはそれぞれ豪商の仕事のやり方を学んで、外国のあちこちの国に商売をしに出掛けました。息子たちが一人外国に商売に行く度に、設けた大金を父である豪商に仕送りしてくるので、大邸宅は改築を続け、ますます立派で荘厳な建物になっていきました。町の人たちは豪商の家の立派さと、商売で大成功している息子たちを大いに褒め、自分の家もあんな家にしたいものだと口ぐちに言いました。息子たちは商売で忙しすぎて、みんな旅先で妻を迎え、お金は送られてきますが、久しく顔も見られません。それでも豪商は息子たちの活躍を誇らしく思い、また、邸宅も畏れ多い事ではあるけれども国王の城より立派だと人々から言われてとても満足でした。とうとう末っ子も出て行ってしまい、大邸宅は豪商と奥さんの2人きり、あとは別棟の使用人住居に暮らす召使たちだけになってしまいましたが、豪商は満足でした」
かなり大胆で無理矢理なアレンジはしたけれども、この説話の言いたいことからはまあ外れていないだろう。
この時期には珍しく、汗ばむ陽気の中、出された熱いお茶を、あちち、と一口啜り、わたしは大急ぎで話に戻る。
「ところが、最近、豪商も奥さんも体調がすぐれません。食事も贅をつくしながらも召使に命じてバランスの取れたものを用意させていますし、散歩も欠かさず行っています。何かの因縁だろうかと心配している所に、たまたま巡礼の途中の修行僧がこの邸宅に立ち寄りました。豪商はこの修行僧にお布施をし、”何か訳があるのでしょうか”、と尋ねたところ、修行僧は、”天井の裏を開けて御覧なさい”、とだけ言い残して去って行きました。豪商が召使たちに命じて天井を調べると、そこにはゲジゲジやムカデやクモやトカゲが這いまわり、また、それらの糞で埋め尽くされていました。”床も調べよ”、と豪商が命じて召使たちが床板を引き剥がすと、そこには野犬やらネズミやらネコやら得体の知れない獣やらが蠢いていて、しかもそれぞれがお互いを喰らい合い、糞尿と血と腐った内臓とで耐えられないような悪臭を放っていました。このような有様で、表面の煌びやかさとは反対に、土台の腐ったこの家は、いつ崩れ去ってもおかしくない状態でした」
木戸さんの家は仏間も隣の客間もきれいに掃除され、整理されているけれども、さっき廊下を通る際にちらっと見えた居間・・・・まあ、お年寄りだけだとそうなってしまうのも仕方無いのかもしれないけれども・・・・その居間はゴミ屋敷かと見紛うぐらいにぐじゃぐじゃだった。
「お話はそれだけですか」
「え、これだけです」
「あらー、嫌な気色の悪い話でしたね。でも、そんな家もあるんですね。私たちも反面教師にしないと」
ああ。わたしは、あちち、と、もう一口お茶を啜る。
「ところで、今度の3月のお彼岸なんですが」
ご主人がおもむろに話題を切り替えた。
「はあ」
わたしは何だか無力感に包まれて曖昧に返事する。
「息子たちから東京に招待されてましてね」
そうご主人が言うと奥さんが、
「ほら、息子たちも忙しくて東京の家までは行けないからホテルを取ってね。それで、どこか外で一緒に食事しよう、って話なの」
ご主人が、お前は黙ってろ、みたいなジェスチャーをして、奥さんは、はいはい、とつん、とする。
ご主人が説明を続ける。
「そんな訳で申し訳ないんですが、お寺の敷地の、うちのお墓にお花とお供え物をして、お経を上げていただけないかと思いまして。私らが居ないのに勝手なお願いとは思うんですが」
「その分余分に包むから」
そう奥さんが言うと、ご主人がまたお前は余計なこと言うな、と言い、奥さんもまた、あーはい、という感じで遣り取りしてる。
別にいいけど、それって息子さんたちに招待されたというよりも、東京に出て来るので会わない訳にもいかないから、外で短時間で、っていう雰囲気しか伝わって来ない。ちょっと、かわいそうではあるけれども。
奥さんが最後にわたしに言う。
「お父さんに伝えといてね」
あーあ。ま、いいか。
「はあ。父に伝えておきます」
もう、帰りたい、と思いながら今日のお布施と、食べずに包んで貰ったお茶菓子を巾着に入れた。このお金も、お茶菓子も、何だかぼうぼうと炎を立てて燃え盛っているような気がする。
ジョギングもしてるし、気合いの面でも結構頑丈なつもりのわたしだけれども、木戸家の滞在でエネルギーが相当吸い取られたみたい。ふらふらとした足取りで自転車を漕ぐ。
今度は前方から、小学生男子5人が歩いて来る。その真ん中のヤツが、いきなりわたしを指差した。
「あっ、女の坊さんだ!」
いや、確かに事実間違いないよ。
けれども、指差して、声に出して言うのは間違ってるよ。
わたしも憂さ晴らしにもならないと分かっていながら、小学生とまともにやり合う。
「そうだよ!女の坊さんだよ!バカにすると、バチ当てるよ!」
小学生男子共はコンマ数秒で、
「げーっ!」とか、「やばいやばい」とか言いながら、わーっと駆け出して行く。
ちらっと振り返ると、ブタの鼻をしながらお尻ぺんぺんをしてるヤツがいた。
こいつら、歴史遺産に登録されるんじゃないかというぐらいの古からの典型的小学生男子の行動パターンを見せつけられ、更に疲労感が増す。
「ああ、早く、帰りたい」
「あらまあ、こんにちは」
這う這うの体で津田家に辿り着いたわたしを、おばあちゃんが玄関まで出迎えてくれた。
「暑かったでしょう」
とだけ言われる。逆にわたしからこう言った。
「すみません。今日はわたし1人なんです」
「いえいえ。もよりさんは咲蓮寺さんの跡取りですから。ありがとうございます」
おや。”咲蓮寺さんの跡取り”。あれ?なんか嬉しい。ちょっと元気出た。
仏間に通されると扇風機がつけてあった。
「寒かったら消しますね」
「いえ、涼しくて気持ちいいです。ありがとうございます」
ふうっ、と息を一つ吐く。
ちょっと足を崩して座ろうかな、と思うぐらいにゆるやかなほんわり空気が漂う仏間。年長者が暮らす建物の、すっ、とする匂いが流れる。これって決して嫌な匂いではなく、清涼感のある好ましい匂いだな。とかなんとかくつろぎそうになってしまったので、すさっ、と黒衣の足下をずらして正座し、仏壇の真正面に向かう。仏説阿弥陀経を唱える。
津田のおばあちゃんはわたしの斜め後ろ辺りにちょこんと正座して、つぶやくように阿弥陀経を暗唱している。彼女こそ正真正銘の後期高齢者。前、確か84とか5とか言ってたんじゃなかったかな。
扇風機の涼風に髪をなびかせ、黒衣もさらさらとなびかせ、わたしは無心にお経を上げる。
変な女子高生、と思われるかもしれないけれども、わたしはお経のこのリズム感が好きだ。
”
というフレーズを、ずだだだだっ、と言い切る瞬間、はっきり言って、快感だ。
あ、引かないでね。マシンガンのような隙間の無い高難度の歌をカラオケで歌い切った時、あなたも快感でしょうが?
気分良くお経を上げ終え、くるっ、とおばあちゃんの方へ向き直って、手をついてぺこっとお辞儀する。おばあちゃんもわたしよりやや早いぐらいのタイミングで畳に手をついてお辞儀する。
さあ、法話でもしようかな、と思った時、
「もよりさん、ありがとうございました。今、お茶でもいれますから、喉を潤してからゆっくりお話しいただけないですかね」
そう言って、台所の方へ、さっ、と行ってしまった。
正直、ありがたいな、と思った。
わたしは男の坊さんみたいにしゃがれた声なんか出さずに美声(まあ、普段通りの声)でお経を上げるから喉が枯れる、って感じにはならないけれども、それどもちょっとは乾く。
おり?おばあちゃんはお盆に予想と違うものを乗せて持って来た。氷の入ったグラス、ストロー、長めのスプーン、それに、普通サイズのバニラアイスのカップに、ペットボトルのサイダーだ。
「若い方はこういうのよく飲まれるんでしょう」
と言いながら、サイダーをグラスに注ぐ。
”クリームソーダだ!”
はっきり言って、ここ何年も飲んだことはないけれども、わたしの興味は完全にクリームソーダ製造セットに移る。
「アイスはどの位入れますか?」
おばあちゃんが蓋を開けたアイスのカップは、コンビニなんかでも高い方のやつだ。わたしはちょっと声を控え目にする。
「全部、お願いします・・・」
あ、おばあちゃん、えらいにこにこしてる。ちょっと意地汚かったかな。でも中途半端に残ってもしょーがないよね。
おばあちゃんが、グラスに驚くべき器用さで大量のアイスをグラスに盛り、完成品をわたしの前にとん、と置いてくれた。
「どうぞ。おいしいかどうか分かりませんけど」
おおー。いわゆる緑色のメロンソーダではないけれども、これはおばあちゃんバージョンのクリームソーダだ。サイダー使用、ってところがなお粋だ。
「いただきます」
わたしはしばし法話のタイミングを忘れて、古の子供たちの憧れの飲み物を賞味する。
う、うまい!
「おいしいです!」
と、一応女子らしく変換しておばあちゃんを絶賛する。
これだけでなく、更に、とん、とん、と、麦茶と一口水ようかんも出してくれた。
何という厚待遇。ああ、一気に疲れが取れた。おばあちゃんはにこにこして自分は麦茶だけ飲んでいる。
さて、帰ろうかな、というぐらいのまったりした雰囲気になりかけたけれどもそうはいかない。リフレッシュできたわたしは、おもむろに、もともとちゃんと用意しておいたネタを話し始める。
「昔、あるお坊さんが山岳を修行して回っておられたんです」
突然始まった法話っぽいものに、おばあちゃんは、はいはいという感じで座り直す。
「その内に、きれいな清流の川に出ました。お坊さんは少し疲れを癒そうと、その冷たそうな水を手で掬おうとされたんです」
おばあちゃんは、うんうん、と相槌を打ちながら聞いてくれる。プレゼンしやすくてありがたいね。
「そしたら、ぼうっ、と川の中流辺りに男の人の姿が浮かんでるんです。お坊さんは驚きもせず、静かにその男の人に、あなたはなぜそこに居るのか、とお尋ねになりました。”私はこの川で魚を獲って生計を立てていた漁師です。何年か前、私は病を患って死んだのですが、数多くの魚を獲り殺生したため成仏できずにここでさまよっておるのです。”男の人はそう答えました。お坊さんは男の人を憐れに思い、すっと立って姿勢を正して合掌し、お経を上げ始めました。男の人も自然と手を合わせ、お坊さんのお経に感じ入っています。お経が終わりに近づき、男の人の姿が段々薄くなります。”御坊様、ありがとうございます。お経の功徳で私も仏と成れます。仏と成った暁には、この娑婆に仏法の光を注がせていただきます” そう言い残して男の人は合掌したままの姿で、すうっ、と消えてしまいました」
わたしは、こくっ、と麦茶を一口。そして、続ける。
「人間は自分が悪い事をしていなと思っていても、知らずの内に罪を作っているんだ、って思います。この漁師さんも、仕事だから仕方ないはずですけど、それでも殺生の罪は消えないんです。その罪は、仏法の教えでしか溶かしていただくことはできないんです。でも、一旦その罪を仏様が溶かしてくださると、自分自身も仏となって、世を救うことができるんです」
「本当の平等っていうのは、仏様からしか頂けないんですね」
えっ?と、どきっとした。今朝お師匠が言ってた”平等”って言葉がいきなりおばあちゃんの口から出たから。
「今の話の漁師さん、自分は真面目に仕事をしただけなのに、不平等だな、って思う時もあったでしょうねえ」
おばあちゃんの言葉には何か重みがある。
「私、ついこの間、養子を貰うことに決めたんです」
「え?」
思いがけない話だ。話の深さとアンバランスに、おばあちゃんはにこにこ話す。
「私が津田の家に嫁に来たのが64年前。結局、私は子供ができなんだのです。舅も姑も気のいい人たちでしたけど、私を責めるつもりはなくても、跡取りがいないことを寂しそうに言うのを聞くと、そりゃあ辛かったです。他の家では簡単に何人も子供が生まれるのに、私にはできない。そう考えると、なんて不平等なんだろうって思い続けてここまで来ました」
ああ、そうなのか。津田のおばあちゃんでさえ、そうなんだ。わたしはじっとおばあちゃんの話を聞く。
「ただ、私はやっぱり跡取りを残さないことが恐ろしい。誰も居なくなったら、このお仏壇の仏様も、神棚の神様も、ただの紙切れみたいに処分されるんじゃないかと。私が跡取りを残さないばっかりに恐ろしいことになるんじゃないかと」
おばあちゃんは、お仏壇の阿弥陀様のお軸に手を合わせる。
「養子に貰うのは施設の子です。中学校3年生の女の子です」
「中3、ですか」
「はい。縁戚のつてを頼って紹介して貰ったその子は、高校進学も諦めてたみたいでうけど、ああ、うちの蓄えでなんとか高校までは行かせてやれるよ、って。そしたら養子になるって言ってくれたんです」
切実な話だ。わたしはかなり迷ったけれども、言ってみた。
「血が繋がってなくても、それでも・・・・」
わたしの言葉に、おばあちゃんの顔がややきりっとする。
「もよりさん。血が繋がっててもどうにもならん親子だっておるじゃないですか。血が繋がってても互いに憎み恨み合ってる兄弟もおるじゃないですか。そうかと思えば、もよりさんと住職さんみたいに”お師匠”って自分の父親でもきちんと呼びなすって、親子の情でなく、仏法でのより深いつながりを持っとられる親子もおられるじゃないですか」
ああ。わたしはまだまだ修行が足りん!在家の人も皆等しくその人なりの法話を持ってる。おばあちゃんはわたしのためにもう少し話を続けてくれた。
「私は子がおらんから不平等、その子は親がおらんから不平等、ってお持っとった訳です。でも、その子がもうじき家に来てくれて、不平等な者同士が親子になったら、ありゃ、やっぱり”平等”だったのかもしれんなあ、と思うとります。仏さんを途絶えさせるのが恐ろしくて決めた養子でしたけど、結局、平等を頂けたと思っとります」
聞き終わり、わたしはそっと合掌して顔を上げる。
「その子、わたしの一コ下ですね。月参りに来た時、会えたら嬉しいです」
おばあちゃんはにこっとする。
「はいはい、跡取り同士、色々と教えてやってください」
気分よく自転車で帰途に着く。
あ!
前方からさっきの小学生男子共がだらだらと歩いて来る。大方、昼ご飯を食べに一旦家に帰るんだろう。わたしに気付いて、あ、やべ、とかなんとか言ってる。
まったく、遊ぶだけ遊んで餌だけ貰いに帰るのか。憐れな奴らだ。
わたしは先制攻撃をかける。
「こらー、家の手伝いしろよー!」
わたしは黒衣の裾を蹴り上げてペダルを立ち漕ぎし、全速力で走り去った。
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