第7話 夏の終わりにドーン
高校1年生の夏は、何もないまま終わろうとしている。
何もないってことも無かったかな。お盆はとてつもなく忙しかった。近年はお盆といったら一般の家庭はまあ親戚がわっと集まることも少なく、ひっそりとお墓参りをしてあとは旅行に行ったりと、ゆっくりと過ごすのが大勢となっているようだ。けれども、わたしの場合は、お盆の張本人、というか、そのお墓参りやら法事やらをまあ、仕事にしている訳なので。でも、本当は、お盆っていうのは、お寺の問題じゃなくって、個々の家や個人の問題の筈なんだけど。
とにかく、お師匠は高校生になり後継者となったわたしに容赦は無かった。指示など一切なく、自分で考えて動かないとどんどん仕事が滞っていく。檀家さんを回るスケジュールも、登校日や夏休みの学校の課題をこなす予定を考慮して考えないととんでもないことになることが分かった。また、無茶なことと分かっていても、お師匠はわたしがまだ車の免許を取れる年齢に達していないことを本当に極悪のように言い立てた。けれども、これは本当に切実な問題で、車を運転できないということは、地方生活者にとって仕事上も、家庭生活上も致命的なのだ。スーパーでの買い物も、車があると無いとでは、効率が全く違う。わたしは18歳になった瞬間に免許を取ろうと心に誓っている。
1つ、いい事があった。
正座ができるようになったのだ。
ちづちゃんのお蔭でプールに行った日から、みるみる膝が回復に向かい、正座ができるようになったのだ。お盆に間に合った。
そして、再び走れるようになった。嬉しくてしょうがない。
と、こんなようなことがこの夏にあった。まあ、わたしとしては特に不満はない。夏の間に海外旅行へホームステイに行ったり、勉強に没頭できたり、何か青春にとって有意義な活動を行っている若者は大勢いるだろうけれども、神仏やご先祖をほったらかしてやっている限りはそういったことはあまり意味のあることではない、と、負け惜しみのように語るだけだ。
ああ。でもやっぱり。何か青春ぽいことをやってみたかったなー。
「夏といえば、花火でしょ」
学人くんが救世主のように見えた。
その通りだ。夏は、花火だ。けれども8月の20日過ぎにやってる花火大会なんて、あったっけ?
’神降川花火会’
学人くんが声掛けをして、今夜いつもの5人で会場に集合することとなった。
「もよりさんと千鶴さんは、できれば浴衣を」
切望されたけれども、無視。
しかし、気になる。花火大会の名称だ。いや、花火大会、と銘打たれてさえいない。
’神降川花火会’
花火大会ではなく、花火会、なのだ。何だか嫌な予感がする。
「いやー、みんなで花火大会なんて、ようやく夏の思い出ができるよ」
こう言う学人くんにジローくんが一応反論してくれる。
「え、でも、みんなでEKのコンサートにも行ったし、プールにも行ったじゃない」
「いやいや。より青春を感じることができるのは、やっぱり花火大会だよ」
会場は神降川の河口に近い河原。夕暮れ時を過ぎ、空が段々と暗さを増していく時間帯。
確かに、立て看板があり、そこには横書きで’神降川花火会’と毛筆調のレタリングがなされている。けれども、まず、人が少ない。この辺の河原は結構広いのに、ざっと見たところ、50人もいない。花火大会ではなく、花火会としか呼べないような規模であることに納得する。
「主催はどこなの?」
わたしは学人くんを責めるように質問する。
「本郷自治会」
それって、つまり学人くんの町内会、ってことだよね。騙された、とは決して思わないけれども、悪意が無い分余計に性質が悪いんじゃなかろうか。
「ほら、見て。あんな大きい筒のやつもあるんだよ」
大きい筒の奴、というのは、子供の頃に家で花火をした時の花火セットに入っている一番太い筒の奴を一回り大きくした程度のものだった。
決して花火職人が準備をしてドカーン、と打ち上げるような類のものではない。市販の雰囲気満載の代物ばかりだ。
屋台が一軒だけ出ている。ベビーカステラの店。
たこ焼きでも焼きそばでもなく、ベビーカステラ。一体、どうするのが正解なのだろう。花火が始まる前にベビーカステラを買って、食べながら花火を観るのが正しいのだろうか。それとも、家へのお土産として買うのがよりスマートな対応なのだろうか。とりあえず、わたしは買わない。
当然の結果なのだろうけれども、圧倒的に小学生が多い。それに付き添う保護者。
みんなどう思っているのだろう。
「もよちゃん、なんか、こういう感じ、久しぶりだよね」
「うん。小学校の時の’七夕の会’みたいな水準だね」
ちづちゃんとわたしは共通の追体験をしたような気分になる。
「まあ、でもこういうのもいいんじゃない?」
空くんはまんざらでもなさそうだ。
「なんか、これから夏休みが始まるみたいな感じがする」
ジローくんも結構楽しそう。
女子も男子も全員Tシャツにジーンズ。図った様にちょっとそこまで、という感じの普段着だ。その方が雰囲気が出る会だと、つくづく感じる。
「さあ、始めますよ」
自治会長、なのかな?年配の男性の呼びかけで唐突に花火会が始まった。
片手に持って火をつけて火花が噴き出すという家庭でごく普通に楽しめる花火を、大人の人数人で一斉に火をつけ、ただ「おー」と言ってやるだけ。これを花火大会と呼ばないのはやはりこの町内会の良心なのだろう。
でも、なんか楽しい。楽しい自分がいじらしい。
「お嬢さんたちもやってみるかい?」
自治会の人たちがちづちゃんとわたしに声を掛けてくれた。小学生ばかりの中に高校生が5人混じっているだけでかなり目立ってるし、女子高生となれば尚更だろう。お言葉に甘えてやってみることにする。というか、見てる内にやりたくてうずうずしていたのだ、実は。
「わー、懐かしー」
わたしは素直な感想を口にする。シューっ、と音を立てて明るい光を放つチープな、けれども味のある花火たち。小学生低学年の女の子たちが周囲に集まってきた。
「ねえ、もっと明るいやつやって」
「よしよし」
わたしは意味不明な返事でもって彼女たちの期待に応えるべく、景気の良さそうな花火を選んで、蚊取り線香の台に立てられたローソクで火を点ける。
シュワー、っていう感じの音とまばゆいばかりの光を放って、花火は瞬間の輝きを煌めかせる。ちづちゃんも負けじと赤い光の花火で自分の顔を可愛らしく照らしている。きれいだ、ちづちゃん。
そして、この小学生低学年の女の子たちが本当に可愛い。中・高学年の女の子たちも、あと、まあ、男子共もそれなりに可愛い。
「よし、じゃあ、大筒やるぞ。田辺さんとこの学人くん、ちょっと手伝って」
「はい」
学人くんが自治会の人に呼ばれて”大筒”を並べに行く。確かに、これまでやった手荷物花火(手に持つ花火)と比べたらそりゃあ大筒だけれども、細い竹の、更に二回りくらい細い、そんなボール紙の筒だけれども。それでも小学生男女共は大喜びしている。
学人くんが、地元の旦那みたいな風情で自治会のおやじさん方とあーでもないこーでもないと言いながら、ようやく準備を終えた。
「よっしゃ、点火!」
並べた端から着火用の細長ライターで学人くんが火を点けていく。
シュポン! という風にしか表現できないようなゆるい感じの音を放ち、ひゅるひゅると、多分上がっているのだろう。光は見えないが、そこにいる全員が高度を予測して顔を夜空に上げる。
意外に滞空時間が長い。
「不発じゃないの?」
小学生男子が遠慮なしに真実を告げる。出鼻を挫かれるというのは正しくこういう状態の時にこそ使うべき言葉だろう。
「こら!学人くん、何しとるんだ!」
「俺のせーじゃないですよ!」
おやじさんとおかみさん連中と掛け合いしながら学人くんは次の筒に火を点ける。
シュポン! までは同じだ。今度は予想に反してすぐに結果が出た。
ポン!
本当にそういう音なのだ。多分数メートルしか上がっていない状態なので、何の形にも見えない発光と、ポンという気の抜けるような音が同時だった。
「たまやー」
と、小学生共は花火が消えて数秒も経ってから声を掛け、何がおかしいのかげらげらと笑っている。学人くんは面倒臭くなったのだろう、素早いタイミングで上がるか上がらないかの内に次々と点火していく。
「あ!これ、パラシュートだ。俺、もーらい!」
決して頭脳明晰とは言えないけれども、絵に描いたような小学生男子共像の言動で、パラシュート付の打ち上げ花火の、そのふらふらと向こうの方に落ちていくパラシュートを5,6人の小学生男子共が追っ掛けていく。学人くんはそれには目もくれず、花火の点火を続ける。
「おっ、ラスト」
最後の筒に火を点け、まったく同じ流れ作業のようにシュポンと音を立て、ポンと弾けて、
「おー」
パチパチ、とまばらな拍手で終わった。
「はい、じゃあ例年通り最後はみんなで線香花火やりましょう」
おー。心憎い。
そうなのだ、夏の終わりに何が足りなかったのか、やっと分かった。
線香花火とその物悲しさだったのだ。
学人くんと、気が付いたらいつの間にか手伝わされているジローくんと空くんの高校男子3人組は、小学男子共に線香花火をばら撒いている。
「ほら、人のを横取りしちゃだめだよ」
普段大人しいジローくんもまんざらでもなさそう、というか、3人組に奇妙な男らしさを感じてしまうのだから不思議だ。
「もよちゃん、あの子」
ちづちゃんがふっと顔を向けた先に、小3ぐらいの女の子がぽつんと立っていた。
わたしも実はさっきからちょっと気になってはいたのだ。他の子らは男子も女子も大はしゃぎで我を忘れてるのに、あの子だけ、その喧騒から外れて、寂しそうに、というよりは悲しそうな顔をしていた。
「よっし、行ってみようか、ちづちゃん」
「うん」
ちづちゃんがまずその子ににこっ、と笑いかける。
「線香花火、貰った?」
声を掛けられ、その女の子は悲しそうな表情のまま、ちづちゃんとわたしの方を見る。
「わたしは千鶴。あなたは?」
「さゆり」
「へー、わたし、もより、っていうんだ。さゆりともよりってなんだか響きが似てるよねー」
さゆりちゃんは笑わず、ただこくっと頷く。
「一緒にやろ?」
ちづちゃんはさゆりちゃんに線香花火を渡そうとする。さゆりちゃんは首を横に振って、
「ううん、いい」
と、断った。
ちづちゃんは嫌な顔ひとつせずにさゆりちゃんに話し続ける。
「どうしたの?何か悲しい事でもあるの?」
さゆりちゃんはちづちゃんの言葉に、目をじわっとさせる。
「あのね。夏休みの間、この近くのおばあちゃんの家にずっと泊まってたんだけど、もう、明日帰らなくちゃいけないの」
「おばあちゃんと別れるのが寂しいの?」
ちづちゃんとさゆりちゃんの遣り取りが続く。
「それも寂しいんだけど、家に戻ったらまた学校に行かなくちゃいけないから」
「学校、嫌い?」
「うん」
「どうして?」
「話す相手がいないから」
「そうなんだ・・・」
ちづちゃんは自分のことのように悲しそうな顔をする。
さゆりちゃんはいじめられているのかな、と一瞬思ったけれども、最近精度を増してきたわたしの直感によると、積極的ないじめにあっているというよりは、大人しくて一人でいる時間が多い、という感じがした。
さて。残ってるのは線香花火。わたしは無謀にもこれで景気づけをやろうと考えた。
「よし、さゆりちゃん、ちょっと見ててね」
わたしは線香花火に火を点けてしゃがみ込む。つられてちづちゃんもさゆりちゃんもしゃがみ込む。
淡い光で、か細い、しゅーっという音を立てる線香花火。ほどなくしてチ、チ、という音と小さな稲妻の集合体のような火花に変わり、火の玉ができ始める。
さあ、唐突だけれども、わたしが自負している自分の特技の一つに、”匙加減”がある。これは文字通り自分で料理を作ったりする時の物理的なものから、人の心にどこまで踏み込んでもOKかといったような心理的なものまで全般にその能力が及び、”まあ、こんなもんだろう”というバランスの取り方が、自分でもいけてると思う。
わたしはその匙加減で線香花火の火の玉を最大限の大きさにまで膨れさせようと試みる。
意識を集中させ、自分の手先の震えや風、玉の左右前後のバランスもすべて上手い具合にコントロールする。見る間に玉が直径1センチぐらいになった。
「わ、すごいね」
ちづちゃんが感歎の声をあげ、さゆりちゃんもぐっと顔を花火に近付けて凝視する。女3人の顔が線香花火の火にふうっと照らされていい感じになってる。自分の顔は見えないけれども、ちづちゃんとさゆりちゃんの色っぽい顔を見れば自分もいい感じになっているであろうことが分かる。
「まだまだ」
わたしは呟いて目に見えない力もご加担いただくべく、唇で微かにぶつぶつと呟く。
「南無阿弥陀仏阿弥陀仏・・・」
気が付くと火の玉は2センチ近くになっている。
「おい、ちょっとすげーぞ!」
小学生男子が大声を出してギャラリーを集めてくれる。周囲がざわざわしてきた。会場のほぼ全員がしゃがんでいる女子3人の周りに集まって来ている。学人くん、空くん、ジローくんもいる。
「もよりさん、すげーよ!」
男子3人組が大喜びしている。ギャラリーが集まることもわたしは想定済み。
火の玉が2センチを超えた!
「はい、さゆりちゃん!」
「え、ええっ!?」
すっとさゆりちゃんに線香花火を差し出すと、思った通り、さゆりちゃんは反射的に受け取ってくれた。
「さゆりちゃん、頑張れ!」
ちづちゃんの応援にさゆりちゃんの顔は真剣そのもの。ギャラリーも息をのむ。
南無阿弥陀仏阿弥陀仏・・・・とわたしは念じ続ける。
さゆりちゃんの小さな手の細い指の先にぶら下がった火の玉はまだ大きくなる。
2センチ1ミリ、2センチ3ミリ、2センチ半、とうとう、大きい方のビー玉くらいの大きさになった時、ようやくぽとっと落ちた。
「ほおーっ!」
「すげーぞ!」
ギャラリーも緊張が解け、パチパチと盛大な拍手をしてくれた。
「やったね!」
わたしはそう言って、女子3人でハイタッチをする。さゆりちゃんもパチン、と手を合わせる。ようやく、にこっ、と笑ってくれた。
とても可愛い笑顔。
明日の朝もこの笑顔が出てくれてたらいいな。
「女子3人組、お疲れさん!」
会場にいた人たちが三々五々で帰って行く中、学人くんの元気な声で男子3人組が現れた。
「さゆりちゃんだよ」
ちづちゃんが紹介する。
学人くんは右手に持っている”大筒”をぱっと突き上げる。
「これ、最後の最後の一発」
花火会で打ちあげてた”大筒”よりも確かにちょっとだけ大きい。でも、まあ、五十歩百歩かなー、という感じは否めないけど。
「くすねてたの?」
わたしがそう言うと、学人くんは、
「違うよー、これは俺の私財を投じたとっておきのやつ!これで本当の夏の終わりにしようと思って」
人がまばらになった河原で、ぼん、と筒を立てて学人くんが着火しようとする。
「ちょっと待って。本当に最後の景気づけならさ・・・」
空くんの呼びかけに6人は円になり、ひそひそと打ち合わせる。
「よし、じゃあ、行くよー・・・」
しゅっ、と点火して学人くんがカウントする。
「3、2、1・・・・はい!」
「ドーン!!」
6人一斉に腹から声を出し、”大筒”のポンというしけた音をかき消し、盛大な大声を響かせた。
さゆりちゃんの声、でかかったー。
6人でげらげら笑った声もでかかったー!
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