第275話 キュートなスイーツたち・・・その2
半身で格子戸の中を覗くと咲蓮寺の家屋部分と同じ感じの玄関だ。それだけでこの民家が年代モノであることが分かる。
声の主はと玄関から見える居間らしき部屋を見ても誰もいない。
「うわ!」
年老いた女性が玄関のコンクリート土間にへたり込んでいた。
「ちょ・・・おばあさん、大丈夫ですか⁈」
「ああ、大丈夫・・・それより、ねえさん?」
「は、はい」
「サイダー買ってきてくれんか」
「サイダー?」
「表に出て左に曲がったところにタバコ屋があるだろう。その隣に自動販売機があるから」
そう言ってわたしに千円札を一枚差し出す。
「え? 」
もしかしたらこれもお馴染みとなった複雑怪奇現象の
かっぽう着を着たおばあさんの手があまりにも自然に出されたので反射で千円札を受け取ってしまう。
どう考えたって普通じゃない状況なのにわたしは言われるままにタバコ屋を探した。
店構えはあるにはあったけど、もう随分前から営業していない感じのタバコのショーケース。
その隣を見ると確かに古典的な自動販売機がある。
「あれ? サイダーなんてないじゃん」
わたしはおばあさんの言葉を意訳して、『炭酸飲料』を買って来いという風に理解した。
ちょうどグレープの微炭酸があったのでそれを買う。
ジャッジャッと出てきたお釣りを握り込んでおばあさんの所に戻った。
「すまんが開けれくれんかね」
プルトップを開けて渡してあげると、おばあさんは驚くぐらいスムーズにゴクゴクと飲んでいった。
「ああ・・・生き返った。ありがとね」
「いいえ」
わたしがお釣りを渡そうとするとおばあさんは拒んだ。
「それはお駄賃じゃ。取っておいて」
「え、そんなことできません」
「いいから」
「困ります」
へたり込んでいたお年寄りの割に異様に力がある。押し付けてくる小銭をわたしもかなりの力で押し返さないといけなかった。
「どうしても受け取らんというなら、せめて上がってお茶でも飲んで行ってくだされ」
はっきり言って、嫌だった。
けれども、なんだかおばあさんの厚意を無碍に断るのもかわいそうな気がして、狭い畳の間に上げてもらった。おばあさんはよっこらせっと立ち上がり、やや足が不自由そうだけれども普通に歩いていた。
「すまんねー。年の瀬から飲み物と言えばお茶ばっかりでねー。スッキリしたもんが飲みたかったんだよ。かと言って表は大雪で出るに出られんし。そんな時、ねえさんが通りかかったんで這々の体で玄関まで来て呼んだわけさ」
「はあ・・・あの、ご家族は?」
「ワタシひとりじゃ。じいさんも一昨年死んでしまってな」
ちらっと部屋の奥にあるお仏壇を見ると、そのおじいさんの遺影が立てられている。それと、阿弥陀如来さまのお軸があり、ここの家も浄土真宗だと分かった。
「じゃあ、おばあさんお一人で大変ですね。買い物とかどうされてるんですか?」
「ヘルパーさんにやってもらっとるよ」
檀家さんのおじいさんおばあさんと比べて見て、このおばあさんはそこまで介護度は高くないと思った。せいぜい要介護1か2で、在宅でヘルパーさんの力を借りればなんとか一人暮らしは可能なんだろう。
それよりもわたしは気になったことをついつい職業柄口に出してしまう。
「あの。お正月なのにお仏壇が随分寂しいですね」
「ああ・・・お供えのことかね」
「はい」
「ワタシも仏さんには申し訳ないと思ってるんよ。ただ、ヘルパーさんにもこういう宗教っぽいことに絡んだ用事やら買い物やらはなかなか頼めんでなあ・・・規則でダメらしいんよ」
「へえ・・・そうなんですか」
なんとなく、分かる。そういう世の中だ。だから咲蓮寺も火の車なわけなんだけれども。
わたしはそういうつもりは全くなかったんだけれども、なぜか自然とこう言っていた。
「おばあさん。よかったら、これ」
「鶴かね」
「はい。鶴は千年、の鶴です。長生きできますよ」
「ねえさん。ワタシが長生きなんて。もういいわいね」
檀家さんもこんな風に言う人が多い。言わんとすることは分かる。高校生の、ほんの小娘のわたしにだって分かる。
返事の代わりにこう言ってみた。
「わたし、寺の娘なんですよ」
「あら。そうかね!」
「なので、お経あげさせてください。お経あげるのに何も無いのもアレなんで、この鶴、お供えさせてください」
「あらあら・・・新年からなんと勿体ない」
「いえいえ。全然気になさらず。これも巡り合わせです」
そんな訳で、わたしは見ず知らずのこのおばあさんの家の仏様に向かって仏説阿弥陀経をあげることになった。
わたしがローソクに火を灯しお線香にも火をつける。
「あらあ・・・年寄りの家だで火事になったらいかんていうてローソクも使わんとおったもんで。ありがとうね」
わたしが仏説阿弥陀経をあげる後ろでおばあさんはきちんと正座して手を合わせている。
要介護の身で正座はきついだろうに、こちらこそ勿体ない気持ちになってくる。
お経を終えるとおばあさんはわたしにせがんだ。
「図々しいついでに、何か法話をしてくださらんかね」
「はい・・・では」
・・・・・
ある所に仲のいい兄弟がおりました。
兄弟の父親は他国での仕事が忙しくて故郷に帰ってくることは稀でした。
その仕事は過酷で、転々といくつもの国を馬で巡り、強盗や豪商人とのぎりぎりの交渉で心身ともにすり減らす内容のものでした。
長いこと故郷に音信がなかったのですが、西方の国での滞在中に病気で急死したという知らせが兄弟の元に届きました。
兄弟は足の悪い母親を故郷に待機させて、父親の亡骸を引き取りに出かけました。
昔のことですから兄弟も馬で移動します。当然亡骸をそのまま持ってくる間に腐敗してしまうので、現地で火葬してから遺骨を持って母親の所に戻ってきました。
「おや、その女は誰だい?」
夫の遺骨と共に兄弟が連れて来たのは若く美しい女でした。
「あなたの旦那様の、西方の国での妻でございます」
女の自己紹介に母親は激怒します。
「何ですって! 私というものがありながら!」
・・・・・・
「ありゃありゃ。そりゃ、不倫じゃないかね」
「はい、現代で言うところの」
「ろくでなしじゃね、その旦那は」
「まあ、続きを聞いてください」
わたしは再び話に戻る。
・・・・・・・
ところが、母親の剣幕に反して、兄弟の2人は全く違う態度でした。その西方の国の愛人に対してこう言います。
「遠い異国の地で父親に尽くしてくださってありがとうございます。貴女がいなければ父は病の中、孤独に死んで行ってしまうところでした」
母親は憮然として故郷の名高い高僧に訴えに走ります。兄弟も驚いて後を追いかけます。
「
母親は夫と女を罵る言葉を延々と続けます。ひとしきり聴き終えると、高僧は静かに兄弟に問いかけます。
「兄弟よ。汝らが西方の国へ行った時、かの愛人はどうしていたかね?」
「はい、聖人様。父の亡骸の元で、一心に仏様に祈っていました」
「ほう、それで?」
「あの
「な、なんと!。私がいくら誘っても決して手を合わせなかった無信心のあのひとが・・・ええい、口惜しい!」
「奥方よ」
高僧は静かに母親に語りました。
「たった2週間でも仏との深い縁を結ぶこともあるのじゃ。かの愛人のお蔭じゃて」
「聖人さままで・・・」
「のう、奥方。それもこれもこれまでの奥方の積み重ねがあったればこそじゃ」
「え」
「物事の結果というものは人間の想像もつかん時機に訪れる。奥方の普段からの夫を済度せんという誘いの繰り返しが、遠い異国の地で身を結んだ。のう、兄弟よ」
「はい」
「お主らの心は柔らかじゃ。ならぬかんにんをなすことを知っておる。これも母上のお主らへの教育の賜物と心せいよ」
「はい」
「聖人さま・・・」
「奥方よ、そういうことじゃ。貴殿の2人の息子たちのこの態度が奥方のこれまでの積み重ねの答えじゃ。この柔らかな心は奥方の心から出ておるのじゃ。貴殿はかの女を今はかんにんできんでも差し支えない。時機が来たらかならず貴殿の心も溶ける。この息子らの母親じゃからの」
・・・・・・・
「この兄弟は父の故郷でその愛人に家を与え実母と同じように生涯養ったということです」
「母親はどうなられた」
「兄弟の愛人に対する扶養をかんにんし、最後は菩薩さまに変化されたそうです」
「おお、おお・・・・」
おばあさんは、涙をこぼす。
「おばあさん、泣かないでください。おばあさんも必ずおじいさんをかんにんできる時がきますよ・・・時機になれば・・・」
「そうじゃろうか・・・そうじゃろうか」
「わたしが約束します」
「ねえさん・・・ねえさん・・・」
わたしは法話の後、自動販売機までの歩道を除雪した。
鶴も貰い、雪かきまでしてもらって、せめて「おかき」を持って行ってくれとわたしに袋を押し渡した。
「じゃあ、遠慮なく」
わたしは「おかき」を受け取っておいとまする。見えなくなるまで手を振ってくれているおばあさんに、寒いから中に入って、と声をかけた。
「どうしうよかな、このおかき」
気持ちばかりのものとはいえ、なんだかそれでも勿体ない気がした。
わたしは少し歩いた先の民家の軒先にお地蔵様の小さなお堂があるのを思い出した。
そのお地蔵様の前に来ると、誰がしたのか、正月用の普段よりも華やかな花が供えられ、ローソクの火もきちんと灯されていた。
わたしは開き戸をあけ、おばあさんのおかきをお供えして手を合わせた。
・・・・・・・・
後日談、というか、それから1ヶ月ほど経った頃、おばあさんはどうしてるだろうかと思って家の前まで行ってみた。
「あ」
家は跡形もなく、コインパーキングになっている。
不思議ではあるけれども、あり得ないことではないと思った。
木造の民家を取り壊して整地し、コインパーキングを作る工事は2週間あればできる、ということなので。
ならばせめてお地蔵様に挨拶しようと歩いて行ったら、お地蔵様のお堂もなくなり、そのお堂の跡の四角い部分が新しい白いコンクリートで固められていた。
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