第247話 奇跡の5歳児・・・その5

「仏のひ孫からお茶会のお誘いとは光栄だ」

「そんな大げさじゃないよ。ほうじ茶だし。ね、もよもよ」

「もより、久しぶりだな」


真世ちゃんが軽くあしらった後、近本はわたしを舐めるような目で見つめてきた。未だにこの男のわたしに対する感情が分析しきれない。


「近本。彼女を仏の子孫と知ってやって来るとは随分な自信だな」

「お師匠。私はそんな肝の座った神ではない。ちゃんと用意周到で来てるさ」

「用意周到?」


お師匠の疑問符に近本はニヤニヤする。

すぐに真世ちゃんが反応する。


「クマさんを連れて来たんだね」

「ほう。さすが仏のひ孫。視えるのか」

「うん。大きいクマさんだね。『森のクマさん』じゃないね」


お師匠の顔が険しくなる。


「あの時の熊だけじゃないのか?」

「ああ、お前が懐刀で殺した熊か。あれはまだ弱い個体だ。私は海峡を超えさせて北から全部で3頭『配備』した。あと2頭いる」

「どこだ?」

街中まちなかだ。私が『思念』すれば熊は人を襲う。人肉の味も知ってるぞ」

「お前は・・・」

「おい。まだ口の利き方がなってないな。神をお前呼ばわりするなよ」

チカちゃん」

「なんだね、ひ孫」

「クマさんならそこにいるよ」

「あ?」

「ほら、そこ」


近本の顔色が変わる。


本堂の前の庭に、2頭の熊が四つん這いでじっとこちらを見ている。


「バ、バカな!」

「わたし、バカじゃないよ」

「どうやったんだ⁉︎」

「え。チカちゃんと同じ。はじめからそこにいたよ」


近本の額から頰にかけて夥しい量の汗が一気に吹き出している。その後の真世ちゃんの言葉が更に衝撃的だった。


「クマさん。多分この神様、人間よりおいしいよ」


止まっていたクマがゆっくりと近本に視線を移して近付き始める。近本は何やら熊に向かって禍々まがまがしい呪文を唱えるが熊は歩みを止めない。


「ひ孫」

「なに」

「止めてくれ」

「やだ。止めない」

「もう、人間の前に姿は現さない」

「嘘。だってこうしてクマさんとか他の人間とか使っていろんなイタズラするもん」

「しない。誓う」

「神様が誓うって、何かヘン」

「約束する」


真世ちゃんは、うーん、と言って少し考える。お師匠に顔を向ける。


「お師匠。どうしよう?」

「ためらっちゃダメだ。今、悪鬼神の根を断ち切るんだ」

「だって。チカちゃん、ごめんね。やっぱり今日がチカちゃんの寿命みたい。じゃ、みんな。ちょっとだけ力貸して。みんなでもよもよと一緒に唱え言葉言ってね」

「あ、ダメだ真世ちゃん! あなたと私の2人だけでやるんだ!」


お師匠が叫んだ瞬間、近本がニヤッと笑って、ぶん、とワイシャツの袖を振り抜いた。彼の袖元から鈍い光を反射する金属片がご本尊にまっすぐ放たれた。


「あ!」


いつの間にかロウソクの火が消えていた。そして、御本尊の胸の辺りに、錆びかかった短い刃物が突き刺さっていた。


近本の動きは流れるようにまだ連動している。

わたしたちが止めるタイミングなど測れないまま、今度は、ぶっ、と真世ちゃんの顔に向かって唾を吐いた。


「あー!」


眼をつぶる真世ちゃん。


「ふふ! 他の奴らはやっぱりだだの人間だな。私の肉片を見るのを怖がりおって!」


近本は庭を全力で走り去る。去り際にこう言った。


「これでひ孫は来年死ぬ!」


「もより! 唱え言葉!」

「え、え」

「熊を鎮めろ、早く!」


考える間もなかった。

今度こそ躊躇なく唱えた。


「南無阿弥陀仏ということは、まことのこころとよめるなり。まことのこころとよむうえは、凡夫の迷心めいしんにあらず、まったく仏心ぶっしんなり!」


無我夢中で唱えると、熊は微動だにせずその場でこうべを垂れた。


お師匠が自分の懐刀で熊の眉間を何度も刺す。


「南無御本尊、南無御本尊・・・」


熊はほんの少しうめき声をあげるだけで、お師匠に自分の命を委ねてしまっているようだ。

御本尊を唱えながら返り血を浴びて鬼気迫るお師匠の姿の前に2頭ともゆっくりとこと切れた。


「真世ちゃん!」


5人組みんなで真世ちゃんを囲む。

彼女はもう平静を取り戻していた。

ごく普通の調子でこんなことを言う。


チカちゃんにやられちゃった。やっぱり神様だね。来年の6歳の誕生日がわたしの寿命になっちゃった」

「本当にそうなの?」

「うん。すごい色んな悪いこと知ってるみたい」

「ごめんね。ほんとにごめんね。わたしたちのせいだよね」


ちづちゃんが泣く。


「ううん。ちづっち、気にしないで。結局は6歳がわたしの寿命だったんだ、ってことだよ。それよりもよもよ、ごほんぞんの刀、抜いてあげて」


思考できないまま、その錆びた短刀を抜いた。


「これって・・・」

「近本の御神体だろう」

「えっ?」


熊を屠った血まみれの姿のままお師匠はご本尊の前まで来ていた。


「もよもよ、チカちゃんの壊される前の神社にあったご神体のひとつだよ」

「自分の一部、ってことだよね? それを投げたの?」

「もより。そうまでしないと神ですら真世ちゃんには対抗できないということだ。だが・・・真世ちゃん。本当に申し訳ない。あなたのご両親にもどうやってお詫びをすれば・・・」


甘いとかいう問題でもない。


『悪鬼神』と対峙することは命がけだという事実をわたしが素直に受け入れることができなかっただけだ。


わたしの愚かさのために真世ちゃんが命を縮めた。


他の4人も責任を感じている。


「気にしないで。人生わずか50年。それこそ、6歳でも50歳でも100歳でも、人間の命の長さなんて50歩100歩だよ」


真世ちゃんの言葉に、でも、わたしたちは、やっぱり、


救われない。


・・・・・・・・・・


畜生ながら寿命を覚悟して死んだ熊と、坊主ながら業を担ぐことを覚悟で殺生したお師匠を、警察もマスコミも興味本位で扱うことはしなかった。

警察はお師匠の懐刀がきちんと登録証もあったこともあり事件性はないものと判断してくれた。

マスコミも熊が市街地に出没したという事実を淡々と捉える記事として、冷静に扱ってくれた。


ただ。


近本の体の一部であるはずの、その御神体たる短刀は、御本尊のお膝元に隠してある。


「もよもよ、楽しかったよ」


迎えに来たお父さんと一緒に新幹線に乗りもうとする真世ちゃんは、にこにこした顔でそう言ってくれた。

お師匠もわたしも5人組のみんなも、お父さんと真世ちゃんの前で深々と頭を下げた。


「皆さん、どうぞお顔を上げてください」


真世ちゃんのお父さんは笑顔でそう言った。


「私も祖母のことは覚えております。真世が生まれて一年ですぐに亡くなりましたが、まだ喋れもしない、歩けもしない真世にずっと仏様の世界の話を語ってくれました。それを真世は無意識に心で覚えているんです」

「そうでしたか」

「咲蓮寺さん、わたしもその祖母の血を毛ほどにしろ受けています。真世が仮に6歳までの命だとしても、仏のひ孫として私たちも想像できない人助けをしていくのだろうということがわかります」

「ですが、奥様にも」

「妻も同じです」

「お師匠、もよもよ。わたしのお母さんはめそめそしないと思うよ。もよもよのお兄ちゃんが死んじゃった時のお師匠と同じ。ね、もよもよ」

「うん」

「もよもよは、お師匠のこと、わかってあげてね」


新幹線がホームに到着した。


「じゃ、またね。また遊ぼうね、みんな」


行ってしまった。


泣けて仕方なかった。

ちづちゃんも泣いている。


男たちは目を閉じて列車が去る方向にしばらくこうべを垂れていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る