第220話 あなたが欲しい・・・その1

黒猫さんの『ヤスミノービル』のお陰で長期延長されていた夏休みもようやく終わり、今日が始業式だ。

全校生徒がぞろぞろと体育館に向かい、校長先生の話を休みボケの聴覚で聞いた。ほぼ訓話が終わりかけた頃、校長先生がこう言った。


「えー、今日は熊山くまやま運輸の熊山くまやま 士郎しろう社長がお越しになっておられます。地元企業としてインターン制度を導入しようと検討しておられ、その取り組みのご紹介をいただきます。では、熊山社長、お願いします」


「あら」


先日のナイターでわたしをピンチランナーに立ててくれたあの社長さんだ。


「やあ、ジョーダイさん。この間はありがとうございました」


熊山社長はすぐにわたしを見つけ、マイクを通して挨拶をしてきた。

わたしもなんとなくお辞儀する。


「もよりさん、何何、どうしたの?」

「学人くん、後でね」


小声で学人くんを制し、社長の話を聞く。


「熊山運輸は当エリア製造業の輸送手段の中核として地元企業の皆様からご愛顧いただいております。もしかしたら皆さんのご両親がお勤めの会社様にもお世話になっているかもしれません。この場をお借りしてお礼申し上げます」


社長は深々とお辞儀する。

うーん。見習わなきゃね。


「さて、今日はみなさんに当社のインターン制度についてご説明に上がりました」


そう言って、そんなに若くもない熊山社長自らタブレットPCとパワポを手際よく操作し、実に要領よくプレゼンしてくださった。あるべき企業トップってきっとこんなんだね。


「北星高校は大学進学率がほぼ百パーセントとお聞きしています。ですので皆さんがもしインターン制度をご活用くださるとしたら大学に行かれた後になるでしょう。ただ、皆さんの地元にこういう会社もあるということを心の片隅に置いて、世界へと羽ばたいて下さい」


こういう場面には珍しく大きな拍手が起こった。学生相手だろうと手を抜かずに仕事すれば結果は素晴らしいものになるってことだね。


「上代さん、ちょっと校長室によって下さい」


なんとなく予想はしてたけれども、正直気乗りしない。生徒会長選挙の一件以来、わたしは校長だとか教頭だとかを全く信頼していない。まあ純粋に熊山社長に挨拶するだけの気持ちでいよう。


「上代さん、座りなさい」


校長・教頭が応接席に腰を下ろしている。わたしが部屋に入るなり熊山社長が立ち上がって深々とお辞儀をしてくださった。

わたしも最敬礼でお辞儀をする。


「ジョーダイさん、この間はありがとうございました。またお会いできて本当に嬉しいですよ」

「熊山社長、わたしの方こそありがとうございます。まだあの時の興奮が冷めません」


一介の女子高生であるわたしが実業団野球のサヨナラのホームインをしたのだ。こんなこと一生ないだろう。


「ジョーダイさん、まあインターン制度の紹介にかこつけてお邪魔しましたが、本当はあなたにちょっとご提案があって伺ったんですよ」

「え。何でしょうか?」

「もしよろしければのお話なんですがね、うちの陸上部の練習に参加しませんか?」

「え?」

「熊山運輸さんは陸上部も強豪で中部地区の大会でも上位なんだよ」


教頭。別にあなたの解説は不要ですよ、とわたしは心の中でつぶやいた。


「いや、教頭先生から過分なお褒めの言葉をいただき恐縮なんですが、うちの陸上部は非常に懸命にかつ合理的にトレーニングに取り組んでいます。聞けばジョーダイさんは特に中距離走で非凡な才能を見せておられるとか。いかがですか?」

「社長。それは北星高校の陸上部も参加させていただけるんですか」

「残念ですが、集団での受け入れはコーチ人員や施設の規模からも無理です。何よりも心配なのは実業団の質・量ともに密度の濃い練習に高校生が耐えられるかどうかということです。はっきり言ってフィジカルよりもメンタルの面で」

「それはわたしも同じことですよ。それどころか帰宅部ですよ、わたしは」

「ジョーダイさんにごまかしは通用しないようですからはっきり言います。陸上とかスポーツとかいう話ではありません。わたしは当社にあなたが欲しいんです」

「わたしが欲しい?」

「はい。将来の社員として今のうちにあなたを確保しておきたいのです」

「・・・」


教頭が頓狂な声を出した。


「熊山社長、上代さん1人を特別扱いするわけにはいきません。それに、はっきり言って上代さん以上に優秀な生徒も多勢いますので、皆を納得させることも難しいと思います」


熊山社長の顔つきが一気に厳しくなった。


「教頭先生、甘いですよ」

「は、はあ・・・」


その後は熊山社長は校長・教頭の顔に一瞥もくれなかった。ただただわたしの目だけを見て話し続けた。


「熊山運輸は確かにご愛顧いただき今は業況は好調です。ですが明日もそうだという保証はまったくありません。ジョーダイさん」

「はい」

「わたしは日々戦っている。いえ、社員・野球部員・陸上部員・それどころか入居ビルの清掃スタッフさんにいたるまで総動員で常に臨戦態勢です」

「清掃スタッフさんも、ですか?」

「そうです。わたしは社員には清掃スタッフさんにも必ず挨拶するよう指導している。『おはようございます』『お疲れ様です』と。なぜだかわかりますか?」

「いえ。わかりません」

「素直で非常に結構です。ジョーダイさん、清掃スタッフさんに気持ちよく仕事してもらえれば、社のトイレがピカピカになる。取引先のお客様が来社してくださり、きれいなトイレをみたら気持ちが和らぐでしょう」

「はい」

「それに、清掃スタッフさんの方も社員に声をかけてくださるようになる。『朝早くから大変ですね』『残業おつかれさまです』と。わたしや部長連中などの言葉よりも清掃スタッフさんの言葉の方が社員たちの心を癒し活力を与えることもある。どうでしょう、ジョーダイさん」

「素晴らしいお考えだと思います」

「考えではありません。わたしはまず自分が即・実行し、社員たちにも実行を求めます。そうしないと本当に生き残れない世界なのです。もはや単に営業成績をあげればいいという低レベルな戦いではないのです」

「すみません。わたしが甘かったです」

「いいえ。ジョーダイさんご自身は甘くない。校長先生、教頭先生、大変失礼なことをこれから申し上げますがよろしいでしょうか」

「はい。なんなりと」


そういって初めて熊山社長は校長・教頭に、きっと向き直った。


「お二人にはもっと高等教育というものの本質を捉えていただきたい」

「高等教育の本質?」

「はい。たとえば今わたしが話したような社員と清掃スタッフさんのやりとり。それから、ミスを冒した同僚へのフォロー。社内いじめのような非合理な行為を絶対に許さない強い心。当社の野球部や陸上部のように『戦う姿』を社員に見せる真摯さ」

「お言葉ですが社長。企業が運動部を持つことはコストでもあるのではないですか」


うわ。教頭、ちゃんとまじめに今までの話聞いてた?


「教頭先生、いくらコストだと言ってあなたはご飯を食べずにいられますか?」

「それは・・・」

「わたしはうちの運動部は社の『栄養』だと思っています。戦う活力だと思っています」

「わたしはこの間の試合でそれを感じました」

「ジョーダイさんさん、ありがとうございます。教頭先生、生徒さんたちの幅広い『能力』に気づいてください。今わたしが話したようなことはまどろっこしい幼稚なことのように見えるかもしれませんが、すべて人間の『能力』です。しかも、子供の頃から積み重ねないと決して身につかない。ジョーダイさんはその『能力』を持っている。だからわたしは彼女が欲しいんです」


そして熊山社長は決定的なことを付け加えた。


「『学問』という範疇でしか高等教育を捉えてないとしたら、そんなものは子供のお遊びでしかない」


校長・教頭は押し黙ってしまった。

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