第219話 ランニングのナイター・・・その3

負傷退場した4番バッターの代わりにわたしはピンチランナーとして一塁に立っている。

なりゆきでコトが運ぶのが世の常だということをつくづく実感する。


「どうです、そのお嬢さんに走っていただいたら」

「あ、社長!」


「え、社長?」


さっきわたしにランニングコースを使いなさいと球場に入れてくれた男性だ。スタッフフォルダをぶら下げているのでてっきり球場職員さんかと思っていたら、実は県内チームである運送業者の社長さんだった。自社のチームと社員さんたちの慰労のために差し入れ持参で時折観戦にくるのだという。

その社長が暴れていたコーチの肩をぽんと叩いてこう言った。


「コーチ。このお嬢さんが間に入って下さらなかったらあなたはまた乱闘を起こしていたかもしれませんね」

「いえ、そんな・・・」

「現にこのお嬢さんにも無礼な態度をお取りになっていたではないですか」

「は、はい。すみません」


社長の言葉はとても丁寧で年長者への敬意と礼節を欠くものではないけれども、内容は非常に厳しいものだ。企業のトップっていうのはこんなものなのかな。


「お嬢さん。こうしてあなたが争いを回避してくださったのも何かのご縁でしょう。お世話になりついでに我がチームの勝利にも御貢献いただけないでしょうか」

「え・・・ほんとにわたしが走っていいんですか?」

「はい、もしよろしければですが。それに、お嬢さんの足の筋肉のつき方や体幹がピシッとした体つきを拝見しても相当自信がおありとお見受けしました。・・・おっと、これはセクハラになってしまいますかね」

「いえ、全然」

「ただ、硬球を使用した実業団選手たちの試合ですからね。出ていただく以上はお嬢さんにもプレーに集中して真剣に臨んでいただかないといけません」

「社長、こんな素人に」


コーチがそう言うと社長の表情が変わった。


「素人? ではお聞きしますが、あなたたちはプロですか?」


相手チームも含めてその場の全員がしん、となる。

厳しい言葉だ。

けれども、次の瞬間、社長は笑顔に戻り、こう言った。


「このお嬢さんも、あなたたち選手もコーチも、みんなプロですよ。日々の仕事や学業に懸命な人は社会人も学生もプロです。そして、プロ野球であろうが実業団野球であろうが、あるいはこのお嬢さんのように市民ランナーであろうが、誠実に競技に取り組んでいる人は皆アスリートであり、プロですよ。わたしはそう思ってみなさんと運送の仕事をやってるつもりです」


かくしてわたしはサイズの小さなユニフォームを借りて一塁上にいる。慣れないスパイクを履くのは却って危険だと判断したので足下はランニングシューズのまま。


「うわ、結構遠いな」


一塁ベースから二塁に視線を向けると、テレビで見る距離感とは全く違う。

野球のルールそのものがよく分かってないので、一塁コーチャーがわたしに懇切丁寧に指示を出してくれる。


「ジョーダイさん、ツーアウトだからね。ゴロだろうがフライだろうがバッターが打ったら全力疾走ね」


どうやら判断はしやすい局面のようだ。

9回裏。ツーアウト。ランナーは二塁・一塁。ヒットが出れば二塁ランナーがホームに帰って同点。わたしまで帰ればサヨナラだ。


わたしは中途半端な知識でもって2、3歩リードを取ってみた。


シパン!


本能で危ないと察知して慌てて塁に戻ると同時にこの音がして、ファーストがミットでわたしの背中に軽くタッチする真似をした。


『うわ、怖っ』


ピッチャーは何の予備動作もなく矢のような牽制球を放ったのだ。一瞬のプレーだけでこの人たちの練習量が膨大であるということをわたしは悟った。

塁審がセーフという動作をしている。一塁コーチャーがわたしに声をかける。


「ジョーダイさん、リードしなくていいよ。大事に、大事に」


改めてわたしは自分の身の程を知った。実業団で戦う選手たちのレベルはわたしの予想をはるかに上回ってた。


『そうだ。己の戦力のありのままを把握することは恥じゃない。勇気のいることだ。むしろこんなわたしの隙を見逃さずに牽制でアウトを取りに来た彼らはやっぱりプロだ』


わたしはグラウンドに立っているこの瞬間に全神経を集中した。


牽制後の初球。

ピッチャーが投げた渾身の球を5番バッターがフルスゥイングした。


わたしは走りながら打球を目で追っていた。

打球はライト方向に高く上がり、お月様に吸い込まれそうになっている。ライトが定位置で補給の体制に入った。ライトフライだ。

ただ、二塁ランナーを見ると、彼は全力疾走していた。


「あ、そうだ、わたしとしたことが!」


決して人とか状況を舐めたりバカにしたりしないことをモットーとしているわたしが危うくブレるところだった。

二塁ランナーの懸命な走りのおかげでそのことを思い出し、わたしも全力疾走した。


その瞬間だった。


「あ⁉︎ なんだ、どうしたんだ⁉︎」

「きゃーっ!」


ほんの1・2秒のことだったが突然球場全体が真っ暗になったのだ。そして、すぐにまた明るくなる。

ナイター照明が一瞬消えてまた点いたらしい。何がなんだかわからなかったけれども、ライトは落球していた。


「Go Go!」


三塁コーチャーが二塁ランナーに向かって手をブンブン回している。二塁ランナーは短距離走の世界記録じゃないかというような鮮やかなスピードで三塁を駆け抜け、あっという間にホームインした。


『うわ、凄い』


その間にわたしはようやく三塁の手前まで来た。三塁コーチャーが一瞬躊躇した表情を見せる。

どうやら暗闇で球を見失っていたライトの選手がようやくボールをつかみ、バックホームの体制に入ったようだ。


「ジョーダイさん、行けっ!」


三塁コーチャーはわたしにも手をブンブン回した。

わたしは必死で走る。足には自信があったし、去年の陸上軌道競走やこの間の輸血用血液を届けた時みたいなランをしたことはあったけど、この緊迫感はそれらの比じゃない。

『アウト』のことを『死』なんて言うけれども、わたしはまさしく殺されたくないというぐらいの気持ちでアドレナリンが出まくって走りに走った。


ホームベース上でライトからの返球にキャッチャーがミットを構えている。

スライディングの仕方なんか分からないけれども、とにかくぶっ倒れそうな勢いで走っていたので、自然と頭から飛び込んでヘッドスライディングの体制になった。


「セーフ!」


自軍のベンチからわあっ、と選手が飛び出してきてわたしはみんなからもみくちゃにされた。


「ナイスラン‼︎」


イケメン選手も中にはいるけれども、基本汗臭いおじさん選手たちとグータッチをする。


「よーし、みんなで焼肉行くぞー」


とさっきのコーチががはは、と笑いわたしの背中をバンバンと叩いた。

まあ、悪い人ではないんだろうね。

コーチに社長が声を掛ける。


「コーチ、ジョーダイさんへのお礼は後日ということにしましょう。お迎えがいらしてますよ」


ん? と思い振り返ると、お師匠がいた。


「あれ? お師匠⁉︎」

「大活躍だったな、もより」

「いつからいたの?」

「お前が代走に立った時からな」

「ていうか、なんで来たの?」

「いや、いくらなんでも遅いと思ってな」


確かに。もうすぐ日付の変わる時間だ。

練習試合でここまでの熱戦とは。


「娘がご迷惑をおかけしました」

「何をおっしゃいます。こちらこそ娘さんのおかげで盛り上がりました。ジョーダイさん」

「はい」

「あなたは不思議な人ですね。さっきナイター照明が切れたのは管理棟の操作ミスだったんですがあのタイミングで起こるとは・・・」

「いえいえ。偶然ですよ」

「失礼ですがあなたの高校はどちらですか?」

「北星高校です」

「そうですか。いずれご挨拶に伺います。お父様も今日は本当にありがとうございました」


帰り道。自転車を車に積んで助手席に座る。


「まさかお師匠が迎えに来てくれるなんて」

「一応もよりも女の子だからな」

「ふ。どうしたの急に」

「わたしは父親としてはどうしようもないと自分でも自覚はある。人間の情愛にとらわれると判断を誤ることもよくわかっている」

「まあ、お師匠の立場上は仕方ないよね」

「仕方なくない」

「ほんと、なんか変だよ。今日のお師匠」

「・・・わたしにも一志の声が聞こえたんだ」

「お兄ちゃんの?」

「このままじゃ死人が出るって言われたろ?」

「うん。だから止めに入ってなりゆきでね。試合に出ちゃった」

「死人はもよりだったかもしれないんだ」

「え?」

「ほんとはナイター照明は牽制球のタイミングで切れるところだった」

「どういうこと」

「誰かがもよりに危害を加えるために照明を消すよう段取りを組んだかもしれないんだ。一志とわたしの念でなんとかそのタイミングをずらすことはできたが」

「じゃ、もしかしたら牽制球がわたしに当たってたかもってこと」

「ああ。ピッチャーがモーションに入った瞬間に照明が消えてもよりの頬骨に直撃だ」

「うそ・・・でもどうして。誰が?」

「分からん。どうやら得体の知れん何かを怒られせしまったのかもしれん」

「何かって」

「亡者か。あるいは悪鬼神か」

「悪鬼神・・・」


空にはぽっかりお月さま。

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