織り成すあやかし【短編】

河野 る宇

◆織り成すあやかし


 空はいつでもどこかでは青く、暗く、涙を流す。そこに人の感情が介入する余地など、当然として存在しない。

 宇宙を飛び交う素粒子に比べれば、生物の感情など微々たるものだからだ。

 しかし、地表を這い回る人間同士なら、時として強い感情は何かを発動させる。


 私には妻と七歳になる息子がいる。──否、いた。と言えばいいのか。あいつは、ある日突然に私から全てを奪っていった。

 私は裁縫屋を営んでいた。おかしな言い方かもしれないが、衣服だけでなく布や革などで小物を作っていたため、自らの店を仕立て屋ではなく裁縫屋としていた。

 オーダーメイドだけでは大きな収入を得るほどにはなく、一定のサイズのシャツや女性向けの小物で生計を立てていた。

 とりわけ、お守り代わりとして反物たんもので作ったストラップは二枚貝の形に小さな鈴をつけて販売すると、女子高生の間で可愛いと評判になった。

 どうやら「幸運のストラップ」として口コミで広まったらしく、それを求めて女性が大勢訪れるようになった。

 確かに、これを持つ人が幸せになってほしいと願いを込めて丁寧に一つずつ作っている。それは誰でも、そんな願いを込めて製作しているだろう。

 しかし、ちょっとした幸運があったとしきりに報告が来れば嬉しく、作った甲斐があるものだと思う反面、まさかここまではと少し恐くもあった。

 息子が成長し、ますます愛らしく感じる度にその効力は強くなっていったように思う。気のせいだとも思いたいが、報告に来る客の数は明らかに増えていた。

 赤子の頃の息子は病気がちで、妻と二人でハラハラしたものだ。ちゃんと育ってくれるのかといつも心配していた。

 三歳になる頃にはそれもなくなり、好きなキリンのぬいぐるみを常に抱いて寝ていた。その寝顔がなんとも愛らしく、息子の寝返り一つで私は幸福になれたものだ。

 いつか恋人を連れてくるんだろうなと独り言のようにつぶやいていると、まだ早すぎると妻が輝きに満ちた笑顔を見せた。

 こんな幸せな時間が持てるなんて、私は二人に感謝した。

 全てが順風満帆じゅんぷうまんぱんだと思われていたとき、それは起こった──

 こんなことはあり得なかった。小さな幸福を噛みしめて、ただ普通に生きていた私たちが、どうしてこんな仕打ちを受けなければならない。

 何の罪もない妻と子が何故、殺されなければならない?

 私が少し買い物に出掛けた合間に強盗が忍び込み、昼寝をしていた二人を刺し殺した。

 叫ばれる事を恐れたのか、抵抗されるのを恐れたのか、妻への刺し傷は数十カ所にも及んでいた。

 それだけでも許せないというのに、息子は内臓が破裂していると言うではないか。勢いよく蹴り飛ばしたあと、ぐったりしている息子の首を切ったというのだ。

 なんと許し難い所業だ。私の怒りは裁判中の男の背中に向けられた。それに相応しい判決が下されるのだと思っていた。

 懲役十五年は妥当だったのだろう。しかし、その男は模範囚として十年そこそこで出所した。

 それを知ったときの私は、まさに鬼の形相だったに違いない。どれだけの怒りが私の全身を駆けめぐっただろうか。

 四十歳を間近に私は、いつかあいつを殺してやるのだと、ただそれだけを心に生きていた。

 そんなことが叶うはずもなく、憎しみだけが私をこの世につなぎ止めていた。

 ──そんなある日、私はテレビのニュースに思わず目を見開いた。踏切から線路に侵入し電車に轢かれて死亡したその名前は、決して忘れてはならない男のものだった。

 紛れもなく憎いあの男だ。

「ク、クク──ざまあみろ」

 私は歓喜した。心の底から笑った。私の願いが神に通じたのだと、いつまでも笑い続けた。

 次の日、二人の刑事が尋ねてきた。男が線路に侵入した理由がどうしてもわからないのだと言う。

 薬物反応もアルコール反応もなく、遠方にあった監視カメラの映像では何かに導かれるように電車に向かっていったという。

 それなら私を疑う事もおかしな話だが、少なからず過去の経緯から辿って形式上の聞き込みをしていると説明された。

 そうして、遺品の写真に私は驚愕する。血まみれのシャツは私が作ったものだ、間違えるはずがない。

 巡り巡って男の元にたどり着いたのだろうか。それとも、誰かが男にプレゼントしたのだろうか。

 理由はわからない。しかし、この薄水色のシャツは憎しみに震えながらも製作したものだ。いわば、私の呪いが詰まっている。

 そこまで考えて私は恐ろしくなった。黒い意思があの男を殺したのだとするならば、私には呪いを具現化する能力ちからがあるということだ。

 もちろん、それが事実だとしても私が罪に問われることはない。刑事はひと通りの話を聞いたと仕事を終えて去っていく。

 私は二つの背中を見送りながら、幸せであった時の記憶を思い起こし幸運のストラップがよもや真実のものであったのかと己の手を見つめた。

 そうして私の恨みは果たされた。これで楽になれると考えていたが、それは浅はかな意識だった。


 ──誰か、私を止めてくれ。でなければ、私は夜を歩く死に神となるかもしれない。気がつけば私は、全てを妬ましく感じていた。

 私はこんなにも不幸なのに、幸せそうに笑う人々が憎たらしく、死んでしまえばいいのにと思うようになっていたのだ。

 かつては「幸せであれ」と込めた願いは、同じ手で「不幸になれ」と織り込んでゆく。見えない意思が招いた結果に誰をもそれを裁く力などなく、私の呪いは達成されてゆくだろう。私は全てを憎み、妬み、化け物と成るのだ。

 あれほどに我が幸福を奪った輩を憎しみ抜いた私が、今度は誰かの幸福を奪うことになるとは、なんとも皮肉な話ではないか。

 私を止める者などいやしない。手にしたものに不運を招く力があるなどと、誰も考えたりするものか。

 誰もが不幸になれば、私の過去など同情に値するものではなくなる。哀れみの眼差しを向けられることもない。

 己が最も不幸なのだと高らかに自慢しあう世界となればいい。


 しかし、それでもなお、心の奥底では妻の声が私を制止する。

 この声がまだ響いているいまならば、私を止めることが出来るだろう。だけれども、交流の全てを断った私の様子になど気付く者はいない。

 さあ、止めてみせろ。私の手から紡がれてゆく不運を──私からあふれ出る狂気を!


 もろともに滅びる勇気があるならば、私を止めてみるがいい。私は喜んでそいつを道連れにしてやろうではないか。


 息子の声が私の耳に微かに残る今ならば──まだ……





END

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