第17話 夢と現実
「実験失敗か…これで、僕達のプロジェクトも終わりだな」
髭面眼鏡の痩せこけた男が、俺の顔を見ている。心底がっかりしたという目で、だ。
俺は何をされた? 人体実験? しかも、失敗?
腕は動かない。足も…動かない。首は横に向くことは出来るが、頭がふらふらとする。何かの拘束具だ。男が俺を見るのをやめ、覗きこむのをやめた途端に真上から6つの光に照らされ、目を思わず瞑る。これは手術室か?
「予算もこれが最後だった。君が最後の希望だったんだけどね」
俺の視界から消えたと思うと、椅子に座った音が耳に届く。何かを触る音が聞こえてくるが、頭が朦朧としていて、それが何かを判断出来ない。
「このままでは、人類は滅亡へと歩み始める。人口も大幅に…どころか、もう溢れている。家畜も量産しても、全体には行き渡らない。石油は掘り尽くし、水が燃料となった。表面上、平和な国々も限界を超えた瞬間、その様子を一変するだろうね」
そんな話聞いたこともない。人口爆発は止まったはずだ。確か…2130年に発表があり、現在2135年。そんなに変わるはずがない。
「政府は人口爆発は止まったと発表した」
意識が少し、冴えてきた気がする。
「しかし、嘘だ。少なくとも、今から100年以内にはバランスを保てなくなる。戦争でも起こして、大虐殺を起こさない限り」
嘘だろ、これは嘘だ。この人達は妄想に取り憑かれたテロリストだ。戦争を引き起こしたいのか。そのための人体実験を俺にしているとなると…俺は殺しの道具にでも変えられるのか?
「溢れた人間を移すコロニー計画が間に合わないと踏んだ政府は、俺達に依頼をしてきた。我々地球人同士で戦争は起こしたくない。何か方法は無いかとね」
机の上に足を投げ出す音が耳に響き、体が跳ねる。
「お? 君は起きているのかい? 朦朧としている顔をしているから、寝ているのかと思ったよ」
声を出そうとするが、上手く出せない。頭と口が同時に追いついてきていない。
「僕はね、聞いて欲しいんだ。丁度いいよ。政府は僕達に何を依頼してきたと思う?」
知るかっ、このテロリストめ。人体実験は認められていないはずだ。
「───異世界移住だよ。夢のようだろ? 別の世界に進出して、そこに人を移動させる。原住民などお構いなしさ」
「い…いせ…か…」
「お? 声が出たね。そう、異世界さ。君も望んでいたんだろう? 学校での言動や、普段の行動も観察させてもらったよ。異世界への関心が非常に高い。だから、最後の実験対象に君を選んだのさ。僕の意思を継いでくれないかと思ってね」
「つ…ぐ…?」
もう、予算が尽きて異世界には行けなかったんじゃなかったのか?
「ここで一度、打ち切られる計画だが、コロニー計画は恐らく、この百年で成功しない。また数年後か数十年後には僕達を頼ってくることになる。僕達には確信がある。今回の実験も全てが失敗だという訳でもない。予算が無いんで、これ以上は出来ないが」
「いせか…いに…いけ…るのか…?」
「ああ、ちなみに君は行っているとも言えるし、行ってないとも言える。そんな感じだ。分かるかい?」
「俺は…ここに…けほっ…いるだろ…」
「いるね。でも、いない。君は本体ではないのさ。だからといって、偽物という訳でもない。複雑な存在として君はそこにいる。これが今後、どう影響するかは、僕には分からないけどね」
全く意味は分からない。だが、自分でもこれは自分の体では無いようなそんな感覚に陥る。
「僕は恐らく、次の計画からは外されるだろう。でも、君がいれば大丈夫。君が必死で勉強をすれば異世界に行くことが出来るはず。勿論、僕の研究データも見るといい。だから、君はこの事を忘れたように振る舞って欲しいんだ」
「な…んで…?」
「一応、極秘なんだよ。知っているとなったら、政府から消されるかも知れない。ちなみに、僕は記憶を消されるだろうから、次会った時に異世界に興味があるかは分からないよ」
記憶を消される…。そんなことあり得るのだろうか。俺に対しての消されるは恐らく、その手間を省いて存在ごと消されるということだろう。巻き込まれただけなのに、消されるっていうのか。
「研究データは、九州の最南端、海が見える山に立つ小さな建物に隠しておいた。昔から僕が使っている隠し場所さ。そして、君にはこれを」
鍵のネックレスを俺の首元に隠れるように付ける男。
「この鍵を使えば開けることが出来る。じゃ、よろしく頼むよ。少年」
「ま…待て…!」
「未来は君の手にかかっている! これ言ってみたかったんだよなぁ。よしよし。言えた言えた」
その声は徐々に遠ざかり、やがて聞こえなくなる。
そして、数時間後、数々の手に囲まれ俺は運ばれていく。
何も無かった顔をして。
◇
俺は肌寒い中、朝を迎えた。何か、大事な夢を見ていた気もするし、そうでもないような気もする。夢の記憶は曖昧で、誰かと話をしていた気がする。思い出そうとすればするほど、頭の中から抜け出ていく夢の欠片。
ただ、ある数値だけは覚えている。
───2135年。
俺がこちらに来た時の地球の時間。この夢は何を伝えようとしているのだろう?
夢には意味があるというが、300年の生活から開放されて、心地良い気分なのだから、きっといい意味の夢だった。そう思っておこう。
「お…朝日だ」
見張り番を夜中の時間にいつもやっているのは、起きた瞬間のこの光景がたまらなく好きだからだ。様々な景色の中で、昇ってくる太陽はいつも凛々しく、心を癒やしてくれる。
一人の時に、この景色を他の誰かが、トトやアイズも上から見ているんじゃないかと思うと切なくなることもあるが、ナツの寝顔が眩しさでしかめっ面になるのが可笑しくて、切ない気分も吹き飛んだ。
俺は周りをなるべく起こさないように、静かに薪を焚べる。
あれ、ヴィースが見張り番してたはずなんだが…。
「名無し様? 起きたんですか。まだ寝ててもいいですよ」
「おおっ! …びっくりさせるな」
いきなり目の前に現れたヴィース。
「あ、そうでした…。粒子体になって周りを探ってたんです」
「そういうことか。やっぱその能力便利だよなぁ」
「そう言ってくれるのは、名無し様やナツさんだけですよ。普通は気味悪がります。周囲一帯探りましたが、何もいませんでした」
「よし、ご苦労」
「滅相もございません。御褒美は何をくれますか?」
「朝食を褒美によこす」
「名無し様が朝食を作ってくれるのですか?」
ふざけたやり取りをしていたのに、急にそんな真面目な顔で返されると答えづらい。言われてみれば、
「ま、そうだな。昨日、ヴィースが山で見つけた卵、使わせてもらうぞ」
「卵料理ですか…苦手なんですが…」
「大丈夫。ある程度、好み分かってるし」
五十年も一緒に旅をしたら、ある程度の好みは分かる。
俺は持ってきている少量の調味料と、干し肉を刻んで入れた卵を小さなフライパンに流し込み、巻いていく。数回、それを繰り返して完成だ。フライパンはこっちの世界でもあったのが、良かった。この小さなフライパンは旅には持って来いのサイズ感。
更に、朝には温かいスープも欲しいので、干し肉とビーチで見つけた食用とされている小判亀を捌いて、水に放りこむ。このままでは少し生臭いので、持ってきている香草を加えて…ナツが起きる頃には完成かな。
「これに米があれば、完璧なんだが…」
「お米は無いですね…。お餅ならありますけど」
「お、それ入れてもいい?」
「いいですが、お餅は焼くのでは?」
「煮ても美味しいよ。こっちの世界では無いの?」
首を横に振るヴィース。もしかしたら、こっちのお餅は崩れやすいのかもしれない。となると、あんまり茹でない方がいいのかな? 炭水化物は取りたいし、一応挑戦してみよう。
「ほいっと」
ある程度、煮詰めるのが終わり、餅を沈める。卵焼きも冷めて味が落ち着いた頃合いだろう。
「ナツ、起きろ」
「う…うぅ…」
汗を額に浮かべている様子を見ると、またあの悪夢。いい加減、いい夢を見れる日は来ないのか。
バッと起き上がり、仮面を探すナツに俺が仮面を渡す。しかし、その渡された手に反応し、仮面を奪い取りながら後ろに飛び下がる。
「な、名無しか」
「名無しだよ。いい加減、人の姿に慣れてくれ」
「はぁ…毎朝これは疲れるの」
「見てる方も疲れるって。とりあえず、飯作ったから食べてくれ」
「…名無しが料理!?」
「その反応されるのも分かってたから早く食え!」
もはや、腹が立ってきた。俺が何も出来ないマスコットキャラクターとでも思っていたのか。いい加減、人である俺を
「───何じゃこのグルグル巻いてあるものは」
「───卵焼き…なるものらしいですよ」
「…毒物を見るような目で見るな。俺の世界では普通だったんだ。自分で言うのもなんだが、干し肉齧るよりは美味いと思うぞ」
俺は卵焼きを自分で食べ、味を確認する。故郷の味、といった感じだ。塩を摂るために干し肉を入れたが、もう少し刻んだ方が良かったか…。
「お、美味しい…!」
「甘い、甘いですこれ! 何ですかこれは、名無し様!?」
「いや、これ砂糖入れただけだけど」
「卵に砂糖を…考えられないけど、本当に…美味しいです」
「ふむ。儂も正直驚いた」
「だから、ただの卵焼き…まぁいいや」
こっちでは卵は甘くするものでは無いらしい。いや、地球でも甘くしたりダシで食べたりするけど、お弁当なんかじゃよく食べるよね、この味。
この前食べた料理が美味かったのは、もしかしたら結構いいお店で食べさせてもらってたのかもしれないな。全体レベルで言えば、そこまで高くないのか。
「こっちのスープも全く臭くないの。香草が後を引く。後、餅がこんなに柔らかく、美味しくなるとは…」
「逆になんで煮ないのかが分からない」
「お餅はあくまで冒険者が持ち歩くただの非常食だからですよ。お餅よりお米を持ち歩く人も多いですし。私は焼くだけで作れるお餅の方が気軽なので、よく持ち歩いていますが」
「一回煮たこともあるが、ぐずぐずで食べれなかったしの…」
なるほど、そんなに煮なくても柔らかくなる代わりにすぐに煮崩れするから、商店なんかでも出ないのか。さっきのタイミングは最高だったと言うべきか。これで一儲け出来るかと思ったが、それは無理そうだ。
「よく分からぬ調味料を買っておると思ったが、これなら納得じゃ。まさか朝から真っ当な料理を口に出来るとは思ってなかった」
「これは、名無し様が人になってくれて良かったと心底思わされます」
「…もう良いよ。早く食べて次の町を目指すぞ」
「次からも作って下さいね?」
気まぐれで作ったせいで、これからの料理当番は俺に決まってしまった。別に料理が嫌いな訳じゃない。別にいいといえばいいんだけどさ。異世界で、地球の料理ばかりになってしまうのは、ちょっと嫌な気もする。
こっちの世界の料理も、気が向いたら勉強するかな。
「はいはい。分かりましたよ」
俺は頷いて、料理をかき込む。
…やっぱり地球の料理だけでもいいかもしれない。故郷の味はやっぱり、美味しいな。
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