第15話 逃亡の悔しさ


「美味い、美味すぎる…なんて幸せなんだ」


 俺は三百年ぶりに味の幸せを感じている。今までは灰か、ゴムかにしか認識出来なかった料理達。生は勿論美味しいと思っていたが、やはり料理には敵わない。人間の繊細な味覚には、魔物の舌なんて遠く及ばない。

 

ムヌール貝のパエリア…ほのかに香る酸味が鼻にすーっと抜け、パラっとした米はタイ米を連想させた。癖がある貝の風味が、塩の甘みと相まってやめられない味にと変化する。


「不思議な光景じゃの…」


 懐疑的な目をこちらに向けてくるが、これは仕方がない。今まで俺を世話してきたのに、急に人間らしくなったと思えば、今までと違う行食事をしているのだから。

 

 これは…マリーナ海老の盛り合わせか…!

 マリーナ原産のこの海老の食感は、伊勢海老を超えている。プリッとではない。プルリンッだ。刺し身は歯で噛み切るごとに、口の中で身が踊る。

 

 姿焼きもこの手にかける。俺の手にかかれば、殻から綺麗に身を剥がすことなど簡単。

 

 ───何っ!? 剥がれない…だとっ!?


 あれだけの弾力を持ちながら、焼くとこれだけの吸着力を持つのか。


「何をやっとるんじゃ。それは殻ごと食べるんじゃぞ。もったいない」


 ああ…俺の姿焼きが…。

 ナツの口に半分に割られた姿焼きが消えていく。

 だが、食べ方は分かった。俺は殻ごとマリーナ海老を持ち上げ、口の中で噛み切る。

 

「…ありえない」


 殻がまるで素揚げしたかのようにパリッとした食感。身と殻を繋げている薄皮が剥がれない原因であり、これを食べないのも勿体無い。海老の風味が凝縮されており、身は食感を奏でるための部位だと思ってしまうほど。頭に詰まった海老味噌も、濃厚ながらも臭みが全く無く、海老の本来の味を損なわせない。

 

 三百年前より、料理が進化しすぎだろ…。香辛料の独占が解禁され、全国的に使われるようになったのは知っている。とはいえ、三百年で人が味をここまで追求するとは…流石、三大欲求と言える。 

 

 俺は、その後もありとあらゆる絶品を胃に収めていく。しかし、人としての飢えが食べても食べても収まらない。


「お主、生しか食べなかったんじゃないかの」

「すたのもつにもぐもぐもどっつのど」

「…飲み込んでから応えるのが良い」

「相変わらず、大食いなのは変わらないのですね」


 クスクスと笑うヴィースに、頭を抱えるナツ。

 食費…稼がないと怒られるな、これは。

 俺は最後の一口を惜しみながらも、口に入れて飲み込む。


「ご馳走様」

「お粗末様じゃ」


 この世界でも、ご馳走様とお粗末様の習慣がある。というより、この世界自体がそう翻訳してくれているんだろう。

 

 こちらの世界では、英語や日本語といった概念がない。違いが無い訳では無いのだが神の力で翻訳されていると言われている。だが、恐らくは違う。

 こちらに生まれてくる知能が高い生物でも、生まれた頃はその能力を有していないとされている。 

 歳を少し重ねると、言語を理解したいという欲求に簡易的な魔法を使えるようになる。それを常に発動し続けたままに代を重ねることで、それが能力として付与されるということだ。

 

 俺が取り憑いた魔物も、言語自体は理解しようとしていたらしい。

 意識が無いのに言語を理解したかったのか…哀れだな。


「で、さっきは何と?」

「えーっと…舌が元に戻ったんだ、って言ったんだ。今までは生きている食べ物しか味を感じなかったからな。魔物ってのは不憫だ。これだけ美味しい物を食べれるなら、人を襲ったりしないだろ」

「もはや、それは魔物とは言えませんね」

「名無しを魔物だと思った事はなかったが…こうして人になられると、見た目と習性は魔物そのものだの」

「さりげにショックだから、言わないでくれ」


 俺はそう言って立ち上がり、次の場所に向かう。

 会計を済ませ、外に出るといつもの市場に出る。ダリルの店に寄り、今までの礼をしようと思ったが、ダリルはいない。何処かに出稼ぎにでも行ったのか。

 となると、向かうべきは一つだ。


「次は海鮮丼を食べに」

「行きません」

「じゃあ、焼き肉だ!」

「行かぬわ」

「…それをしないんだったら、何をすればいいんだ」


 食べることしか今は考えれない。手軽に人となりを楽しめる。


「ナツさん、何かいい提案はありますか?」

「とりあえず、ググの所に昨日の確認。同時に守人ガードナーの動向を知りたいの」

「ググ?」


 ああ、ヴィースはググ・マグダラのことを知らないんだ。


「噂屋だ。言動は屑だし気まぐれだが、腕は信用出来る。まぁ、根は悪い奴じゃないんだが…」

「根は悪くないじゃと?」


 ナツは眉を潜める。


「ああ。依頼人に対してのみ、の話だけどな」

「金が大事なだけじゃ」

「大体、その人の性格は把握出来ましたよ」

「ヴィース、ググに会っても、怒りを抑えてるんじゃぞ」

「大丈夫ですよ、名無し様の仰る通りなら」


 …ちょっと自信無くなってきた。



          ◇



「なんだぁい、その羽ぇ! 2つとも違う羽とは珍しいぃねぇ? しかも、血鬼ヴァイスの羽と妖精ピクシムの羽って種族自体がぁ凄いじゃぁないかぁ。特に血鬼ヴァイスなんか、滅んでると思っていたぁ。まさに珍妙、魔物と言わざるを得ないねぇ!」

「…」


 ヴィースが眉間に皺を寄せ、怒りを抑えようとしている。いや、ほんとにこの口の悪さと、思ったこと口にする感じをどうにかして欲しいよ。


「ググ、そこまでだ。怒ったらこいつ、ちょっとやばいから」

「あぁれぇ? 怒っちゃったぁ? 僕なりにぃ褒めたんだぁけどねぇ? 伝わらないのかぁい? 仮面の者共ディレンス並の発見だからぁこれはぁ是非情報を流させてほしいぃねぇ」

「やめろと言ってるんじゃ」


 ググはその言葉に何かを感じたか、言うのをやめる。ヴィースが怒るぎりぎりでぴたっと言うのをやめるらへん、分かってやってるんじゃないかと思ってしまうが、これは天然だ。ナツに言ったら、否定されるな。


「そこで気になるんだけどねぇ、僕に対して馴れ馴れしいぃそこのチビ助ヒョロガリ君は誰だぁい?」


 確かにその通りだが、酷い言われよう。


「名無しじゃよ」

「…ナツゥ。冗談はぁよしてくれぇよぉ」

「本当だ。これでも三百年生きてる」

「君がぁ?」


 俺の周りを吟味するかのように回る。俺の一つ一つの表情を観察し、ちょっとした動作なんかで人となりを判断するらしいが、その正確性が今試されるとは。


「…間違いないようだぁねぇ。面白いぃ面白いぃよぉ!」


 やっぱ、こういうとこは凄いな。自分の信じたことはとことん信じきって、疑うことを知らない。魔物姿の俺と、俺が一緒だということにどれだけの自信を持っているんだ。


「まぁ、そういうことだ」

「そんなぁ喋り方だったんだぁねぇ! もっと陽気かと思っていたぁよぉ。仮面はどうしたんだぁい?腰にかけてるけど、付けなくてもいいのかぁい?」

「サライカの呪いなんていうのは、嘘だ。サライカに住んでた仮面の者共ディレンスを悪い奴に仕立てあげるためにダウロスが作った創作物だよ。これはただの仮面」

「サライカの呪いがうぅそぉ!? となると、人を狂わせることは出来ないのかぁい? そりゃ、噂を流すのは苦労しそうだぁ…」

「人様に迷惑を掛けてまで、噂を広めたいとはナツさんは一つも思っていませんよ」


 ヴィースが話に割り込む。落ち着いたようだ。

 そういえば、ナツさんって…仲良くなったんだな。良かった。やっぱ、持つべきは同姓の友。


「でぇ? 僕に用ってのはぁ?」


 スルーした。つくづく都合の良いことしか耳に入らない男だ。

 俺はまず、過去のことを話した。そして、昨日のヴィースの予測を。


「そして…聞きたいのは、一つはマリーナに入り込んでいる角獣族ダウロスのスパイ。もう一つは、守人ガードナーの動向」


「一つ目は、その通りだと思うよぉ? だって、僕もその甘い蜜をもらってるからねぇ。王が役立たずの方がやりたい放題でいいぃ」

「知ってたのか? このまんまじゃ、マリーナが滅ぶかもしれないのに」

「そうじゃ。何故黙っておった!」

「だから、言ってるだぁろぉ? その方が動きやすいってぇ。マリーナが滅ぶようなら、それこそその時に僕が全力で角獣族ダウロスを潰すよぉ。僕のギルドを知らない訳じゃぁ無いだろうから。角しか取り柄がない馬鹿でもねぇ」


 恐らく、潰すと言っているのは物理的ではない。ググは大型商業ギルドを取りまとめているギルド長でもある。だから、財政的に潰すと言っているのだろう。それを言うだけの力を持っていると、この男が言っているのだから、そうなのだ。


「僕自身が抑止力さぁ。だから、そんなことはどうだっていいのさぁ」

「内側から、食い潰されるんじゃないですか?」

「無いねぇ。怪しい行動をしている者はぁ、見ているだけでぇ分かるんだぁよぉ。マリーナは潰させやしないぃよぉ? 僕がいる限りねぇ。昔は知らないがぁ?」


 もはや、マリーナは王の国では無い。ググの国だ。商業ギルドも、でかくなれば一つの力。


「それよりねぇ、僕は危惧しているんだぁよぉ」

「何をですか?」

「さっき言ってたじゃぁないかぁ。守人ガードナーさぁ。守人ガードナーがぁねぇ、君、ナツを探しているんだぁよぉ?」


 場が戦慄する。

 やっとこの時がきた。敵を討つ時が。ナツの目を見ても、分かる。復讐の炎を燃やしている。


「迎え撃つつもりなら、やめた方がぁいいよぉ?」

「…何故じゃ」

守人ガードナーのことぉねぇ、調べてたらやっと出てきたんだぁよぉ。情報がぁねぇ。詳しいことはまだ言わないけどねぇ、早く逃げた方がいいよぉ?」

「だから、何故じゃ!」

「言ってくれ、ググ」


 ググは椅子から立ち上がり、ナツの目の前に迫る。そして、俺の方へ。ヴィースには目を配るだけ。


守人ガードナーはぁ規格外に強いみたいだぁよぉ。戦力になりそうなのはぁ? そこのヴィース? っていうハーフ女だけじゃぁ無いかなぁ? 仮面の者共ディレンスの力も失ってるみたいだぁしぃ?」

「だからと言って…見逃せぬ!」

「死にたいならぁいいんだけどねぇ。僕の顧客を殺したくはぁないんだよねぇ」


 死ぬ…戦力差がそこまではっきりしていると。一度、顔合わせしただけじゃ、分からなかった。

 あの時、魔物の姿になってたしなぁ。


「お主…どこまでピエロなんじゃ」

「これは本当の気持ちだぁよぉ? 顧客を大事に、商売の基本じゃぁないかぁ。それを僕は全力で守り通すよぉ? はい、これが逃走経路ぉ。君の地図に書き写して、さっさと逃げなぁ?」


 確かにその通りだ。ググが言っていることが本当なら、守人ガードナーは最低でも、俺が化け物だった頃並の力があるということだ。となると、勝つのは不可能だ。三人がかりで戦力は一人。二人は足手まといとなると…勝てる訳がない。


「…ナツ。ここは退こう」

「名無し!」


 ナツが怒号を飛ばしてくるが、ヴィースがフォローを入れてくる。


「名無し様の言う通りです。姿を見せたなら好都合。一度姿が見えたなら、情報屋は絶対に見逃さない。そうですよね? ググ様」

「よく分かってるじゃぁないかぁ! 君、気に入ったぁよぉ? 僕はぁねぇ、君達の好きなぁタイミングで復讐を果たせばいいとぉ思うよぉ?」

「何故そこまでしてくれるのじゃ」


 ナツのその問いかけに、当たり前と言った顔で言い放つ。


「僕がぁ担当してるんだぁ。顧客はぁ家族よりも大切に。それ相応の対価はぁ君に取り巻く者達からぁたっぷり貰えるからねぇ」


 やっぱり、ググは根はいい奴だ。


「俺から言っておくよ。ありがとう」

「化物からお礼を言われる日がぁ来るとわねぇ。明日は悪夢でもぉ見そうだぁよぉ」


 やっぱり、ググは嫌な奴だ…。

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