第14話 言葉の喜び


「な──し───なな──ななし───名無し!」


 近くで聞こえるその声に、俺は朦朧とした意識のまま目を小さく開ける。目の前には二人の女の子が俺を見つめ、涙を流していた。


(俺、死んだのか?)

「う…いてぇ…」


 意識が覚醒しないまま、痛みが身体中を襲う。気怠さも相まって、今この時ばかりは起き上がるのも億劫だ。


「名無しが…名無しが起きた! 起きたぞ!」

「名無し様! 良かった…良かったです…」


 抱きついてくるヴィースに対し、涙を拭くのに必死のナツ。抱きつかれると、痛いのだけれども…。この痛み、会話を聞いていると俺は生きているらしい。


「これを食べてください!」


 そう言って、口に運ばれるお粥のようなスープのような食べ物。

 俺は思わず口をつけるが、熱い、熱すぎる。


「それは熱いのではないか、ヴィース」

「あっ…ふーふー」


 そのアドバイスを受け、次は冷まして口に運んでくれる。俺はなされるがままに、そのよく分からない物を完食した。


(…あれ、結構美味しいぞ?)

「良かった…」


 食べきった所で、改めて抱き着いてくるのだが、流石にこれは…。


(痛いって。ヴィース)

「痛うっつ。ヴィー」

(…ん? 今、口が自然に動いたような。今の声って、誰だ?)

「やっぱり喋れるようになったんですね…名無し様」

「や、やっぱり、しゃ、喋ってる…名無しが…」

(え、あれ、俺喋れてる?)

「喋れてら…?」


 声が───出ている!


「喋れてるら! お、喉が震えてるる!」


 普通に喋ろうとしても、舌が回らない。当たり前だ、何百年間喋ってなかったと思っている。三百年だぞ? 無言で生きてきたんだ。まるでそれは呪いで、身振り手振りが伝わらないという人間らしからぬ体験をしてきて…やっとだ。


「落ち着いて、落ち着いて名無し様」

「落ち着いてなぬていらるるか! 手はん? 足は? 身体はほ?」


 俺は自分の全身を見渡す。痛い身体に鞭を打って、手を持ち上げ、足を目に見える位置に持ってきて、身体も隅々まで触って確認する。もちろん、下半身だって。


(おお! きっちりある!)


 全てを確認した上で、ホクホク顔で眺めていると、横から殺気が…。


「…お主、女が二人もおる前で何をしておる」


 顔を真っ赤にしたヴィースが目を逸らし、ナツは多少顔を逸らしているものの、何故か怒りを目をこちらに向けている。


「そんなぬ決まってるあ。確認さぎゅう…あ…」


 下半身に申し訳程度に付いていた布。これは恐らく、魔物状態だった時の服が脱げ、裸だった俺の股間をせめてと隠してくれていたのか…。そして、俺はそれを堂々と目の前で剥ぎ取り、感触などを確認している。


(これは…完璧に変態だ)

「あう…す、すまなう」

「はぁ…」


 ナツは呆れた仕草でヴィースの背中を擦ってやっている。何時の間にそんなに仲良くなったんだ。


「名無しが男であり、人であることに驚いていた矢先に、変態と来たら儂はどんな者と旅をしておったのじゃ…」

「言い過ぎだるっ!」

「と言いながら、自らのお尻が割れているかを確認するのをやめない変態男が、何を言っているのかの」 

(いや、そこ結構大事だろ。人間に戻ったらトイレとかあるし)

「ナツ!」


 喋るのにも大分慣れてきた気がする。まだつっかえたような感覚はあるが、億劫というほどではなくなってきた。俺は顔のお面を外し、ナツに顔を近づけ、質問する。


「俺の顔はどうだ?」


 ヴィースにも聞きたいのだが、俺が裸なせいかこちらを向こうとはしない。まぁ、しょうがないか。


「…お主、確かに名無しのようじゃな」

「なっ!? 顔は前のままか…?」


 俺は顔の凹凸を確認する。まだ人の手に慣れていないのか、感触が曖昧だ。


「この距離感、覗き込むような顔の見方。行動が名無しのまんまじゃ。人の姿でそれをするのはやめた方がいいがの」

「か、顔は!?」


 そこで残念そうに肩を落とすナツ。もしかして…


「何の変哲もない、ただの人の顔じゃよ…」

「そこで落ち込むのは、酷いだろ!」


 何がともあれ、俺は人に戻れたのか。安心感からか、力が抜けてベットに倒れこむ。こんな日が来るとは思っていなかった。足を延ばしても、ベットからはみ出さずになんと気持ちいいことか。


 ───こうなったのも全て、ヴィースのお蔭だ。俺はもう一度、身体を起こし毛布を体に纏わせる。


「ヴィース…その、約束の件はごめんな。そして、この籠手…大事に持っててくれてありがとう」

「い、いいです。魔力が関係してるってこと、知っていたのでもしかしたらって思って…本当に良かったぁ」


 こちらをちらっと見て、膨れっ面で見たにも関わらず、最後に安堵の表情を浮かべているヴィースは、どれだけ心配してくれていたのだろうか。

 それに…


「ナツも、人であるということ伝えたかったんだけど、なかなか伝わらなくて…」

「別に良い。儂も全部読み取るのは無理じゃった。ただそれだけの話。それより、変態じゃったことの方がショックじゃよ」

「久しぶりの自分の身体なんだから、許してくれって…」

「分かった分かった…。それより、事情を話してくれんかの? 名無し」


 事情…。ああ、ナツにはこの身体のことをあまり話さなかった…というより、伝わらなかったのだが、これは説明する必要がある。三年の時を一緒に過ごした仲間なのだ、信頼していい。


「大体、分かってたけど私も聞きたいです」


 ヴィースも話を聞くためにこちらを向く。毛布で隠していても、目を逸らしているのはそれだけ純粋であるということだ。俺は二人に向き直り、事情を説明する。


「俺は…」


 三百年前の話。転生者であるということ。魔法を使い続けると、魔物になってしまうということ。洗いざらい喋った。トトや、アイズのことも…。


仮面の者共ディレンスというのは…別の世界の者達が魔物と混じった生命体…。にわかには信じられぬが…お主を見る限り信じる他無さそうじゃの」

「転生者というのは、地球と呼ばれているその世界からしか来ていないのですか?」


 突然の情報に、適格な質問を投げかけてくるヴィース。話が進みやすくて助かる。


「俺も把握しきれていないんだ。同じ地球から来ていた一人の転生者は確認している。俺にこの事情を教えてくれた親切な奴で、トトやアイズを必死で守ろうとしてくれた…」

「…死んだのですね」


 俺は頷く。


「三百年の時をかけて、転生者を探し回った。だけど、一人たりとも見つけられなかった。俺の考えでは、俺が転移してきたあの時に、何か異変が起こったのではないかと予測を立てているが…何が起こったのかも分かってない」

「要は、何も分からずってとこじゃな」


 ここでその言葉は、結構きついな。


「でも、思ったより驚かないんだな」


 ヴィースとナツはその言葉に、お互いの顔を見合わせ、吹き出した。


「な、何がおかしい?」

「いやいや、転生者とは言ってはいるが、結局名無しは名無しじゃろう? あの狡猾に動き回る姿がお主にそのまま被るほどに、お主は名無しじゃ」

「意味が分からんぞ」

「分かります、面白いですよね。むしろ、安心しましたよ。名無し様は人の心をお持ちになっていた。前から思っていたことに確信が持てたので、神で無かったことに感謝です」


 あー、もうこいつらの基準が分からない。


「でも…」


 ヴィースが顔を曇らせる。


「トト様とアイズ様…名無し様の友人の話だけは信じられません。トト様は存じております。マリーナの歴史書に名が乗っているほどですから」

(ああ…それは俺も読んだな)

「トトは…事故で死んだことになっている。仮面の者共ディレンスはただ角獣族ダウロスと戦争しただけであり、マリーナは一切関わっていない」

「その通りじゃの。儂も目を通した。お主が押し付けてきたからの。あれはこれのことを指していたとは、知らなんだが」


 俺は、トトのことをより知ってもらおうと本を読ませたことがある。名前だけでも、覚えてくれている者が一人でもいれば、と。


「ですが、その話を聞けば納得出来ることもあります」

「何?」


 ヴィースが顎に手をかけ、羽を少し震わせた。


「今いるこのマリーナの街は、王権制なのは三百年前から変わりませんね?」

「ああ。トトが王だ」

「その王が事故でなくなった。次に王として君臨したのは、前代未聞の無能な王だと聞きます。ここからですよね、角獣族ダウロス海人族マイリスがサルバンを通して交易を始めたのは」


 ヴィース…なんでそんな有能なんだ。そして、言葉って本当に大事だ。こうして伝えることが出来ただけで、話がこんだけ早く進むなんて。


「確かにそうじゃな。商業都市としてより一層力をつけたのも、サルバン同盟にマリーナが加入した時からじゃ」

「名無し様が嘘をつくとは、私には思えません。となると、仮面の者共ディレンスの襲撃は同時にトト様を殺害する目的で、策を講じられたのではないか、そう私は思うのです」

「ふむ…しかし、マリーナが加入したからといって、角獣族ダウロスに何のメリットが?」

(あれ…俺を抜きにして話が展開して…いや、ここは任せるとしよう)

「マリーナは今でも王権制度として国が成り立っているように見せてはいますが、実際はどうでしょう? 悪く言うつもりはありませんが、この話を聞いた後に私は考えました。王は操り人形なのではないかと」


 ナツはその言葉に首を傾げる。


「国としてはいい国じゃぞ?」

「そうですね。私も好きです。こんな異種族でも、抵抗なく受け入れてくれる自由国家…嬉しかったですよ。ですが、おかしいんですよ。異種族をここまで受け入れるというのは」


 それは俺も感じていた。だが、違和感といった程度だ。


「ここからは、もはや妄想です角獣族ダウロスの仲間…恐らくサルバンの協力者が、貴族に混じっているのではないでしょうか。そして、角獣族ダウロスはサルバンと『王を殺す代わりに大きな取引』を、そしてサルバンは後に無能な王に付け入り、『マリーナへの橋をかけた』…莫大な資金をマリーナが払って」


 橋とは、マリーナとサルバンへ抜けるためにサライカの広大な森を抜けるのは困難だという理由で掛けられた橋のことだ。片道一時間はかかるであろう普通では考えられない橋。それでも、サライカの森を抜けることを考えれば、信じらないほど便利になった。

 橋は魔術によって作られたと言うが、もはやあれだけのでかさの建造物になると信じられなくなる。


「サルバンからしたら、橋が出来たというだけで有益じゃな。戦争には加担しないと表向きで言っておるが故、サルバンだけは種族関係無く人が集う…海人族マイリスも」

「…妄想はこんな感じですかね」

「えっ」


 俺は思わず、聞き入っていた。正直、俺の三百年は何だったんだというほどの情報が今の一瞬で交錯した。考えられない。頭が偉い人っていうのは、こういう人のことをいうのか。


「凄いな…」

「何も凄くないですよ。ただの妄想です、妄想」

「いや、それさえも一人じゃ出来なかったんだよ。しかもこんな少ない情報の中で、これだけの予測を立てるなんて…調べに行こう。人の姿だから、行動ももっと出来る」


 勢いのまま、立ち上がろうとしたが、ヴィースとナツに同時にベットに引き倒された。


「分かりました。明日…明日、その情報を探ってみましょう。だから、もう一度休んでください」

「その通りじゃ。仲間が心配しておるのじゃ。さっさと寝ておけ。儂も眠たいんじゃ」


 その言葉に、ヴィースをよく観察してみると、化粧で隠してはいるが…クマが出来ていた。この世界の化粧は、なかなか見破れない。となると、ナツも一緒に付き添っていたのではないか? もしかして、あれから一睡もしてないのか。


「ちなみに…俺はどれくらい眠ってた?」

「…三日ほどじゃな」

「それから一睡もしてないのか…?」

「そんな訳なかろう。のぅ、ヴィース」

「その通りですとも」


 この感じは、絶対に寝ていない。

 それほどまでに心配してくれていたのか…。

 そうなったら、俺は大人しく寝ないと、この二人を寝させるのは無理そうだ。


「…改めて、ありがとう」


 そう言って、俺は寝返りを打った。二人が出ていく音がする。

 今日は俺も、人としての睡眠を貪ろう。明日からだ。

 明日から俺は───人としての食事を食べる!

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