第10話 非情な世界

 俺は、鉄の臭いが鼻につく焼け野原の上に立っていた。

 純白と赤が混ざった布切れが、自己主張してくる。

 自然と俺は、その布切れを拾っていた。


「トトを…」


 いや、その選択肢は無いのは知っている。この布切れがそれを物語っている。


 なんでこうなったんだ。


 関西人、お前はなるべく守ると言ったはずだ。なのに、何だこの様は。

 積み上げられたマイリスの兵達。そこには、この三ヵ月で顔見知りだった者達もいた。俺が記憶喪失ということを気遣ってくれた。飯を共に食べた仲でもある。

 だというのに、あそこに見える豪傑な男達はなんなんだ。勝利に歓喜し、陶酔し、酒を煽っている者共。こちらに気づきもしない。戦地であった場所にテントを張り、酒を酌み交わす狂人共。


 見たことがある───そうだ。


 …閃光の騎士団の生き残り。


 他の角獣族ダウロスも引き連れて、復讐か?

 仮面の者共ディレンスを足蹴にし、冒涜の限りを尽くして笑っている。角獣族ダウロスと思われる骨が横に積みあがっているのは、お前等の仲間だろう。その骸を横に、酒を煽って騒ぐ冒涜。

 何を喜んでいる? 無残に積まれた骸をつまみに酒を飲む、ただの悪魔。悪魔より、悪魔らしいではないか。


 あの喜作な関西人は何処だ…。俺はあいつと話があるんだ。死んでいたとしても、関係ない。俺はあいつに話さなきゃならないことがある。

 どいつが踏みにじっている?


 ───どいつだ!


 魔力が体を迸る。

 魔物化なんて、もう構ってられるか。 こいつらを今は粛清しなければならない。そうしないと、俺は前に進めない。この世界を恨んでしまう。


 絶対に───逃しはしない。


 俺は手始めに酒を置こうとした者に、石を全力で投げ飛ばす。頭が石に触れると共に、弾け飛ぶ音。頭部を失った屈強な肉体は力を失い地に平伏し、どさっという音が鈍重に響いた。血飛沫が飛散するが、角獣族ダウロスは把握出来ていない。


 初めての感覚が全身を襲う───俺は人を手にかけた。


 体の内側から噴き出てくる感情。

 吐瀉物をぶちまけるが、怒りが止まることを許さない。

 もう逃げても、誰も助けてくれない。

 静寂が包む中、事態に気づいても、もう遅い。


 俺は吐き気を抑え込み、手始めに大剣を投げ飛ばし、正面で呆気にとられている奴の胸を貫いた。閃光の騎士団は、俺が誰かということに気付いている。だからこそ、思考が追いつかないのだろう。


 俺がこの地に降り立った瞬間、覚悟を決めていれば…もっと強ければ、あいつらを殺せていた。逃走せずに、立ち向かえば。俺はこの世界に来るまで、どれだけ傲慢で阿呆だったのだろうか。


 簡単に人を殺せる? 殺せる訳がない。斬り合いを望んでいたのは、確かだ。覚悟だってあると思い込んでいた。だが、その稚拙な考えは、この世界に降り立ったことで砕け散ってしまった。

 粉砕した気持ちは、戻ってこない。憧れ、羨望、そんなものはもうない。剣や魔法は楽しかったが、それは殺すためでは無く、生きていくための手段。戦争に参加など、持っての他だ。

 だが、俺の手は今も人を殺めている。だが、これは過去に望んでいたような、熱い戦いでも、名誉ある戦いでも無い。ただ、殺戮を求めた殺しだ。


 …一体、何人いるんだ。


 蟻の如く後ろから、湧いて出てきた。テントの中でも、宴会をしていたようだ。憎い顔が紅頬し、こちらも事態の把握が出来ていない。


 後続の兵の可能性を考えなかったのか? 完璧に殺し切ったと確信したのか?


 何にしても、愚かだ。まだ危険が潜む戦場で酒など。

 百数人…といった処か。

 元はもっといたのだろうが、皆が奮闘したのだろう。それを考えると、余計に腹が煮えくり返ってきた。そして、俺はこの苛立ちの中、今までに無い頭の冴えを感じていた。


「ゾーン展開!」


 俺は自分を中心に、配置魔法を敷く。

 酒に酔った連中など、相手にならない。集中を欠き、心眼は使えない者など児戯に等しい。足を踏み出し魔陣を踏んだ者は、少しの泥沼に足を取られた。頭が倒れる位置に、小さな爆発の魔陣を仕込む。


 ───また一人死んだ。


 魔法に怯え動けない者は好都合だ。

 見た目の屈強さに比べ、その内面は臆病だな、糞…反吐がでる。

 自らが動き、体を引き裂き、潰し、断末魔をあげさせていく。


 果敢にも心眼を使わずに、予測で避けてくる猛者もいた。だが、純魔法との兼ね合いには、対応を仕切るのは不可能だ。心眼とは、この世界での戦闘での基本。それが使えないというのは、地雷原を裸で疾走するようなもの。純魔法という砲台に狙われながら。


 人相手には初陣だが、意外にいけるものだ。魔力はまだまだ枯渇していない。むしろ、溢れ出てきているような感覚に囚われる。

 激情をそのままに、淡々と殺しを重ねていく。この時だけは、感覚という感覚が麻痺していく。吐き気も、一時の儚い感情だった。


 ある者は魔陣で、ある者は大剣で、ある者はこの手で。

 何だろう…。今だけは…こいつらだけはもっと残酷に殺してやりたい。血に染まった手は、随分と軽快に動く。いつもより、身体も軽い。だが、そんな感情が芽生えた頃には見える者は一人になっていた。


「どうだ? 怖いか?」


 俺は歩み寄っていく。


「こ、この、化け物がぁ!」


 …化け物か。

 俺は手を自分に向けてみる。

 異様にでかい。腕も長い。視線も高くなった気がする。


「たった三ヵ月、たった三ヵ月の異世界生活だった」


 声が擦れ、喉につっかえた。

 そうだ、仮面の者共ディレンスもこうだったな。こういうことか。

 だが、俺は続ける。


「充実していた。トトや、アイズ、仲間達に出会えた。このままずっといてもいいと思っていた。異世界の満喫より、あの国を愛おしく思った。俺には初めてのことだったんだ。何かを守りたいってのはさ」

「寄るな! 寄るんじゃないぃ!」

「だけど、それもこれも、予定調和とやらにぶっ壊された」


 俺は、腕を伸ばして、その男の首を掴み取る。


「お前等がやったこのことが、角獣族ダウロスの予定だっていうんだったら、俺はお前等を許さない」

「ひっ…あっ…がぁあ…」


 徐々に締め上げていく。

 最後の獲物は、ゆっくりとだ。


「そう、絶対にだ。俺は必ず、お前等に復讐する」


 今から死ぬ相手に宣言しても、意味はない。

 自分へ言い聞かせているだけだ。


「同胞への行いを、悔いながら死ね」


 俺が手に力を籠めると、あれだけ太かった首に、張りが無くなった。骨が折れた乾いた音が、辺りに響く。


 俺が後ろを振り返ると、無数の死体が無残に転がっていた。これを自分でやったのだと、その光景を目に焼き付ける。これを己の自信に繋げるため。殺人を自覚し、狂気にとり付かれないために。


 …こんなことをやっても、虚しさだけが残っているのだ。


 ただの八つ当たりだ。皆、誰も戻ってこない。


 トトは…戻ってこない。


 今頃、また吐き気がやってきた。

 初めて人を殺した感覚が、胸の奥から抜けない。手に感触が残っている。血の臭いが鼻につく。それでも、俺は目を離さない。虚しさを押し殺し、復讐の炎を留めなくてはいけない。

 そして、俺はある物を見つけた。


「関西人。あんたがあの時の人か」


 ───免許証。


 肌身離さず持っていたものだ。

 名前は、原田栄太というのか。名前も聞いてなかったな。


「栄太…あんたとの約束、絶対守ってやる」


 俺は栄太が被っている仮面を手に取った。仮面の下は、醜く焼き爛れている。だが、まるで蝋人形を思わせる溶け方。もう元の顔も、人間ではなかったのだろう。

 多分、俺の顔もそうなっているんだろ。なぁ、関西人。


「転生者…俺一人で探すのは心細いからさ。お前等も道ずれだ」


 そう言って、俺は仮面を自らの顔に付ける。

 純白と赤で彩られてしまったスカーフを首に着け、立ち上がる。

 そうして、俺の旅は始まった。

 長い長い、途方もない旅。

 俺は、皆の血を踏みしめ、歩き出した。

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