第4話 転生と逃走


 耳をふせぎたくなる街中の喧騒。

 車から排出される咽るような臭い。

 周りに関心など一切ない人々が織り成す波。

 

 そんな波のような人込みに押し流されながら、俺は生きていた。

 毎朝、義務教育でも無いはずだというのに、行かなければ生きていけないという恐怖心を植え付けられ、足取り重く向かう高校への通学路。車輪のついた四角い箱に押し入り、放送と共に運ばれる。

 やりたいことをやれ、などという言葉を俺は一切信じていない。

 やりたいことをやるために、やりたくないことをやらなければならない。その努力さえしない者には成功の道などくれはしない。

 何より、俺がこの世の中に馴染めない絶対的な理由が存在する。

 

 戦いたい。


 スポーツとして戦うことを求めている訳ではない。剣を振り翳し、盾を構え、あわよくば魔法なんてのもあれば僥倖だ。現代の戦争とはまた違う。もっと原始的な争いに身を投じたい。

 剣と盾など、銃が発明されたこの世界では通用などしない。通用するのは映画の中だけだ。だからこそ、青年は魔法という曖昧なものに銃を打ち砕くだけの力があると信じざるを得ないのだ。

 だが、その魔法さえこの世界には存在しない。

 

 なら、どうするのか?

 

 何もしない。何も出来ない。

 死ぬのは、誰しもが嫌なことだ。無意味な死などする気はない。生きている限り、何か奇跡のようなチャンスが訪れるかもしれない。もし、不慮の事故で死んだとしたならば、その時は別の世界に飛ばされることを信じるしかない。


 ───奇跡を待つのだ。


 だが、ある日突然に青年は待つことをやめた。

 そんなある日に見た光景は、何とも美しいことだったか。


「やっとこの時が来たのはいいが…なんでこんなことになってる」


 俺を中心に数百メートル、真っ新な地面が見える。

 遠目からでもわかる。その中心を囲んでいる兵士達は俺に敵意を見せている。

 そんな中、こっちを向いて走ってくる兵士達。


 ───俺は全力で逃走した。


「おいおいおいおい! さすがにこれは無い! 無いだろ!」


 俺は今、よく分からないまま怒り狂う敵から逃げている。


「なんであいつらあんな怒ってんだよ!」


 戦争真っ只中に降り立ってしまったからといって、ここまで怒ることはないんじゃないか。しかも、がらんどうな場所に降り立ったのだから、別に迷惑はかけていないはずだ。


「やべぇやべぇやべぇやべぇ! 死ぬ、死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ!」


 目の前にいる兵士達は、通り過ぎ様に剣を振ってくるし、魔法みたいなのが飛んでくるし、後ろからは角生えたとてつもなさそうな奴等が追いかけて来るし、勝てる気がしない。


「止まったら死ぬ! 止まったら死ぬ! 絶対に止まるな俺!」


 幸いなのが、相手が追いついてこないって所だ。

 これが火事場の馬鹿力という奴か。なら、もっと早くなってくれ!


「戦いたいとは思ってたさ、思ってたけど、急すぎるだろう!」


 しかも、戦場の全員から狙われるなんて、不公平すぎる。

 リンチだ、リンチ。逃亡以外に何も出来ない。


「いっったっ…!」


 剣が避けきれなくて、肩に当たった。


「おい…おいおい…冗談じゃない…血が、血がぁ!」


 走りながら肩に触ると、肩から血が出ている。

 これは本格的にやばい。


「誰か助けてくれ!」


 まだ死にたくないんだよ、俺は!

 心からの叫びだが、誰も耳に入れてくれない。

 黒い鎧の連中は、無差別に俺に斬りかかってくる。

 もう頭がパニックになってきた。

 元の世界だって幸せだったんだ。平和って素晴らしかったんだ。

 周りで血が飛び交っているが、もう見てはいけない。後ろを振り返るが、まだ追ってきている。走らないと、死んでしまう。


「あっ…」


 …俺の中での、時が止まった。

 後ろを向いた際に、前が見えずに倒れていた兵士に躓いてしまったのだ。


「ぐ…逃げなきゃ…逃げないと…」

「我等が総統閣下の敵!」

 

 ───真後ろから声が聞こえる。


「死…ねぇぇえぇえええええええええ!」

「あぁあああああ!」


 俺は、後悔した。

 この世界に来てしまったことを。望んだことを。

 生きているというのは、素晴らしいことなのだと。

 俺は、その最後の思いを胸に目を瞑った。


「ぐ……がはぁ…!」


 ………あれ?


 俺が目を開けると、目の前で倒れる兵士。

 目の前で、血を吐き死んでゆく。

 頭が真っ白になった。吐き気がした。

 赤い鎧の者が何か喋っているが、耳が聞こえない。この人が守ってくれたのか?

 その赤い鎧の者は、追いかけてきた兵士を抱き、目を瞑らせる。


 そして───剣を手に取った。


 敵だ。こいつは敵だ。俺を殺すために剣を持ってる。

 何かしなきゃ。何かしないと、ここでは殺されるんだ。身を守らなきゃ。

 守らないと、死んでしまう。

 俺は、後ずさりした先にあった死体から、剣を奪い取る。

 そして、俺は───剣を初めて人へと振りかぶった。


「うあぁ! うぁぁあああああ!」



          ◇



「おい! 本陣はどうなっている!?」


 俺は焦っていた。

 唐突に天から降ってきた光が、優勢であった我が国の本陣を吹き飛ばしたのだ。しかも、その中心に不思議な服装をした者が立っている。


「どうなっていると言っているんだ!?」


 周りの兵士達は、膠着状態。

 しかし、伝達兵は機能していたのが幸いだった。

 一人の兵がこちらに向かってくる。


「総統閣下ガロン様、及び副官数名、蒸発! 指示をなされる位を持っている生存者は、バロル様を含め、三名! 他不明! 本陣を守っていた者達、数千の兵士、全て先ほど起きた光によって戦死にございます!」


「な、なんっ…!?」


 いや、ここは動揺してはいけない。指示を出せるのは、俺と後二名。撤退の余地は全然ある。不幸中の幸いと言った所か。


「撤退だ! 防衛魔法を敷きつつ、速やかに撤退せよと伝えろ!」


 その言葉に兵士は驚きの表情と共に項垂れ、しかしすぐに立ち直り前線にそれを伝えに行く。分かっている。勝利の二文字しか知らぬ兵士が多いのだ。感情を隠し切れない者がいても、俺は責めない。

 糞…我等、誇り高い角獣族ダウロスが撤退をせんとならんとは!


「しかし…我等───閃光の騎士団は許さぬ。この角に誓って、あの者を絶対に許さぬ! 行くぞ!」


 こちらを呆けた表情で見よって…!

 あんな者一人に、勝ち戦を逃したなど許せぬ! 追いかけ回して殺してくれよう!

 俺の後方に付いてきている兵士達は、そこらの雑兵ではない。我等、角獣族ダウロスの中でも、角ありのみで編成されている。角無しの下級兵とは格が違いすぎる。


「我等が俊足で惨殺、そして速やかに撤退だ! あの者を討ち取るまでは撤退は許さぬ!」


 ───我等が誇るのは、速さだ。

 我が国でも閃光の騎士団に追いつける者、追いつけぬ者はおらぬ。


「今頃走り始めたとしても、無駄なのだよ!」


 獲物が逃走を始めた。

 思っていた以上に早い。魔法使いか何かか? 魔法で肉体にブーストをかけたな。だが、そんなものは三十秒も持たぬ。相手の兵がいる場所までは、おおよそ五キロと言った所か。その間、持つ訳がない。


「持つ訳が無い…。持つ訳が無いはずだろうがぁ!」


 なんだ、あの出鱈目な足の速さは!

 しかも、こっちを振り向いている余裕まであるとは、あいつ化け物か!?


「絶対にあいつを逃がすな! 逃がすんじゃないぞ!」


 俺はもう平常心を失っていた。速さに捧げてきた誇りを、意地を、踏みにじられたのだから。


「なんでだ…! なんであいつはスピードが落ちない…!」


 差が一向に縮まらない。もう三分はたっただろうか。俺自身も、限界を超え始めている。それだと言うのに、仲間の兵士の攻撃をふざけた避け方で転がりながら、逃走の足を緩めない。


「それだけの…はぁ…! 身体能力を有しているというのに…げほっ…げほっ…! 何だあのふざけた顔はぁ!?」


 恐怖に引き攣り、泣いているのでないかと思うほど情けない顔。


「あんな…者に…はぁ…邪魔されたと…言うのかっ…!?」


 この事実、騎士の情けも無い。

 その時───その男が見事に転倒する姿が見えた。


 叩くなら今しかない! 決死の力を振り絞るなら、今だ!


「皆は撤退しろ…! 俺は…あの者を殺してから…合流するっ!」


 最後の力を振り絞り、全力で掛ける。

 閃光の名にかけて、ここは絶対に討ち取ってみせる。

 ここでやらないと、この者は厄介な存在になるだろう。


「我等が総統閣下の敵!」


 そうなる前に…!


「死…ねぇぇぇぇぇええええええええ!」


 俺は宙に舞い、全身全霊の一撃を剣に乗せる。

 相手のこの恐怖に引き攣った顔が、この瞬間だけは心地良い。

 これで、終わり───だ?


「ぐ…がはっ…!」

「こいつを全力で守り通すぞ! こいつは、俺達の救世主だ! 者共、撃ぇっ!」


 俺の胸を貫くこの水はなんだ。

 手にも力が入らぬ。


「この…海人族マイリス…共め…」


 顔をあげても、視界が狭まっていく。

 …俺は、死ぬのか? こんな者のせいで?

 悔いだけが残る。自らも、撤退すればよかったと。

 だが…閃光の名は守り切った誇り。追いつけたという、意地。


「おい、お前…。敵将ながら、凄い気迫だったぜ」

「そ…そうだろう…。我は…閃光の…騎士…団長……バロルだ…。覚えて…おけ…」


 気持ちよくなってきた。温かい。誰かの胸の中で死ねるとは…こんなに幸せなのだな。

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