第3話 ギルド訪問


 儂は憤りを感じていた。

 自分の悪口を言われるのには慣れたが、他人を巻き込んで噂を流そうなどと…。


「マグダラめ…。人を愚弄して楽しむ外道…」


 市場から近い広場の隅で、壁を殴りつけた。

 名無しは横で、その拳を見て心配してきておるのが、余計に自分を苛立たせる。自らの未熟さ故に。

 今まで、時間を共にしてきたが、この者は本当に優しい心の持ち主じゃ。愚痴を言えば、大好きな物が目の前で並んでいようとも手を止めて、聞いてくれる。今回の事にも、多少憤りを感じているのも伝わってくる。

 そんな名無しの長い手がこちらに伸び、肩に手がのった。


「…なんじゃ、慰めてくれるのかの?」


 何回も頷く名無し。

 オーバーな動きだが、こうでもしないと伝わらないのじゃな。不憫な体じゃよ、本当に。


「お前もあいつが憎いじゃろう! 化け物化け物と言いよって…お主は慈悲の心を持ついい子だというのに! せっかくの食欲も失せた。行くぞ、名無し」


 だが、名無しに腕を掴まれ、進めない。

 何回か振りほどこうとするが、離さない。

 もうパターンはもう分かっておる、またあれじゃ。


「もうご飯を食べたいと言っておるのか?」


 頷く名無し。


「駄目じゃ。そんな愛らしい雰囲気で言っても許されぬ。もう金が尽きたのじゃ。お主の食事代でどれほどかかってると思っておる?」


 仮面の隙間から見える目は、ウルウルと輝いている。


「だ、駄目じゃと言っておるじゃろう! 食べたかったら、金を稼がねばならぬ。狩りに行くぞ!」


 その言葉に渋々と手を離したが、背中を曲げてトボトボと付いてくる。その姿を見ていると少し甘やかしたくなるのじゃが、まずは狩り。狩りと言っても、動物を狩るのではない。魔物を狩る。それで得られる収入や、その魔物が溜め込んだ宝は自分の物。


「しかし…感謝するぞ。名無し」


 小声で感謝を伝えておく。恐らくは、本当にお腹が減っただけなのじゃろうが、先ほどまでの気分が多少なりともマシになっておる。天然の癒しキャラじゃ、名無しは。


「じゃがのぅ…」


 余りの落ち込み様に周りの者達の視線が痛い。仮にも神と崇めている者が、食事が食べられなくて落ち込んでいるのは嫌なのは分かるんじゃが、仕方あるまい。働かざる者、食うべからずじゃ。

 しかし、ここの街はどこから木材を調達しておるのじゃろう。広場を抜けて住宅が並ぶ場所に出たのじゃが、木造建築の家が立ち並んでいる。奥にあるギルド会館も、木造の城。海の湿気で腐ったりしないんじゃろうか?


「あ、あの…」

「ぬ、何じゃ?」


 一人の少女が声をかけてきた。その奥には奥方と思われる姿。


「名無し様…お腹減ってるんでしょ? これ、あげてもいい?」


 手には大量に焼かれたクッキーに、パン。

 奥方は優しい目で子供を見つめ、子供は名無しを心配している目をしている。。

 この街は、なんと良い街なのじゃ。


「すまぬ。名無しは生の食材以外は好んで食わぬのだ。本当にすまぬな」

「えっ…そうなの?」

「よく分からぬがな…。って、名無し?」


 儂がそう言ってるにも関わらず、名無しはクッキーとパンに手を伸ばす。

 嫌いな物でも食べたいほどに腹が減っているのか、それとも少女の優しさに心打たれたのか。心の中までは読めないが、一緒に過ごしてきた経験からすると…両方じゃろう。

 ここはフォローしておくのが無難かの。


「名無しは、君のくれる物ならいけるようじゃ。儂のは食わんのだが、どういうことじゃろうな?」

「ほんと!? じゃあ、ほら、食べて食べて!」


 名無しはその言葉を切っ掛けに、クッキーを優しく受け取る。小さい少女に背を向けて、やはり豪快に胃に流し込んでいく。

 儂は分かっておるぞ。吐きそうなほど不味いのだと。過去に焼いた肉を口に押し込んだことがあった。それから三日間。家の部屋の隅っこでこちらに恨みの念を送ってきていた。

 …あの時は、本当に怖かったんじゃからな。


「ねぇ、美味しい?」


 名無しは後ろを振り返り、何度も頷きながらパンを受け取る。それもまた流し込んではいるが、これはもう駄目じゃ。耐えれるか分からない。少女の目の前で吐くことだけは、儂が許さない。


「クッキーとパン、礼を言う。飯が無くて困っていたのじゃ。でも、儂も急ぎの身での。日が暮れるまでにやらなければならぬことがある」

「もう行っちゃう?」

「そうじゃの」

「ほら、もう名無し様も困っているわよ。行くの」


 いいタイミングで奥方が割り込んできてくれた。残念そうな少女と奥方に頭を下げ、その場を歩き出す。名無しの状態を確認するが…。

 これは…もって十分かの?



          ◇





 名無しがげっそりとした顔で、ふらふらと付いてくる。四足歩行のことが多いのだが、今はもはや地面を擦って歩いているように見える。これである意味、食欲も収まったじゃろう。

 そして、歩くこと十分もしない内に、水の都の中心にある城についた。


「覗き込んでたら落ちるぞ、名無し」


 その城の外堀は、周りがくり抜かれたように下に海が見える。城までの距離は、堀の隅から百メートルと言った所かの。最初に見た時は、橋が無いのにどうやって行くのだと憤慨したものだ。ここに行けないとなると死活問題じゃからな。


「すまない。クエストを受注したいのじゃが」


 堀の周りに、等間隔で置かれている受付のような建物。

 穴が空いている場所に喋りかけているが、中身には誰もいない。


「畏まりました。ようこそ、マリーナギルドへ」


 もうその声を聞いた時には、建物の中。海人族マイリスが誇る、ギルド会館。

 壁から階段の手摺りに至って、彫刻が施されている。魔法的要素が一切無く、芸術を追及した職人の装飾。障子に書かれた水墨画は、圧巻の意を覚えざるを得ないの…。

 不思議な物よ。目の前には、クエストを受け持ってくれる受付嬢がいるじゃからな。


「ここの魔法は、本当に便利じゃの」


 とはいえ、遠くの場所にぱっぱと飛べるとか、そういう簡単なことではない。建物の下、海の底に端が見えないほどの魔法陣を敷いて、やっと街の外まで飛べる程度。しかも、昔書かれた魔法陣を利用しているだけで、現代でその魔法陣を書ける者は少ない。


「オルティナ。早速だが、何かレアな装備を手に入れれそうなダンジョンは無いかの?」

「レアなアイテム、ですか。具体的にどういった?」


 オルティナとは長い付き合いでは無いのじゃが、頼れるパートナーのような存在じゃ。いつも穴場なクエストを拾ってきてくれる。一人一人に合わせて慎重かつ、大胆。そして何より、迅速に。クエスト管理者のお手本のような人物。おっとりとした顔には似合わぬほど、勤勉であり、優秀。

 食べ放題になるほど、儲かる…なんて話があれば嬉しいの…。


「正直な話、お金に困っておるのじゃ。横にいる者が大食らいでの。魔物はある程度強くても構わぬ」

「少々、お待ちくださいね」


 オルティナがクエスト受注表を持ってきた。もう、用意してくれていたようじゃ。ここまで準備が良いと、ここに来ることも読まれていたような気になるの…。


「先ほどの条件であれば、こちらがおすすめです。少し前に見つけられたダンジョンなのですが、今の所は誰も受注しておりません。かなり浅いダンジョンですので、目立たないのですよ」


 その言葉に、名無しがそっぽを向く。


「心配ありませんよ、名無し様」

「何じゃ、オルティナ。名無しの心が分かる様になってきたのか?」

「心なんて読まなくても分かります」


 ここに滞在している期間だけしか接していないというのに、大した女よ…。


「浅いからと言って、レアな物が無いとは限らないんですよ? なのに、冒険者さん達はみんな深い所に行きたがるんです」


 その言葉に名無しはふんふんと頷く。


「そうです、名無し様」

「ここまで会話が成立するのは、オルティナだけじゃ。さっきの頷きで、その言葉。もはや、儂にも分からぬわ」

「名無し様はお金をかけてまで行って、レアな物が取り尽くされているより、こういう誰にも手をつけられていない浅い場所の方が効率がいいのが分かった、と言ったんですよ」


 その言葉に、やはり名無しが激しく頷く。


「…お主、通訳として雇われる気はないか」

「私はあくまで受付嬢、それ以上でもそれ以下でもありませんよ」


 まぁ、雇う金など無いのだから、こう言われることは分かっていたのじゃが。


「あのですね、誰も手をつけていないというのが大事なんです。一回限りのレアアイテムなんて一杯あるんですから。過去の遺産がそうぽろぽろ落ちている訳でもないですから」


 レアアイテム、それは過去の遺物。まだディレンスが現存していた頃、あるいはそれよりも前に作られたマジックアイテムや武具。


「名無しはどうじゃ? このクエスト、いいと思うかの?」


 全力で頷いた名無し。オルティナがいいと言ったクエストに、最終的に名無しが頷かなかったことが無い。もはや、オルティナに飼い慣らされているのでないか。

 長い間、一緒におる儂より分かっておる…軽い嫉妬心を覚えるの。


「ただし、十分に気を付けて下さい。これは噂なのですが、いまだにダンジョンが発見されなかったのは、中に踏み込んだ者が全て殺されているから…なんて噂もあります」

「そんな危険な所、本当に大丈夫なのかの?」

「九割方、大丈夫かと思われます。こういう噂は、後で探索するために独り占めしたい者が流す噂が多いのです。そして、それに準ずるだけの報酬もギルドから用意されているんですよ? 噂も相まって、誰もクエストを受けないもので」


 ギルド側も早く調査を終わらせたいのだろう。一度、誰かがある程度の安全を確保すれば、駆け出しの冒険者などの練習場として優秀そうじゃ。

 だが、何か引っ掛かる。


「もし、残りの一割だったら?」


 残り一割の可能性、それが何なのか。


「そこを見つけた者が、中で恐ろしく大きい黒い影を見て逃げ帰ってきたと言っているのです。ですが、噂の範囲は出ません」


 その言葉に、ピクリと名無しが反応した気がするが、オルティナが喋り続ける。


「何より、お二人共の腕なら相当なことが起きても、それなりの対処、生存は可能だと私は踏んでいます」

「信頼してくれるのは嬉しいのじゃが…いや、それを受ける以外はあるまいな。その依頼、受注した」

「ありがとうございます。では、いい報告書を待っていますね? こちらが地図です。古いアルヴァナ基準の地図では無く、現在のアルヴァナ基準の地図にやっとなりましたよ!どうぞ、ご使用下さい」


 アルヴァナ、全世界の名称じゃ。

 魔法で地図が大体分かるせいで、地図が古いままだったのじゃが、何処かの好き者が地図を生成したらしい。


「儂も地図の方が有り難い」


 魔法でも分かるのだが、やはり地図の方が詳細が分かりやすい。多少なりとも、魔力の温存が出来るのも、なかなかのメリットであると思う。


「では、行ってくるかの。そこに一番近い街の外まで、お願いしてもいいかの?」

「はい。では、いってらっしゃいませ」


 にこりと笑うオルティナの顔が、徐々に歪んでいき、景色が崩れていく。


「気を引き締めなければ、な…」


 未知のダンジョン、決して甘い所ではない。

 儂は目を瞑り、眩暈のような感覚に身を委ねた。


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