第1話 始まりの街


「───ッはぁ!」


 儂は思わず飛び起きた。大量の冷や汗と朝の肌寒い風が相まって、更に表情を強張らせる。顔にびっしょりと汗をかいているのを構わず、右に手を伸ばし、仮面を顔につけた。


「…ふぅ」


 ギギの仮面という、サライカの仮面と対を成す幸福の仮面。左上から斜めに、振りかかったように付いている血化粧。涙を流し、悲しい表情を模っている。


「また…この夢じゃ」


 大きなため息と共に、ベットに落ち込む。

 …決して質がいいとは言えないベットだが、この硬さも悪くないの。

 熱を取るように寝ころんでいると、視界に大きな影が被る。


「なんじゃ、『名無し』。儂を心配しておるのか?」


 天井からぶら下がり、目の前で顔を覗き込んでおるのは、その体長二メートル半は超すであろう巨体。体は棒のように細く、手足も不気味なほど長い。顔にはサライカの仮面を被り、ピエロのような陽気な服がまた似合っておるのが不思議じゃ。


「そのスカーフ、前から思っておったが…似合っとらんぞ」


 純白に赤の装飾…というにはちょっとお粗末だが、首に巻かれている。いつも大事そうに身に着けているのだから、大事な忘れ形見か何かじゃろう。

 喋ることなど皆無なのが玉に傷じゃが、貴重な謎に包まれる『仮面の者共ディレンス』の生き残り。外を歩けば奇異の目で見られると思っておったが、『角獣族ダウロス』の領地内以外では逆に信仰心を持たれることが多いという事実に驚いた。


「そんなにいつも心配してくれんでもいいのだぞ?」



 『仮面の者共ディレンス』、そして他三種族。



 厳格を司る『角獣族ダウロス』。

 この世界の種族のおおまかな分類は、獣人族ドラル耳長族エルティア普人族ヒュムと定義付けされている。

 その中でも、一大勢力を誇るのが獣人族ドラル。獣と混ざった見た目をしており、翼が生えている者や、虫や蛇の特徴を持つ者までいる。しかし、角が最もたる特徴である角獣族ダウロスが高名種族として名を連ねておる。角獣族ダウロスは角の無い者を貧弱とし、他の獣人族ドラルを虐げていた。この街より、東に川を越え、南に山を四つほど超えた所の山岳地帯に首都を持つのじゃが。…行くことは無いの。



 今現在、滞在を許されている慈愛を司る『海人族マイリス』。



 耳長族エルティアに属する海人族マイリスは手にある薄い水掻き、耳の頂点が少し尖っているのが特徴であるが、耳長族エルティアは本来、森に棲む種族と聞く。長い耳を持ち、人には在らざる緑の髪を持つ者達。しかし、現在では、魚の特徴を持つ獣人族ドラルと混ざった海人族マイリスが高名種族の地位を、獲得している。純粋な耳長族エルティア仮面の者共ディレンスと同じく、過去の種族として、歴史から消え去っている。地図でいえば、ここは西の国として君臨していた。だが、地図上では陸から離れ、島のような形で首都がある。



 最後は、堅実を司る者達『普人族ヒュム』。



 この者達は、際立っているという特徴が無い。儂はこの種族とよく似ている。魔法も剣も決して得意ではない。だからと言って、扱えない訳でもない。じゃが、決定的に違う所もある。圧倒的な団結力。化学魔法とやらを熱心に研究しているようじゃが。この世界の発展を助けているのは、間違いないだろう。


 あくまでこれは、かなり大きな括りじゃ。儂なんか、海人族マイリスの血が入っていると叔母に聞いたはずなのじゃが、水掻きもなければ、身体的特徴も無い。親はどちらも普人族ヒュムとしての成功者だったから、儂は高名種族としていられるが、別の血が混ざっている。海人族マイリスにも、特徴が良く出ている者もおる。海人族マイリスはそこの所は寛容であり、ヒレがある者にも海人族マイリスとしての種族名を与えた。



 そして、全ての存在から、頭一つ異端な存在───『仮面の者共ディレンス』。



 円満を司るとされているのじゃが、これは神話を読んでも、出てこない。唐突に現れ始め、圧倒的魔力とその特異な見た目からは想像がつかぬほど、友好的な種族。ただ、皆一様に名無しと同じ服装、仮面。神格化されたり、化け物と罵られたり、その特徴故に振り回されておる。

 そして、三百年前に滅びたとされる種族。儂は運良く、最後の一人と思われる名無しと出会った。


「あれからもう三年の時が立つというのか、早いものだの」


 家族といえる者達を失い、伝説とまで言われた仮面の者共ディレンスに助けられたあの日から、早三年間。家族達を殺したと思われる角獣族ダウロス直属の『守人ガードナー』を探す旅を続けてきた。名無しと名付けたこの仮面の者共ディレンスが、あの騒動で拾った小さなペンダントを頼りに。


「だというのに、一切の手掛かり無しなのは、我の力不足かの? 名無し」


 名無しが首を横に振る。

 いまだに見つかっていない手掛かり。角獣族ダウロスに掛け合おうにも名無しを引き連れている少女として有名になってしまった故、交渉の余地もなく殺されそうになる。

 何故、無害の名無しがここまで狙われるんじゃろうか。こんな温厚に見える名無しにも、昔は悪い時期があったのじゃろうか…。

 ベットから起き上がり、ため息をついた時にお腹から漏れ出る音。


「お腹が減ったの。名無し、何か食べにいくか」


 立ち上がると、喜々とした動きで部屋中を這い回る名無し。

 見慣れると可愛いのじゃが、最初は何事かと鳥肌がたったわ。妙な所で人間離れした奇妙な行動をとるでない。


「ほれ、行くぞ」


 儂は、その姿を後ろに見送りながら街に出る。ほんのりと塩の香りが混じった風が頬の撫で、先ほどまでの気持ちを癒してくれた。


「今日も海が澄んでおるの」


 ───海の上に全ての建造物が建てられている。


 浮いているのではないんじゃぞ? 本当にその位置から動かないんじゃ。どうやってそうなっているのかは、未だに分かってないと言うから、それもまた良い。

 海がどれだけ荒れようとも、建物は揺れず、壊れず、その場に立ち続ける。建物同士を橋で繋げ、海を真下に街を駆け巡ることが出来るというのは、心を打ち震わせるような感動を齎した。

 この街『マリーナ』の床は全て透明。この国の者は客人のことをよく分かっておるわ。


「やはり、綺麗…。のぅ、名無し」


 街の下を優雅に泳ぐ大小の魚、この街には長い間滞在しておるが、毎朝のように気持ちが揺さぶられた。名無しは、その魚達に手を伸ばし、食べたいとでも言っているかのようにこちらに顔を向けてくるが、さっさと歩き始める。

 向かった先は、マリーナ最大の市場。海の上というだけあり、新鮮な魚がそのまま手に入れることが出来る市場。


「市場で働こうと店を開いた時は、こっぴどく怒られたのを思い出すの」


 名無しは頷く。

この市場では、資格を持っていないと魚介類を扱うことが出来ないんじゃ。皆が皆、魚達を縦横無尽に獲っていたら、魚達がこの一帯からいなくなると作り出された決まりらしいのじゃが…。もしあの時に名無しがいなかったら、処刑されるかもしれなかったと考えれば、相当に重い罪を背負うとこじゃった…。


「おう、嬢ちゃん! 名無し様も相変わらず元気そうで!」

「ダリルではないか。今日も威勢がいいの。何かいいことでもあったのか?」


 市場でも魚の目利きがいいと評判のダリル。

 四十は過ぎているであろう顔立ちに反し、体付きは若者でも敵うかどうか。筋肉ダルマなどと周りから愛されている。そして、何よりの特徴は肘から伸びるヒレじゃ。ただ、愛されているのは見た目とは裏腹に、何とも優しい男だったからであろう。


「そりゃあったよ! 朝から嬢ちゃんの可愛い顔に拝めるってのは、格別の馳走ってもんさ」

「それは有り難い褒め言葉ではあるが、今日はそちらの店では何も買わぬぞ?」

「おおっと、それは褒め損だぁ畜生め!」


 豪快に笑い倒すダリル。

 客に対して畜生などと言ってはいるのだが、どこか憎めないのがこの店主の良い所じゃな。仮面で見えてない顔を褒めるのは、どうかとも思うがの。


「名無し様、ほら今日の分ですぜ! 無料でいいから食べてくんな!」


 そう言って取り出したのは、バケツにいれた魚群。それを名無しが優雅にお礼をし、受け取るや否や、猛烈な速度で仮面の下から胃に流し込む。

 そう、名無しは食いしん坊というには可愛すぎるというほどの、大食漢。儂の財布の大半は、名無しの食費と言ってもいいのじゃが、ダリルがこうして助けてくれている。信仰を利用するようで悪い気持ちを抑え、こうしてダリルに甘えているのじゃが、こうしないと儂の食事を削らなければならぬのは我慢ならぬ。


「毎回すまんの。ダリル」

「何を言いますかい。名無し様だって仲間を失って悲しいだろうに、こうやって我らに幸せを分けて下さっている。名無し様が来てから、俺の店は大繁盛ですぜ? 名無し様御用達の店だっつってな!」

「それはダリル、お主だけの幸せだろう?」

「それは言っちゃいけねぇよ、嬢ちゃん。俺の幸せは皆の幸せ、市場の幸せ、市場一の繁盛男はここにあり、ってなもんでな! ほれ、買わない客はとっとと行っちまいな!」


 さっさと手を振るダリル。


「常連に対しての言葉とは思えぬが、確かに我らがいれば客も寄りつかぬな。また名無しのことで迷惑になるかもしれんが、よろしく頼む。では、またの」

「おう、行ってらっしゃい!」


 ダリルと別れを告げた後も、市場の様々な店から声をかけられる。人も様々じゃが、一点としてあげられる海人族マイリスの特徴は、全員が優しく愛を感じる所じゃ。大半の者達が、疑ってしまうほどにお人好し。他の土地からきた儂に、それどころか名無しに対してまでもが、慈愛を感じる。

 だがの、決してその種族だからと言って皆が同じな訳ではない。周りが慈愛に満ち溢れているから、慈愛に満ちた性格になりやすいというだけであり、生まれた頃からそのような心を持ち合わせていない者はいる。

 儂は心の準備を整え、市場を通り抜けた先にある店のドアを開けた。

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