第52話 白い世界

 俺達は案内されるがままに、村へと足を踏み入れた。


 入り口には太陽の光が透き通り、輝かしく光る巨大な氷の門。その巨大さから開く音は轟音が鳴り響くと思えば、ゆっくりと静かに開いた。


「氷の門が開く時だけ少し水を撒いてる。よく考えたものだの」

「隠れている訳ではありませんが、轟音が鳴り響くと魔物や龍を刺激するかもしれないと、考え出されたのですよ。その後に凍りつかないように細工するのには、色々と苦労しましたが」


 フィスは冷静な顔のまま、門を潜っていく。しかし、俺達は冷静な顔でいられる訳がない。この光景を初めて見た者達は、必ず俺達と同じ顔をすることだろう。


「───全てが氷なのか」


 見える物全てが氷で作られている。色とりどりの氷が模様を作り出し、それが家だと分かる。透明な氷では無いのだ。故に、中は見えず、家としての役割も果たしている。


 しかし、注目すべきはそんな所ではない。この美しさだ。サライカの森にも匹敵する程に、心を魅了して離さない。昼間の姿は神々しく、夜はまた嘸かし美しいことだろう。


「早く付いてきて下さい」


 フィスに急かされ、皆が正気に戻った。


 そうだ、俺達はあくまで氷龍討伐とステラの治療のためにここに来た。遊んでいる暇など無い。ステラが助かってから、ゆっくりと観光でもしたらいい。カレイドはマイペースに氷を触ったり、滑って転んだりと自由な感じだが。


 フィスが歩を止め、その村で一番大きいであろう家の門を叩いた。


「村長、客人です。例の問題の解決を条件に、怨虫の治療をして欲しいと。治療の許可を頂けないでしょうか」


 ドアを開けようとはしない。開く気配も無い。だが、コンッと一回だけ音が鳴る。


「ありがとうございます。では、早速ですが儀式の準備に取り掛かります」


 そういうと、フィスはこちらも一瞥してすぐに歩きだす。もう用は済んだから付いてこいということなのだろう。そのまま付いていくと、周りに村人と思われる人々が集まってきた。


「儀式とやらには、人数がいるのか?」

「そうですね。ですが、思っているよりはあっさりと終わります。良かったですね」

「…その割には、陰険な雰囲気じゃがの」

「仕方ありません。ですが、知る必要もありません。必ず氷龍を撃退してくれると言うのならば、黙って治療を受けて下さい」


 言い方が威圧的だ。何かあるのかもしれないが、こちらも遊びで頼んでいる訳ではない。氷龍撃退の約束は必ず果たす。なら、言われた通りに治療を受け入れる。これが最善のはず。


 付いてくる人々は年齢も見た目も様々。その数はどんどん増えていく。


「で、ここが儀式の場所か。思ったより近いな」

「町の…中心になるのですか。思ったより狭いですが。念のために上から確認しますね」


 ヴィースが上に飛び、辺りの安全を確認する。信用はしているが、奇襲されないとは言えない。この村人以外にも、敵はいるのだから。


「大丈夫です。本当にただの円状の儀式場のようです。村人が回りを囲っていますが、一人の老人が真ん中にいるのが気になりますが…」

「さぁ、ステラさんを真ん中にいる方へ」


 俺はフィスに言われるがまま、ステラを真ん中の老人に引き渡す。それと同時に魔法を詠唱が始まった。


「下がってください。円の外側まで」


 黒色のおぞましい色をしたオーラが、真ん中へと集まっていくのが目に見える。


「何なのだ、これは? 本当に大丈夫な儀式なのか? 明らかに邪悪な儀式に見えるのじゃが」

「これは止めた方が…」


 カレイドは何が起こってもいいように、拳を構えた。 


「止めないで下さい。これが我々の覚悟です。すぐ終わります」


 ステラがその闇に包まれたかと思われたが、その闇は老いた村人の体の中へ雪崩込んでいく。その表情からして、それは尋常ではないということだけは分かる。


「待て! 何をやっているか分からないが、やめるんだ!」

「やめろと言われましても、もう手遅れです」


 ステラの中から黒い何かが老いた老人へと移っていく。何が起こっているのかがやっと理解出来てきた。望んでいない治療法。こんな治療法を望む者などいたら、俺は許さない。


「あの老人に…怨虫を移したのか」

「その通りです。残りの余命が少ない者が怨虫を引き受ける。貴方達は幸運といっていい。普段なら絶対に引き受けることはない。氷龍の一件が無ければ」

「知っていれば、頼まなかったです! こんな酷い…」

「そう言われると思っていました。だから、言わなかった。氷龍撃退は我々の死活問題です。受けてもらうには、これしかなかった。我々の村人達に備わる伝達能力で、この件を引き受けてもらったのですよ」

「言ってくれれば、何か解決法があったかもしれないのに!」

「ヴィースさん。貴方は優しい。ですが、無理なんですよ。悠長にしていれば、ここの村人が全て全滅してしまう。一人の命で全てが助かるなら、それは名誉。多少の不快感は私達にもありますが、貴方達が氷龍撃退さえしてくれるのなら、私達は一切の不満は感じません。それどころか、人一人の命で氷龍を撃退などと…感謝を覚えざるを得ないほどです」


「───ふざけるな」


 俺は思わず、呟いた。


「ふざけるなよ。知っているさ。この世界で一人の命がどれ程に軽いものか。種族さえ滅びなければいい。人さえ滅びなければいい。そんな世界なのは知っている…」


 そう、今までそんな体験を何度してきたか。


「だけどなぁ…人は一人から始まるんだ。一人がいて、二人になり、百人になり、万人を超える。決して、その一人を見捨ててはいけないんだよ」

「怒る気持ち、その選択をさせてしまった私への。ですが、私は決して後悔しませんよ。懺悔もしない。私が謝るとしたら、貴方達にだけ。この残酷な選択肢しか選ばせなかった私の不甲斐なさを幾らでもお怒り下さって結構。ですが、一人を見捨てたのではないですよ。一人が死ぬことによって、万人が助かることだってあるのです。それは…覚えておいた方がいいかもしれません」


 そういって、フィスは老人に近づいていき、腰から出した剣を唐突に突き刺した。心臓へと一直線へ。


「お前…!」

「私だってやりたくはない! だが、怨虫は二度は移せない。そして、もう末期に近かったんだ。後、数時間苦しんで苦しんで死んでいくだけ。だからこそ、早く楽にさせてやるのがいいんです」

「おかしいです、こんなの!」

「おかしい…? 私が父親を刺すことが? その覚悟を可笑しいと言うのですか? 村を救うために選ばれた私の父親を愚弄するのですか?」


 その言葉に、俺達は全員押し黙る。村を救うために父親を犠牲にしたフィスを前に、言葉が出る訳がない。決してそれが正しいことでなくとも、何が理由であろうとも、これ以上の言葉をフィスにかけることは誰も出来はしない。


 フィスはその様子を察して、村人に撤収命令を出す。儀式は本当にこれだけで、それ以上も無く終わった。あっさりと人が死に、ステラが助かった。臨んだ結末ではなくとも…もうこれ以上何も言うことは出来ない。


「では、私達はこれで。氷龍撃退のためなら、幾らでも滞在してもらって結構です。宿は緑の氷で覆われています。どうぞ、今日はステラさんのためにも休みを取って下さい」


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