第51話 極寒の地
「馬車を置いて、ずっと歩いてきた訳だが…」
「儂はこっちだと思ったんじゃがな」
「私はあっちだって言いましたよ」
「うちはどっちでもー」
そんな愚痴を漏らしながら、一時間は歩いただろうか。迷っているのか、迷っていないのか。それさえも分からないほど、雪と山しか無い。雪が降っているというのに、霧もかかっている。決して前が見えないほどという訳でもないが、遠くの物が霞んで見える。
同じ景色が続くというのは、精神に来る。一時間が何時間にも感じ、体力が数倍も削られている気がする。ステラを背負い、雪山用のゴワゴワとした服を着ながら、雪から足を引き抜く行為は予想以上に辛い。
「ここの雪は柔らかいな…。大声は出すなよ」
小声で警告を出しておく。もし、山を覆っている雪が全部柔らかい雪なのであれば、少しの切っ掛けで雪崩が起きかねない。そこまで詳しい訳じゃないが、地球にいた頃にテレビで見たことがある。
もう少し、旅人専用の道があるのかと思ったのだが、検討違いだ。いや、もしかしたらあるのかもしれないが、見つけることが出来なかった。高い所に登ってしまえば、何処かに村が見えるだろうという考えで足を進めたのだが、これも甘かった。
「帰ろうにも、足跡が消えていってしまうぞ。名無し」
「私も一応、入り口付近に魔物の血を撒いておいたので、臭いで戻れるかと思ったのですが…何故でしょう。寒さのせいか鼻が利きません」
「名無しちゃん…意地でも見つけないと、うち等死んじゃう?」
「言われなくても分かってるって───ん?」
その時、上空で何か聞こえた気がした。歩を止めて、寒さを凌ぐためのフードを外す。この瞬間だけでも凍ってしまいそうだが、どうしても気になる。
「どうしたんじゃ?」
「ちょっと黙ってくれ」
俺はそのまま上空を見ながら、耳に神経を集中させる。
───羽の音だっ!
「おい、ヴィース。寒いのは分かるが、羽を出して上空を見てきてくれないか。羽の音が聞こえる」
「羽の音?」
ヴィースもフードを脱いで、同じように利き耳を立てる。
「…確かに聞こえます。分かりました。ちょっとこの服持っていて下さいね」
「任せろ。多分、噂に聞いた羽を持つ者だと思うんだが、魔物かもしれないから気をつけろよ。ここの住民なら、平和的に交渉するんだ」
「任せて下さい」
そう言ったと同時に、羽を大きく広げ、天高く舞い上がっていったヴィース。霧が晴れ、上の方まで見えるようになったかと思えば、また霧に覆われる。上の方で何が起こっているのか、待っているしかない。
「魔物じゃなかったらいいんだけどな」
「でないと、儂等はここで死ぬことになりそうじゃからな」
「しかも凍えて…名無しちゃん! 温めてー」
「お前はもう少しヴィースの心配をしろって」
「心配したって、うち飛べないからー」
「まぁ、そうなんだがな」
今思えば、仲間達と一緒に行動するようになってから、頼りっぱなしだ。自分では出来なかったことが、仲間達と一緒にいると出来る気がする。俺も周りの人達にそう思わせることが出来ているのだろうか。
ヴィースは自らの復讐を置いて、こうして手伝ってくれている。感謝してもしきれない。約束を一度忘れてしまった相手に、ここまでしてくれるとは思っていなかった。今度、ヴィースの復讐が叶う日が来るならば、俺達も手伝おう。それまでは絶対に生き残ってやる。
そんなことを考えていると、小さかった羽音が二つ。こちらに近づいてくる。一つはヴィースの大きな羽音。もう一つは、遠くで聞こえてたよりも遥かに高い羽音。真上の霧が晴れるとそこにはヴィースともう一人、蜻蛉の羽を携えた綺麗な女性がこちらを見ていた。
「怨虫にかかっているという方は?」
「そちらの名無し様が背負っている方です」
どうやら、上で話は済ませてきたらしい。ヴィースが何処まで話したのか分からない。ここは黙っておいた方が懸命だ。
「では、ステラさんを雪の上に少し降ろして。私が状態を確認しますので。警戒は無用ですよ。私達は低名種族ですが、人を襲って何かしようなどと思うような輩とは違いますので。私の名前はフィス・ドラゴ。フィスとお呼び下さって結構。雪と空の民です」
こちらの警戒を感じ取ったのか、表情を変えずに俺達全員を見渡しながら自己紹介をする。
「…分かった。こちらこそ済まないな。俺はさっきも聞いたと思うが名無しと呼ばれている。ルイと呼んでもらっても結構だ。そっちの仮面の女がナツ、そしてそこの男女がカレイドだ」
「その紹介の仕方ー酷いよー…」
「大丈夫です。私は気付いていましたので」
「えっ? うち男に見える!?」
「いえ、私達の様に虫と同じような特徴を持つ者達は、雄雌の判断を本能的にしてしまうのです。見た目だけでいえば、分からないと思いますよ」
そう言いながら、俺が下ろしたステラの状態を確認していく女性。何を確認しているかまでは分からないが、敵意が無く、真剣であることは間違いないようだ。その間、俺達は少し下がり、ヴィースに事情を聞いた。
「この方には全ての事情をお話しました。やはり、私は嘘をつくのが苦手です」
「全てを話した…まぁ、仕方がないの。ヴィースは変な所で正直じゃからな」
「そこで、一つの提案をされたのですが…これは引き受けました」
「引き受けた?」
これに関してはきちんと聞いておかなければならない。ヴィースの引き受けてくる依頼は、過去の経験からしてとんでもない物が多い。目的のためなら、魔王を倒せと言われても引き受けてしまうような奴だから。
「───ここら一帯を支配する氷龍を討伐、最低でも動けなくするという依頼です」
「ひょ、氷龍だと!?」
俺は思わず、声を張り上げてしまう。次に口を開こうとすると、フィスに口を塞がれてしまった。
「あなた、死にたいんですか。雪崩は龍よりも怖い。上に逃げる隙も無く、押し潰される。驚かれるのは分かる。だが、あの方は受けた。だから、私達は全力でステラさんを治療する。契約は絶対です。死なれてもらっては困る」
「す、すまない。だが、氷龍って…成龍か?」
「勿論。ヴィースさんを拝見した所、その実力は相当な物です。村へ帰ろうとしている時にヴィースさんが現れた時は、思わず死を覚悟しましたから。私達は強大すぎる力には本能的に逃亡という選択肢しか思い浮かばないのです。ただ、殺気が無かったので、逃げずにここにいますけど」
「ヴィースは確かに強いが、相手が氷龍っていうのは…」
「では、ステラさんは助かりません。助ける方法は私達しか知りません。それでもいいのなら、私はこのまま帰るだけです。だけど、一つ言っておきます。その方は、もう数日も放おっておけば、死にます」
フィスはそう言いながら、ステラの頭を撫でた。
「これは必ずです。呪いの重ねがけで何とかなっていますが、その方の中に巣食う怨虫は既に成長しきっている。今なら間に合うかもしれない…とだけ言っておきましょう」
フィスのその目は本気だ。恐らく、氷龍がいることで、村に危機が迫っているのだろう。でないと、こんな所で出会った旅人に唐突にこんな取引を持ちかける訳がない。
悩む俺を余所目に、ナツが前に進み出た。
「…最早、選択肢は無いようじゃな。というより、儂はまだ良かったと思ってるがの。氷龍なんぞ、あの軍隊のような男からしたら可愛い」
「氷龍との戦いに賭けるか、確実に死ぬ友人を見捨てるか…私は賭けてみたいです」
「氷龍かー。ペットに出来たら、いいんだけどなー」
ステラの命を助けるために、皆の命を賭ける。これが正しい判断だとは俺は思えない。だが、皆が同じ思いであれば、それは正しいとか、正しくないとかそういう問題ではないのではないか。リスクを考えて、仲間を救えないなどと、ググの前で言えるだろうか。
───仲間を見捨てる馬鹿にはなりたくないな。
「…分かった。そうだな。俺は考えて動いて良かった試しが無いんだ。なら、思うがままに動いてみるか」
「やっとヘタレの覚悟が決まったようじゃ」
「ヘタレって言うな」
「うるさいわ。仲間を助けるのに、迷いなどいらぬ。お主は考えるままに動いておればいいのじゃ。例え、前ほどの力が無くとも、じゃ」
ナツにはお見通しだ。前ほどの力がない自分では、氷龍を抑えきれないと考えていたんだ。前のままの俺だったなら、迷いは一切無かっただろう。
「では、交渉成立ということで。村に案内しますので、着いてきて下さい。徒歩で行きます」
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