第50話 飲食物と修理
「んぅ…」
俺は光を遮るために手を前に掲げ、右手で目を擦る。見張りの交代で起きた覚えがない。周りを見渡すと霧が晴れ、既に起きていた二人が昨日作ったと見られる魔物の燻製を食べていた。
「あれ、俺…起きなかったか?」
それほど深い眠りについた覚えは無い。一人で寝る時よりかは深いかもしれないが、刺激があれば起きる程度。睡眠の度合いを調整することは、このような世界で生きていくには必須といえる。それなのに、俺は今日起きることが無かった。
「そんなに心配しなくても、起こしてませんよ」
ヴィースが背中をこちらに向けながら、俺の疑問に答えた。
「起こしてない?」
「そうじゃよ。あの散らす蜘蛛の子の如く、数で押してくる者に襲われたら、お主の力を頼ることになるからの」
「俺よりヴィースの方が」
「私は元々が睡眠で魔力や体力を補給していません。知っているのに、言わせないで下さいよ」
そう言っているヴィースがこちらを向いた。目を瞑ってはいるものの、口の周りが赤に染まり、その手には燻製にされていない魔物が掴まれている。
「そうだったな」
謝ってはいけない。謝ったら、それが醜い行為のように感じられてしまう。ヴィースだって、吸血行為をする時は限られている。自らのその行為を恥じ、余程消耗を強いられない限りは血を口にすることがない。
───吸血行為には中毒性がある。
ヴィースがそんな言葉を漏らしたことがある。吸血行為を継続的に続けてしまうと、滞りない吸血衝動に駆られ続ける。ある一定の血を吸うと、余剰分が生まれてくるが、それは力へと変換され、自らの限界を超え始める。そうなれば、暴走は免れない。ヴィースは過去にその失敗を起こしてしまっていた。若かりし頃に、魔物どころか、人までもを襲っていたらしい。時によってヴィースの存在は忘れられ、昔話の一種として語られる程度に済んでいるが、昔は有名人だったという話だ。
現在でも血を見てしまうと、過去のヴィースが蘇る。目を瞑ればどうにかなるというのは、まだ救いだ。もし、吸血行為自体にトラウマが出来てしまえば、衰弱は免れなかった。
「燻製、貰うぞ」
「どーぞー」
俺は燻製の元である魔物を頭で考えないようにしながら、口に運んだ。味は獣型ほどではないが、美味しい。いうなれば、臭みが少ないジンギスカン。新鮮であるというのも、臭くない要因の一つだろう。やはり、肉を食べておかないと体力が魔力に付いていかない。
「水は…汲んできてたのか。仕事が早い」
汲んできたのであろう水は、鍋で煮沸。そうしないと、何の寄生虫がいるか分からない。もし、旅の途中でその寄生虫に侵されれば、治療者が近くにいないと深刻な状況になってしまう。ナツは対策魔法を持ってはいるが、仮にも生物相手。かなりの魔力を使う。その無駄を避けるためにも、魔法などに頼らず、昔ながらの方法が使われているのだ。
「ヴィース先輩が起きてから、うちが汲みに行って置いといたんだけどー。ヴィースが辺り一帯の魔物を殺し尽くす勢いでやりすぎちゃったせいで、魔物が来なくなったんだってー」
「気配を隠す気がありませんでしたから、簡単でした」
簡単と言うほど、簡単なことではないと思うんだが…。
「で、暇だからこれだけ作っちゃったんだってさー。ヴィース先輩オチャメー!」
「いやいや、オチャメでこれだけの水作るかって」
折りたたみ出来る丸型の水筒、しかもその大きさは背中に背負わないと持てない程の大きさ。それが二個ぱんぱんになっている。水筒に水を詰めている時のヴィースは、あまり想像したくない。鬱になりそうだ。
「儂が見張りに起きた時、訳も分からず続きをやらされたからの。勢いで任され、儂も調子に乗りすぎてしもうたわ」
「これだけの水となると、少し重いだろーなー。雪が積もっている場所へは、魔装馬車は侵入出来ないだろうしー…どしよ」
「とりあえずは積んでいくしかないだろ。なんか、捨てるのは…」
俺は燻製を噛み締めながら、ヴィースに目を向ける。吸血しているヴィースは、なんというか…色っぽい。獣のようでもあり、人のようでもある。その危ういバランスが、更に色気を感じさせる。吸血行為は三大欲求全てを味わい尽くせる…噂で聞いた通りだとすると、それを抑えながら吸血しているとなると、あまり見られたくはないのかもしれない。俺達の前でこうして吸血行為をしているというのは、心を許しているというメッセージなのかもしれない。全ては予測でしかなく、直接聞くことも憚られ、人の心は何処までも謎だ。それぐらいが丁度いいのだろうが。
いや、そんなことを考えていたのではない。水だ。捨ててはヴィースが後から悲しい顔をするだろう。それは俺としては避けたい。飲みきれなかった場合、その時に捨てれば何とかなる。とりあえず、今は出発の準備だ。
「もう終わったか?」
「あっ…はい」
「片付けとくから、口周り拭いとけよ。しっかし、よく服につかないな。匠の技だ、これは」
「茶化さないでください」
俺は吸い殻の魔物の死体を三体ほど土に埋める。ヴィースは戦闘中でも血を視界に収めないように戦っているとなると、実は本当の実力はもっと凄いのでは…そんな野暮なことを思ってしまう。目を敵から逸らしながら、相手を圧倒している力。末恐ろしいな。
「とりあえずだ。藁はなくても、何か屋根を作っておかないとな。行けるとこまで行くのに必要なのは勿論だが、帰りのことも考えなきゃいけない」
魔装馬は、ただの馬よりも多少細かい命令を聞くことが出来る。雪が降り積もれば、それを払い落とすことぐらいだが。耳も良いことから、遠くから呼ぶことも出来る。
「と、なればだ。二手に分かれて散策だな」
「…今の状況で戦力を二分するのは、愚策じゃぞ」
「いやいや、アヌムスはもう襲ってこない。少なくとも、二週間後までは。そう俺は確信している」
ナツの目が動いた。というより、これは眉を潜めたのか。仮面越しの表情が分かるとか、なんか違う才能が開花してきたな。
「何故そう言える」
「一つ目に言えることは、あの数で探索出来るとなれば、多少なりともヴィースが感知しているはず。二つ目は、あいつは考えて動くタイプだ。感情に身を任せて襲ってくるような奴でもない。三つ目は…」
「三つ目は?」
二つ目まではナツも予測していることだ。それを考えた上で、警戒している。そう言いたげな目。
「───俺の経験だ」
経験。これを馬鹿にする者は、必ず痛い目をみる。ゲームで経験値と言われるほどに、経験を貯めていくとそれだけ強くなる。逃げることにおいても、戦うことにおいてもだ。
「経験…かの。三百年の逃亡生活より得た経験じゃからこそ、儂にそれを信じろと」
「まぁ、そうだな。経験上だが、ああいう人間は意外に約束を守る。普通の思考から外れている人間ほど、約束に恐ろしいほどの拘りを見せる。破ってしまえば、その怒りは尋常じゃない記憶もあるが…」
「それだけの理由で」
「それだけじゃない。アヌムスは数に拘っているのは、聞いているだけでも分かった。そして、二週間後以降と聞いた時に嫌な顔をしなかった。それが何故かは分からない。日付を指定出来ることが嬉しかったのか…まぁ、そこは俺には分からない。が、あれほどに迷いを生じさせたのは、二週間後以降という約束がキーワードだと、俺は思っている」
これは憶測でしかないが、あながち間違っていない気がする。数にあれ程に拘る者を見たことはないが、偶然にもアヌムスの機嫌を損ねなかった。だからこそ、俺達は生きていられる。そんな気がする。
「…変な所で頭が働く。二手に分かれる…分かった。少し納得出来ない所もあるがの」
「よし。じゃ、俺は…カレイドとだな」
「おっ、うちに気があるー?」
「違うから。肉体労働に向いてそうだからだ」
「ひどくないー?」
「ヴィースはナツと海岸沿いに使えそうな物を集めてきてくれ。魔装馬を一体ずつ連れてって、上に乗せればだいぶ運べるはずだ。荷車の方は隠しておいてくれ。ナツ、お前なら出来るよな?」
「こき使う気かの。やってやるがの」
早く目的地に向かいたい。だが、自分達が動けなくなれば、それは本末転倒。
───この世界の神は、何処まで現実的な生活をさせるんだ。
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