第47話 提案と神の子

「我を殺すというか。軍隊、いや、それ以上の戦力を有する我を殺すというか」


 その目に浮かんでいるのは恐怖の感情でも無く、怒りでも無い。関心であり、喜びといった感情。負けるということを一切考えていない人間の目。


「お主は角獣族ダウロスの誰かからの依頼で、儂等を探しておったのじゃろう。儂と仮面の者共ディレンスを殺すために」

「…仮面の者共ディレンスがいなかったのは、我には予想外。嘘の情報とは思えんが、我は見つけた敵を数で圧倒的に叩き潰すのみ」


 そうだ。こいつは俺が人間に戻ったことを知らないんだ。ここは俺は黙っておくべき。ナツがこれを利用して、何かやってくれるはずだ。


「儂を殺せば、あの者はもう見つけられん。三百年間の逃亡生活は伊達じゃないからの」


 そう言われれば、三百年逃げ切っているのか。よくやってるな、俺。


「…だからといって、逃がす訳にも行かない。そうじゃろ。見つけたのに、逃がしてしまえば、上からの目が厳しいからの」

「逃がす気も無い。我の能力を目にして、生かしておく訳にもいかない」

「お主の数の暴力とは、一度ばれてしまえば次は無い程に貧弱なのかの」

「貴様…」


 周りを囲っていたアヌムス達が一歩詰める。こちらも構えるが、攻撃してくる訳ではなく、牽制。ナツはその行為に対して全く動じない。動じたら交渉は成立しない。隙を見せたら、その時点でこいつは俺達を殺しにかかってくる。


「脅しても無駄。拷問にかけても絶対に喋らんよ。情報を知りたければ、もう少し待つことじゃな。次会う時は連れていってやろう」

「その言葉を我が信じると?」

「信じてもらうしかあるまい。儂とてお主を今すぐにでも殺してやりたいが、この者には時間がない。復讐している暇など、今は無い」

「今、そいつを殺せば良いでは無いか」

「殺せば、仮面の者共ディレンスを捕まえることは出来んの。儂を殺しても、誰を殺してもあの者は出てこん。何をやっても」


 結局は、俺が決め手か。相手が知らず、こちらだけが知っているアドバンテージ。むしろ、それしか存在しない。有利かと言われれば、そんなことは無い。ナツがそういう風に仕向けているだけだ。


 何か秘策があると言ってはいるが、それは本当なのかどうか。揺さぶりをかけているだけかもしれない。相手は俺達よりそれを疑っている。いや、だからこそこの交渉まで持ち込めたのかもしれない。ドツボにはまるという奴だ。


 ───場に静寂が訪れる。


 お互い、動作という動作を許さない状況。手の先が生理的現象でぴくりとでも動くと、その場にいる全員の空気が張り詰める。動くことが出来ないのではなく、誰も動くことを拒否している。相手は疑い故に、こちらは戦闘を避けたいがために。


「…」


 それは一分にも、一時間にも感じる。汗が全身を垂れていく感触。今の俺に出来ることは、俺が仮面の者共ディレンスだとばれないこと。ばれてしまえば、その時点でナツの努力は無駄になってしまう。


 ───どれ程の時間が経っただろう。


 アヌムスは思考している。思考を巡らしている。一人を確実に殺すか殺されるかの勝負をするか。ナツとの約束を信じるか。ナツよりも俺の方がアヌムスの中での重要性は高いだろう。だが、ナツの言葉を…敵の言葉を信じることなんて出来るのだろうか。


「───儂の方が少し折れることにするかの」


 張り詰めた空気が霧散した。しかし、折れるとはどういうことだ。


「お主は儂を信頼することが出来ない。そうじゃの?」

「当たり前と言っておこう」

「ならば、間に人を挟もうと思うのじゃが、どうかの」


 間に人を挟む…となると、あいつしかいないな。


「ググ・マグダラに間を取り持ってもらう。日付の指定は二週間後以降の何処でも良い。その時に必ず仮面の者共ディレンスを連れていこう。約束する。絶対に連れていく。それでいいじゃろう」


 その言葉に口を閉ざし、また思考に戻ろうとするアヌムス。しかし、ナツはそれを許さない。


「儂等は急がねばならん。魔装馬は生き残っておるか…逃げることなく、偉いもんじゃ。さぁ、何しておる。車輪は生きておる。屋根と横壁が一部吹き飛んだだけじゃ。乗ることは出来る」

「な、貴様」

「あー、疲れたよー。むしろ、涼しいぐらいで丁度いいかもー」

「今から雪が降るとこに行くんですよ? 何を呑気になっているんですか」

「確かにな。藁か何かを見つけたら回収して取り付けよう。紐が残ってたらいいけどな」


 俺もこの流れに乗る。相手が何か言う前に何も無かったかのように去る。アヌムス達の間を当たり前の顔で通りすぎていく。肩を掴まれるかと思ったが、そんなことは全く無く唖然としている。こういうことに慣れてないな。


「お、結合部分は壊れておらんぞ」


 ナツが何喰わぬ顔で結合部分をはめ込む。周りの皆で荷物をさっさと載せて、乗り込んだ。アヌムスの方向は全く振り向かない。


「さ、行くか」

「我はまだ───」


 俺達は馬車を走らせた。正気に戻るのが遅かった。ここまでさっさと去ってしまえば、殺すという選択肢を選ぶことは無いだろう。何故なら、もう一つの選択肢があるから。ググとの連絡手段は恐らくは持っている。となると、迷うことなくそちらを選ばせればいい。


 案の定、後方へと目線を移すと魔法を打つことも無く、こちらを見ているだけ。思考を完結させることなく、完結させられた。ナツの常套手段。


「ふぅ…危なかったの」

「とりあえず、逃げ切れそうだな」

「正直、うちは勝てる気がしなかったよー。数がどうとか言ってたけど、倒したら倒したで強くなってくしー」

「最後の一人になったら…私でも瞬殺されますね」


 それ程までに強いのか。確かに三十人程度残っている状況であの強さ。その力が一人に集まる訳だ。仮面の者共ディレンスだった頃であっても、勝てるとは思えない。しかし、何処でそこまでの力を得たのか。禁術でも聞いたことがない。俺も書物を色々と読んだが、そんな禁術を見たことがない。禁術とは思えない。


「神に選ばれた…とか言ってたな」


 あの言葉が冗談とは思えない。ただのハッタリとも思えない。その話自体は見たことがあるような…。


「私はその言葉で気づいたことがあるんですが…」

「なんじゃ?」


 ナツも気になっていたのだろう。あの一言は不思議と頭に残っていた。自信に溢れた一言。俺だけかと思っていたが、皆も頭に引っかかっていたということか。


「神の子。生まれながらにして神の祝福を受けた者。英雄として崇められる者もいれば、悪魔と蔑まれる者もいると聞きます。強力な力を持ち、ある者は国一つを救い、ある者は国一つを滅ぼした。世界全体でも十人もいないと、本で読んだことがあります」

「それだ! 俺も見たことがある。思い出した。あんなの誇張表現で書かれた馬鹿げた物語だと思っていたが、納得いった。確かにあいつならあり得る。その可能性はかなり高い。というより、それ以外考えられない」


 過去に仮面の者共ディレンスと敵対した神の子がいたという。書物によれば、仮面の者共ディレンスが全力で立ち向かい、多大な犠牲を払ってやっとの思いで殺すことが出来たとか。寿命も常人を遥かに超えていて、神の使者と呼ばれる所以になっている。


「おいおい…神の使者に喧嘩売るって大丈夫かよ…。正直、自信無くなってきたぞ」

「なんじゃ、この腑抜け者。神だろうが、悪魔だろうが、必ず弱点がある。神が人を作ったのじゃぞ。それならば、人も神の子じゃ。あ奴には力を。儂等には知恵をってとこじゃな。お主には授け忘れたようじゃが」

「馬鹿ってことかよ。授け忘れたとか、神様どんだけうっかりさんなんだよ」

「うちも授けられてないかもー?」

「大丈夫じゃ。使っていない人間と、使うことすら出来ない人間とは意味が違うんじゃよ」


 なんというか、仮面の者共ディレンスだった頃には無かった会話だ。喋れなかった分、ナツは気を使ってくれていたのだろうか。それにしても言い過ぎだと思うが、やはりあのアヌムス…復讐が絡むとこうなるってことか。


「ナツにはあいつの弱点が分かってたんだろ? 教えてくれ。それを聞いたら勝てる気にもなる」

「簡単じゃよ」


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