第40話 地上と行進

 金を数え終えても、ナツの興奮は冷めないだろうと思っていたが、予想外にもすぐに眠りについた。そして、俺が起きた時にはステラの所へ行ったと伝えられたのだが、これは向かった方がいいのだろうか。


「あ、起きましたか? これ、どうぞ」

「おはよう。ありがとな」


 ヴィースがこっちに渡してきたのは、こちらで言うコーヒーのような飲み物。名前もよく似ていて、コルティーという。ただ、煎ると甘くなって微糖コーヒーの味になる。ブラックを楽しむことは出来無いのが残念だ。


「ふぅ、美味しいな」

「それを飲んだら、すぐに出発ですよ。ステラ様の容体もだいぶ良くなったみたいです」

「安定したのか! 意識は?」

「意識は戻ってません。戻ってしまうと呪いの重ねがけでショック死するかもしれないから、深い催眠の呪いもかけているみたいですね」


 怨虫の進行は食い止めることは出来るが、呪い自体は害悪であることに変わりはない。諸刃の剣を振り翳さないと助けることも出来ないとは、ガンモはどんな虫を埋め込んだんだ。


 何故、ガンモはこの虫をばら撒いているのか。ただの快楽。あの場を逃げるため。いや、それが分かった所で何かある訳ではないのだが、ああいう人間が何を思っているのかを知りたい。それが分からないと、次に同じような人間に出会った時に対応することが出来ない。


「名無し様…コルティーが冷めてますよ」

「えっ? ああ、ごめんな」


 俺はコルティーを飲み干し、コップをヴィースに渡した。服を着替える習慣に慣れてきた。三百年間、服を着替えることなんてなかった。水浴びも服のままだった。人に戻ってからの生活は充実している。


「カレイドさんが昨日の手伝いが終わってから魔装馬車でこちらへ向かっているので、合流出来ると思います…って、着替え中じゃないですか! もぅ!」

「別にいいだろ。素っ裸な訳じゃないんだから」

「何か一言お願いします!」

「んじゃ、着替えるぞー」

「遅いんですー!」


 ヴィースが台所の方へ姿を消したタイミングでズボンを着替え、ベルトを締める。大剣…闘技場に回収されたままだな。新しい武器を何か探すしかないか。とりあえずは魔法だけに集中しよう。


 俺達は準備を終え、扉を出るとナツが家の壁に寄りかかって待っていた。遅いと言わんばかりの態度で、腕を組んでいる。


「悪い。遅くなった」

「さっさと出発じゃ。ステラは既に魔装馬車に運んでもらっておる。集落の詳細な場所が分からぬ様に、三十分ほど歩くがの」

「それでも、場所がばれるリスクを犯してくれてるんだ。感謝しなきゃだな」

「お礼を言わないとですね」


 近くの梯子を下りて、地上に降り立つと不思議な感覚だ。僅か二日とちょっとしか滞在していないのに、地上が懐かしく感じる。何処に歩いても柵はなく、落ちることも無い地上。やっぱり地上は素晴らしい。


 俺達を待っていたのは、湖の畔で拉致された時にリーダーの役割を担っていた男。名前も聞いてはいないが、この男が連れて帰る判断をしてくれた。それがなければ、ステラは治療法を見つける前に死んでいた。


「ありがとう」

「感謝します」

「礼を言う。ステラはお主等のおかげで助かった」


 出会い頭に三人で頭を下げる。その男は最初こそ面食らった顔をしていたが、顔をあげると握手を求めてきた。どの世界でも、握手は友好の証である。


「こちらこそ、ありがとう。殺さないでいてくれて」

「随分と皮肉な言い様だな」

「そんな強いなら、抵抗されたら我々は死んでいた。これぐらいは言わせてくれ」


 ヴィース、ナツ共に握手をし終えると、さっと後ろを向き歩き始める。さっぱりしている男だ。だが、そちらの方が嬉しい。こっちも本来は急ぎの身なのだ。


 改めて歩いてみると、なんて深い森なんだろうか。樹々だけではなく、普通の何倍も大きな草や花が行く手を阻む。その中には踏んでしまったが最後、動けなくなり食べられてしまう食人植物も存在する。それも、無数にだ。


 三十分程の道のりとなるとそんなに遠くはないのだが、この森を越えれる者は早々いない。むしろ、俺達でさえもう二度とこの集落には来れない。森ごと焼き払うぐらいのことをしなければ、三人の内の誰かが死ぬ。


「───着いたぞ」


 地面の草花に気を取られながら歩いていると、時間が立つのは早い。何時の間にか目の前には普通の者達が山越えするために開拓された道が見えた。そこには魔装馬車が一台止まっており、横にはクコ族長とググ、そしてカレイドが手を振っていた。


「名無しせんぱーい!」

「おーう」


 手を振り返し、魔装馬車の方へと歩き出す。


「すまない。遅くなった」

「だいじょーぶ。クコちゃん可愛かったからー」

「クコちゃんなんて呼ばれたのは初めてで嬉しいよ。でも、女の子じゃなかったのにはびっくりしたけどね。それでも、いいね。可愛いと思った子に名前を呼ばれるのは、いい気分だよ」

「真面目君だよね。クコちゃん」

「そうかい?」

「話はそこまでぇ。早くしないとぉ、ステラが死んでしまうからねぇ? あくまで一時的な物なんだからぁねぇ」


 その言葉は皆の背中に重くのしかかった。だが、一時的にでも進行が止まったという安心感は心に余裕を持たせてしまうのも、事実だ。俺自身がそうなのだから。一番焦っているのはググであり、一番安心したいのもググ。だが、情報収集に回るためにステラの側にいてやることは出来ない。


「じゃあ、早速本題だ。クコ族長」

「分かってる。治療方法があるかもしれないと言う場所を教えるよ。いいね?」

「宜しく頼む」


 クコ族長は北北東の方面を指さし、言った。


「ここから北に山を越えたら、次は北東へ。広大な湖が見えてきたら、湖沿いに北へと上がっていけばいいかな。雪と氷が支配する極寒の土地に住んでいる者達が助けてくれるはずさ」

「極寒か…」

「その者達は空を自在に飛び、あらゆる羽の者が住んでいると聞いている。獣人族ドラルと恐らくは何か別の種族が混ざった人達だね。ヴィースさんも羽を持ってるから、親しみやすいかもしれないよ」


 羽の一族か。そっちはナツと旅した三年間の中、一度も行ったことがない。防寒対策をちゃんとしなければ、出会う前に死んでしまうかもしれないな。


「魔装馬車は雪の上は走れないの。雪が見え始めたら歩きじゃな」

「その通り、無理だろうね。でも、左手に海、右に湖の一本道を真っ直ぐ北に行けばそんなに遠くはないはず。方向感覚が無くなるから、魔力コンパスを忘れずにね」


 魔力コンパス。地球が磁力を発しているのに対し、この星は魔力を放っている。それで北と南を判断し、方向が定められている。


「防寒具はぁねぇ、ググ様が用意してあげたぁよぉ? サイズもきっちりと合わせてねぇ!」


 この態度さえなければ心から感謝出来るのに、勿体無い性格。ナツも苦虫を潰したような顔になっているに違いない。仮面越しにでも透けて見える。


「じゃぁ、僕はぁそこが駄目だった時、何か材料が必要になった時に連絡をくれないかなぁ? そのギルドクリスタルに僕の名前をぉ登録しておいたからねぇ」

「登録?」

「リンクと言った後にぃ僕の名前を言えばいいんだよねぇ、便利だぁよねぇ!」


 メルアド登録そのままじゃないか。これって本当にただの携帯電話じゃないか。


 ───その言葉で思い出した。俺の携帯、闘技場に撮られたままだ。


「カレイド、俺の私物ってなんか無かったか?」

「待ってましたー! ちょっと待ってねー」


 カレイドは馬車の中から大剣と俺の止まった携帯を取り出す。一応、俺の大剣はかなり重いはずなんだが…ぱっと持ってる辺りは流石はカレイドだ。


 あれ、今思ったらなんでカレイドが俺の私物知ってるんだ?


「忘れ物の特徴を言っておいた。お主は忘れておったじゃろうからな」

「本当か! ありがとうな、ナツ」

「ふん、忘れる方がどうにかしとるわ」


 素直じゃない。だが、そこがいい。


 とか思ってる場合ではなく、俺は大剣を背負い、携帯を自分の布鞄の中へ押し込む。次こそは無くさないようにしないと。今更、地球に戻りたいなんて考えはさらさら思ってはいないが、やはり懐かしい。持ってはいたい。大剣がずっしりと背中に重みをかけてくるのも、また心地いい。


 これで多少は肉弾戦にも参戦出来る。ガンマ、ガンモと戦った時は肉弾戦を視野に入れることさえ出来なかった。次は選択肢が何倍にも増える。戦いでは手数が大事であり、魔法だけで成立するものではない。


「よし、じゃあ出発するか」

「僕も早速行くぅかなぁ。じゃ、宜しく頼むよぉ?」

「任された」


 ググはひらひらと手を振りながら、部下と共に反対方向へと去っていった。何か情報の宛があるのだろう。俺は何も言わない。


 俺は魔装馬車に乗り込み、篭手の確認をする。肉体ではなく、篭手を支点に魔力を吸い取らせる。最近、魔力の操作に慣れたせいか、これなら寝ていても出来る。慣れというのは凄いな。


「じゃあ、出発進行ー!」


 カレイドの声が合図となり、魔装馬車が歩を進める。俺達はようやっと、ステラ救出への第一歩を踏み出せた。揺れる馬車の中、俺はステラの頭を撫でてやり、外を眺めた。


 まだ道のりは長い。


「ステラ…助けてやるから絶対に死ぬなよ。絶対に助けてやる」

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