第37話 少年と結成

「で、交渉は成立ということでいいのかぁい? いいんだよねぇ?」


 ググはわざわざここまで足を運び、この話をしに来たのだ。何もありませんでしたで帰らせることは出来ない。もし、そうなればナツに怒りが向く可能性がある。ググは公平ではあるが、傲慢であることには変わりはない。


「いいね! 当たり前だよ。これ程にいい交渉がこの先あるとは思えないからね。この集落で暮らすには、むしろ多額すぎるお金だ。だから、もう一つだけ交渉をしないかい?」


 その言葉にググの薄笑いが消える。交渉が上手くいったことには間違いない。次の交渉を受けるかはググ次第。ググが首を横に振れば、金貨百枚の話がそのまま通るだけ。


 ググはクコ族長の家にある最も豪華な椅子に大胆に腰をかける。足を振り上げるように組み、ゆっくりと頬杖をついた。目を一度瞑り、数秒間の沈黙が訪れた。


「…聞いてあげようじゃぁないかぁ。僕はぁねぇ、凄く上機嫌なんだぁ。首を縦に振りやすいから気をつけないとぉねぇ」


 喋りだすと共に目を開き、薄笑いが顔に戻ってくる。俺達三人のことなどまったく眼中にない。だらけた姿勢からは考えられないほどに、一言一句聞き逃すまいという雰囲気が場を制する。


 素直に交渉成立とはならないのか。ナツは仮面を触ってそわそわとしている。ナツ自身も不安なんだろう。素顔は見えないが、恐らくは困惑した表情を浮かべている。ヴィースの表情はコロコロと変わり続けていて、見ているだけで癒されるな。こういう時は、そんなヴィースに心が救われる。


「えーとね、まず金貨は半額の五十枚でいいかな」


 クコ族長はググは座っている正面に先ほどまで座っていた椅子を移動させ、そこへ座った。ググの目を真正面から見つめ、笑みを張り付かせているが…目が全く笑っていない。どちらも笑っているが、どちらも笑っていない。奇妙な絵図だ。


「…そこまで安くしていいのかぁい?」

「それだけの価値があると、僕には思ってるんだ。この話には」


 予測がつかない。ググでさえ予測がつかない顔をしている。この集落で金よりも必要な物。思いつく所でいえば人手…ぐらいか。この少年が何を考えているのか。若くして族長の座につき、厳しい状況を乗り越えてきた。その生の密度は少年の心を大人にするには十分だ。


「その前に…僕の自己紹介をしようかな。ググさんの登場で途切れちゃったからね」

「自己紹介かぁい? いいよぉ。好きなだけやればいいよぉ」


 ググの不自然なその物言いに、何かの意図を感じる。いや、むしろクコ族長が仕掛けているのかもしれない。


「…人を知らぬは、真も知らぬ。この世界の言葉です。安心感を与えようとしてるんですよ。人と成りを少しでも知っている方が話がし易いでしょうからね」

「そうなのか…」


 耳打ちで教えてくれるヴィース。俺が別の世界の人間だと知っているからこそ、こういう時にサポートしてくれる。ナツも分かるんだろうけど、教えてはくれない。 


 大事な交渉の途中で自己紹介をするのはどうかと思ったが、これは重要なことかもしれない。名刺が無い世界で自分を知ってもらうには、口で伝えなければならないんだな。


「僕の名前はクコ。ここの集落の族長だよ。歳は十四歳になった所かな。集落に名前も無いようなとこだけど、もうここに居着いてからは百年ほどになるかな?」

「名前が無い場所なんて幾らでもあるじゃぁないかぁ。むしろぉ? 隠したいんだったら名前をつけない方が得策だぁよねぇ」


 名が付いている街や村の方が多いのは事実だ。しかし、名がついてない町や村もある。風丘の里、東山道の麓…など、特徴自体が名前のように使われている。アーバードの町は、街とまではいかない規模であり、交流も盛んではないため赤砂の町と言われているらしい。


 しかし、ここには必要ないと言っていいだろう。名前を付けると見つかりやすくなる。人の噂とは何処から漏れるか分からない。一人が村に名を付けると、一気に広まることもあるほどだ。リスクが高い。この交渉さえもリスクとして考えているような人間が、名前を付けるなんてありえない。


「でね、あの小さな女の子…ステラちゃんに憑いている怨虫と同じ病気に集落が大打撃を受けてね。この集落で一番の猛者がやられて、この村で大虐殺を起こしたんだ。ほんと、良くない事件だったよ」


 ガンモはどこまで手を伸ばしていたのだろう。不幸を撒き散らすことを救いとでも思っているのだろうか。あの曇りの無い笑顔を浮かべたガンモの顔が頭から離れない。ステラはあれだけの苦しみを味わっているというのに。


「…ステラもそうなるのかいぃ?」


 一番心配しているのは、ググだと俺は思っている。過去のことは良く知らないが、ステラのために頭を下げることが出来た。それが出来るのは、家族のように思っている証拠だ。


「そうだね。怨虫の質が悪い所は死ぬ前に尋常じゃない力で暴れまわる所にあるんだ。一般人がかかっても、兵士の十人やそこらならふっ飛ばしちゃうような力をね」

「それって…脳をやられてるんじゃないか? あんまり良くは分からないが、事故にあった人がとんでもない力を発揮した挙句、怒りやすくなると聞いたことがある」


 かなり昔のことで曖昧だが、テレビで見たことがある。脳の一部分が何かの切っ掛けでやられた時に普段じゃ出しきれない力を発揮出来る。火事場の馬鹿力と言われている力の正体。


「いいね! 物知りだ。確かにそんな感じかもしれない。でも…脳なんて言葉良く知ってるね? 医学の知識なんて一部の人しかいないのに」

「そ、そうなのかヴィース…!」

「そうですね。現に…私は脳が何か分かりません」


 そこは全く考えられなかった。確かに地球では一般人まで浸透していた言葉だが、こちらの世界では浸透していないのか。これからは気をつけないと…って転生してきたってばれて悪いことなんてあるのか? いや、ばらして損するより、隠しておく方が損をしない。


 そうだ、ここは何かフォローをしないと…。


「そんなことはぁどうでもいいんだぁ。脳が悪かろうがぁ、内蔵が悪かろうがぁ、結果は変わらないんだぁねぇ」


 ググが先に喋り出した…。しかし、ググも知識人なんだな。さり気無く内蔵って言葉が出てきた。いや、それは皆が知っているのか? 人と喋るようになると、自分の中の常識がこちらの常識とずれていることに気づいてくる。これは修正していかないといけないな。


「で…残りの金貨五十枚分なんだけどね」


 ───本題が始まった。


 場に緊張が走る。先ほどの話から一つは予測出来た。それだけで金貨五十枚とは思えないが…どんな要求が飛び出してくるか。


「まずは兵の訓練を出来る人間を頼みたいね。ここの秘密を守れるのが絶対条件でね。そして、もし場所が少しでも漏れたら違う土地の提供、及び支援。不測の事態で集落が襲われた時には、救援も宜しく頼みたいかな」

「ほうほぅ? 僕のギルドにそれだけの戦力があるとぉ?」


 ググは足を組み直した。まるで相手を見下すように顔を上げ、肘を大きく開いた。


「当たり前だよ。都会を知らないからね。逆に聞くけど…大型ギルドと言う割に、その程度の戦力も無いのかい?」


 クコ族長も大きく出たものだ。挑戦的な言葉を吹っ掛けるその度胸は認めざるを得ない。現にググも呆れたような笑いを浮かべている。


「ほんとぉに君はぁ! 笑わせてくれるねぇ。あるよぉ? あるに決まってるじゃない。でも、毎月金貨五十枚を失うだけの価値があるとは思わなぁいけどねぇ?」

「それは、まだあるから…ね」

「そっちが本題ぃ。焦らすのがぁ上手いねぇ?」

「じゃあ、率直に言おうかな。受けてくれると良いんだけど」


 クコ族長は椅子から立ち上がり、徐ろにギルドクリスタルを取り出す。それをググの方へ向け、言い放つ。


「───僕達は製造ギルドを結成する。同盟を組んでくれないかい?」


 そう言い放つ少年の顔は、重大な決定を下す族長の顔ではなく、歳相応の素直の笑顔が浮かんでいた。

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