第二章 新たなる力

第31話 プロローグ

 ある館の一室で、少女は絶望と共に両膝を地に付けていた。祈っている訳でも無く、虚ろな目をして胸に抱えている物を眺め続ける。その目からはもう涙は枯れ果てていた。


「母上…父上…」


 少女はぽつりと呟き、抱えていた物を優しく抱きしめる。そして、横に横たわって寝ている男を起こそうと体を揺さぶる。その時、少女が佇む一室に入ってきたメイド姿の二人とお抱えの料理人が一人。その少女の姿には、顔を逸らさずにはいられなかった。


 ───少女が抱えている物は、母の首。


 ───起こそうとしているのは、父の死体だったからだ。


 少女は耐え切れなかった。母親の死という残酷な結末に。少女が無邪気に犯した罪によって、母と父の死体が目の前に並ぶことになるなど誰が予想出来るのか。否、出来る訳が無い。


「お嬢様、逃げるのです」


 メイド服の女が少女を抱え上げ、外へと連れだそうとする。しかし、その行為によって母の首が地面へと無残にも落下し、少女は狂乱状態に陥った。メイド服の女を引っかき、噛みつき、ありとあらゆる暴虐を尽くそうとするが、所詮は子供。抵抗も虚しく、母と父から引き剥がされる。


 料理人とメイドの服の女達はまず外へと出ることを先決とした。既に少女の母と父を殺した者が少女を探し、館の中に潜入しているからである。だが、運は少女を見放していた。


 目の前に現れたのは屈強な獣人族ドラル。しかも、その中でも圧倒的な力を持つ角獣族ダウロスだ。一度、少女は見たことがあった。この事件の切っ掛けになった森で、目が合った人物。森の守護者、守人ガードナー


「先に行くっす! 後から追いかけれたら、追いかけるっすから!」


 メイド服の女の一人が剣を抜き放ち、息つく間も無く斬りかかった。その隙に少女を抱えたもう一人のメイドが駆け抜けた。料理人もその後に続き、外に出ることに成功する。


 少女は抵抗をやめ、メイド服の女は諦めたのだと胸を撫で下ろした。逃げる際に暴れられると、角獣族ダウロスに追いつかれる。


 ───しかし、それは全くの見当違い。


 少女は、諦めたのではない。その目に刻み込んでいるのだ。角獣族ダウロスの姿を。守人ガードナーの姿を。目が乾くことなど、気にする様子も無い。その姿が見えなくなるその瞬間まで、この思いは忘れまいと。


「森の中に逃げます! 料理長も行きますよ!」

「あいあいさ」


 逃げ込んだ先は、サライカの森と言われる神秘の森。入ることさえ禁非とされ、今回の事件を起こった最大の原因でもある。少女にはただの森にしか見えなかったのだ。メイドの女からしても、守人ガードナーが森に入った者を排除していることなど、お伽話か何かとしか思えなかった。少女の外出を甘くしていたのが、全てを崩壊させてしまった。


 奥へ奥へと進んでいくが、美しい森以外には何も見えない。暗い場所に逃げ込みたくとも、森は光を発し、隠れることが出来そうな草は宙を舞い、消えていく。敵に居場所を知らせているようなものだ。


 それでも二人は走り続ける。希望がなくとも、この森に秘められたもう一つの伝説に賭けて。少女はその姿に、徐々に冷静さを取り戻していった。悲しみが無くなった訳ではない。生きたいという生存本能、生き残り復讐を果たさなければならないという願いを叶えるため。


「…儂も走る。下ろしてくれんかの」


 その言葉にメイド服の女は立ち止まる。少女を両手で抱えていたが、その手をゆっくりと地面に下ろし、少女を地面へと降ろす。


「お嬢様…それならこれを身につけ下さい」


 メイド服の女が取り出したのは、ギギの仮面。少女の顔に強引被らせ、身につけた姿を確認する。料理長と呼ばれていた男もその姿に頷き、早く行くぞと合図を送る。


「これで顔を隠すのです。そしてお逃げくだ───」


 ───仮面から見えていた少女の視界が、紅く染まった。


 つい十分前に聞いたような、地に体が崩れ落ちた音が少女の耳に届く。狂乱に落ちかけるが、しかし少女は耐えぬいた。何故なら、まだ一人助けることが出来るかもしれない者がいるのだから。


「逃げるのじゃ!」


 言葉というのは、何でこんなにゆっくり発せられるものなのだろう。開けた口に血が入ることが無かったのは仮面のおかげだ。もし、無かったら少女は復讐に囚われ、無謀にも襲いかかっていたかもしれない。また一人、地に伏せた調理長に労いの言葉を払うことも出来ない。


「何故じゃ…何故こんなこと…」


 少女は呟いた。余りの自分の無力さに。この世界の残酷さに。


「ここに儂がいなかったら…こんなことが」


 起こらずに済むのだろうか…。その言葉は続けることは出来なかった。目の前で振り翳される全力の暴力。死ぬしかないのだと自覚した瞬間───少女の目の前に暗い影が立ちはだかった。


(も…もう耐えれぬ…)


 化物にしか見えぬ者が目の前に現れ守ってくれている。もっとその姿見たかった。復讐を果たすための時間が、まだ自分には与えられている。その安心と共に───少女は気絶した。


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