第30話 某と主
「ググ様…宜しかったのであるか?」
「なにがぁ言いたいんだぁい? ステラぁ」
主の考えることは、某には理解出来ない。何故、あんな情報を流したのか。確かにお金は舞い込んだのである。しかし、顧客を守るのも仕事のはず。
「
主は少し怒っているのである。某の理解力の無さに。
「申し訳ないのである!」
「…まぁいいやぁ。あの情報はねぇ、本当の様で嘘なんだぁよぉ? 最終の目的地は本当だけどねぇ。それまでの道のりは遠回りぃ。多額の金をもらってるからねぇ、最後の目的地だけはちゃんと書いておいたけどねぇ?」
名無しという者達がちゃんと逃げ切るのを、主は信じているということであるな。
「名無し達なら逃げるだろうけどぉ? 何があるか分からないからねぇ。グダグダしててもらっても、困るしぃねぇ」
「グダグダ…とは?」
「一人厄介な子がいてねぇ。力が現状足りないのにぃ? 復讐にまみれている子がねぇ」
「ナツ様であるか…」
確かに、あの様子だとどうなるか分からないのであるな。
「復讐…分からないのであるな…」
「分からないとはぁ?」
「いや、某も家族を殺されたのであるが、復讐に囚われても仕方ないのである。今はググ様に全てを捧げるのみ」
「ほほぉ? ステラは復讐したくないのかぁい?」
「目の前にその者がいたなら、少しはあるかもしれないのであるが、それよりも今が大事なのである。復讐に今を捧げるのは愚の骨頂…」
その言葉を止める。主の顔を見てしまったからである。よくは知らないが、主も何かに復讐心を持っている。それを忘れていた。
「愚の骨頂とまでは言わないのであるが、死んだら元の子もないのでござる…」
「そうだぁねぇ。ステラはいいこと言うねぇ」
なんとか切り抜けたのである。主に見捨てられたら、某に行く宛はない。生きる意味も失う。
「だからぁ!」
主が某の顔を引っ掴んだ。主が他人に触れる時、乱暴なのであるが…これは一種の愛情表現なのであると某は知っている。小さかった頃は瞬間的に恐怖を感じたが、今では心地いいのである。
「ここで追いつかれても困るんだよぉねぇ? ってことで、分かるかいぃ? ステラァ」
「…某が先に回りこみ、敵が近づいていることを伝えればいいのであるか?」
「そうだぁ! 物分りが良くていい子だぁねぇ。それでこそ僕が育てたステラ、お金をかけた甲斐があるねぇ!」
「畏まったのである。すぐにでも出発するのである」
主がその言葉に手を離した。少し名残惜しい気持ちだが、今は主の期待に答えなければ。
「ステラぁ」
今にも飛び出そうとしていた某に、主は後ろを振り向いたまま声をかけてくる。
「君にはねぇ、お金がかかっているんだぁよぉ。今まで育てるまでに使った時間も合わせたらぁ? 貴重な時間を君に割いているんだぁ」
「心から感謝しているのである」
某は膝をつき、頭を垂れる。主には、本当に感謝しているのである。主は素直に受け取ってくれないが…。
「何にも出来ないチビを拾ってきたのはぁ、僕だぁ」
「はい」
あの頃は本当に何も出来ない屑だったのである。今よりも背が小さく、伸びても知れているであろうと自分でも自覚していた。着ていた服は一年ほど立っていた。髪も今のようにサラサラでは無かったのである。
「僕から盗みを働こうとしたのは、君だぁ」
「はい」
今では主と出会う切っ掛けになったからこそ、いい思い出なのであるが…上手く盗んだと思えば、何処まででも追いかけてくる恐怖を味わったのである。主が気まぐれでなければ、その時に死んでいた。
「そしてぇ、君を受け入れたのも僕だぁなぁ?」
追手を掻い潜り、逃亡生活を続けていた某の前に立ちはだかった主。そこまで逃げるのが得意なら、僕の所で力を発揮しろ…そう言い放ったのである。
主は何が言いたいのか。某の初陣、心配なのであるか。仕事を失敗するのではないかと。このまま逃げるのかと。
「僕はぁねぇ。自分が世話を焼いた者に勝手に死なれるのが一番嫌いなんだよねぇ?」
「…必ず、名無し様達を逃がしてみせるのである」
やはり、初陣を心配してくれているのであるか。大丈夫だというのに、主は心配性だ。主が全力で鍛えあげてくれたのだから、某は早々任務に失敗することはないはず。やっと主が命令を出してくれた。絶対に失敗しないのである。
「この生命に代えても」
「それがぁ! それがぁ駄目だと言ってるんだよぉ!?」
「えっ、あ、主?」
急に怒りだしたと思えば、いつもの癇癪を起こす。周りにある物を手当たり次第に投げつけてくる。これ一つ一つ、高級品。某が一生働いても、買うことが出来ない装飾品。落とすわけにはいかない。某は全てを受け止め、地面に置いていく。
「や、やめるのである、ググ様! 殴るなら、某を!」
「本当に分かってないよぉ! ステラはぁ!」
「わ、分かっているのであるから、やめるのであるググ様!」
止まらない癇癪。主が何を言いたいのか。まったく分からない。これまでも、時々こういうことがあったが、すぐに収まった。今回は、収まる様子を見せない。某の何が悪かったのか…。
「───必ず帰ってこいと言ってるんだぁ!」
その言葉と同時に、物が飛んでこなくなる。某もその言葉に動きが止まってしまった。
「ぐ…ググ様」
「僕に仕えるならねぇ、死んでもらっちゃ困るんだよねぇ? 少しでも動揺したくないんだぁよねぇ? 分かるかいぃ!?」
「は、はい」
「…分かったなら、それでいいんだけどぉねぇ? 泣き顔は僕は嫌いだよぉ?」
某が気づかない間に、涙が出ていた。主が自分を認めてくれている。それだけで満足であるが、それどころか死ぬことすら許されていない。某が死ねば、主が動揺する。そんなこと、思ったことがないのである。
主が涙を拭けと言わんばかりにハンカチを投げてくる。今回の初陣をここまで心配してくれているとなると、絶対に失敗出来ないなったのである。某は涙を拭いて、ハンカチを返そうとするが、主は受け取ってくれない。
「そのハンカチはねぇ、君の初陣祝いだぁ。カンチラの毛で作られた貴重な一枚だぁよぉ? 大事にするんだぁねぇ」
「そ、そんな物受け取れないでござる!」
「いいから、受け取ることだぁねぇ? 拒否は認めないよぉ?」
初陣祝い…。ハンカチを広げると、小さな兎の絵が隅に縫ってある。某に授けられたトレードマークのようなものである。ということは、これは元々から用意されていた物。某に贈るために。
「…有り難く頂戴するのである! ググ様、心から感謝するのである!」
「そぅ、そういう顔だよぉ。ステラには笑顔が似合うねぇ。その顔で帰ってくるんだぁよぉ?」
「はい! 了解したのである!」
その言葉と共に外へ飛び出した。
───同時に、目の前の景色が歪んでいく。
「な、何が起こっているのであるか!?」
全身に痛みが走る。膝が思わず崩れる。後ろを振り返ると、そこは見知らぬ景色。
「ひっひっひっひ!」
耳に聞こえてくる奇怪な声。何処を見渡しても、その声の正体は分からない。頭の中に直接響いてくる声は、どんどん強くなっていく。笑い声が頭の中をグルグルと回り続け、逃げ場を失っているそんな感覚。
「そ、某に何をしたのであるか!? 出てくるのである!」
全力で声を張り上げるが、答えは返ってこない。痛みだけが増していき、這いずってでも前に進もうとするが、痛みで動くこともままならない。
「某は…!」
主と約束したのである。必ず、帰ってくると。ハンカチもここに…。
───無い。
「ど、何処に…!?」
懐を探るが、何処にもない。失くす訳が無い。某がググ様の物を失くす訳が無い。ということは…これは夢じゃ。
「出て行け! 儂の夢から!」
「ひっひっひっひっひっひっひっひ!」
声は大きくなっていく。頭痛が酷くなってきたのである。足も動かない。手を動かそうにも、痛みがそれを許さない。声を出すのも億劫になってきたのである。
某は何故、こんな夢を見ているのであるか。寝ている場合ではないので無いか。この痛みは、夢だけのものだとは思えない。となると、これは死の直前なのではないのであるか。
「まだ死ぬ訳には…」
徐々に体が動かなくなっていく。痛みがなくなっていく。逆に気持ちよくなってきた。麻痺してきた…といった方がいい。これはかなり危険な状態…。
「死ぬ訳…には…」
苦し紛れに絞り出した声が、静寂の世界へと消えていく。
頭の笑い声が途切れ───同時に体が活動を停止した。
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